スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

涙ばかり貴きは無しとかや。されど欠びしたる時にも出づるものなり。

隋想記

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セルフレジ

 ヨーカドーのセルフレジでのお話。

 nanacoの残高が不足していたので、チャージ機で、五千円チャージしようとすると、それを見ていたセルフレジ担当者が、おもむろにやってきて、わたしの耳元に、小さな声で、「おつりは出ませんよ。」

 よっぽど、貧乏人に見えたんだろう。尤も、よっぽどの貧乏人なのはいうまでもないが。

「ぬた」と「なます」

 だいぶ昔に書いた、「野田」という記事に、ある人から、「秘密」で、コメントを頂いた。何故わざわざ「秘密」にしたのか、その理由は全く不明である。

 いわく、≪「ぬた」と「なます」は似ている。≫これは、もちろん、料理の話なのだが、わたしには、大変、刺激的な指摘でもあった。

 子供のころ、しばしば食卓に現れた、ウドとワカメの酢味噌和えを思い出した。恐る恐る箸を付けたものの、決して美味しいとは思えなかった。あれは、母が作ったのか、それとも祖母だったのか、よくわからない。

 「ぬた」と「なます」は似ているということについていえば、「なます」は、「膾」――肉づき――と書くように、どっちかというと、タンパク系の「ぬた」なんじゃないか、と思える。

 ところで、「ぬた」と「なます」が似ている、というのは、別の意味で、鋭い指摘であると思う。それは金属との関係において。

 記事中にも書いたように、ぬた=野田であり、野田という地名の多くが、沖積地という、砂鉄の存在を予測させる地であるということだ。

 事実、栃木県小山市東野田の野田神社には境内社に金山神社があり、旧鎮座地の小字金山からは製鉄遺跡が発掘されている。しかも、野田神社の祭神は豊受姫命である。

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                                野田神社

 旧浦和市下野田に南隣する大門の小字東裏からは、鍛冶遺構とともに鉄滓が出ている。裏(浦)=温羅=天津真浦=天津摩羅であることにも注意が必要。

 また、東松山市野田に、赤城神社(旧野田村鎮守)があるのは金属の存在を予感させ、その北五〇〇m、同市大谷に梶久保沼があることで決定的となる。

 同様に、入間市野田には西武池袋線元加治駅があって、同名の小字があることを推測させ、その南七〇〇mは砂鉄で名高い飯能市阿須である。

 最近、発見したところでは、栃木県足利市野田町に、柿本大明神、つまり人麻呂を祀る神社があることで、そのすぐ隣が薬師神社であるのも、下野では、人丸が片目であったという伝承に関連し、ここが渡良瀬川の沖積地であることを考え合わせれば、砂鉄の存在が濃厚ということになる。

 最後に、野田の本拠本元とでもいうべき、醤油の町、千葉県野田市はどうかといえば、有名な清水公園の北、岩名、五木から製鉄遺跡が出ている。

 次に「なます」は「「焠(なま)す」という鍛冶用語を想起させる。

 永田和宏は、『人はどのように鉄を作ってきたか』(講談社 ブルーバックス)のなかで、≪鉄は温度によって結晶構造が変わるという、たいへん珍しい金属である。結晶構造によって、性質も大きく変わる。人類が4000年ものあいだ鉄を使ってきた大きな理由の一つは、この性質を利用して、目的に最も適する鉄器を容易に作ることができたからである。≫と述べ、鉄は硬くも軟らかくもできる大変便利な金属だといっている。

 「焠(なま)す」というのは、「焼き鈍(なま)し」のことで、軟らかく、粘りのある鉄を作る方法であって、真っ赤に焼けた鉄をゆっくりと冷ますことによってできる。

 逆に、硬く、切れ味の良い刃物を作るには、焼けた鉄を急冷すればよい。これを「焼き入れ」という。

 切れ味の悪い刀のことを称して「鈍くら刀」というのは、これに因るわけだ。

 したがって、蓮田市馬込字辻谷の共同墓地にある寅子石伝承で、寅子が膾にされて、ふるまわれたというのは、この辺り一帯に鍛冶の存在を想定せしめる。今もそこに薬師が祀られていること――それはおそらく寅薬師であろう――、鉄山の道号を持つ墓碑が存在すること、近くに金井塚があったこと、辻谷という地名、などなど、いずれも鍛冶の存在を裏付ける。事実、そこを流れる綾瀬川には、かつて、夥しい量の鉄滓があったという。

