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前回の2作品の書評(?)ですが、空腹のせいかだいぶ雑な文章になってしまった気がするので、もう少し補足しておきたい。松屋で「豚めし」を喰ったので今回はイケるだろう。
まず「人のセックスを笑うな」なんだけど、

>この小説は単純に言葉の表現として見てみても非常に「巧い」。この「巧さ」は、すでに完成された「文学的」な世界を揺るがせにする戦略的なベクトルではなく、すでに完成された「文学的」な世界をそっくりそのまま再現することで初めてそれを知ったときのような感動を与えてくれる。

というようなことを前回軽率に書いてしまった。もう少し厳密に言うと、まず、「文学的な世界」とはそもそも何なの?という前提が必要だと思う。それはつまり、これまでに蓄積されてきた膨大な作品群の傾向というか、好まれてきた題材があって、それを繰り返すと既視感に収まってしまうからまずい、ということである。しかし文学は、同じ題材(失恋・他者の死等)を飽くことなく繰り返し繰り返し変奏してきた。もう、飽和状態に達している、という閉塞感がある。この状況を、性急に「文学の死」に結びつける人がいる。が、それはかなり的外れである。これから先も、文学は失恋や人の死を繰り返し繰り返し描いていくだろう。題材が繰り返されること事態は、文学の死でもなんでもない。文学の死というのは、メディアの面から、あるいは文体(言葉の機能)の面から、あるいは感性の面から導き出されるべきだと、ぼくは考えている。閉塞感の原因を、題材にばかり帰責してもはじまらない。(この問題についてはまたきちんと書いてみます)

で、「人のセックスを笑うな」なんだけど、これがまた、19歳の男が20歳年上の女に失恋するという、繰り返されてきた話であり、特に女性作家は必ずと言っていいほど失恋を書きます。プロレスでいうと全日ならぬノア、王道中の王道です。(分からない人ゴメンなさい。つまり古典と言えばいいでしょうか)
で、この話の舞台となるのが、渋谷、二子多摩川、多摩プラーザあたりなんだけど、ぼくは同じ田園都市線の三軒茶屋に住んでいるので、松屋(三宿店)で豚めしをかっこんでいる日常とこの小説の世界が地続きなんですよね。この世界の中で、王道のプロレス(古典)を機能させたところに新味があったといいますか。地に使われる文章も会話も、今風の言葉使いで書かれていながら、王道の正中線をきっちり守っている。ジャイアント馬場のガイコツが、ハチ公前を歩いているというのか。(なんのこっちゃ?)だから、題材自体は手垢がついたものでも、初めて文学に接したような新鮮な感動を感受することができる。感性も更新されている。

で、次に「野ブタ。をプロデュース」なんだけど、敢えて指摘するまでもなく、全国の高校がこのような血生臭い戦場であるわけはないし、主人公の桐谷修二という仮面を被った優等生が、当たり前だけど、今時の高校生のヒーロー像として提示されたわけでもない。むしろそれは逆であってね。
それで、前回一つだけ書き忘れていたのが、タイトルにあるように、これは「プロデュース」というものの本質を描いた作品だということです。学園という舞台の性質がどこかで芸能界に通底していて、引いては日本人の建前と本音的な社交会全般に押し広げられる。だからこれはアイロニー(皮肉)の文学ということになる。プロデュースというのは、シンデレラストーリーと同じことで、そういう意味ではこれは古典的寓話とも言えそうだ。そう、シンデレラだから、これは魔法なんですよね。小谷信太といういじめられっ子が、プロデュースという魔法にかけられて、一気にクラスの人気者へのし上がる。この魔法の正体は、一体なんのか? それは、「笑い」である。小谷信太は、闇のプロデューサー桐谷修二の指示に従って、大仏ヘアーにカットしたり、クラスのみんなの前で制服の尻の部分を破いたり(偶然を装って。しかも中はピンクのトランクス)、といった地道な「笑い」をとることで、「無視されない存在」になる。本人が望んだキャラでないにしても、また本人の力量ではないにしても、「笑われキャラ」として定着していく。これは本当にアイドルと同じことで、決して自分の希望通りのキャラとしてプッシュされるわけでなく、世間の求める偶像として売り出される。話が逸れるけど、「アサヤン」という番組だったかで「モーニング娘。」のオーディションが行われ、初期メンバーが決まった。そして「つんく」が、ユニット名を発表したときの、メンバーの顔を覚えているだろうか。きっと、洒落たカッコいいユニット名を望んでいたに違いないが、結局それは「モーニング娘。」という投げやりともジョークともつかない命名で、メンバー全員が顔を伏せてうなだれた。が、この名前が結果的に大ヒットに繋がったのである。メンバーもいまや大満足だ。世間の要望を敏感に察知するのがプロデューサーの仕事であって、ここに演じる当人の希望は含まれない。そういう無私のキャラとして自分を世間にプロデュースできるのか、自分自身が自分をプロデュースできるのか、そういうことを、案外日本人は日常で求められているのかもしれない。これは、やっている人は平気でやっているんじゃないだろうか。当人が平気でやっていれば、他人も対応に困らない。が、こういうことに人一倍敏感であり、誰よりもうまく世間を渡りながらも、その実後ろめたさに苦しんでいるのが、プロデューサーそのものの桐谷修二というこの小説は、やはりアイロニーをいっぱいに含んでいる。

