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最近バイト先で社員研修が始まったりして、妙に気忙しい。 慰みに、『鬼の踊り』の中から、ギリヤーク尼ヶ崎による涙と笑いの名語録を幾つか抜き出してみたい。 『街頭で真夏の太陽を浴びながら汗のにじんだ衣装を着て踊っているうちに、作品の内容によっては衣装が肉体の動きを殺していることに気がつき、一度この銀座のど真ん中、青空の下、ふんどし一本で踊ってみたいと思うようになってきた。(中略)輪の中央で地面にうずくまってポーズをとった私は、梵鐘の音と共にゆっくり立ち上がり、真冬の野原の中で寒風に逆らって必死に生きようとする一片の草の姿を踊り始めた。やがて見物人の方に近づき、身にまとっていたぼろをぱっと脱ぎ捨てると、私の心臓は激しく波打った。そしてこのとき、見物人の驚きの目を全身に感じた。私はいつ警察官に捕まるかも知れないという不安から、恐ろしい程の危機感を覚えながら群衆に囲まれた輪の中を死にもの狂いで踊り狂った。(中略)私は逃げるように数奇屋橋公園を離れた。そして警官に捕まらなかった安堵感と、ふんどし一本で思い切り踊れたという満足感を覚えながらバスに向かった』 『午後1時頃、中央会場に当てられた代々木公園に着いたときは、すでにデモ行進に移った後で、待っていたのは会場一面に捨てられたゴミの山だった。私は残念に思ったが、普段きれいな公園がメーデーのときだけゴミ捨て場と化するのに、腹が立ってきた。(中略)ふと、私はゴミの山を観客に見立てて、踊ってみたくなった。さっそく目の前のゴミを集めて私の周りを囲み、街頭公演のときと同じように化粧をして踊り出すと、どこからともなくカメラマンが14、5人集まってきて、パチパチ撮りながら観客になってくれた。最後に即興で、私はゴミの中に埋まって地面を転がりながら踊った。遠くの方で警官が一人、怪訝な顔をしてこちらを見ていた』 『私はふと、思いついて立待岬に行ってみることにした。函館公園を通り抜けて谷地頭に出ると、岬の方に坂道を上って行った。(中略)夏の観光シーズンと違って、今はさすがに訪れる人影もなく(中略)ここから見渡す津軽海峡は、真冬の気候と相まって、雄大な眺めだった。ここで踊るのだと思うと、私の血は燃えてぞくぞくしてきた。近くに形ばかりの休憩所があったので、そこでふんどし一本になった。外に飛び出して驚いた。札幌や歌志内での寒さなど、その比ではなかった。零下15度は越えているのではないだろうか。折から見晴台になっている広場は吹雪になって、一寸先も見えなかった。その吹雪に巻き込まれるように、寒風吹きすさぶ中で踊り出した。体中がばりばり凍りつくようだ。15分も踊った頃だろうか。ひとまず休憩所に舞い戻って休息した。これは自然との対話ではなく、私自身の肉体の限界を知るための自然との闘いであった。もう一度挑戦してみようと思い、今度は柵を越えて断崖絶壁の上に立った。海抜300メートルはあるだろうか。波打ち際の岩礁が小石ほどにしか見えなかった。下から吹き上げてくる風が強く、私の痩せた体など簡単に吹っ飛びそうで、先ほど踊ったときよりも寒かった。私は生きているのか、死んでいるのかも忘れて、手にしたひょうたんを操りながら即興で踊り出した。私は木の葉のように揺れながら踊り狂った。(中略)急いで立待岬を降りてきた。そして、”あかゆ”と書いてある銭湯ののれんを潜った。素早く裸になると、茶褐色の浴槽に飛び込んだ。立ち込める湯煙の中で、私はやっと生き返った心地がした。(中略)酒のおかげで声がよく通って気持ちよく歌い続けたが、ふっと暗い影が心を掠めた。”どんなに一生懸命踊っても、一銭にもならないということは淋しいものだ”』 『5月に入ったある日、突然警察から呼び出しがあったので、私は不審に思いながら出かけていくと、婦女暴行未遂容疑者として取調べを受けた。身に覚えのない私は、犯行を否定したので、被害者の農家の主婦によって首実験をされた結果、容疑は晴れた。