 これに類似する事象として、思い出すのは、春日部市内牧字谷向の楽応寺の薬師についてで、ここもまた寅薬師なのだが、ここに、薬師さまは生ものを忌む、という伝承があるのも、「生もの」=「焠す」が起因しているのではないかと考えられる。ここから、大規模な製鉄遺跡が出た同市浜川戸までは一五〇〇mほどの距離に過ぎない。

 また、「焠(なま)す」はナマズに変化する場合も考えられる。これについては、群馬県邑楽郡板倉町の板倉雷電神社について書いたのを読んでいただきたい。

 と書いたところで、「ぬた」=「ぬて」と考えられないことはないことに気づいた。

 大阪府八尾市のお隣、柏原市大県には、製鉄遺跡があるが、その近くに、式内鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社が鎮座する。さらに、その西一二〇〇mほどの同市本郷からは小銅鐸も出土している。

 これからも、野田・ぬた・なます、に注意怠りなくしたいと思う。

耄碌

 その日、わたしは、栃木市藤岡町の小字猫内とその周辺の寺社をまわる予定で、三毳山南口の駐車場に車を置いたのであったが、前日プリントアウトした地図を忘れたことに気づき、失意と絶望のどん底で足をバタバタさせていた。

 地図を忘れたのは初めてであった。財布を忘れたことは何度かあって、昼飯が食えず、ふらふらしながら歩くはめになったが、たまたまザックに放り込んでおいた、行動食の菓子パンや天津甘栗で難をしのいだ。それ以来、忘れても大丈夫なように、ザックのポケットに五百円玉を二枚常備することにしている。

 若いころに、一度、ラーメン屋で、ほぼ食べ終わろうとしたとき、財布を忘れたことに気づいたことがある。一瞬、心臓がしゃっくりして、瞬時に血の気が引いて行くのがわかった。とりあえず全部食べてから、レジに向かい、正直にいうと、店主はいい人で、いいよ今度この辺来るときで、などとかばってくれた。もちろん、一時間後には支払いを済ませた。

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         三毳山 渡良瀬遊水地から 右の一番高いのが青竜ヶ岳 一番低いところが関跡

 そこで、急遽、予定を変更し、三毳山に登ることにした。この山には、すでに、二度登っているものの、最高峰――といっても、標高わずか二二九mにすぎない――の青竜ヶ岳には未だ登っていない。そこまで一時間もあれば踏破できるであろうと踏む。

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                               三毳神社拝殿

 三毳神社拝殿脇の道を南陵末端にある本殿まで直登するコースを行く。正に一直線に登る参道で、途中に、ヤマトタケルの足跡石がある。

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                        ヤマトタケル足跡石 手前が踵か
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                               三毳神社本殿
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                            みかもの関の道祖神
                                              
 三毳神社本殿から尾根上を北上し、一気に、「みかもの関跡」といわれる最低鞍部に至る。ここを古代の街道東山道が通っていたのだという。

 ≪この山を通ったといわれている東山道は、都があった京都から東北地方へ赴く三街道の一つでした。「みかもの関」は、みかも山頂の北側、峠部分にあり、佐野市西浦と岩舟町をつなぐ下津原の犬石という地名のところにあった、とも伝えられています。≫

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                      みかもの関(伝承) 左 佐野 右 岩舟

 ここに休憩舎と木のテーブル、ベンチなどがあり、小休止する。先に腰を下ろしていた地元下津原のお年寄りから、三十分ほど、耳寄りな話を伺い、青竜ヶ岳までなら、十五分で行ける、と発破をかけられ、出発。二十分ほどで山頂に到着、数匹のクマバチが飛び交うなかで、昼飯を完食して、往路を戻り始めると、「みかもの関」手前付近で、突然、無闇に小便がしたくなった。

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                 青竜ヶ岳からの眺望 眼下に東北道佐野サービスエリア

