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「TAKESHIS'」の記事で一つ書こうと思っていたことが抜け落ちてたので補足。 |
文学
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文学の死が取り沙汰される状況の中でも、将来何か大きな仕事をやってみせるのではないかと可能性を感じさせるのが阿部和重で、一応彼の作品は全作読んでいる。「シンセミア」のような大作を余裕たっぷりに書き上げてみせる底知れない筆力は頼もしいと同時に不気味でさえある。そしてそのような大作もさることながら、新潮社の文庫版「ABC戦争」におさめられた『公爵夫人邸の午後のパーティ』が特に印象深く残っていたので、今回、衝動に駆られて再読してみた。 |
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ここ4日間ほど高熱に魘(うな)されていた。「魘されていた」というと大袈裟だが、38〜39度が常態で、ベッドで横になってる分には苦でもなく、ただひたすら夢を見ていた。この間、テレビを集中的に見ていて、いつの間にかつけっぱなしのまま眠るということを繰り返していた。すると、テレビから聞こえてくる言葉や音が夢の中に浸入してきて、現実とも夢とも判別のつかないないような「夢」を何度も見た。浅い眠りの中で、聴覚だけ醒めていて、外界の音を拾っては夢の中に持ち込んで、現実に似た夢を構成するのだった。だから例えば、先日放送されていたビートたけしの教育番組(3時間スペシャル)、あれをぼくはどこまで実際に見て、どこまで夢の中で見たのか曖昧に感じている。ともかく昨夕やっと平熱になり、煙草が吸えるようになって、仕事にも復帰し、夜勤明けで今朝、衝動的に「TAKESHIS’」を観た。これがあまりにもタイムリーな映画だった。 |
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「週刊少年ジャンプ」を読み、「プロレス」を見て育った自分の中学・高校くらいの時期を、文化史的な視点から捉えるとどうなるのか、ということに興味があって、ここのところ、大塚英志、宮台真司、東浩紀など何冊か読んでみた。まぁ基本的にどれも「オタク」「新人類」文化というのを軸に論じたもので、大塚や宮台の本は、70〜80年代の状況を知るのに興味深かったんだけど、90年代について書かれたものについては東浩紀の「動物化するポストモダン」で補った。 |
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保坂の『カンバセイション・ピース』は、日本人が日本語で書いた小説だという事実をまず、疑いたくなる小説である。 |