そんなことがあってから間もなく、今度は放火の容疑でまた取り調べを受けた。私は林の中の小さな神社の境内を野天の稽古場にしていた。この神社が火事で焼けたので、放火の疑いが私にかかったのだ。しかし、私にはアリバイがあったので、無事に済んだ。その後、私はこの境内で舞踏の練習をしていると、巡回中の警官に不審尋問をされて、翌日警察署で取り調べを受けた。このときは、私が舞踏の創作をしていたことをどうにか納得させて釈放された。(中略)創作中の私の姿を見ると、肝を潰して逃げていく下校中の生徒がよくいた。それから練習の帰り道に会う小学生の女の子は、私の姿を見るや目を伏せて通り過ぎ、一目散に逃げて行った。そんなことからその附近一帯に、私が女の子に悪戯するという、よからぬ噂がたっていた。しかし、私はそんな噂にかまわず、神社の境内で舞踏の練習を続けた。色々と嫌な事件が起こったが、その頃の私の心境は爽やかだった』 『フランスの古い映画「パリ祭」や「パリの屋根の下」などで見た、下町の広場や通り繰り広げられる祭りの中で、ぜひ踊ってみたいという願いがあった。(中略)パリ到着以来、情報を集めていた。そして遂に、私の願いは叶った。夕方、最もパリ祭の雰囲気あるコントレスカルプ広場において、パリの夜を踊った。広場を取り巻くカフェのテラスは、どこも大勢の人で一杯だった。若者も、老人も、子供も、この日のために生きていたように思えた。アコーディオン弾きやギター弾きの芸人が集まって来て、いやがうえにも景気を盛り上げていた。黒山の輪の中で、「芸人」、「白鳥の湖」、「じょんがら一代」、最後に赤ふんどし一つで「念力」を踊った。44年間の生きざまを、必死に踊った。これしか私にはなかった。踊り終わったとき、拍手とアンコールで、しばし茫然としていた。突然ひげ面の男が飛び出してきて、私の体を抱き、キスした。恥ずかしかったが、私は泣いた。そして嬉しかった。苦しかった日本での活動も、これで報われたと思った。喜捨箱にぞくぞくとカンパがあった。思わず、一人一人の手をとり握手した。フランス人、アラブ人、黒人、イタリア人、アメリカ人、そして日本人もいた。街頭で踊ってこんなに感激したことは、今まで一度もなかった』 『午後からサン・ミシェル大通りに出かけると、目の前で黒人の物売りグループが一斉に検挙され、護送車で連行されたのを見て、「踊るなら、今だ」と思った。セーヌ河を前方に眺めて、通りの角にある小さな広場で踊り始めると、あっという間に野次馬が集まって来た。ここはいつも交通整理の警官が立っていて厳しい場所なので、私は踊っていて気懸かりだった。「じょんがら一代」の踊りがずいぶん長く感じられた。やっと踊り終わって着替えたとき、目の前にいたヒッピー風の男が、地面に捨てられた喜捨をかなりネコババしているのが、ちらっと目に入った。私はそそくさと荷物をまとめて、追われるような気持ちで広場を去った』 とりあえず長くなったので以上! しかしこの人すげぇ。
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ギリヤーク尼ヶ崎の自伝『鬼の踊り』が、予想を遥かに越える面白さだった。狂人が平易な言葉で、素直に心情を語るとき、禍々しさと滑稽さが入り混じった、意味不明の感動が生まれる。大道芸人の歴史や芸人のエピソードを調べていると、本当に面白い。『芸人』という言葉が、真の意味で説得力を持つ人種だと思う。高所から墜落して死んだ綱渡りの芸人、着衣に引火して火ダルマになった火吹き芸人、飲み込んだ蛇に胃袋を噛まれた人間ポンプ、過酷な芸は、常に死の世界と隣り合わせだ。彼らは無償の芸を引っさげて街頭に出没し、日常を引っぺがし、空間を歪ませる。生活と命がかかっているから、彼らは猛練習を積んでいる。一般には、気楽な商売をする自由人か、乞食の類に思われているかもしれなが、彼らは影で日々鍛錬を積んでいる。その証拠に、服を脱ぐと物凄い肉体をしている。ちなみに中国雑技団が有名だけど、彼ら彼女らは、一説によると、オリンピックの体操選手よりも才能があるらしい。