 三毳山一帯には、要所要所に、トイレがあるので、大小用にそれほど困ることはない。しかし、出物腫物所嫌わずというやつで、しばらくトイレが見当たらないところで、そうなってしまったのだからしかたがない。それに、最近、歳の影響か、なかなか我慢が出来かねる状態でもあり、そう思うと、なおのこと排泄感にさいなまれ始めた。

 そういえば、何年か前、あれは春日部八幡神社を訪ったときだった。この辺りは住宅街で、そう簡単には立小便を黙認してもらえず、悪くすれば、公然わいせつで通報されかねないような状況だったため、わたしは我慢に我慢を重ね、膀胱がミシミシ音がするほど膨れ上がっていたから、八幡さんのお隣の公園にトイレを発見したときには、喜びと安堵感で、便器に頬ずりしたい気持ちであった。

 便器の前に立ち、ズボンのチャックを下し、引っ張り出そうとすると、穴がないのである。穴とは、つまり、ブリーフの前の穴のことで、こいつをこじ開けなければ、天津小麻羅は出て来ないのであるが、どうしたことか、その穴がないのだ。

 ところが、すでに、身も心も、排泄の準備万端整っていて、ちょうど穴から顔というか、頭といったらいいのか、を出すや否や、勢いよく迸らせるタイミングになっていたものだから、つまりは、ストップ排尿というわけにはいかないほどに、せっぱつまった状況であったから、ここは急遽、奇策を練り、ブリーフの脇から引っ張り出して事なきを得たものの、正面からやるのとは違い、ズボンの右脚部に大きなシミをこしらえてしまったのは、已むを得ないことだった。

 なぜこんなことになったのかといえば、それは、要するに、ブリーフを後ろ前にはいていたからにほかならなかった。

 さて、またなにか失策をしでかさないでもない、これ以上の我慢は禁物と、ハイキング道からちょっと入った大きめの木の陰で、用を足すことにした。

 勢いよく迸る尿が落葉に当る心地よい音を聞いていると、耳元で、かすかに蚊の鳴く音がする。辺りをうかがうと、数匹のシマシマの蚊、いわゆるヤブカがタンパク質を求めて、蚊視眈々と狙っているではないか。わたしは、蚊に好かれることだけは人後に落ちないのである。

 ジカ熱、デング熱は御免蒙りたい。左手は小マラを支えているので、右手で、かぶっていた帽子を取り、蚊を追い払おうとしたところが、ツバの部分でメガネを引っかけてしまい、はずれたメガネは真下に落ちかかった。

 このままでは小便の餌食だ、とっさに、わたしは、支えていた左手を放し、落下するメガネを受け止めようと試みたのだが、これがまた失策の上塗りであった。

 もはや、かつての敏捷性など微塵もなく、メガネはいうまでもなく、左手も小便の餌食と相成った。

 それにしても、小便というものは温かいものだなあ。そういえば、スキューバダイビングで、身体が冷えたときなど、小便をして温める、という話を聞いたことがある。

 ぽたぽた黄色い尿が滴る手を見つめながら、この左手と黄色く曇ったメガネをどうしようかと考えた。確か、水場は下まで降りないとなかった。ええい、面倒だ、このまま小便で洗っちゃおうか。

 そのとき、わたしは、今村昌平監督の『復讐するは我にあり』で、榎津巌役を演じた緒形拳にでもなったつもりでいたようだ。




タヌキ

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 これは栃木県小山市の黒田付近で見つけたタヌキの亡骸。人間以外は大概そうだが、どうやらひき逃げされたようだ。実に恰幅良く、なにより印象的だったのは毛並みが美しかったことで、業者が発見したら、すかさず回収したのではないか、と思われるほどだった。

 でも、タヌキの毛皮の襟巻なんてあるんだろうか。

 『広辞苑』を引くと

 《①食肉目の獣。東アジアの特産で、山地・草原に穴居。毛皮は種々の色相があり、八文字・十文字・白(白子のもの)などもあるが、普通は灰褐色、防寒用・鞴(ふいご)用とされ、毛は毛筆に使われる。雑食性。土地により、アナグマと混同してムジナとよばれることが多い。貒(まみ)。》

とある。

 タヌキの毛皮が鞴用に使われるとは初めて知った。これはおそらく小鍛冶用のものにちがいない。

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                                 野田神社

