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原発避難から5年
両親は磐梯山の麓、猪苗代湖に現在避難生活を余儀なくされています
一時帰宅の許可の手続きをして年に何度か浪江の我が家に様子を見に行きます
その度に荒れていく家の修理をして少しずつ身の回りの物をはこんでいたのですが
ご先祖様をこの地から離すことはできませんでした
仏壇の先祖の位牌だけは頑なに手を付けなかったのです
帰宅するたびに、ご先祖様が守ってくれると手を合わせ
花を添えては此処にいられることを羨み
水を添えては帰れる事を祈り、朽ちていく家の守りを頼み
又 山を超えて避難地へと来た道を帰ります
でも・・自然は残酷です
住んでいない家は痛みも早い・・
猪や猿の絶好の棲家です
今回自分たちの年齢の事も考えて位牌を避難地へ持って来ました
悔しかったろうなと思います
避難したばかりの時に、ふと言った父の言葉・・・
あーあ・・80年・・・なんだったんだろうな・・・
あのため息が・・耳に残っています・・
畑の落花生です
初取りです
塩ゆでにしました
うまい!
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父の避難雑詩
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常磐道が3月全面開通で繋がりました
浪江ICは実家の近くです
帰還困難区域なので
開かずのICかと思っていましたが・・・
2輪者通行禁止で下りられるとのこと
広野から線量計がPAや道路脇に設置されています
大熊、双葉、になると線量が上がり
景色が変わります
帰還困難区域です
荒れたままの農地に壊れたままの瓦
見慣れた景色に広大な除染の土が野積にされたまま・・
高速の脇に置かれた汚染土・・
(忘れないでと言っているようです・・)
浪江ICを下りると左には行けません。
困難区域、ゲートがあります
この奥に実家がありますが、許可がなければ入れません
お墓も近くですが行くことができません
通れるのは町に続く114号線のみです
道路沿いの門口は全て封鎖されています
浪江の町並みは震災前高速開通に向けて整備され、
いよいよという時の災害でした
なので、新築の家が多いです
皆さんローンを抱えての避難になりました
114号線のみ通れる道で除染して整備してあります
枝道には警備員、ゲートがあり入る事はできません
114号線から6号線へ、そして来た道を高速に戻ります
南相馬ICに来ると普通の復興に向けての動きが見えます
マスコミでよく取り上げられる光景です
ここだけ見ているとあの災害が過去になったような
錯覚に陥ります
でも電車は通っていません、人も住んでいません
マスコミでは伝えない
大熊、双葉、浪江を、現実を、車の中から
実際に見て欲しい・・
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震災から3年
牛舎の屋根は落ち
置いていった牛の死骸を寄せた畑には草が覆います
(放射能汚染のため埋めることはできません)
昨年の一時帰宅のおり持ち帰った柱時計・・・
ずーーと部屋の奥に立てかけて置いたままでした
どちらも仮住まいのため我が家にやって来た柱時計です
ねずみの巣になるのは忍びなかったのでしょう
大きいから無理だというのに必死で取り外した時計です
大黒柱で時を刻み今だ現役です
あの日
誰もいなくなった部屋でどんな時を刻んだのだろうか・・・
あれから3年・・・
時計を掛けてみようと思いました
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避難先の猪苗代から二本松経由で1時間かけて山越えをして検問所に到着です
ここからさらに1時間かかりますが
ここにいられるのは5時間以内
行き帰りに2時間かかるので実質自宅は3時間ほどです
埋めることも禁じられてシートを
かぶせたままでしたが、
今では草木が全てを覆い隠してしまいました
氏神様の掃除をして
腹ごしらえ・・・
ねずみに荒らされた座敷に座ることさえできなかった私ですが
二人にとっては大切な我が家
荒れた仏壇の位牌を見て・・
動かない体を引きずって少しでも片付けようとする姿・・
締め切ったサウナのような・・・異臭のする部屋で防護服を着て・・・
それでも帰ってきた嬉しさできゅうりの1本漬を美味しそうにほうばる・・・
腹がたった・・・無性に腹が立った
5月に浪江の町並みを見たときには町に色が無かった・・全てがセピア色だった
でも今回は違う。季節の違いもあるだろうが
鮮やかな緑だ、全てが緑で建物までも草木が飲み込んでしまっていた
ここはもうお前たちの住めるところじゃないぞ・・
もう俺たちのものだ・ジャングルなんだ・・
そう言っているようだった
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南相馬の道の駅です
復興に向けて頑張ってます
周りには仮設住宅が建っています
この仮設は比較的良い方です
業者によってだいぶ違います
これから何処に落ち着くか・・・
それが・・・問題なんですよ
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