中国では、雑技団の芸人になれなかったものが、体操選手としてオリンピックに出るというのだ。なぜなら、体操選手になって金メダルを取るより、雑技団の芸人になったほうが稼ぎがいいからだ。大道芸の世界でも、一流どころになると、本当に人間離れした芸を披露する。いま、東京都では石原都知事の元でヘブンスアーティストという企画が発動しており、登録された芸人が、指定された日時と場所で芸を披露する。指定された日時なり場所というのは、本来の意味での大道芸からは遠ざかるが、本来、見ようと思っても見れない彼らの雄姿を拝めるので便利な制度ではある。つい先日、上野公園で演じる何組かの芸人を見てきた。プロも何人か混じっていて、世界レベルとは言い難いが、やはり素晴らしかった。 彼らはまず、ロープで円を囲う。その円が、舞台というわけだ。紐一本で出来上がる、客と同じ高さの舞台。ここに非日常が流れ込む。ぼくが最初に見た芸人は、自己流で作った楽器を演奏するイギリス人だった。(大道芸人の国籍は多様で、ほとんど無国籍といってもいい。彼らは一個の芸人の国に属した無国籍者だ)一人でギター、ハーモニカ、ドラム、シンバルなど複数の楽器を扱い、歌も歌う。歌い出すと、すぐに百人くらいの人垣ができ、子供、老人ばかりか、パグ犬も混じり、みな楽しそうに笑いだす。見ると、老婆が腰をくねって手拍子しながら踊っている。寒いのに、最高だ。この日はいろいろな芸人を見ることができたが、中でもハンガーマンというバランス芸を得意とする芸人のパフォーマンスがよく、客も乗っていた。大道芸の出来は、観客の乗りがかなり重要な要素を担っている。ハンガーマンは、ギャグも豊富に取り入れ積極的に笑いを取るのだが、とりわけ子供たちの反応が大変素晴らしかった。ぼくのすぐ隣にいた女の子など、自制が効かなくなったらしく、壊れたかのように、ずーっと地面を笑い転げていた。大人も例外ではなく、この子のようには笑わないけれど、本物の笑顔とはこういうものなんだよな、という笑みを満面に湛える。芸人ばかりでなく、人の輪を観察するのもすごく面白い。 引き続き取材を行いたいが、数冊の書籍、雑誌記事、それから参考映画など観て、徐々にイメージが出来上がってきた。映画で参考になるのは、フェデリコ・フェリーニか。『道』の旅芸人、鎖を引き千切る孤独なストロングマンことザンパノ。それから『汚れた血』『ポンヌフの恋人』のドニ・ラヴァンはやはり素晴らしいし、全然関係ないけど、侯孝賢の『風櫃の少年 』のラスト、仲間が兵役につくのを祝って、少年がカセットテープを大安売りするシーンも、大道芸に通じる。と思って久々に観返したら、やっぱり『風櫃の少年』、ものすごい好きだ。ともかく大道芸人というはまず孤独な存在であり、世間の一般常識からは測れない空間に存在しているというのが核にあるイメージ。また、路上の日常空間を歪ませる存在という本質を掘り下げていくと、街頭に立つ娼婦、路上で全裸になる酔っ払いや露出狂、路上で行われる殺人、昔広場で行われたという公開処刑、スケボーやローラースケートで走る少年、NYの地下鉄の落書き、音楽を鳴らし踊りながら歩く黒人……、こういうのも皆、大道芸人の親戚となる。風景がズレるところに、大道芸人はいる。
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やァ、いらっしゃい。お前さんの来るのをいまか、いまかと待ってたところだ。あんたも大道芸に取り憑かれた口だね。アハハ。まァいいさ。俺はそういうちょっといかれたような人が大好きでネ、そういう奴に会うと途端に嬉しくなっちまうんだ。 さァ、遠慮はいらねぇからとっとと奥へ上がってくれ。もっとも上がった途端に裏へ突き抜けちまうようなちっぽけな家だ。そのまんま外へ飛びださねぇように気をつけてくれよ。 (『大道芸口上集』より) 大道芸人の小説が書けないだろうか、と考え、資料を収集しながらいろいろとアイデアを捻っている昨今。調べるほどに面白い世界で、興味が尽きない。