ところで「人のセックスを笑うな」というのは、20歳も年齢が懸け離れていたとしても、当の男女は真剣にセックスをやっているのだから他人が「笑うことじゃない」、ということだが、「野ブタ。をプロデュース」は、いじめらっれ子をキャラクター仕立てにして皆さん「笑ってくれ」という話。この「笑うな」「笑ってくれ」はどっかで共通している。
つまり、建前と本音があったとき、文学が切り込むのはほとんど必ず「本音」の部分になる。その出し方、見せ方の問題なんですよね。通常タブーとして伏されがちな領域に、言葉のスポットライトを浴びせて、「客観化」し、それを読者に見せるのが小説だとしたら、これはやりようによっては無惨なことになる。やりようによってはタブーの領域が解放される。今回二人の新鋭作家は、その領域に踏み込んで、それぞれの仕方でタブーの領域を解放させたといえると思う。だから、成功だ。言葉で客観化するというのは、つまり理解の領域に引き上げるということで、理解というのは、人間の最低限の優しさなんだと思う。ただし小説の理解というのは頭の中で行われる一面的な理解というのとも違っていて、読書という「体験」を読者に強いることでで、時間と感覚を伴った多層的なものとして、肉体に刷り込ませることでもある。だから、頭だけでは理解できない領域が残った「怖さ」とか「不安」とか「居心地の悪さ」とかいうのもコミコミの、もっと大きなレベルでの理解ということになる。既に600年前に世阿弥が言っているように「秘すれば花」ということがある。肝心な部分は、照らさない。・・・・・・ん? 話が繋がってない? そうそう、2作品における「笑うな」「笑ってくれ」というのは、その理解のされ方をそれぞれの言葉に換言したまでで、本当はどっちも、言われるまでもなく、「笑えない」領域を残しています。

*写真は「野ブタ。をプロデュース」の著者・白岩玄

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第41回文藝賞受賞作「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ&「野ブタ。をプロデュース」白岩玄。
同賞から出発した綿矢りさが芥川賞を獲得してから、数ある文学賞の中でもこの文藝賞がひときわ激しくバーニングしている。2千を越える応募原稿から受賞をさらった上記2作品は、なるほど実力伯仲の本物だ。文学界や群像に比べて若年層へ受賞を与え続けているこの文藝賞だが、かといってその作品の質は決して低くない。文学が死んだ、などと誰にも言わせない。
二つの作品を並べて論じてみようかと思ったが、一回で纏められるほど簡単な作品ではないので、二回に分けたい。まず「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ。
タイトル、筆名に衒いを感じて未読だったが、読んでみればそれも愛嬌、中身はどこまでも真っ直ぐで真摯な小説だった。作品によって「感想」を言いたくなるものと「批評」を論じてみたくなるものがあるが、これは絶対的に前者。

美術の専門学校に通う19歳だった〈オレ〉は、油絵の女性講師である〈ユリ〉に絵のモデルを頼まれ、やがて関係を持つようになる。〈ユリ〉はその時39歳、結婚しており、52歳の夫がいる。

小説の設定としては平凡なほうだろう。しかしそれは作品が平凡ということでは勿論ない。このことを取り違えてはいけない。ありふれた生活の中に、その人ならではの「発見」があり、それを報告して、ありふれた生活の別な一面を見せてくれるのが小説の役目である。地に足をつけ、自分なりに発見したことを書く素朴な貴重さ、知性がいっぱいに詰まっている。102枚のこの小説の中に、恐らく「借り物」の言葉は一文もないんじゃないだろうか。全て山崎ナオコーラの思考・感性・想像力を潜り抜けてから言葉として定着している。そして山崎ナオコーラという人は人一倍「考える」人であり、「繊細な」感受性を持った人であるようだ。そういう人が書いた日常が、どうして平凡になりうるだろうか。


ユリと、代々木公園を、手を繋いで散歩した。
自然は美しいことがあるけれど、美しさには向かっていない。
見上げると、枝が伸び、葉っぱが重なり、見たことのない模様を作っている。
美しいと感じるけれど、枝は美しさに向かって伸びていない。
枝は偶然に向かって伸びている。
たまたまそういう形になっている。
偶然を作り出そうとしている。
偶然を多発している。


