スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

涙ばかり貴きは無しとかや。されど欠びしたる時にも出づるものなり。

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[ 昌幸 ]

2018/12/23(日) 午後 11:25

こんばんは、金鑽神社については、色々見解をありがとうございます。流石にこの地方の現地調査をされただけあって面白いと思います。
私も、古代豪族の観点からもう少し調べてみようとおもいます。
丹党と言われる檜前舎人直や紀直系の豪族が丹生神を祀っていた事と、
金鑽神社の祭祀が元々誰の手によるものかはたな別の話だとおもうのです。
多野郡と言いますと、片岡郡から別れた多胡郡であった地域の馬庭という地名が気になります。奥出雲の仁多郡にテナヅチアシナヅチの末裔という馬庭氏が存在します。古代から稲田姫を祀っています。
土師と聞くと、最近は土神を祀る久米や、三輪系の宇治土公が祀る大土神、住吉神の日本書紀の別伝に書かれる別名、土佐国造が祀る石土神を思い出します。

sunekotanpako

2018/12/21(金) 午後 2:43

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昌幸さんは辰砂で遊んだことはあるでしょうか。遊ぶというと語弊があるかもしれませんが、わたしら、子供のころ、よく辰砂で十円玉を磨いたもんです。銅(青銅)というのは空気に触れると瞬時に酸化して、緑青を生じ、変色してしまいます。ところが、辰砂でその表面をこすると、たちまち、元の、いわゆる、赤銅色に戻るんです。

子供のころ、それが辰砂とは知らずに、その不気味に赤い石で、十円玉を何十枚も、磨き続けていたのを覚えています。古代人もまた、せっせと銅鏡を磨くのに辰砂を使用したのではないでしょうか。石凝姥を祀る神社が丹生神社とともにあるのは、そんな風に見えなくもありません。

sunekotanpako

2018/12/21(金) 午後 2:42

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金鑽神社から水銀が採掘されていたとするなら、金鑽じゃなくて、当然、丹生神社になっていたはずでしょう。カナサナとは鉄砂(かねすな)の転訛だといいますし、弁慶穴の伝説からも、鉄が出たのではないかと推測できます。弁慶は鉄に由縁の深い人物なんです。

水銀が出たとしたら、むしろ、神流川を挟んで北隣する、上野国多野郡でしょうね。こちらにも丹生神社がたくさんあります。現在の藤岡市本郷に土師神社があるところをみると、この辺りは、土師部の居住域だったかもしれません。

また、多野郡の丹生神社の近くには、姥神、すなわち石凝姥を祀る神社が何社か見られるんですね。

[ 昌幸 ]

2018/12/19(水) 午前 2:22

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菊間國造が出た、上海上国造も武蔵國造同族で、檜前舎人直が出ています。

[ 昌幸 ]

2018/12/19(水) 午前 2:20

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和歌山において日前宮は、神魂命の末裔の久米=紀直が最初に
祀っています。久米さんも山部連が出ており山神祭祀氏族で、
武蔵國造と同族です。横見郡に、久米田という場所があって
國造家奉斎と見られる倭文神社があります。これは
武蔵國造エタケヒの子が伯耆國造となって、波波伎神社と倭文神社
を祀ったのとイコールになります。
山神祭祀〜タタラ、水銀=丹生、檜前舎人が丹生明神を祀る。
渡来系を管轄する役目を担ったので、そういう人たちと共に
活動・移動したように見える感じです。
伏見稲荷信仰も、神魂末裔の賀茂県主の奉斎。宇佐にも稲荷信仰と
同様の伝説あり。また、日向の剣柄稲荷の伝承も同様。
安来の意多伎神社の稲荷信仰も同様。
神魂末裔紀直=賀茂県主=神門〜富家の分家

[ 昌幸 ]

2018/12/19(水) 午前 2:20

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木簡は魅力的ですね。ムサシ國造の大伴直ですね。
金鑽神社は水銀採掘とも関係ありますか?

