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現実⇔幻想

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TVのことを書いたらもう一つ思い出したんだけど、やはりTVは「視聴率」に支えられているというのが大きな性格になっていて、その視聴率とはコマーシャリズムに繋がっている。当然すぎる話だが。
コマーシャルというのは、視聴者の欲望をいかに引きずり出して顕在化するかという戦略だと思うけど、この戦略が発展したのは言うまでもなくTVの普及と歩みを共にしている。
ちなみにコマーシャルの歴史をずっと遡れば宗教宣伝に行くつくらしく、例えば今でもフィリピンで行われているシャーマンの心霊手術やサイババなどトリック紛いのもの、香具師、大道芸的パフォーマンスを含んだもの、キリスト教の福音書に代表される伝道活動など大々的なものもあり、これは他者をどのように説得するかという技術の原型だった。最近よく目にするTV通販の宣伝マン、あのパフォーマンス力とスタジオの観衆のやり取りはまさにプチ教祖と信徒の姿だ。
話を元に戻すと、TVにおけるコマーシャリズムだが、これは初期から、視聴者の潜在意識に訴える戦略がとられていた。例えば洗剤を扱う場合、一般商品では汚れの取れが甘いとか、ばい菌がついてるとか、主婦層を脅迫する形で自社製品のセールスポイントを強調する。これは60年代からアメリカでやられていた。脅迫観念に訴えるということが今でもコマーシャルの主流で、TVをみているとそのことがよく分かる。生命・損害保険はその性格から当然としても、歯磨き粉、食器洗いなど洗剤系、化粧品、ダイエット食品などコンプレックス産業の商品、それから一見すると夢見させるようでありながら、時代に遅れた者の尻を叩く携帯電話や家電製品の類、また消費者金融のあからさまに取り繕った外面も不気味だし、リゾート・ビーチでビールというのも考えようによっては充分脅迫的だ。

「広告批評傑作大会」という、850ページに及ぶ広告批評の別冊があって、これがけっこう面白い。中沢新一という宗教学者の記事を読むと、日本では70年代の終わりから80年代はじめにかけて、糸井重里や川崎徹といった大変な才能が広告界に集中し、古いタイプの広告技術を刷新したという。それ以前までは大道芸・香具師的なインパクト狙いの広告で通じていたのだが、類似商品が飽和してきたため、従来の広告技術では開発できる欲望の層が限られてしまう。そこで、小さな違いを競い合わなければいけないようなタイプの現代の資本主義が発達するようになって、もっと深いレベルの欲望まで開発する必要がでてきた。ここで中沢新一の言葉を引用すると、

「(糸井・川崎など)は、いままで未開発だった無意識の欲望の層を外に引っ張り出して、それを消費の欲望に作り変える、そのための見事な技術を開発したのだと思います。広告の言語は、サブリミナルな領域にまで浸透できるようになりました。広告の言語は、潜在にあるものを挑発して、外に引っ張り出すという意味では技術の原型みたいなもので、その新しい技術が未開発の地層を掘り進んだわけです。だけど、いまはまた、そこで開発された欲望さえも、飽和状態に達してしまっています。そして、ここから先は、たぶん宗教が開発してきたような技術によってしか進めない領域が広がっているんです」

この潜在下にあるものを掘る、という意味では、糸井が徳川埋蔵金を掘り出したことも一貫していて感動的だ、と中沢新一はつけ加えている。それはいいとして、そうした糸井などが開発した技術ですらでもすでに引き出せる欲望が飽和に達しており、その先には宗教的な世界しかない、という中沢氏の言葉が気になる。それがホントか嘘かぼくには分かりようもないけれど、中沢氏の意見では、飽和に達した欲望意識を新興宗教が吸い上げるという社会現象もあるが、大きな流れとして見ると、現代人の良識がその先(宗教世界)に進むことにきちんとストッパーをかけていて、つまり、パロディという無限の変奏を繰り返しながら何とか留まっていると。しかし深いレベルの欲望の層を引き出して活性化しないと資本主義経済が止まってしまうのも事実。だから一方で、日本国内で飽和に達した意識は、経済活動の拡大と、国際化に伴って、システムを横に広げている。90年代には急激な勢いで市場経済が地球上にネットワークを形成したと言う。この辺が、どうもインターネットなどメディア機器の発達におけるファンタジーの拡散、という問題とリンクしているように思えてならない。なぜならファンタジーとは、つまり潜在下の欲望のことではなかったかと。こういう飽和したファンタジーが、パロディを繰り返して、小さな差を争うところも似ている。言うなれば、ファンタジーと欲望の膨満感。資本主義ではしかし、腹が膨れたからと言って先に進むことを止めることはできない。この「先に進む」という感覚をどうしても満たさなければすまないのが人間の性か。だから社会主義より資本主義が人間の性に合ってたのか、って何でも通り一遍に言ってしまうのは悪い癖だけど。ともかく先に進めなくなった意識、言い換えれば社会で満たされなくなったリビドーってのがUターンして内側に戻ってきてしまうと、自分そのものが最大の関心事となってナルシズムに陥るというのが心理学の説だったと思うけど、今の社会はどうなんだろうか。懐古趣味、レトロブーム、都市型生活から田舎生活へ回帰する一連の流れ、なども「先に進めない」感覚の裏返しかもしれないし、ノストラダムスの終末論みたいなのが持て囃されたのも、いったん世界を潰して一からやり直したいという願望が飛びついた幻想なのかもしれない。そう言えば、「ジパング・ボーイ」という漫画を思い出したけど、これなんかまさにその辺をテーマに扱っていた。この漫画についてはまたいつか書きたいが。

ともかく、小説における言葉と、広告における言葉が、どのようにリンクし、どのように違っているのか考えてみることは面白いのかもしれない。糸井の名コピーとして知られる西武百貨店の広告「おいしい生活」「ほしいものが、ほしいわ」日産自動車「くう ねる あそぶ」などに対して、実際、村上龍や高橋源一郎は文学側から批評していて、これもなかなか面白い。が、ちょっと長くなったのでまた次回。

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書きこんじゃいました。おもしろいブログですね♪更新楽しみにしてます。またちょくちょくみにきまーす♪

2008/6/7(土) 午後 0:56 [ 新川すぐる ]


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