今日、国会図書館にこもりきって資料を渉猟。コピー代に8千円投入。その甲斐あってか、数ある大道芸本の中でも極めて興味深い一冊に出会った。その名も、『鬼の踊り −大道芸人の記録−』。(参照−写真・下)ギリヤーク尼ヶ崎という、暗黒舞踏のような芸を演じる、その道では有名な大道芸人がいて、この本は彼の写真集であると同時に、ギリヤーク尼ヶ崎その人の手による自伝(旅芸人の記録)ともなっていて、なんとも資料的価値が高く興奮させられる。 この本の冒頭に、宮原昭夫という作家の寄せた文章があり、大道芸の何たるかを見事に描出しているので、長くなるが紹介してみたい。 日常性の空間のまっただなかに、創造性という名の無形の強烈な念力で、みごと隔絶した異空間を現出し、人々の身も心もその中に閉じ込めてしまう――ということが、芸術というものの定義だとしたら、ギリヤーク尼ヶ崎の舞踏は、まさに芸術だ。 都会の駅前、あるいは繁華街の広場…その一隅の空間こそ、きわめつきの日常性が充満した場所だ。そこに彼は白墨で大きな円を描く。その時、その円の内部で、日常性は、かすかに歪む。円の接点の一つで、彼は黙りこくったまま衣装を更え始め、顔に白粉や紅をつけ始める。物見高い通行人が、ぽつりぽつりと立ち止まり始める。しかし、それはまだ、タフで堅固な日常性そのものに属するささやかな事件にすぎない。やがて、テープ・レコーダーのスイッチが押され、彼は誇らかに最初の不動のポーズを祈りをこめてとる。その時はじめて、円内の日常性はおもむろに軋み始める。爆発的な力で彼の不動が動に変わるとき、その軋みは、はじめゆるやかに、次第に加速度をつけて高まってゆき、ついにある一点に達すると、殆ど音を立てんばかりの勢いで円内の日常性のタガが吹っ飛び、さしも堅固なそれに縦横に亀裂が走り、やがてそれはあとかたもなく崩れ落ちる。通行人は、はじめ日常性のマユを分厚くまとったまま、この奇異な存在である彼を、物珍しげに、しかし平和な日常性の寛容さを鷹揚に施しながら笑っている。まるで物乞いに小銭を施すように。しかし、やがてかれらが、オヤ、と思わず笑いを引っ込める瞬間が必ず来る。かれらの目の前で、白墨で描いた一本の線の内部の異空間はとめどなく硬度と厚みと鮮明さと実在感を増してゆき、それにつれて、円の外側に広大に広がる、いまのいままでたしかな実在だったはずの日常空間が、次第次第にぼやけ、希薄になり、輪郭がたよりなくゆらいで見えてくる。ついには通行人の目尻に、悲しいのかうれしいのか自分でも分からない涙が、うっすらとにじみだす。とうとう彼の動きが精根尽き果てたように、はた、と止む時、かれらは、なおも色濃くそのあたりにたちこめている異空間の残影が消えていくのを惜しむあまり、彼の前に置かれた竹筒の喜捨箱に、なけなしの小銭を、先を争って投げ入れる。 以上。これは観客の視点からの見事な文章だが、ギリヤーク尼ヶ崎の自伝も感動的だ。彼が、緊張しながら初めて路上で芸を披露した時の記録だ。 (前略)最後に即興で踊って、上演時間15分の「青空舞踏公演」は終了した。私は厚紙で作った喜捨箱を取り出してゴザの前に置き、座って化粧を落とした。すると目の前の喜捨箱から、小さな音がした。カンパをしてくれた人がいたのだ。私は嬉しかった。汗で流れ出したドーランと涙が一緒になって、目が痛かった。私は見物人に泣き顔を見られたくなかったので、うつむいたまま、手拭で何度も何度も目をこすりながら頭を下げた。 私は着替えを済ませて荷物をまとめてから周囲を見ると、まだ見物人がそのままでいたので、あらためて一礼した。しかし、みんなじっと私の姿を不思議そうに眺めていた。私は見物人の目を背後に感じながらその場を去った。そして、交番前の横断歩道を渡ろうとしたとき、突然私の手に黙って50円玉を1個握らせて、恥ずかしそうに駆け出していった二人連れの女子高校生がいた。それはあっと言う間の出来事で、私は礼を言うのも忘れて呆然と立っていた。それから間もなく、わたしは等々力行きのバスに乗った。私は車内の一番後ろの座席に座りながら、今貰った50円玉が嬉しくて涙が溢れてきた。そして、全身の震えが止まらないほど、感激した。”真剣に踊れば、必ずカンパしてくれる人がいるのだ。”私は街頭公演を続けていく勇気が湧いてきた。 他にもいろいろと面白い資料を手に入れたが、長くなったのでとりあえず今回はここまでにしておこう。
