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いよいよやってきました、今日はお遊戯会の本番でした。 子供たちよりはるかに多い観客で、保育園のホールは満員御礼状態。 0歳児から年長さんまで全員参加のお遊戯会は朝の9時から12時半ごろまで続きました。 プログラムは全部で22個。そのうち、一希が出るのは4つです。 普段から保育園で歌っている歌のメドレー、「そらまめくんのベッド」の劇、にんたまエンディング曲「桜援歌」の踊り、最後に年少さんから年長さんによる「スマイル」の合唱でした。 先生から「総練習の時は、おだっちゃって全然、劇がだめだったんですよ〜」と聞かされていたので、劇が一番心配でしたが、本番では落ち着いていて、一人のセリフもちゃんと言う事ができました(写真左)。 「桜援歌」では、忍者の格好をして楽しく踊る事ができたようです。(写真右) どの子も本当に一生懸命がんばっていました。誰も泣きべそをしている子がいませんでしたよ。楽しかったんでしょうね。 私はプログラム最後の劇「泣いた赤鬼」に特に感動しまくってしまいました。年長さんの劇で、構成もしっかりしているし、みんな上手。絵本で話を知っていたのですが、涙が自然に出ていました。 最後の場面、青鬼さんが去った事を知った赤鬼さんが泣いた後、どうなったかをみんなで考えて話し合ったそうです。それをみんなでセリフにして発表していましたよ。 そういうことを保育園でもやってくれているんですね。 共働き家庭に負担がかからないように、先生方だけで舞台のセットや衣装を全て手作りしてくれていました。感謝の言いようがありません。
いろんなことに、感動して感謝した日でした。 |
笑うこども4才
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ちょっぴり臆病者で、女の子に間違われることがある息子が、田舎でどう成長していっているか、そして田舎での子育て事情についても書けたらいいなあ、と思っています。
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昨日の土曜日に、地域の行事で「親子ふれあいの集い」というのがあり、家族で参会した。 メインは「もちつき」。 しかし、今日は土曜日で保育園は休みではないし、小学生や中学生もあまり興味がないのか、一希を含めて4人しか子供はいませんでした。やっぱりちょっぴり寂しい感じ。 しかし総勢20名強、集まってのもちつき大会でした。 使い古された杵と臼で、もちごめは当然、地元産。 一希もちょっとだけつかせてもらいましたよ。子供用の少し小さな杵で。 重たかったけど、楽しかったみたいです。 全部で2回もちつきをして、あんこもち、きなこもち、黒ゴマだんご、納豆だんご、お雑煮ができあがりました。 あんこもちは、お土産に持ち帰り、他は全てその後の試食会で頂きました。 やっぱり、つきたてのおもちはおいし〜!! 実は、来月にもまた「もちつき大会」があります。今度は保育園です。
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11月中旬に保育園でお遊戯会が予定されている。 |
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本来は11月15日前後におまいりするのが一般的ですが、北海道では多くの人が10月中に行います。 キリスト教的には不吉な今日ですが、大安です。 先月からこの日に決めて、神社と袴のレンタル(写真スタジオにて無料)の予約もしておき、もちろん週末がダメと言うだんな様にも伝えてありました。 それが3日前になって、すっかり七五三の日にちを忘れていただんな様は思いっきり仕事を入れていたのです。しかし、入れてしまったものは仕方ありません。今更断ることもできません。移動も含めて1時間だけ仕事を抜けれるように調整してくれました。 当然仕事着(設備屋)のまま現れ、着替える時間もないのでそのままの格好でお参り。 一希は袴、私はそれなりの格好、だんな様は作業着という不釣合いな格好。神主さんは不思議だったに違いありません。 それでも無事厄払いも終り、お神酒を口にして、千歳飴とお菓子をもらいました。 その後、神主さんが家族写真を撮ってくれましたよ。 不釣合いな3人なので、一希だけでご勘弁を。 今日はとても変な天気で、ザーッと土砂降りになったかと思えばカラッと晴れるという繰り返し。 写真スタジオに着いた時は雨降りでしたが、スタジオを出てお参りが終わるまでは晴れていました。 終わる直前に振り出しましたよ。 お参りがはじまる前に写真を撮っておいてよかったです(上右写真)。 ちなみにお参りをした神社は、私たちが住む地域の氏神様を祭っている神社です。住所は旭川市ですが。 ここで七五三について少し。 七五三は、三歳の男女児の「髪置(かみおき)」、五歳の男児の「袴着(はかまぎ)」、七歳の女児の「紐落(ひもおとし)」として行われました。 髪置というのは、生児の髪は剃(そ)っているが、この日から髪を剃らずに残すことにすること。 袴着は、5歳になった子がはじめて袴を履く儀式。平安時代には女児も行っていました。 紐落は「帯解(おびとき)」ともいい、それまで付け紐で着ていた着物を帯で締めるようにすること。 これらの祝儀は公家(くげ)や武家の間に主として行われていました。 近世になると江戸の町民の間にも行われ、氏神に参詣するようになりました。当時は幼い子が早くに命を落とす事が多かったため、節目の年に厄を払い、無事成長したことを感謝し、これからの将来の幸福と長寿をお祈りしました。 七五三の名でこの祝いが盛んになったのは明治時代の東京においてで、今日のように子供に晴れ着を着せ、千歳飴(ちとせあめ)など買って帰ることが行われるようになりました。 七五三の祝いをなぜ11月15日にするかといえば、この日が旧暦の28宿中の鬼宿(きしゅく)といわれる最吉日であるから。また俗説では、徳川綱吉(つなよし)の子息徳松がこの日に祝いをしたからとも言われています。しかし本来11月は農作業が終わって霜月祭を行うときにあたり、15日は多くの祝祭日のある満月の日であるため、この日が子供の成長を氏神に祈願する日として選ばれたとも考えられます。
〈参考:小学館 日本大百科全書、神主さんのお話〉 |




