日記

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こんな景色に包まれながらの昼寝はなかなか無い経験=富士山頂上

 昨年2015年に初めて富士山に登頂した際には、登山道「吉田ルート」の五合目(2305m)を午前3時に出発。吉田口山頂(3710m)に着いたのが午前8時15分だった。登りの所要時間は5時間15分。ちなみに、ガイドブックに書かれている目安の時間は「6時間10分」。1時間ほど早く登ったことになる。

 それに対し、今回2016年は午後11時に五合目を出発。「御来光」を望んだのが午前4時30分ごろ。5時間半経過しても、頂上はおろか、まだ九合目にも未到着・・・。

 理由はいくつかある。昨年は登山の前に、多少はジョギングや筋トレをしていたが、今回はそのどちらもしていない。何より最大の理由は「弾丸登山」。徹夜で登っていれば、そりゃ足取りも重くなる。登山道でも少し登っては立ち止まってハアハア。山小屋に着けば、必ず止まって息を入れる。

 そうして九合目(標高3600m)を午前5時10分に通過。ここまで来れば頂上はあとちょっと。通常は九合目からは30分で頂上に着くが、登頂したら時間は午前6時になっていた。九合目〜頂上で50分、五合目〜頂上だと7時間かかった計算になる。

 
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 頂上に着いたら食べようと思っていたものがある。山小屋で売られている1杯700円(!)のカップヌードル。普通のラーメンではなく、あえてこの贅沢価格のカップヌードルが食べたかったのだ。頂上には自販機も並んでいる。ペットボトルが500円、缶コーヒーやスープ、ジュースなどが400円。富士山価格ではあるが、そもそも頂上に自販機が並んでいるというのが、何だか「Cool Japan」な感じもする。

 腹ごしらえしたら、まずは酷使した身体を休めようと、頂上にあるベンチで昼寝(時間帯的に朝寝?)した。6時半から1時間ちょっと。昼寝はよくするが、飛行機を除けば、間違いなく最も標高の高い場所でした昼寝である。

 昨年は、富士山頂上の火口に沿ってぐるっと一周する「お鉢巡り」と、富士山の最高地点である剣ケ峰(3776m)への登頂をしたのだが、富士山のゴールはあくまで「下山」。帰りの体力を考慮して、ことしはお鉢巡りは見送ることにした。

 下山はガイドブックの目安時間は「4時間5分」。それに対し、昨年は1時間45分と、2時間かけずに駆け降りた。山を一歩一歩登ることより、降りるのが得意というのが性格を表している、と自分でも思う。

 今回は、午前8時10分に下山を開始。途中で疲れたときのためにと、自販機で400円の缶ココアを購入した。五合目に着いたのが10時半で、所要時間2時間20分。ココアは結局飲まず、家に持ち帰って冷蔵庫で冷やして飲んだ。400円だして、重りを買ったようなものである。

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 五合目への下山後のお楽しみは、山小屋「富士山みはらし」の富士山噴火カレー。ご飯が富士山のように高く盛られ、流れ出るルーが溶岩。赤い福神漬けがマグマを表している。スプーンの柄は、登山に使う木製の金剛杖を模したデザイン。本当はここで生ビールも頼んで、「ぷはぁ〜」と一息つきたいのだが、今回は寝不足と疲労でビールを飲む余裕がなかった。

 帰りも五合目から新宿駅まで高速バス。電車に乗り換え自宅に着いたのが午後3時ごろ。前日は午後6時前に家を出たから、自宅を出発して帰ってくるまで、正味21時間。確かに「弾丸」ではある。

 ただ今年は、五合目から登って降りてくるまでが11時間半(お鉢巡りはせず)。それに対し、昨年は9時間半で、お鉢巡りもできた。はい、というわけで体力面、効率面、そしてけがのリスク面でも、「弾丸登山」は二度としません。ちなみに、シャワーを浴びて午後3時半に昼寝をしたら、気付いたら朝の4時半! 13時間寝続けたことになる。これならやっぱり、最初から山小屋泊にしとけば良かったな。とほほ。(完)

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富士山登山道から望んだ、雲海から昇る御来光

 例えば、こんな経験はないだろうか。駅前でも無く、駅も近くに全然ないような道ばた。あるのはせいぜいバス停ぐらいだが、そのバスもしばらく待たないと来ない。タクシーを拾おうにも、なかなか通りがからない。じっとしているのもなんなので、タクシーが来たら乗ることにして、目的地に向かって歩き始める。そうすれば少しはタクシー代も安くなるしと。

 だが、歩いていたら後ろから来たタクシーにタイミングが合わず、乗り損ねてしまう。そうこうしているうちに、大分歩いてしまって、今さらタクシーに乗るのももったいないというか、バカらしいというか、意地なのか何なのか分からないけれども、結局最後まで歩いてしまう―。

