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基本的に日記、生活の中の思いつきなど

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前回の記事で、小説家が小説を書くときの姿勢について書いてみたのだけど、小説を書くときに使う道具も気になるところだ。

今は素人のみならずプロの作家もほとんどがワープロを導入していると思うけど、一口にワープロと言ってもソフトがそれぞれ違うのだろうし、画面の大きさや書式、フォントも異なっているだろう。ぼくはワープロを使う場合マイクロソフトの『Word』で、自宅ではデスクトップ、職場やファミレスではA4サイズのノート型を使用する。しかしノート型は画面が小さくて気分が乗らないので、もうほとんど使わない。デスクトップの場合、画面も適当で使い勝手はいいのだが、それなりに欠点もある。あまりにも使い勝手が良い為に、推敲をやり始めるとキリがないこと。小説でなく普通の、例えばこのようなブログ記事を書く場合でも、推敲が幾らでもできることは決して利点とは言い難い。大抵ものを書く時、書く側はいろいろなことを考えていて、その考えの一部を活字化することになるのだけど、推敲し易いということが、一部ではなく全体を書ける気にさせてしまう。上手くいえないけれど、書き手に可能性の全てを汲み出せるような錯覚を起こさせてしまうのだ。少なくとも、可能性の全てを試してみたい気持ちになる。確か『三四郎』に出てきた小説家が冗談で、『私の小説のインスピレーションは〆切から湧いてきます』と発言して笑いを取る場面があったはずだけど、〆切がなければ小説家が作品を仕上げられないように、小説は幾つもの条件に囲まれた中で書かれた方が、ずっと仕上げやすいのだと思う。ワープロの場合、時間としての〆切は関係ないが、推敲はここまで、という限度を感じさせない為に、なかなか潔く完成させることができない。またそうした可能性の無限性が、仮初の文字を量産し、言葉から重みを消してしまうこともあるだろう。こういうことはワープロの弊害としてよく言われていることかも知れないが、それにもう一つ付け加えるとすれば、ぼくだけの印象かもしれないが、ワープロは必要以上に視界が広いということ。ぼくの『Word』の書式だと、画面の中に約1200字収まる。400字詰原稿用紙3枚分が一目で展望できてしまう。無論、書式設定を原稿用紙に変えればいいのだが、1文字のフォントが大きすぎるとどこか間抜けで、崇高な気分が萎える。で、いろいろ試した挙句にやはり1200字収まる書式設定にしたのだが、ただでさえ視野に収まる文字数が多いのに、スクロールして前後のページに行き戻りするのも簡単だから、常に「いま取り組んでいる一文」から気分が逸れて、全体を気にしてしまう。小説の言葉というのは前の一文から次の一文が導き出されるものなので、あんまり大きな視野を持ってしまうのは、視力10のアフリカ人が東京で生活するのと似た不便さがあるかもしれない。

とは言いつつワープロはやはり便利な道具ではあるし、要は欠点を踏まえて使いこなせればいいだけの話で、たぶん、論文などを書くにはむしろ合っているのではないかとも思う。

最近、B4サイズの400字詰原稿用紙と、三菱の鉛筆(B)をたくさん買ってきて手書きを試しているのだが、原稿用紙はすごく面白い。いまさら面倒なのではないかと不安に思っていたのだが、なんと言っても、鉛筆削りという儀式から始まって、消しゴムを用意し、コーヒーを淹れてまっさらな原稿用紙を眺めていると俄然気分が湧いてくる。ジャーナリスト落合信彦が噛み潰した鉛筆を思い出したりもする。確かに小説なんぞ書こうと思わなければワープロで充分だと思うけれど、こと小説という、言葉そのものと正面から向かい合わなければいけない作業はやはり原稿用紙に限る。味噌汁でも、家庭料理なら粉末状のかつおだしで良いのだろうが、料理人なら本物のかつお節からダシをとるだろう。それと似ていて、利便性を追求すると本物の味わいをどこかで見失ってしまう恐れがある。また実際に書いてみると、上記した視界の問題や無限の可能性の問題も解決される。当然ながら視界には400字しかないわけで、案外これは思考の範囲のまとまりとしてちょうど良い。また手書きだとどうしてもワープロより書く速度が落ちるが、これも試してみるとちょうど良い。ワープロというやつは、あのカーソルの点滅がそう思わせるのか、書き手に「書け、書け!」と急かしてくるようなところがあるけれど、原稿用紙はそんなこと言わない。また無限の可能性ということで言うと、手書きというのは何と言っても労働だから、正直言って、あんまり書き直しはしたくない。勿論、するにはするけれど、例えば1枚丸々書き直しというのはかなりの骨折りだ。どこか適当なところで「決め!」という気分になる。ワープロで10枚書くのは簡単だが、手書きで10枚はそれなりの労働だ。しかし「急がば回れ」というやつで、結果的には設けるところも大きいのではないかと思っている。それでも書き損じたなら、豪快にクシャクシャに丸めてゴミ箱へ放り投げれば良い。ストレス解消になるだろう。うまくできているのだ。ちなみに小島信夫は、一切原稿を書き直さないばかりか、読み返さないことでも有名。確かに誤字や、文法の間違いが散見される。ここまで来ると変人だが、その小説は凄まじいばかり。

ところで図書館に行くと、作家の直筆原稿を集めた写真集があるのだが、あれは傑作だ。高名な先生方の、なんと字が汚いことか。字には個性が表れるというけど、本当にそう思う。ミミズがのたうっているような字とか、幼稚園児が書いたような字とか、右利きなのに左手で書いたような字とか、逆に達筆すぎて誰も読めない字とか、なぜか全てマスの右側に偏っている字とか、そういうのばかり。字だけであれだけ個性を発散させるのも凄い。わざとやってるのかと思ってしまう。小説以前に、何か別な芸術に取り組んでいるといった風でもある。編集者の苦労は察して余りある。
写真は大岡昇平の直筆原稿「信州のトンボ」。判読に苦しむ。

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ワープロどっぷりの人間としては,石川九揚さんのように言われてしまうと,「なにぉー!」と反発してしまうんですが,sunno3459さんのような言い方だと納得!です。ワープロも鉛筆も「書く」ためのテクノロジーですから,一長一短なんでしょうね。まっさらな原稿用紙に向かう感覚,ちょっとそそられました。

2006/3/6(月) 午後 10:24 NONAJUN

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ありがとうございます。でも最近、やっぱりワープロに中心に……。原稿用紙のロマンは捨て難いのですが。原稿用紙の利点の一つで、「推敲した跡が見える」というのがあることにこの前、気づかされました。あと推敲というのが、けっこう気分に左右される行為で、その時々の気分での書き直し、という罠にはまる危険性があることにも気づきました。うむむ……。

2006/3/7(火) 午後 3:02 [ sun*o3*59 ]

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