武蔵國造は応神天皇の時代に、外戚となって渡来人を管轄する役目を担ったと見ています。勝部はそのための部で、菊間國造〜来熊造
となった大鹿国直は、大酒主という名前を持っていて忍熊王の
外戚だと思います。忍熊王がほむやわけと言って、本当の応神ではないかと。(神宮皇后に攻め滅ぼされ越前に逃亡。その末裔が継体)
宇佐神宮の神主家に、武蔵國造と同族の相模國造が(漆部)居ることに最近気が付きました。

山神信仰の紀直一族と武蔵相模國造は同族。その接点となるのが、この辺りの檜前舎人直だと思うんです。
紀直の系譜には、ニギハヤヒの奥さんとなった天道姫が出てきて
大国主の娘なんですが。神魂命の末裔である系譜になっていて
神魂の末裔は、大国主という理解をしています。

sunekotanpako

2018/12/18(火) 午後 1:40

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> 昌幸さん
こんにちわ。
この辺りは檜前関連の遺跡が多いところで、池上神社から南へ10キロメートルほどのところ、美里町広木字御所内には、防人檜前舎人石前の館跡があり、ここから西へ約6キロ、児玉町飯倉字山崎からは、「檜前マ名代女上寺稲肆拾束 宝亀二年十月二日税長大伴国足」と書かれた木簡が出土しています。ここは武蔵二ノ宮金鑽神社と児玉町金屋の中間地点にあたるようです。飯倉、山崎という地名も面白い。
金鑽神社の神体山には、弁慶穴という鉱窟があり、鉄か銅が出たようです。

『日本書紀』の一節を思い出しますね。《石凝姥を以て冶工として、天香山の金を採りて、日矛を作らしむ。又真名鹿の皮をうつはぎにはぎて、天羽鞴に作る。此れを用て造り奉る神は、是即ち紀国にまします日前神なり。》

広木には、朝鮮式の古墳群があり、このあたりに何社かある北向神社は朝鮮半島に向って建てられているといいます。近くには、阿那志や関という地名があって、わたしにとっては大変魅力的なところです。

[ 昌幸 ]

2018/12/15(土) 午後 11:42

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おひさしぶりです。
檜前舎人直と同族の武蔵國造が允恭天皇の時代に、勝部の役目を負ったのを思い出します。檜前舎人直は宣化天皇の御名代部で、同時に
その一族の部で多治比部もあり、
意宇郡舎人郷には、多治比氏が住んだことが風土記にあり、地名から
も檜前舎人直が居たことを匂わせます。
舎人郷の付近は賀茂神戸で、飯梨川という砂鉄が豊富な川が
流れています。賀茂神戸は、稲荷信仰のルーツとなる意多伎社・食師社もあります。今城青坂稲実荒御魂神は、出雲の賀茂神戸の食師社
ではないかなと妄想。

写真のお屋形

sunekotanpako

2018/12/4(火) 午後 9:43

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秋田の阿仁マタギ鈴木松治氏によりますと、不幸にして、熊と遭遇してしまった場合には、帽子でも、ザックでも、なんでもいいから、身の回りにあるものを、熊に向かって投げつけることだそうです。《熊というものはなぜかわからないけれど、最初に投げられたものに噛みつく習性があるんです。熊がそれに噛みついている間に逃げる。》んだそうです。

写真のお屋形

sunekotanpako

2018/12/4(火) 午後 9:43

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熊と遭遇しさえしなければいいわけですから、大声をあげながら、歩くのは効果的と思われます。でも、山歩き中ずっと声を上げ続けていては疲れてしまうので、ホイッスルを吹き鳴らすのがいいんじゃないでしょうか。

大雪山系の旭岳に登った帰り、ロープウエイの最終が出てしまい、仕方なく、歩きで駐車場まで下りましたが、わたしは単独、他に、歩きで下ろうという登山者もなく、しかも、ロープウエイ乗り場には、当日、ヒグマの目撃情報が寄せられており、ゾクゾク、ビクビクしつつ、大声で歌を歌いながら下山した記憶があります。

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