 え、そんなアホな真似はしない? でもぼくは、そういうことがある。早めにタクシーを待つのに専念するなり、タクシー会社に電話するなりすれば良かったと、後から思うのだけれども。

 まさに、そんな状況が今回の富士山「弾丸登山」だった。夜の11時ごろに五合目(2305m)を出発。富士山の登山道「吉田ルート」には、七合目〜八合五勺の間に計14軒の山小屋があるが、その最初の山小屋「花小屋」(2700m)に到着したのが真夜中の0時20分ごろだった。

 登山道の上を見ると、山小屋が次々と続き、一つ上の山小屋までも、そこまで離れてはいない。「泊まるとしても、明日登る負担を少なくするため、少しでも先に進んでおこう」。ついついそういう意識が働き、歩みを進める。

 ちなみに吉田ルートにおける「七合目」や「八合目」は地点ではなく、区間を指している。七合目区間には山小屋が7軒あり、最初のほうの山小屋には「空室あります」といった張り紙も張られていた。「飛び込みでも泊まれそうだな」。そんな風に思っていたのだが、七合目区間の上の方になると、山小屋は消灯してひっそりとしている。また少し登れば次の山小屋があるし、扉をドンドンして「今から泊まれますか?」と聞くほどではないなと躊躇する。

 そうこうしているうちに、八合目の最初の山小屋「太子館」(3100m)に午前2時前に到着。このあたりになると「空室あります」と掲示した山小屋は無くなった。みな考えることは一緒で、七合目より、八合目の山小屋に泊まる人が多いのだ。何とかお願いして泊まったとしても、朝4時30分ごろのご来光は見たい。すると仮眠するにも、もう1、2時間しかない。そのために宿泊料金を払うというのもどうかと思う。

 ええい、もうここまで来たらと、夜通し登山することを決意する。山登りなどしていなくても眠い時間帯。さらに身体を酷使し、足取りは重く、少し登っては休むを繰り返す。持ってきた塩飴やあずきキャラメルを常に口にして少しでもパワーを補給。山小屋に着くたびに、しばらく立ち止まって一息入れる。

 夜間は気温がぐっと下がり、山小屋に設置された温度計を見ると7度。富士登山を見越して、冬にユニクロで買っていたウルトラライトダウンを着込んだ。ただ想定外が一つ。手袋はジョギング用の薄手のグローブをしていたのだが、昨年登ったときと違い、標高が高いと夜間は思った以上に手がかじかむのだ。軍手も持ってくれば良かったと悔やみつつ、途中の山小屋の中に入って、卵スープを注文。尾崎豊の「熱い缶コーヒー握り締め」のように、カップを両手で握って手を温める(←この例えが分かるかどうかで、世代が分かりますね)。

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 登山道に14軒ある山小屋の最後、八合五勺の「御来光館」(3450m)に着いたのが午前4時20分ごろ。だいぶ明るくなってきた。そして午前4時30分過ぎ、「御来光」を迎えた。見渡す限りの雲海と空の境界がオレンジ色に色づいたかと思うと、まばゆい光りが点から円へと、徐々に大きくなっていく。世界がオレンジ色に染まっていく瞬間。これこそ富士登山の醍醐味だ。(さらに次回に続く)

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富士山頂上へと登山道沿いに
山小屋や登山者の灯りがジグザグに続く

 富士登山で「やってはいけない」と、きつく言われているアレをやってしまった。ケガや病気のリスクが高まり、寒さや落石の危険にも見舞われる可能性が高くなるというアレ。その名は「弾丸登山」。事前に十分な休息を取らず、夜通し登山することだ。富士山の登山道には「やめよう STOP! 弾丸登山」と書かれた看板が設置されている。もはや、扱いが覚せい剤並みである。

 釈明をしておくと、最初から「弾丸登山」をしようとしていたわけではない。結果的に夜通しの登山になってしまったのだ(←完全に言い訳)。で、実感としては「二度と弾丸登山だけはするまい」というのが率直なところ。その体験を、包み隠さず書いておこう。

 富士山に初めて登頂したのは昨年夏。日本で一番高いところから見る景色や、その場所へ自分の足だけで登り切った達成感から「これからは毎年富士山に登ろう」と決意したのだった。

 富士山は頂上で「御来光」を迎えようとする人が多く、その場合は日中に登り始めて、夕方から夜に七合目〜八合五勺の山小屋まで到着。仮眠した後、二日目の未明にまた登りだし、頂上で日の出を迎える。ただこのパターンは登山者も多く、九合目付近で「渋滞」することもあるという。未明の登山だと景色が見えず、また山頂で日の出を待つ間は平地の真冬並みに寒い。