恐らくこの小説も、そういう偶然の多発による美しさを目指したのではないだろうか。
結果として図式的な失恋に収まる年齢の懸け離れた「オレ」の恋愛は、「必然的な」宿命であり、その必然性の中に、一回性の「偶然」が多発している。つまり、ディテールの描写が秀逸ともいえる。
この小説は単純に言葉の表現として見てみても非常に「巧い」。この「巧さ」は、すでに完成された「文学的」な世界を揺るがせにする戦略的なベクトルではなく、すでに完成された「文学的」な世界をそっくりそのまま再現することで初めてそれを知ったときのような感動を与えてくれる。これはやはり平凡な技ではない。そしてまた、これも良識の一つだ。などと、結局批評的なことを言ってしまっている。

ぼくはこの小説が、すごく面白かった。楽しめた。……だから、褒め称えたいわけで。しかしそれでもこの小説が平凡であるとしたら、その理由もまた挙げることができるだろう。前言を撤回するようだが、実はその前言がそのまま批判としても通用するのだ。しかしぼくの態度としては、そういう片側の批判を切り落としても、充分な価値を持った小説だと言いたい。無論、文学そのものに興味がなければ、そういう味わい方でいいはずだ。
主人公の「オレ」が、二十歳年上のユリから必要とされなくなったとき、自分の部屋で泣く場面がある。


オレはウィスキーをペニスに塗ってみた。ペニスはヒリヒリした。縮み上がった。
何だか面白い快感を見つけてしまったように、オレは今度は丁寧に塗ってみた。
ばかばかしくなった。
(中略)
気持ちを整理するために日記を書いていると、涙がボタボタと落ちてくる。
涙は快か不快かで言うと、快だ。そしてまばたきで涙を落として文字をにじませる。にじませたい文字の上にアゴを持って行ったりもする。
目を強く押さえると、カミナリが見える。

もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやってほしい。


この最後の笑わないでやってほしい、というのが表題に結びついているのかもしれない。そしてこの一文が作品の全体重を支えきったとき、この小説は平凡か非平凡かの境目をもうどうでもいいものとして静かに消し去る。
戦略的な立場から繰り出される言葉よりも、まっさらな正直さから生み出された、慈しむような言葉のほうがずっと貴重である。そう信じられる、美しい作品だと思う。

激しく腹が減っているせいか、自分でも何言ってんだか、ちょっと歯切れの悪い文章になってしまったが、次回は「野ブタ。をプロデュース」白岩玄。

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村上龍の「半島を出よ」(上・下)は、通読するのにおよそ12時間要する、と著者本人が言う。
しかし自分は、その倍近くの時間をかけて読んだような気がする。
また、福田和也の「作家の値うち」という本がある。
現役作家の小説547冊を百点満点で採点した本なのだが、
これを執筆するに当って著者は、対象作品を含め700冊以上の小説を読破したらしい。
一度読んだ作品も、この本を書くために再読したという。
一冊の本を書くためにそれだけの本を読み込むというのは凄いことだな、と感心したのだが、
むしろ次の事実にもっと驚かされた。
700冊以上を読み、評価付けして原稿に纏めるという作業を、著者は何と9ヶ月足らずで
やったというのだ。ということは一日、2,3冊のペースで読んでいたということなる。
しかもその間、大学の授業、雑誌で請け負っている10本の連載(月200枚相当)を
並行して行ったというのだから、全く恐ろしい。読書における運動能力・持久性の高さ。

かねがね思っていたことがあって、読む速度が速い人ほど、読みも深い。
読書において速度と深さは比例するようなのである。
自分の読書速度は並かそれ以下なので、速く読める人を尊敬してしまう。
と言っても自分の場合、敢えて速く読まないようにしているところもあるのだが。
その理由は、速く読んで読み落としがあったら嫌だから、ということではない。
映画や音楽と違って、文章は決まった時間を持っていない。
それを消化する時間は、あくまで読者が決定する。
読者の体内に流れる時間と、その文章が内包する時間を、どこかのポイントで擦り合わせるのだ。
この擦り合わせがうまくいかないと、その文章を正しく味わえないような気がする。
だから多分ぼくの体内に流れている時間は非常にノンビリしているんじゃないか、
そういうことなんじゃないかと思うのだ。
そしてこれは、その人が世の中を見る世界観にも関わってくるような気がしている。
さて、試しにグッと集中力を高め、何度も読んだヘミングウェイをなるべく速く読んでみる。
するとどうだろうか。
まるで別な作品を読んでいるような気がする。
自分のテンションが高まるため、作品世界もまた、異様にテンションが高く、テンポが速く感じられる。
登場人物ですら、まるで別人格を与えられたかのようだ。
いつも歩いている道を息切らせてランニングすると、風景が少し違ったものに見えるのと似てる。
それはそれで発見である。
が、やはり自分としては、その世界を歩きたいのだ、という、そういうことなんじゃないか。
自分のテンション、普段見ている世界へ、作品世界を招き寄せるというか。

