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リアル・ファンタジーの問題を考えてたら、高橋源一郎の言葉を思い出した。
rolandgorilaさんもいつかブログで取り上げられていたスラヴォイ・ジジェクについて語っている。
けっこう、これまで書いてきたことと重なると思うので、ちょっと長いけど引用してみたい。
保坂VS高橋の対談より。
高橋源一郎 「9・11」の同時多発テロがあって、タワーに飛行機がぶつかる映像があったでしょう。あの映像を見たときの感想が全員「ハリウッド映画みたいだった」わけですね。ぼくもそんなことを書いたので、後ですごく恥ずかしくなったんです。そのことをうまく説明できないかなと思っていたら、おもしろい本をこの前読んだんですね。それはスラヴォイ・ジジェクの書いたラカンに関する本なんです。ぼくはラカンもジジェクも、よくわからないのだけど、その本は非常におもしろかった。ジジェクによると、あの映像を見てみんな同じように驚いたというけれど、それは少しも不思議なことではない、あの一連の反応はラカンの精神分析的治療の中にある概念の一つとぴったり合う、と書いているんです。つまり、「ファンタジーの反駁」という概念があって、それは精神病の患者――先進資本主義国の人間は広い意味ですべて患者だ、という感じで書いてあるんだけど――は現実を現実として認識する方法として、ファンタジーを用いるということだというわけです。どういうことかというと、ワールド・トレード・センター・ビルを、ふつうわれわれは、ニューヨークの真ん中にある高いビルディングというふうに考えていますね。それともうひとつ。ハリウッド映画のなかで、高層建築は、『ダイハード』のように危機に陥ったり、ゴジラがやってきたり、スパイダーマンが駆け上がったり、事件が起こりうるものである、と考えている。つまり、あの建物は映画のなかだけで危機に陥るものになっていた、そういうファンタジーがあって、現実を構成していたというわけです。だから、あの映像を見てなぜびっくりしたかというと、現実にはそんな事件は起こらないと確信していたからです。それはハリウッド映画のみで起こることだから。ぼくたちがハリウッド映画みたいだと思ってびっくりしたのは、ぼくたちがあるものをファンタジーと現実のワンセットで見るように訓練されているからだと。そして、その破綻は精神分析的治療のスタートだというのです。現実と虚構は境界で混じっているけれど、違うものだと考える。しかし、実際はそういう構造になっていない。最初から二重化して見ているわけです。
保坂和志 東京タワーとか何度見ても、ああ東京タワー見てるなあと思うもんね(笑)。
高橋源一郎 本当にそこにあるんだって感じでしょ。だからもしハリウッド映画を観たことがない人たちがあの映像を見ても、あっぶつかった、でおしまいなんです。ハリウッド映画的なものをずっと観ている人間が意味のない衝撃を受けるわけで、それはファンタジーにとらわれているからだ、というのがジジェクの説明なんですね。これは映画に関してだけど、じつは同じことが言葉に関してもいえるわけですね。現実と虚構の違いくらい知ってますよと誰でもいう。これは小説で虚構の部分でこっちは本当のことですねって言うけれども、ほんとうは区別なんかできないんだよね。ただ、日常の言語があって、それにフィクショナルなものもノンフィクション風のものも乗って流れているだけで、実はワンセットになっている。その区別をどうやってつけるか。本当は、区別できるようなものが小説のなかにないといけないんだけれども。
保坂和志 ノンフィクションは、フィクションよりもくさいフィクションの手手法を使いますよね。
以上! 長かった……。
記事を探すのと、キーボード打つのに疲れたので、本日は引用のみで。。
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トラックバックのやり方が分からないので、以下にローランドゴリラさんのスラヴォイ・ジジェクに関する記事のURLを。読み返したらやはりリアル・ファンタジーの問題をプロレス・映画・小説に絡めてあるのに驚きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/rolandgorila/2442749.html http://blogs.yahoo.co.jp/rolandgorila/3943508.html
2005/9/3(土) 午後 2:25 [ sun*o3*59 ]