 それに対し、以前テレビでアルピニストの野口健さんが紹介していたのが、いわば「オフピーク登山」。未明に五合目を出発し、七合目〜八合目で御来光を望む。その後、朝に頂上に着くという登り方だ。実は「御来光」は七合目以上だと見え方はほとんど変わらず、またルートも混まずに、夜明け後は雄大な景色も楽しめるというわけだ。

 そのアドバイスをもとに、昨年は初日の夕方、新宿から富士山五合目まで直行の高速バスに乗車。夜7時ごろに五合目に到着し、その日はそこで一泊。2日目の朝3時ごろに登り始め、七合目を過ぎたあたりで御来光を望んだ。山頂に着いたのは朝8時過ぎだった。

 で、今年である。間違いの始まりは、新宿でのバスに乗る時間が、準備の都合で夜7時半ごろ出発の最終バスになってしまったことだった。五合目に着いたのが夜10時前。昨年泊まった宿泊施設はとっくに閉まっていた。別に1軒空いているところもあったが、予約もしていなかったので「まあ、とりあえず登り始めるか」と出発することにした。

 急激に標高を上げると高山病になりやすいため、1時間ほど五合目に滞在し、身体を慣らす。そうして夜11時ごろに五合目(2305m)をたった。六合目(2390m)までは割と緩やかな道が続く。誰もいない登山等を、ヘッドランプだけを頼りに進む。見上げると満月。夜道だが、想像以上に明るい。

 真夜中の0時前には六合目に到着。「案外行けるじゃないか」と、深夜の散歩気分で歩みを進めていく。六合目を越えると、道は溶岩に変わる。富士山の登山道「吉田ルート」には、七合目〜八合五勺の間に計14軒の山小屋群が、登山道に張り付くように立ち並んでいく。「まあ眠くなったり、疲れたりしたら、どこかの山小屋に飛び込みで泊まればいいかな」。そんな考えが、間違いのもとだった…。(続く)

さよなら市川市 (16/7/25)

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市川駅前の展望施設から臨む江戸川と夕焼け

 蜷川幸雄さん演出の舞台「海辺のカフカ」を観たときに、思わず敏感に反応してしまった台詞がある。主人公のカフカ少年に、鈴木杏さん演じるさくらという年上の女性が語りかける場面だ。「私の家は千葉県の市川市にあったんだけれどね」

 理由はそう、ぼくが市川に住んでいるから。東京から江戸川を挟んだ向かい。引っ越してほぼ4年。最寄りの総武線の本八幡駅は、千葉県なのに「都営」地下鉄新宿線の終点でもある。「千葉の英雄」として知られる伝説のミュージシャン「ジャガーさん」も本八幡在住。市川市の名所が歌詞に盛り込まれた「ファイト! いちかわ!」という曲もあり、地元民には「あるある」ネタが満載だ。

 市川市は人口が約48万人。隣の船橋市は約62万人。合わせて100万人以上も住んでいるのに、あんまりあか抜けた感じがしない。駅から離れると、畑もいっぱいある。市川も船橋もナシが特産。都心からもそう遠くないのに、この「田舎」っぽさ。もともと出身が東京都練馬区なので、この感覚が似ていて居心地がよい。

 練馬区も人口約72万人だけれども、実家の周りはキャベツ畑。23区唯一の牧場だってある。都心から約15Kmの圏域を外環道が環状に結んでいるが、練馬区の実家近くには大泉JCTがあり、市川市では現在工事が進んでいる。都心からの距離感が、それぞれ東と西で同じぐらいなのだ。

 市川は、ちょっと格好良く言えば、文化の薫る街でもある。かつて永井荷風や東山魁夷が住み、井上ひさしも20年ほど市川に在住した。本人は「永井荷風が好きで市川に引っ越したくらいで」とも語っていたという。写真家の星野道夫も市川市出身・在住だった。

 そして、さだまさしさんは長崎から上京して、青春時代の20年ほどを市川で過ごした。インタビューには「もう、故郷よりも長く暮らしてますんでね。暮らすということでは、一番長いのは市川ですね。間違いなく」と語っている(市川市文化振興財団イベントガイド2012年10月)。市川時代については、書き下ろしの小説「ちゃんぽん食べたかっ!」で思い出の数々が描かれている。

 インタビューでは、市川のいいところについて「江戸川の界隈が好きですね。護岸工事をする前の真間川の桜土手があったところは目に焼き付いていますね」と紹介していた。この真間(まま)川、ぼくの家のすぐ近くにも通っている。桜が川に張り出すように枝を伸ばしており、満開の時期にはさながら薄紅色の桜のトンネルとなる。その季節には、本八幡の駅へと向かう行き帰りに川沿いを通り、ささやかな花見を楽しんでいた。