 この日の主目的地は同市東野田の野田神社だった。ここに金山神社が合祀され、その金山様の旧鎮座地付近に、九世紀中頃の鍛冶遺跡(金山遺跡)があるということだったので、あるいはもしかすると、このタヌキの御先祖は古代鍛冶師御用達の一族であったかもしれない。

 わたしは先日――といっても数年前のことだが、吉見町地頭方でもタヌキを見ている。これはピンピンに生きているやつであった。

 地図には、親水公園と記されているところで、ここに「淵がまちの由来」と題してこんな伝説があった。

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                             地頭方の親水公園

 《ここは、通称「淵がまち」と呼ばれているが、明治初期の地図には、「磑(うす)淵」と記入されている。村の古老の話によると、昔はもう少し細い川で、村人が牛に石磑を乗せて橋を渡ろうとした時、その石磑を川に落してしまい、その時から水がどんどん涌いて来て、回りが崩れ出し、今のように川幅が広くなった。以来、この川を「石磑淵」と呼ぶようになったという。》

 親水公園のちょうど真ん中あたり、大きなお屋敷の垣根の北西角が水路と接していて、この垣根の下に小さな穴が開いており、わたしの足音に驚いたのだろうか、目前を突然数匹のタヌキが、土埃を巻き上げて、その穴に次々と逃げ込んでいったのだった。

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                          中央の穴がタヌキの棲み処

 わたしの卑猥な頭は、あまりの唐突さに、茫然とその穴を凝視し続けていたのだが、やがてあたりを漂う獣臭から、おそらくタヌキであろうと確信した。

 地頭方には頭殿社があり、お隣一ツ木には椀箱淵があって、小字鍛冶屋敷があった。


 どうやら、ここのタヌキ族も、往古、鍛冶屋のフイゴに供されていたかもしれない。

 そういえば、港区麻布のロシア大使館そばに、狸穴坂というのがあった。

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 当地に建つ道標にはこんなふうに書かれている。

 《まみあなざか まみとは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、昔その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。》

 どこかで述べたが、麻布はもと麻生と書いた。この麻はテキスタイルではなく、メタルと解釈すべきであろう。近くに赤羽橋があり、赤埴、つまり鉄分を多く含む埴土を産出したことを物語る。

 それかあらぬか、赤羽橋と接する同区三田は渡辺綱伝承地である。もっともこれは綱出生地伝説のある鴻巣市箕田(みた)と同音から考え出された伝説かもしれない。が、しかし、それなりの素地があったものと推測される。

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 道路標示板に目を向ければ、金杉橋・芝公園などと金属と関係する地名が見受けられ、となると六本木の芋洗坂の芋も鋳物であって、飯倉なんていうのも、昔、ここにコメを保管する倉があったことからの地名とされるが、怪しくもある。

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 この辺りの地形はダイナミックで、東京とは思えないほどだ。飯倉交差点など素晴らしい眺め。

 話を戻すと、どうもタヌキというやつは採鉱冶金と由縁が深いのである。

 タヌキ蕎麦なんていうのがある。これは一説に「タネ抜きソバ」のことだとか。タネ=実であって、実のない天ぷら、つまりコロモだけということらしいのだが、種とは、兵庫の千種(ちくさ)鋼というように、砂鉄のことをいう。種子島は浜砂鉄で有名なところだ。

 そこで草が砂鉄を指しても不思議はない。冒頭の野田という地名はヌタとも考えられるが、ナタと思えないでもない。ナは菜で草のことをいい、田は油田・炭田というように埋蔵地を示し、つまり野田は砂鉄埋蔵地と解釈できなくはない。

 とすれば、タヌキの死骸を見つけた黒田もまた砂鉄埋蔵地であろう。ちなみに深谷市黒田からは製鉄遺跡が出ている。

 こうしてタヌキと鍛冶との果てしのない連想は続く。

 最後に、これを忘れてはまさにテヌキであった。

 「タヌキのキンタマ八畳敷き」つまり天津麻羅である。正確にいうと、キンタマと男根とはちがう。しかし、キンタマが巨大であれば、マラだって巨大にちがいなかろう。もちろんこれは自分のものを見ての話ではない。

