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引き続き現実(リアル)とファンタジーの問題を考えてみたい。なんだかシリーズ化してるので、遡って読まないと分からないかもしれないけれど。
様々なメディア機器の発達が、表現者・消費者の境を希薄化して、ファンタジーが日常化してるんじゃないか、と分かり切ったことを考えていたんだけど、じゃあ、そんなにメディア機器が発達してなかった時代はどうだったのか?
まずTVのなかった時代を想像してみると、やはりこれは今とは明確に一線を画した別世界なのではないかと思われてならない。今の人の道徳・美意識みたいなものがどこで培われているのかと考えてみると、ぼくが想像するに、何よりもまず『TVドラマ』ではないかと思う。ぼく自身はあまり見てこなかったのだが、多くの人がTVドラマの新シリーズを楽しみにしていて、キャストが誰かとか、脚本家が誰かとか話題になる。時代の気分を最も敏感に映して、しかもキムタク・坂口憲二などカリスマが、ゴールデンタイムで視聴者の注目を集める。憧れというのは、そのままその人の感性に訴えるはずだ。昔は、小説とか映画が、その時代の人間の道徳・美意識を支えてきたんだろうけど、今はTVドラマがその役割を負っているんじゃないか。漫画もデカいとは思うが。
ともかくTVがなかった時代の人々が、映像ファンタジーを求めるならば、金を払って劇場に行くしかなかった。これは日常というより、非日常の愉しみだったのだろうけど、TVが普及してから家庭で日常的に映像ファンタジーに馴染めるようになった。よく頭の固い人が「TVを見るとバカになる」と言うけれど、その言葉に一理あるとしたら、今の人達はかなりバカになってるってことか。
ところで話が変わるけど、よく昔の人はケンカをして、今の人はしなくなったと言う。今の人からしてみれば、例えば前田日明や辰吉や赤井秀和などの若かりし頃の武勇伝をファンタジーとして憧れの目で見る。また彼ら自身も、ヒーローへの憧れといったファンタジーを胸に戦っていたのだろうが、実際のところ、ケンカで殴られると血が出て痛かったりするので、これはファンタジーより現実だと思う。昔は現実に生きている感覚が今よりもずっと強かったのではないかと思う。
話を元に戻すと、TVの登場のよって、ぼくらはそれ以前よりも桁違いの膨大なファンタジー光線に晒されるようになったのではないか。何事もまず、物語という形を通して理解する、そういう思考回路がインプットされるようになったのではないだろうか。またTV以降も、インターネットの普及に伴ってファンタジーが網の目状に氾濫するようになり、また数々の表現ツールの発達が、双方向的・波状的にファンタジーを拡散させていく。こうしたかつてない未曾有のファンタジー時代が到来したことと、時代を背負う大型新人が台頭しづらくなったことは無関係ではないだろう。今は、新鮮なファンタジーを感じることと生の現実を感じることが、同じくらい難しい時代になっているような気がする。
などと分かりきったことを言ってみても何もはじまらないのだが、別段、悲観的な物言いをしているわけでは全然なくて、やはり「作品」というものの奇跡性みたいなものは信じている。「作品」というのは、こういう分かりきった文脈とは断絶した別次元から意表をつく形で出てくるものだと思うし。新たな感性というのは、文字通り、「新たな」ものだから、出てこないと分からない。出てきてから、批評家などが慌てて逆算して解説するんであって、やっぱりそれは異物というか、奇跡的な性質を持った不可逆的なものだと思う。
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