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しばらくブログから離れていた事もあり、 今更「何を書けばよいか」頭の中で整理がまだつかない状態ですが… このブログを始めた当時は栃木県にいました。 一昨年から福島県に生活の拠点を変えておりました。 仕事や生活環境にもやっと慣れてきたばかりの2011年3月11日 2時46分に ”あの地震”は突如やってきました。 震災当時を振り返って------ 私は震災当日は、会議室で仕事の打ち合わせを行っておりました。 会議室が最初は静かにゆっくりと揺れ始めました。 その時は「そのうちすぐに収まるだろう。」くらいにしか思っておりませんでした。 しかし、私の予想とは反対に揺れは次第に振幅を増していきました。 壁のきしむ音と同時に継ぎ目が左右に動きました。 高さ2メールある大きな一枚ガラス窓が割れて落ちてくるのではないかと内心ヒヤヒヤしました。 テーブルからパソコンが落ちないよう手で抑えながら固唾を呑んでその様子を見守っていると、 誰かが「ここは危険だ、外に出よう!」と叫びました。 と同時に一目散に建物の外に出ました。 外に出ると、屋上の避雷針が左右に激しく揺れてました。 地面が揺れているのが、はっきりわかりました。 船の上にでも乗っている感じです。 これは私が今まで生きてきた中で、体験した事のない地震だと感じました。 しばらくして社員全員が外に集合しました。 しかし、これは非難訓練ではありません。 建物の中は危険だという事で、しばらく外で待機させられました。 防寒着も持ってこなかったので、3月の屋外はとても肌寒く感じました。 途中から雪が降り出して、さらに寒くなってきました。 その間も容赦なく地面が余震で揺れました。 泣いている女性社員の姿が目に写りました。 この地震による被害状況を知りたくて、携帯電話のワンセグでニュースを見ました。 そこに津波が何処かの港を襲う光景が写ってました。 「まるでSF映画でも見ているみたいだ…」 その時はまだこの地震や津波の本当の怖さを私はまだ知りませんでした。 家に着くと、予想通り部屋の中は散乱状態でした。 まずは落下していたテレビを元通りにしました。 とにかく現在の状況をすぐ確認したい気持ちが逸りました。 テレビのスイッチをつけると、被害状況が私の想像を遥かに超えている事がわかりました。 東日本大震災での被害状況については私が語らずとも、みなさん存知でしょう。----- 地震や津波で大勢の人が亡くなりました。 今だに行方不明の方が沢山おられます。 私事になりますが、宮城に住んでいた叔父夫婦を津波で亡くしました。 最悪なのは福島第一原子力発電所の放射能汚染事故です。 今後何十年も、環境や人々の暮らしに影響を与えてしまう結果となりました。 あの震災から1年経って---------------- 現在、私は幸運にも福島で震災以前とほぼ変わらない生活を送っております。------- しかし震災の被害に遭われた多くの方々は、1年経った今でも過酷な生活を強いられております。 被災者の方々はきっといろいろ言いたい事が山ほどあるはずです。 それでも強く逞しく生きていらっしゃる方々をテレビでたまに拝見します。 「自分ももっと強く生きていかなくては…」 とても頭が下がる思いがいたします。 震災直後、自分の乗っている車に「Pray for Japan」のステッカーを貼りました。 「微力な自分にも何かできる事はあるのだろうか?」 この東日本大震災に見舞われた多くの犠牲者への哀悼と日本が再び復興できますように… そんな気持ちで貼ったような気がします。 |
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2012年03月25日
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