スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

涙ばかり貴きは無しとかや。されど欠びしたる時にも出づるものなり。

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 沖塚遺跡について、わたしが何度も製鉄、製鉄というものだから、八千代市立郷土博物館の職員は、誤解されてはまずいと思ったのだろうか、「製鉄遺跡と断言できるどうか…」と疑問を投げかけた。

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                          黒沢池近隣公園の説明板から

 要するに、砂鉄や鉄鉱石から鉄(荒鉄)を造り出す作業ではなく、荒鉄(あらがね)から不純物を取り出して鋼を作る作業(製鋼)によって出た鉄滓ではないか、というわけだ。そして、こう続けた。「ただ不思議なことに、このあたり、つまり、村上や、新川対岸の萱田の台地上から、鉄滓の出土は数多くみられるんですが、製鉄炉が出ないんです。また、村上に南隣する勝田台には、かつて鉄滓の山があったという報告もあるんです。でも、炉の発見には至らず、謎のままです。」

 勝田台の鉄滓については、田中の論文に、こう書かれている。

 《時代は不詳ながら八千代市勝田台2丁目に大量の鉄滓の山(2㍍×7㍍×1㍍)が最近(昭和52年頃)まで存在していて、調査した増田誠蔵氏の記録が『史談八千代第2号1977年』に報告されている。
 それによると、証言があるので明治時代以降のものではないことが明らかなので、江戸時代と想定して、運び込まれたとした場合の「荒鉄」の量を計算したところ房総地域で生産された「荒鉄」全量よりはるかに多いものとなり、鋼精錬鉄滓としたら疑問は解けないとしている。》

 ところで、この論文の核心部は、沖塚遺跡の炉跡は、鋼を造る精錬炉ではなく、荒鉄を造り出す製錬炉の跡だったのであり、その原料は、砂鉄ではなく、高師小僧、すなわち、褐鉄鉱だったのではないか、としているところにある。

 そこには、高師小僧の説明として、こう書かれている。

 《芦、葦などの植物の根の回りに鉄の酸化物が付着し、成長した褐鉄鉱で、大きいもので直径30㌢、長さ(高さ)40㌢程度のものが豊橋市地下資源館に展示されているが、通常は太さ1㌢前後長さ5㌢前後のものが多い。》

 とすると、もしかすると、片葉の芦という語には、褐鉄鉱の存在が暗にほのめかされているのだろうか。

 製鉄か、製鋼かの問題は置くとして、多量の鉄滓の出土は、取りも直さず、フイゴの使用を明示し、脚に障害を負った人々(片輪の足)の存在を想像せしめる。そんな彼らが信仰したのが、村上駅前の古墳(根上神社古墳)上に祀られている、根上(ねのかみ)神社なのではなかろうか。ねの神とは、干支の子の神のことであろう。

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                             村上根上神社参道
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                               村上根上神社
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                            本殿裏の前方後円墳

 この神社は、飯能市吾野の山中にある子の権現――腰から下、脚の病にご利益があるといわれる――と関係があるにちがいない。

 わたしが、過去に訪れた子上神社・ねの神社・根上神社・子神社は、すべて鍛冶とかかわりの深い地に鎮座している。

〇ねの神社 さいたま市北区奈良町 同町鍛冶公園から西へ八〇〇メートル、宮原町の金山権現から西へ一キロメートル。
〇子上神社 さいたま市北区本郷 本郷神社に合祀 砂金伝説のある同市見沼区砂町から一五〇〇メートルほど。
〇根上神社 ふじみ野市大井の大井氷川神社に合祀 ここには金山権現も合祀されている 同所の大井東台金山公園にある製鉄遺跡から西へ一キロメートル。
〇子神社  さいたま市岩槻区裏慈恩寺 片葉の芦・片目の魚伝承のある慈恩寺沼から北北西に一キロメートルほど。町田氏が吾野の子の権現を勧請したという。

 彼らが、この神を信仰したのは、ただ単に、脚の病に効くからということだけではなく、彼らが、三日三晩不眠不休でタタラ製鉄に従事しなければならなかったことから、一名、ネズミ(不寝見)と呼ばれていたことも、理由の一つだったのではなかろうか。祭神は、すべて大己貴命で、これまたネズミと深いかかわりがある。裏慈恩寺の子神社は、創建当時、大日如来を祀っていたといい、明治の神仏分離令により大己貴命に改めたという。

 勝田という地名に関しても、カチタであって、つまり、鍛治田のことではなかろうか。

 さて、製鉄関連の話も済んだところで、わたしは、壁に掛けられた八千代市の航空写真を見ながら、阿蘇沼が、かつて、どの辺にあったのか、郷土博物館の職員に尋ねてみた。

 すると、彼は意外な話をし始めた。

 「村上駅の南に、ヨーカドーとか、フルルガーデンという商業施設がありますが、あの辺を辺田前といいまして、今じゃわかりにくいと思いますが、かなり低い土地でした。沖塚前低地ともいいます。辺田前の弁天が当時の地形の名残です。そこから鴛鴦伝説のある正覚院あたりにかけて阿蘇沼という沼があったといわれています。しかし、江戸期の古地図を見ても、そんな沼どこにも描かれてないんですね。これも、一つの謎なんですけど。」

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                                辺田前の弁天
 


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