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来ました、今年一番ツボにはまった映画。 うまく言えそうにもないけど、すごく新鮮な触感にあふれた映画だ。
監督は、闘う男の美学を描かせたら右に出る者なし、と評されるマイケル・マン。代表作『ヒート』、『コラテラル』。 CASTも豪華。マイアミ警察特捜課(バイス)の刑事コンビを演じるのは、人気・実力ともにうなぎ上りのコリン・ファレルと、『Ray/レイ』でアカデミー主演男優賞を獲得した黒人俳優・ジェイミー・フォックス。そしてマフィアの愛人を演じるのが『SAYURI』の国際派女優コン・リー。 この映画の美点はたくさんあり、それぞれ離れがたく結合してるので、順を追ってひとつずつ列挙していこう。まず最初に、ロケ地・マイアミの美しさを最高の形で映像化した撮影の功績だ。本作はフィルムをほとんど使わず、高解像度のHDビデオ・カメラを用いている。基本的にHDカメラはスタジオ向きとされているから、自然を撮るにはかなり異例の選択だ。しかしこの作品を観て、これまで旧態依然としたフィルム愛好家を気取ってきたぼくは、ついに目を開かせられた。フィルムの良さは今さら言うまでもないけど、まさかHDカメラがこれほどまで空気の質感をニュアンス豊かに切り取るとは……。マイアミなら断然フィルムで観たいって普通は思うでしょ? でも、違うんだなぁ。熱帯地方の湿り気、熱気、立ち上る入道雲、海、空の透明感を、「クール」に映し取る。フィルムというのはどこか素朴で、疑いを知らない純真さというか、そういう美学が根っこにあるような気がするけど、逆にビデオの美学には、感情すら情報化してしまうクールさが根っこある。そんなクールな肌触りの映像が、ヒリヒリした暴力の世界に生きるクールな男どもと、ヘミングウェイが愛した雄大な自然美とを奇跡的な回路で接続させてしまう。この思い切ったフォーマットの選択に、マイケル・マンの計り知れないセンスの良さを感じさせられる。 そして、役者もすばらしい。コリン・ファレルにジェイミー・フォックス。二人は潜入捜査、つまりオトリ捜査の刑事として、巨大なマフィアの内部に潜っていく。もともと優秀な刑事という設定だが、オトリ捜査をする際に一番重要なのは、相手に自分が刑事だと一瞬たりとも気取られないこと。つまり、自分の属性=刑事というのを完璧に封じ、本物の悪党になりきなければならない。本物の悪党とはどういうことか? 単に目つきや態度を悪くすればいいという単純なことじゃない。もっと本質的に、体の内側から滲み出てくるワルの雰囲気が求められる。ワルは、なによりワルを見抜く目を備えている。動物の本能に根ざした目だ。その目の前では、生半可な演技は通用しないだろう。映画と違って、リテイクもきかない。もし演技をしそこなえば、その場で殺される。そういうヒリヒリした緊張感が、これまたHDカメラが捉える生々しい空気感も手伝って非常に強く伝わってくる。そうした状況におかれたコリン・ファレルとジェイミー・フォックスなのだが、肝が座った本物のワルの雰囲気をいかんなく発揮し、映画内の敵を欺くと同時に、映画外の観客をも大いに納得させる。歩き方ひとつとっても、獣じみており、たいした存在感なのだ。本物のワルを演じるなら、やりすぎぐらいがちょうどいい。だから結局、彼らが潜入捜査の刑事だとバレる原因が、「やつらはデキすぎる。なにか臭いぞ」という、発想の逆をいくものであり、しかもそこに説得力がある。マフィアの愛人役として登場するコン・リーもすばらしいが、コリン・ファレルとジェイミー・フォックスの存在感の強さの前では、なかなか対等というわけにいかない。だからこそ、コリン・ファレルになびくコン・リーには、女のサガに負けたのだな、という力学的な説得力がある。あと、黒人女優ナオミ・ハリスもいい演技を披露してた。ジェイミー・フォックスとのセックス・シーン、重なり合う黒い肌の未知なるエロス。 美術のすばらしさも挙げておくべきだろう。もともとのTVシリーズがそうだったらしいのだが、刑事らが使う車、船、飛行機といった乗り物が、とんでもなく豪華。現実の世界ではそんなことありえないのだろうが、やはり映画ではこういうアイテムが生きてくる。『MI3』でも、スポーツ・カーを乗り回すマギーQが印象的だったけど、あれはどこか、単なるスパイ・アイテムとして登場するだけなのに対して、マイアミ・バイスに登場するスポーツ・カー、パワー・ボート、小型ジェットといったモンスター・マシーンの数々は、非常に有効的に作品の世界観に貢献している。これらのアイテムが、なによりまず、ヘミングウェイが愛した広大な自然の美しさを最大限に引き出すリゾート・マシーンとしての役割を大きく負っていることに注目すべきだろう。と同時に、レオス・カラックス『汚れた血』で、モトクロス・バイクにジェリー・デルピーをニケツさせながらぶっ飛ばし、「疾走する愛を信じるか?」と言ったドニ・ラヴァンの、寡黙性と凶暴性が激しく屹立した感覚を彷彿させるのだ。寡黙で気障な男の美学とでもいうのか。ついでにもうひとつ言い忘れていたことを付け加えると、けっこう夜のシーンが多くて、夜の道路や、夜の海を、そうしたモンスター・マシーンで疾走するわけだけど、これまた、HDカメラが効果的に働いている。