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8.16

 今上陛下の全国戦没者追悼式における「おことば」があった。「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」とのことである。朝日新聞は社説で、「平成の時代の表現をほぼ受け継ぎ」‥「過去を直視する姿勢を内外に示した」と評価した。
 一方で、安倍の式辞に関しては、「反省」の文字がない。「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」(戦後70年の首相談話)との思いからだと、批判的である。朝日新聞は「負の歴史から逃げず、真摯(しんし)に受け止める態度を表明し続けてこそ、謝罪が不要な関係を結べるのではないか」ともいう。
 「反省」の言葉が入っているかどうかが基準であり、文脈など無視である。これは、かの中央日報も同様である。両者の言語水準はどうやら近似しているらしい。
 これに対して保坂正康はNHKで、平成天皇は「反省とともに」であったが、「反省の上に立って」に変化している点を重視した。その上で、世代間の継承の意思の表明だと評価していた。少し善意に解釈しすぎなのではないか。
 「反省とともに」では、私が反省し、私がこれからの平和に責任を持つとの意思が感じられる。しかし、「反省の上に立って」では、他人の反省を受け継いで、私も平和に責任を持ちたい、ということにしかならないのではないか。つまり、今上天皇は先の大戦に対する反省を他人事としている、自分では反省していない。これは、安倍のいう「謝罪を続ける宿命」からの解放宣言である。
 文在寅大統領の、「光復節」記念式典演説の「日本が隣国に不幸をもたらした過去を省察する」という条件付きの「東アジアの平和と繁栄に一緒に導いていく」という願望は不変である。そうすれば得をするというのは、半島政治家の「勘定」だが、そんなの知らねえよ、いつまでイチャモンをつけるつもりだよ、下手に出続けなければならないんだよ、というのが日本国民の「感情」である。この「過去」を言挙げする限り、常に両国関係の火種となる。それを今上天皇は父親の代の反省を踏まえて、私は反省とは別に、と切り離して見せた。
 それが、宮内庁を介しての安倍一派の作文なのか、雅子妃と共に創案した結果なのかは不明である。ただ、じいちゃんのやらかしたことで責任を取らされるなんでまっぴらだ、反省なんかさせられたくない、という一般国民の思いを反映しているのは間違いない。
 あとは、政府が、国家としてどのように反省と共に健全な国際関係を形成していくか、ということになる。天皇に参拝を強要するような靖国を潰すというのも、一手かもしれない。その存在は、反省しない、かつ皇室に対して、日本の歴史に対して、不敬傲慢な思いの具現でもあるからである。

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