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つづき 現代医学を語る
山ローたしかにあらゆる人間は救われることになっているのですか。
谷ローたしかにあらゆる人間は救われるのであり、あらゆる苦しみはすぎ行き消滅するほかはない。実在は顕われるほかはない。そして仮相は消え去るほかはないのです。
山ロー「救って要らぬ」とがんばる人でも救われるのですか。
谷ロー「救って要らぬ」とがんばる人でも救われるほかはない。ただ機縁が熟しておらぬ
ので暇がかかるだけのことです。
山ロー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが……。
谷ロー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在ではないから、やがて消え去るべき運命をもっているのです。そのほかにありようはないのです。罪でも病気でも悪癖でも結局は消えてしまってその人は結局救われるほかはないのですけれども、相手が反抗しているのをこっちから強制的に救うことはできない。それは人間は本来自由を与えられているから、強制することができないように造られているからです。強制して救ってよいくらいなら、神様はわれわれの努力をまたないでも、.その無限カをもって強制的に罪を消し迷いを消し、この世には光明世界が実現していなければならないはずなのです。
河村―『生命の実相』を読まないために救われない人がある。その人をどうぞ救ってあげたい。読め、ぜひとも読めと、その人を強制することはいけないですか。
谷ロー読めと強制しても心が向かなければ読まないでしょう。読めと強制して心が向いて読むということになると、それは相手の心を強制したのではない。こちらの勧誘に向こうの心が賛成したのだということになるでしょう。そうなると「読め」と形では強制したようでも、心の上では強制したのではなく、事実上は賛成を求めたのですから、はなはだけっこうです。
河村―「読め」と強制しても相手の心が向かないので読まない。それでも相手を救いたく
てしかたがない。なんとか真理をしらしてやりたいと思って、大声で耳元で読んで強制的に真理を知らせる。こういう強制はいけませんか。
谷ローそういうのは強制というべきではありません。相手が聞きたいと思っていないときに声を出す。物音を立てる。そういうことが悪いということになると、われわれは下駄で歩くことも歌を歌うこともできないということになります。本当に悪.い強制というものは、そういう形の上のことをいうのではありません。われわれは形を強制しても心を強制することができないのです。心は無限の自由を与えられているから、悟りたくないものを無理に悟るように強制するということはできないのです。だから心を悟らせる上では、形の上で、「ソレ悟れ」といわんばかりにいろいろの苦しみが来る。欲しないのに苦しみが来る、いわば強制的に来るのです。病気などもその一つです。病気は念の影であるから、病気が起こったのは、なるほど自分の心持にそれぞれの病気にふさわしい心持があったからだということに気づいて、それを治せば治るのです。
つづく
谷口雅春著「生命の実相第四巻」
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コメントありがとうございます。
エンゼルさんの考えを参考に頑張ってみますね。
2013/5/8(水) 午前 8:46
コメントありがとうございました。
出会えればいいのですが…。
とにかく、コメント、ありがとうございました!!
2013/5/9(木) 午後 0:59 [ 山崎 芽呂香 ]