ちなみに写真・上はギリヤークとは関係なし。 |
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学生時に一度読んだきりだったカフカの『城』を、ぱらぱらとめくり返してみる。 たしか北野武の記事か、阿部和重の記事で書いたことだったと思うが、『城』という小説は図式化できないからこそ凄いんだ、という主旨のことを書いたように記憶している。自分でも小説を書こうなどと思いながら『城』をぱらぱらしていると、その言い方は正確でなかったことに気づかされる。 『城』はまず、なんと言っても図式化される小説なのだ。よく言われるように、『城』というのは、あるいは『審判』における裁判でもいいのだが、大きな意味での『社会の秩序』を表していて、主人公のKは、その秩序に属さない『異邦人』を表している。そうしてみると監視人や役人や官吏など言った登場人物も、秩序に属した側の人間として理解される。こんなに簡単なことはない。 だから、カフカの『城』が、どんな意味にも還元されないとか、図式化され得ないというのは嘘で、まずこの単純明快な図からこそ、カフカの『城』の読みは出発されるべきであろう。結局のところ僕が言いたかったことは、この小説は図式的ではあるけれど、図式的に解釈しただけでは、作品の面白さが充分に理解できないのではないか、ということだったと思う。くどいようだが、カフカの『城』は図式化できるのだし、ということは何よりもテーマ論的な読みを容易にするものである。なにしろカフカ自身が誰よりも、この小説を厳密な図として描いただろうと思う。問題なのは、その書き方というか、世界の立ち上げ方であって、そこにこそカフカの狂気が遺憾なく滲み出ている。 シンプルで明快な図を下敷きにしながらも、Kの視点によってのみ書かれた世界は、極めて即物的。目の前に生起している事実のみを描きながらも、一歩違えば純化された抽象的な世界に様変わりする不思議な感覚。血の匂いがするほどリアルかと思えば、童話じみたファンタジーに転化されたりもする。 ところで『城』をぱらぱらしていたら、松浦寿輝に小説に出てくる、迷子に魅せられた中年男を連想させられた。 話は変わるが、最近、ビデオを借りてきて、学生時によく観ていた映画を観返したりした。レオス・カラックスは、やっぱり狂人の類だな、と思った。才気走ったセンスには今でも完璧に圧倒されるが、一見成熟した作品にも思える『ポーラX』も含めて、どこか自己愛から脱皮できない少年性の熱病が感じられ、自分も歳を喰ったせいか、期せずして戸惑う。よく言われるように、夜、熱に浮かされたとしても、昼間になると醒めてしまうことがあるが、彼の映画は全部そういう狂気の映画なのだ。生活とは折り合わない、苦しい映画なのである。今の時代には流行らない、古典的で破滅型の作家。こそばゆい気恥ずかしさと、脱帽してスタンディング・オベーションしたい衝動の板挟みにあう。天才ならナルシズムも許されるのか? 彼の4作品を撮りえた行程は、まさにその天才を周囲が認めたから成り立ったのであって、これはやっぱり凄いことだとは思う。が、しかし、今後どうなるのかは分からない。ぼくが思うに、彼は、二度と撮らないという選択肢も含めて、いつまでも同じスタイルを貫くのではないか。つまるところ、寡作の彼が重い腰を上げて作品を作る現場に立つ時、そこには彼なりの狂気の力学が後押ししなければ成り立たないからだ。 最近興味があるのは、作品において、許されるリリシズムというのがあるのなら、どういう場合のリリシズムが許されるのか? ということだ。どういうわけか読者や観客は、ここにばっかりは厳しい裁判官だから。