 また江戸川の風景は、市川駅前にあるビルの45階に無料の展望施設があり、ここから観る夕焼けが息をのむほど美しい。何百万人もの人が暮らし、息づく東京や千葉の街が、オレンジ色に染まっていく瞬間。東京スカイツリーと富士山を同じアングルで見られる隠れた名スポットでもあり、夜8時には、東京ディズニーリゾートで上がる花火も望める。

 実はそんな市川市を、仕事の関係で7月末で離れ、都内に移ることになった。市川に引っ越してきたのも夏だった。入道雲とセミの声がセットで記憶に残っている。いまもまた、部屋の外ではセミの声が鳴り響く。約4年間。思い出は尽きない。

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大橋巨泉さん(の看板)にお尻をタッチされる
=2001年夏、バンクーバーにて

 「なんちゅうか、本中華」。このフレーズを、ぼくは時折、独り言のようにつぶやいている。どうしたもんかな。何とも言えんが、まあでもそれでもやっていくしかないわな。そんなときに(大体いつもそんな状況ばかりなのだが)、不意に「まあ、なんちゅうか、本中華」と口に出るのだ。

 もとは大橋巨泉さんのハウス食品のテレビCM。その巨泉さんが亡くなった。年下の30歳ぐらいの人が「リアルタイムでは知らない」と話していて、ああ、考えてみれば自分ぐらいの年齢(30代半ば)が、同時代として知る最後の世代なのかもしれないと思った。セミリタイアしたのが90年。ぼくが小学生高学年のころで、「世界まるごとHOWマッチ」は毎週の楽しみだった。

 回答者に1枠石坂浩二さん、2枠ビートたけしさんというレギュラー2人。しかし、3枠の女性ゲストに「わき毛の女王」黒木香さんが座った回は、その2人に負けない個性で強烈だった。4枠ケント・デリカットさんの「ユタ田舎じゃないよ〜」や、5枠の稲川淳二さん、ナレーションの小倉智昭さん、視聴者プレゼントの「世界時計」…。

 あの「ビートたけし」を「おい、たけし!」と呼び捨てにし、「兵ちゃん」こと石坂さんと3人で「今度いつゴルフ行くか」といった話を繰り広げていた。クイズ番組ではあるのだが、むしろ3人の豊富な知識と、頭の回転の速さで繰り広げられる緩急自在のスタジオトークがメーン。小学生だったぼくは、その軽妙洒脱なやりとりから、多くのことを学んだ(ような気がする)。「伊東の朝は早い」こととか…。

 2001年、大学生になったぼくは夏休みに1カ月間、カナダ・バンクーバーに滞在した。その時、行きの機内で読んだのが著書「巨泉 人生の選択」だった。バンクーバーでは日本料理店を少し手伝ったりもしたのだが、巨泉さんもたびたびその店に訪れていたという。土産物店「OKギフトショップ」も行った。「兵ちゃん」が描いた絵のグッズの商品なども並んでいて、「これがあの石坂浩二グッズ!」と興奮したのを覚えている。

 機内で読んだ著書では、早稲田大時代のことも書かれていた。政治経済学部で、今は存在しない「新聞学科」の出身。だが、実際の新聞社から「新聞のことを大学で勉強しても、肝心の政治や経済が分からない学生はいらない」との声があり、後に新聞学科は廃止になったという。

 また巨泉さんは俳句も詠んでいたが、早大の俳句研究会である新入生と出会い、自分には才能が無いと思い俳句をあきらめたという。その新入生こそ寺山修司だった。

 早稲田には「中退一流、留年二流、卒業三流」という言葉がある。巨泉さんも寺山修司も、タモリさんも中退だった。ぼくは卒業に5年かかっているので、辛うじて「二流」だと自負している。

 そして、この参院選の直前。6月27日に発売され「週刊現代」の巨泉さんのコラムの最終回は、強く印象に残った。病状の説明とともに「このままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせてください」と記していた。

 7月20日の毎日新聞は、評伝でこう紹介している。「巨泉さんの真骨頂は、落首や狂歌のように、軟派番組の中に政治や社会への批判を突きつける硬派企画を挟み込んだ反骨精神だ」

 批判の中にもユーモアを忘れず。難しいことも易しく。くだらないことも全力で楽しむ。5月に蜷川幸雄さんが亡くなり、7月に永六輔さん、巨泉さんと、演劇、ラジオ、テレビの巨人が次々と鬼籍に入った。参院選の結果にこの国の将来を思うと、思わず「なんちゅうか…」とつぶやきたくなるが、こんなときこそ笑いを忘れずつぶやいてみよう。「なんちゅうか、本中華!」。不思議と何とかなりそうな気がしてくるから。


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