Fun to drive

  このごろ運転していて、気になったことを記す。

 始めに、ドライバーのウインカーを出すタイミングが非常に遅いということ。

 わたしは、自動車教習所で、右・左折の場合、三〇m手前でウインカーを出す、と教えられ、これについては未だ墨守している。ということは、厳密にいえば、道交法の交差点に関する条項以外はほとんど守っていないといっても過言ではない。

 最近のドライバーは右・左折時の三m手前付近で突然方向指示器を点滅させるケースが多い。こういうのは後続のドライバーに急ブレーキを踏ませ、i-DMの評価点を落とさせ、実に腹立たしい。なかには後出しジャンケン式に、曲がりかけてから出すやつもいる。意味がない。

 それで思い出した。

 交差点の手前で、信号が青から黄色に変わり、行くか停止すべきか迷うことがある。この迷いが一度ブレーキを踏むという行為に現れ、その後、翻ってスピードアップし赤信号の交差点に突っ込むという無謀を犯す。この、迷いから一度ブレーキを踏む、という行為が交差点を通り過ぎてから代償行為として行われることもある。そんなとき、道路際に警察署などがあると、なんだかわからないうちに思わず急停止してしまい、運悪くちょうど居合わせた警官に呼び止められたりする。

 「すいません、父か危篤だっていうんで急いでいたものですから、今回は何とか見のがして…」「そうですか、じゃこちらへ。」と案内されるまま署内の階段を上がり、屋上に出ると、そこには一〇人ほどの全裸の女性が太陽に向けて股を開いている。

 「こっ、これは…」すると警官「おめこぼしを受けているんです。」

 なんてことをどこかで中島らもが書いてたな。

 前の車が突然ブレーキを踏む。なんだ、なにかあったのか、とその車の前方を見るがなにもない。それからウインカーを出す。そりゃ逆だろ。ウインカーを出してからブレーキだろ。まあイライラする。

 こちらにブレーキを踏ませるタイミングで左折進入してきた車、よほど急いでいるんだろうと自分を納得させるが、その後亀足の制限速度四〇キロを厳守する。じゃあ、急いで無理やり強引に入ってくるなといいたい。

 こんなこともよくある。

 見通しの良い信号のない交差点、農道からメインの道路に左折進入しようと待っている軽トラック。今なら入れるぞ早く入れと思っているが進入してこない。ところが、もう危ないから入ってくるなよというタイミングを見計らって進入してくる。こういうのは大概スズキの軽トラックを運転している農家のおとっつあんなんである。

 あれは年末の午前零時ころだったと思う。東北道の脇を平行に走る、片道一車線の、信号が少なく、結構飛ばせる道。飛ばしてきたところが、低速蛇行車に行く手を阻まれる。観察すると、よたよたとセンターラインをオーバー、対向車がきたぞというところで、のろのろ左車線に戻るを繰り返している。どうやら、対向車のヘッドライトに反応しているようだ。

 強引に追い越そうと思っても、このふらふら走行はタイミングが読めずかなり手ごわい。ちょうど電車の中で腰を下ろした酔っ払いがうとうとし始め、隣の人の肩に頭を載せるか載せないかの微妙なところで、はっとして元に戻るのに似ている。

 やっと交差点に至り、蛇行車は右折レーンに入った。わたしも右折だが、こんなヤカラとかかわりたくないし、ちょっとどうなっているのか見たくもあったので、直進レーンを行き、隣に付けて、観察すると、ハンドルを抱き枕にして昏睡状態の爺さんだった。

 最近連日見かけて驚いたこと。

 わたしの前を、高齢運転者標識を張り付けた軽自動車が春かすみたなびくようにのたりのたり運転している。いらいらしながらその車全体を見ているうちに何か違和感があることに気づいた。なにかちがうが、それがなんなのかよくわからない。やがてやっと思い至ったのは、サイドミラーが折りたたまれたままになっていることだった。つまり、全くサイドなど見ずに運転しちゃっているということ。これこそノーサイド。試合の終わりじゃなくて、人生の終わりを予感させるね。

 お年寄りの運転にはくれぐれも気をつけよう。

 最後につい最近聞いたジョークを。

 高速を走っていると、ラジオが、ただ今高速道路を逆走する一台の車があるから注意してください、という。よく見れば、おい、一台ばかりじゃないぞ、みんな逆走しているじゃないか。

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