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自由度の高い文体を夢想してみる。つまり、自分の考えや思いを、自分の好きなように言葉に流し込んで、それがそのまま小説として成立するような、都合の良い文体。そんなの、あるだろうか。 ぼくの好きな作家で、ヘミングウェイという文豪がいるけれど、この人の文体は無敵だ。初めから失敗しないような文体になっている。『古典的な言葉の節約』と蓮実重彦は呼んでいたけれど、ヘミングウェイの文体はストイックな外面描写に終始している。真似しようとすると、書く側にとっては、かなり窮屈な文体であることが分かる。というのも、言葉が写実的リアリズムに徹しているから、言葉の一つ一つが常に現実世界と直結している。つまり、自分の精通した世界しか描くことができない。これは強烈な拘束だ。拘束というのは、一方で自由を感じさせるものでもあるのだが。 他に、小島信夫や保坂和志の文体を考えてみる。彼らの小説もまた、失敗のありえない、無敵の文体でできている。彼らの特徴は、思ったこと、考えたことを、順列的、あるいは連想的に、気の向くまま自由に連ねていくところにある。いわゆる、物語性とか、韻文性とかの形式的な堅苦しさから遠く離れた、散文ならではの自由を最大限に生かす形で書かれている。これはある意味で卑怯と言うか、他の9割方の作家たちが血道をあげて物語作りに足をとられている中で、まったく、悠々としたものだ。だが、この自由度の高い文体は、何も保証がない為に、真似をすると、酷く心もとない気分になるだろう。 9割の作家が使う文体は、基本的に物語に奉仕している。物語が先にあって、文体はその従者というわけだ。普通に小説を書こうとすると、どうしてもこういう文体になってしまう。かなり意識的に違う文体を試みても、気がつくとこの文体になってしまっている。映画に置き換えると、脚本と絵コンテが先にあって、撮影は再現に過ぎない映画、つまり、脚本や絵コンテに現場が付き従うのと、似ている。勿論、現場ではかならず齟齬が生じるわけだけど。小説もこれに似ている。先に物語を決め、構想を練り、必要事項を取材して、資料を集め、準備が整ったところで書き出す。こういう書き方が、もっとも安心できる。ところが書いていると分かるのだが、やはりこれも、物語という名の拘束であって、ちょっと違うんじゃないかと思いつつも、物語を保持するために、不本意な言葉を書いてしまう。ぼくは、こういうシステムの中からも面白い小説は生まれると思うけど、今回は少し違ったやり方を模索したいとも思っている。 高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」のような書かれ方。短い断章形式で、現代詩の批評が、そのまま小説になっている奇妙な小説。この小説には、物語性が一応はある。しかし、言葉は物語に奉仕しない。なんというか、準備をして書かれたものではない。書く現場で発見されたことが、そのまま小説になっている感じだ。その点は保坂や小島信夫にも共通するが、案外、保坂・小島は、現実世界に足をつけながら小説を書いているから、そういう意味では窮屈なのに対して、高橋源一郎の場合、完全に浮遊している。だからその浮遊したところに、ファンタジーの要素が入り込める。映画で言うと、ゴダールの「気狂いピエロ」なんかに近い。ついこの前、観返したら、ゴダールってやっぱりリリカルだな、と思った。 文体というのは一つの拘束だけど、むしろ、そこからいろいろ飛ばせるような、自由度の高い文体が欲しい。中原昌也の場合、なぜあれだけ自由かと言うと、ただ単に、書くことがないからだろう。書くことがある人は、もっとずっと窮屈な思いをするはずだ。しかし、書くことがないのに書くって、どういうことなんだろうか。小説の原理に近づくには、こういう奇人が相応しいのかもしれない。 いろいろと模索中。
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