|
わたしが意外に感じたのは、古地図に沼が描かれていない、ということではなく、先日、市役所の職員から聞いた、つい最近まで、片葉の弁天近くに、阿蘇沼の名残の沼があり、図書館の駐車場造成時に消滅した、という話をした時の博物館職員の反応だった。彼は「えぇぇっ!」っと一声、口を大きく開けたまま、目を剥き、頭を下に引くようにしたので、わたしは、まるで、首落ちマジックを見ているような気分になった。
彼もまた、三十年以上、八千代市に住み、片葉の弁天辺りは毎日のように歩いているが、過去に、沼なんて目にしたことは一度もない、というのだ。しかも、郷土博物館から弁天までは、三〇〇メートルほどの距離に過ぎない。
しかし、市職員の話しっぷりも、堂々たるもので、そこに虚偽を感じさせる気配は微塵もなかったと記憶する。
さて、一体、どちらが正しいのであろうか。なにやら、黒澤明の『羅生門』の雰囲気を漂わせる展開になってきた。
過去の航空写真を見た限りでは、郷土博物館に軍配は上がりそうであるが、なにか、すっきりしない。
古地図不記載の話なら、先日、佐野市役所でも聞いたことであって、驚くにはあたらない。そもそも伝説とは、そんなものなのではなかろうか。だからといって、まともに取り上げるに足らないというのではなく、むしろ、だからこそ、そこに面白みがあるのであって、在りもしない沼に、片葉の芦が生えていたと、何ゆえ、何百年間も語り継がれなければならなかったのか、それは、また、それで、大変興味深い問題ではなかろうか。あるいは、それは、伝説の古さを物語っているといえないこともないのである。
ところで、『角川日本地名大辞典』によれば、阿蘇村の名は《村上にあったといわれ、「佐倉風土記」にもみえる阿蘇沼にちなむ》ということであった。とすると、『佐倉風土記』に、阿蘇沼の詳細な記述があるのではあるまいか。
幸いなことに、国立国会図書館デジタルコレクションで、『佐倉風土記』は閲覧可能である。
希望の小旗を掲げて、阿蘇沼の項を探したものの、旗は全くはためこうとはしなかった。なぜなら、そこには、沼の説明として、《阿曽沼 在印旛郡村上》としか書かれておらず、あとは、柳田も挙げている鴛鴦伝説の記述あるのみであったから。
古地図にも古文献にも、その存在を示す明確な記載がないとなれば、それは、まさに、疑うべくもない伝説上の沼であって、『日本歴史地名大系 千葉県の地名』に阿蘇沼の記述がなかったのは、どうやら、この辺に理由があったのではなかろうか。
しかし、『佐倉風土記』の著者が、「阿曽沼」の記述の最後に、鴛鴦伝説について、以下のように述べていることを見逃してはならない。
《而砂石集記之、以為下野州者甚誤烏》
つまり、『沙石集』が下野国のこととしているのは、とんでもない間違いではないのか、と。
ということは、すなわち、栃木県にも同様の伝説があるということにほかならない。
ちなみに、鴛鴦伝説を記した『沙石集』巻八上「鴛之夢見事」の冒頭の記述は以下のとおり。
《中比下野ノ國ニ阿曽沼ト云所ニ常ニ殺生ヲコノミコトニタカツカフ俗有ケリ》(国立国会図書館デジタルコレクション)
それでは、下野の阿曽沼とは、一体全体、どこにあるのだろうか。
それは、なんのことはない、小中人丸神社の南東四キロメートルほどのところ、佐野市浅沼町に所在したといわれ、地元の人の話では、越名沼(三毳山とイオンモール佐野や佐野プレミアムアウトレットの間に在った)に接続する大きな沼だったという。『大日本地名辞書』には、《今の浅沼の遺名は、阿曽沼に出づ。》とある。
そういえば、そもそも、小中人丸神社は安蘇郡旗川村にあったのである。いや、そればかりではない、佐野市には、小中人丸神社の南南西五キロメートルに、村上というところもあるのである。
昼も、もう近い、腹も減ってきたので、最後に一つ、気になっていることを、郷土博物館の職員に尋ねてみた。
それは、このあたりに集中して、時平神社があることだった。時平とは、藤原時平のことで、讒言から、右大臣菅原道真を大宰府権帥として左遷させた中心人物である。
「萱田と大和田に、それぞれ二社ずつありまして、すべて左大臣藤原時平を祀っていますが、なぜ、この狭い範囲に、四社もあるのか、これもまた謎で、その理由は明らかではありません。」
そこで、わたしは、時平神社が栃木県にもあることを告げると、職員は、再び、たいそう驚き、「いやあ、よくご存じですね。実は、つい最近、わたしも知ったばかりなんですよ。」という。
佐野市に隣接する、栃木市(旧下都賀郡だが、古くは、安蘇郡)岩舟町古江に、この神社はあり、時平を祀るのだが、現在の主祭神は、藤原氏の祖神、天児屋根命になっているようだ。
佐野は、かつて、芦屋・京都と並ぶ三大釜の一つ、天命釜の生産地であった。天命とは、天児屋根命の始めと終わりの文字「天」と「命」から採ったという。それは、天児屋根命が初めて鋳物の器を用いたからだという。(伝説で、この神は、しばしば、片目の神として登場する。)したがって、佐野市一帯にはこの神を祀る神社が多くあり、古江時平神社の主祭神が天児屋根になっているのは、その辺の影響があったからとも考えられる。あるいは、なにゆえ、こんなところに、時平を祀る神社があるのか、理解に苦しんだ挙句の結果であろうか。
古江時平神社について、『安蘇史』はこう記している。
《此地に同神の祭祀あるは最も珍らしき事なりとて大寂庵立綱大徳が萍跡の書にも記しありとの事なり。時平大明神は下總國佐倉領大和田村にもあり、如何なる由縁にて祀りありしやは未だ知らずと雖ども同村より南隣黒袴村には菅原道真公の神霊を鎮守として祀りありて古来両村間に結びたる縁組は一つも終了を全ふしたるものなしと云ふ。》
アソ沼を介して、佐野市――旧安蘇郡一帯と、八千代市――旧阿蘇村一帯との景色がきわめて近似しているように見えてくる。
|
全体表示
[ リスト ]