とは言いつつ、速く読めることへの憧れや必要性は常に感じている。

「NEET」ニートという言葉を友人から教えてもらい、
今さらながら調べてみると、「Not in Employment, Education or Training」の略で、
つまり教養も技術も持たない無業者のこと。
これは曲りなりに社会参加しているフリーターとも根本的に違っていて、
まず初めから働く意志がない、という腹の座った無為徒食の方々。
元々イギリスで生まれた言葉だが、日本でも「NEET」の数が一昨年60万人を突破し、
社会問題化してきているという。(こういうのってどうやって統計してるんだろうか?)
「NEET」などと洒落た名称を使わずとも、これまでみたいに「引き篭もり」でいいんじゃないか、
とも思ったが、やはり新しい名称を使うにはそれなりの意味があって、厳密に言うと、
「引き篭もり」ですらないようなのだ。
例えば「引き篭もり」をしながらも、独学で資格を取得したり、ハローワークに行ってみたりと、
何とか社会参加しようとする人もいるのに対して、「NEET」は根っから社会参加の意志がない。
国の雇用対策制度を充実させたとしても、本人にやる気がなければ、社会参加させようがない。
「引き篭もり」までは理解できるが、「NEET」は確かにつかみ所がない。

しかしその一方、これも社会の食み出し者という点では同じながら別種の感動を与えてくれるのは、
老人犯罪である。
今日のニュースでも、こんなものがあった。
「63歳の売春婦が72歳の男性をホテルに誘い逮捕」思わず爆笑。
高齢化の歪みで老人犯罪が増えてきているのは分かり、時には笑えないものもあるが、
こういう逞しい事件には無責任に拍手を送りたくなる。

社会の食み出し者を描くことで、社会の姿を逆照射してきたのが正統的な文学の方法。
「老人犯罪」と「NEET」はそれぞれの世代を表す象徴的な現象であり、
文学が死んだ、などと言われるのは、こんなところで妙に説得力を持つ。
つまりはその食み出方の問題なんじゃないか。ベクトルの方向も強度も全く違う。
食うためには還暦を過ぎても売春に身を投じる老婆と、
食うための努力を一切放擲し、それでも何となく食えてしまう若者。
もちろん、「NEET」だってこれから先食えなくなる時がやってきて、
新たな社会問題を生み出すのかもしれない。宇宙人のように不気味な予備軍だ。
まさに新人(ニート)。
厳密に言えば彼らは、社会から「食み出して」すらいない。
犯罪を犯す老人が社会を通過して向こう側に突き抜けてしまうの対して、
まずニートは、こういう心理学的な言い方は抵抗があるんだけど、子宮の内部に留まったまま。
主体的な行動によって摩擦を生み出すということがなければ、文学的な題材として難しい。
あと、「NEET」の統計ってどうやって出してるのか引っ掛かったのは、「引き篭もり」との
境目が曖昧なものだから、正確な値なんて出せないんじゃないかということ。恐らく推測して出して
るんだろうと思う。でもこれって、例えば「ゼイリブ」とか「ビジター」みたいな宇宙人物みたいな
ものをやはり連想させる。人間の皮を被った宇宙人がいつのまにか地球を支配していくという物語で、
実際のことろ、格好は人間だから、どのくらいの数が紛れているのか分らないという恐怖があった。
日本の「家」というのは、世間の視線を遮断する「箱」として機能しているわけで、
そうなるとどれだけの「NEET」がその「箱」の中に潜んでいるのか、分ったものではない。

そうした未知の宇宙人に言葉を与え、同時に地球に棲む場所を与えるのが文学の力だとすれば(?)、
これはやっぱり書かなきゃいけない題材なんじゃないか。
それとも彼らが犯罪なり職業訓練なりして社会にドドっと溢れ出てくるのを待つべきなのか。
これからますます高齢化が進む中で、これからの若者が支えなきゃならないのは老人ばかりと
思っていたら大変な錯覚。上の「老人」、下に「NEET」の板挟みだ。

いきなり重たい話になってしまったので、「元気な文学」らしくもう一つニュースを。
海洋冒険家・堀江健一さん(66)が単独無寄港世界一周に成功。
ブラボー! 老人は強い。

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