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昨夜録画しておいたK−1をビデオで観る。
セーム・シュルトの圧勝ぶりは、好き嫌いを越えた次元で戦慄が走る、事件の目撃に近い体験だった。そもそも、セーム・シュルトがこれまで埋もれてきたことの方が不思議である。というか、埋もれてきた、と感じてしまうのは、場当たり的な観客の思い込みで、いろいろと実績を残している選手だ。大道塾主催の北斗旗空手道無差別級大会で2連破(96・97年)し、99年11月には近藤有己を破って第9代キング・オブ・パンクラシストに輝いている。ぼくはパンクラスで活躍していた頃にシュルトを知って、とんでもない選手が現れたようだな、と思いはしたが別に注目してきたというわけでもない。どういうわけかこの選手は、注目度の高い桧舞台でポカを踏む。2年前の大晦日では確か、バーネットに関節を取られて負けているし、PRIDEのリングではヒョードル、ノゲイラ、ハリトーノフに負けている。とりわけハリトーノフ戦での残酷ショーじみた負けっぷりは、昨夜の優勝と対照的に衝撃的だった。注目度の高い舞台で負けが目立ってしまったことで、埋もれてきた感が付き纏うのだが、K−1では全勝という戦歴を誇っている。PRIDEにおけるヒョードルのような存在に、今後なっていくのかもしれない。
ところでシュルトの空手は、大道塾で磨かれたものだが、この大道塾とはどういう空手を実戦しているのか? 公式HPから引用してみると、


発祥の地、沖縄で「唐手」(後に空手)は、刀や槍といった武器を取り上げた島津藩との"現実の戦い"に素手に近い状態(ヌンチャク、トンファーなども)で立ち向かわざるを得ず、"当然"、投げ、締め、関節技をも含んだ総合的なものでした。大道塾もその原点(現実の戦い)を強調する意味で、創立当初から締め技、間接技をも含む、「現実的な(格)闘技としての空手」という意味で『格闘空手』として二十数年間活動してきました。


とある。空手ならぬ唐手とは、本来、投げ・締め、をも含んだ実戦総合的な技術体系だったのである。だが、柔道との差別化をはかる為に打撃へ特化し、世界的に普及していったというのが空手の知られざる歴史である。大道塾の理念とは、打撃空手を本来の投げ・締めありの格闘空手へ回帰させることにあるが、混乱を避ける為、自らの目指す武道を「空道」という別な名前で呼ぶ事にした。公式HPからさらに引用すると、


2001年、「第一回世界大会」を機に、突き、蹴り、投げまでの「格闘空手」を原点(ルーツ)とし、今後も突き、蹴りをその核として追及はするが、それ以上の締め技、関節技を含んだものを、「空手」から生まれた新しい総合武道という意味で、「空道」(くうどう)と命名し、改めて世界に宣言し、普及、追求する事にしたのです。


とある。だからシュルトが総合のPRIDEのリングへ上がるのは、ある意味で立ち技のみのK−1のリングへ上がるよりも理にかなっているのかもしれない。が、シュルトが制したのはK−1だった。

ぼくは別にシュルトという選手が好きでも嫌いでもなく、というか、魅力をあまり感じないのだが、でもその闘いぶりを見ると、何とも奇妙なものを見せられた気分になる。再びHPの言葉を引用すると、「発祥の地、沖縄で「唐手」(後に空手)は、刀や槍といった武器を取り上げた島津藩との"現実の戦い"に素手に近い状態(ヌンチャク、トンファーなども)で立ち向かわざるを得ず、"当然"、投げ、締め、関節技をも含んだ総合的なものでした」とあって、実戦を想定した技術体系を謳っているわけだが、しかしその頃の琉球に、2m12cmの巨漢が存在しただろうか。刀や槍を使った相手との闘いは想定内でも、2m12cmの体格が使用する空手まで想定内だったろうか。それは無論、想定外だろう。そもそもシュルトは、琉球人でも日本人でもない。当時の平均的な琉球人の身長を考慮して技術体系を確立したとしたら、空手とは150〜170cm台、大男と言ってもせいぜい180cm台の人間の為に編み出されたのではないだろうか。格闘技というのは、突き詰めるとそれぞれの流派の「型」が存在するように、抽象化された理念の芯のようなものがある。それは、それだけを見ると、実戦から遠いものにも見える。恐らくこの「型」、理念の核のようなもの、が、つまり平均的な琉球人の体格でもある。が、K−1におけるシュルトの闘いぶりを見てほしい。アレは何だろうか? 2m12cmの巨神兵が打ち下ろすチョッピングの速射砲、真横あるいは斜め後ろから巻くように刺さるボディ、軽く突き上げればそこが顔面のヒザ、そしてあの遠距離・中距離はおろか近距離まで全ての制空権を支配する独特の間。空手とはもしかしたら、平均的な琉球人の身長ではなく、もとから2m12cmの体格を想定して編み出され、抽象化・理念化された技術体系だったのではないか。逆に言うとシュルトが、空手の抽象的な理念を完璧に体現させたのではないか。思わずそのような転倒した錯覚を抱かせる。大道塾のHPを見ると、こんなことも書かれている。


「空道」の「空」は上述したような原点(「空手」から生まれた新しい[武道])という技術的意味と、仏法における「色即是空 空即是色」をその典拠としております。即ち、「この世に不変の物体はなく、観念もまた固定的なものではない。全ては時空を超えて生々流転する。これを『空』と呼ぶ。故に『空』こそが、この世の実態であり、全てを表象する」という意味が、大道塾の設立理念に合致するという点からも、意義深いものがあります。「大道塾」の"大道"は「大道無門」、大道に至るに門なし。即ち、人の世の全てが修行の糧、至高に辿り着く道程となりうる、という言葉から借りており、先入観や、固定観念を避け、全てを抱含し、しかし一つには偏らない自由、開放を塾是としています。


なるほど、大道に至る門なし、とは逆に言うと、大男が至る門も開かれていた、ということなのか。要は、空手の抽象化された理念とは、固定化されたものではなくて、自らが発見するものなのである。


*写真はPRIDE16の小路晃戦。

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