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基本的に日記、生活の中の思いつきなど

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さてさて、今回の「怪文」は太宰治の中篇「パンドラの匣」より。
これは「健康道場」という結核療養所で病と闘う人達の人間模様をユーモラスに描いた作品。
常識円満のおとなしそうな西脇一夫という患者が、かげで年下の正子(看護婦)にラブレターを送りつけたのであるが、その手紙があまりに「怪文」すぎて、受け取った正子が当惑してしまう。それは、ラブレターであることすら分からない奇妙な文章で綴られていて、正子が当惑するのも無理なかった。ここに抜粋するのは西脇一夫のその奇妙で偉大なラブレターの全文。

「過ぎし思い出の地、道場の森、私は窓辺に寄りかかり、静かに人生の一頁とも云うべき事柄を頭に描きつつ、寄せては返す波を眺めている。静かに寄せ来る波……然し、沖には白波がいたく吠えている。然して汐風が吹き荒れているが為に。夕月が波にしずむとき、黒闇がよもを襲うとき、空のあなたに我が霊魂を導く光あり、世はうつり、ころべど、人生を正しく生きんがために努力しよう! 男だ! 男だ! 男だ!! 頑張って行こう! 私は今ここに貴女を妹と呼ばせて頂きたい。私には今与えられた天分と云おうか、何と云っていいか、ああ、やはり恋人と云って熱愛すべき方がいい。それは人じゃない、物じゃない、学問であり、仕事の根源であり、日々朝夕愛すべき者は科学であり、自然の美である。共にこの二つは一体となって私を心から熱愛してくれるであろうし、私も熱愛している。ああ私は妹を得、恋人を得、ああ何と幸福であろう。妹よ!! 私の!! 兄のこの気持、念願を、心から理解してくれることと思う。それであって私の妹だと思い、これからも御便りを送ってゆきたいと思う。わかってくれるだろう、妹よ!
 えらい堅い文章になって申しわけありませんでした。然も御世話になりし貴女に妹などと申してすみませんが、理解して下さることと思います。貴女の年頃になれば男女とも色んなことを考える頃なれど、あまり神経を使うというのか、深い事を考えないようにして下さい。私も俗界を離れます。きょうはいいお天気ですが、風が強いです。偉大なる自然! われ泣きぬれて遊ばん! おわかりの事と思う。きょうのことの手紙、よくよく味わい繰り返し熟読されたし。有難うよ、マサ子ちゃん!! がんばれよ、わがいとしい妹!!
 では最後に兄として一言。
 相見ずて日長くなりぬ此頃は如何に好去くやいぶかし吾妹
   正子様                          一夫兄より」

以上。

冒頭にも書いたとおり、この手紙の主である西脇一夫は、常識円満のおとなしい大人である。そういう良識の人が、影でこんな奇妙なラブレターをしたためているというのが面白いわけで、ぼくはこういう二面性を抱えたキャラが大好きだ。君子豹変す、ってやつですか。
しかしこのラブレターが面白くも残酷なのは、やはりラブレターというものの本質をついているからだと思う。ラブレターというのは、基本的に「わがまま」「一方通行」なものであって、健康的に発展していく恋愛過程においてはむしろ要らないはずのものなんですよね。ここにも、意中の人を「妹」と呼び、「理解してくれることと思う」「きょうのことの手紙、よくよく味わい繰り返し熟読されたし」などといった「わがまま」ぶりが散見され、正子を戸惑わせている。こういう勢い余ったラブレターというのは、はじめから玉砕覚悟のバンザイアタック的な哀しい運命が込められているわけで、喰らうほうもたまったものではない。滑稽ではあるんだけど、どこか哀しい。
ところで人が人を好きだと告白するとき、あるいはそれをもっと大きく捉えて、人が自分の隠していたなにかを率直に「カミングアウト」するという行為、これはその内容や言い方に関わらず、絶対的に「美しい」ものだと、ぼくは考えております。ただししばしば、ぼくらは人のカミングアウトに対して批評家になりがちでもある。批評というのはつまり、物事の善悪・美醜・是非について評価することですね。これはよく考えるとおかしくて、そもそも純粋なカミングアウトというのは、批評の対象であってはならないと思う。例えば私はゲイです、とかね。それはその通りなのだから、評価とかいう問題ではない。(ちなみにぼくはゲイじゃないですけどね)勿論、嫌いな人から好きだとカミングアウトされて断るといったケース、これは批評ではなくて、人間関係の上で必要なやりとりだから構わないわけだけど。
さて、この西脇一夫のラブレターなんだけど、なぜこんなに難解なんだろうか、と思う。難解ではあるけれど、純粋な気持ちが強く込められているのも伝わってくる。それはシンプルな気持ちであるはずなのに、なぜこんな難解になってしまったのか。素直に言うのが照れ臭く、難解な言葉で包んだということだろうか。でも、そのような小ざかしさは感じられない。怪文たる所以だが、やはりここで考えさせられるのは、カミングアウトにも作法が必要、ということだ。これはその内容を否定するものではなく、技術について言っているのだから、また次元の違う批評ということになる。
ある側面で小説というのは、このカミングアウト作法をいかに洗練させるか、というところがあったと思う。受け手があって成り立つ表現なのだから、当然そうなるわけだけど。なにか作家の中に言いたいことがあった場合、彼らが性急になる必要はなにもないと思う。自分で自分によく精通して、ぴったりした「言い方」を見つけるまで、待てばいいのではないだろうか。ラブレターとは違うのだ。荒ぶる魂をただぶん投げるのではなく、客観化してからでいいはずだ。とりわけ今の文壇(存在するのか?)には、一頃瀰漫した剥き出しの自意識からいかに解放されるか、という風潮があると思う。
にしても西脇一夫の珍妙なラブレターは、人を勇気付ける貴重な存在でもある。

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