フィルムとHDの違う大きな点は、やっぱり夜のシーンなんじゃないか。港から運河をパワー・ボートでさかのぼっていく場面(参照:写真)、港湾に灯る光、ボートのコクピットに光るコンソールの計器の数々、それらの質感がなんとも艶かしい。そう、コンソールの計器に光る、赤や青の光が、こちらの感性に未知なる触感で迫ってくる。なぜかって言うと、暴力、自然美、といった言わばアナログな価値観を、ただ単にむき出しに見せるというのでなく、クールな理性というチャンネルをいったん通してることの象徴性として、これら計器の光は、画面の隅々で静かに光っているわけだ。ここにおいて、HDカメラというフォーマットを選択したマイケル・マンの一貫性に深く納得させられる。こういう細部の提示の仕方に、なにか現代的で新鮮な触感を感じさせられるのだ。 最後の銃撃戦は、映画史上最長の銃撃戦(12分間)と言われる『ヒート』を上回るものらしいが、その激しさよりも、銃撃戦が開始されるまでの場面の作り方が面白かった。警察側とマフィア側が銃を構えて対峙し、その間をブツと人質のコン・リーとが交換される。その交換される場面の緊張がピークを迎えたときに最初の銃声が響く。これは、西部劇の決闘シーンと全く同じ場面の作り方だろう。だがこの場面は、上記したような、フィルム的、牧歌的なものでなく、どこまでもクールなHD的感性として立ち上がってくる。 で、最後にもう一個だけ。音楽もよかったな。冒頭のクラブのシーンで、いきなり流れてるのがジェイ・Z&リンキン・パークの”Numb/Encore”。作品のイメージをいきなり決定付けるクールなサウンド。 この映画は、地球からの恩恵、マイアミという雄大な自然を最高形で見せるため、極めて精緻に設計されている。 |
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『グエムル〜漢江の怪物〜』は、『殺人の追憶』のポン・ジュノが撮ったモンスター・パニック映画。ちょうどこの前ソウルに行ってきてばかりで、市内の中央を流れる大河、漢江(ハンガン)を目の当たりにしてきただけに、なるほどと実感できる部分も多かった。漢江はソウルのセーヌ河なんぞとも言われるようだが、大都市を貫く大河を映画の舞台にできるのは特権的な幸せであり、東京人にとっては羨ましい限りだと思った。ジャンルは違えども、本場セーヌを舞台にした『白夜』とか『ポンヌフの恋人』もしかりである。東京の場合、河川があるにはあっても、残念ながら新宿なり銀座なりといった中央部を横切るとまではいかず、江戸の頃にはけっこう盛んだったらしい川岸の文化というものがない。多摩川といっても、せいぜい「タマちゃん」とかいう奇妙な生物が散発的に出没するだけで、とてもグエムルのような怪物を生み出すスケールはない。しかしポン・ジュノという監督、『殺人の追憶』のようなシリアスな映画を撮ったかと思えば、今回のようなコミカルなパニック映画も撮ってしまう器用な人で、ともかく場面の構成力と演出力に安定感がある。こういう韓国映画を観てしまうと、早く日本映画も盛り上がってほしいと切に思う。
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『パイレーツ〜』は、ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイの3人を軸に展開する海賊アクション大作。この映画は前作も含め、ジョニー・デップ扮するジャック・スパロウ船長の立ち位置が絶妙。ハリウッド映画の場合、役者の人気の高さがそのまま物語における役割のウェイトに反映する。本シリーズでも断然ジョニー・デップが主役を演じるのかと予想される。だが、メインストリームのドル箱映画より作家性の強い佳品を好んできたこれまでのジョニー・デップのフィルモグラフィがそうであるように、本シリーズの中でも、物語の中心から微妙に外れたところで、何とも味わい深い役柄を演じている。オーランドとキーラは、基本的に二人一組でロマンスを展開するわけだから、物語としてブレないわけだけど、なにやらデップはその脇でチョロマカしてる印象。でもそれがすごくいい。ところでキーラ・ナイトレイだが、ウィノナ・ライダーの正統派後継者(?)なんぞと言われるだけあって超絶美女だ。頭はよくないかもしれないが。すっかり気になってしまい、ゴシップ記事などネット検索してみたら、なんでもアカデミーにノミネートされてから急に傲慢な態度をとるようになった鼻持ちならぬ女優などと書かれており、現場スタッフからはキーラ・ナイトメア(悪夢)と恐れられているらしい。しかしそんなゴシップも、ハリウッドというショー・ビジネスの世界ではむしろ頼もしいぐらいであり、さっそく大女優の片鱗を覗かせているとも言えるだろう。そんなキーラのように、実力や人気度がそのまままかり通るハリウッドのシステムの中で、デップの立ち振る舞いは知的で反体制的であり、清々しい。
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