ぽかぽかなきもち

東北にもやっと夏がやってきたー!

つぶやきさにー

[ リスト | 詳細 ]

普段、ノーテン気で平和主義の私ですが…
ちょっと真面目なお話なんか語っちゃったりする書庫です

 愚痴もありんす(*・艸・)
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

地元の新聞に、週1で折りこまれてくる情報誌があるのですが
昨日付けのもので、とても胸が熱くなった記事があったので、原文のまま掲載させてください




『 いっぽいっぽ 〜ダウン症の娘と共に〜 』


3年前のある日、小学6年生だった長男の貴裕が浮かぬ顔で帰ってきた。

理由を聞くと、学校で自閉症の女の子がばかにされているのを目撃したのだという。

「そんなこと言っちゃ駄目だ」とはいえたが、なぜその子がそういう行動をするのかをきちんと説明できなかった。

貴裕は、それが悔しくて「なんて説明してあげたらいいの?」と私に尋ねてきたのだ。

私は頭を抱えた。

子供たちはただ知らないだけ。

でも、この知らないことがさまざまな誤解や偏見を生んでいく。

大人でも、知的障害の子に出会うと「ちょっと引いてしまう」人は少なくない。

家族をはじめ近くにいる人たちがそんな風に思わないのは、一見困った行動にも、必ず意味があることなどを

体験で知っているからだ。理解が深まれば、寄り添う気持ちは自然に芽生えてくる。

「学校で子供たちにはなしてあげるのが一番近道かもしれない」

私は貴裕の担任の先生に、ダウン症の妹まどかのことを生徒たちにお話していいかを尋ねると、快く承諾してくださった。

このことが、知的障害者の理解を深めるための「キャラバン隊」の活動につながっていくとは当初、思いもしなかった。

ほかの障害を持つ親たちとの連携が生まれ、あれよあれよという間に本格的な啓発運動に発展していった。

この3年間で小中学校、高校、大学、学校の先生、一般の方々から療育関係者まで、

延べ5000人以上の人に伝えてきた。

障害特性の説明はもちろんするが、優しさの輪を広げることも目的。

直接心で感じてもらえるよう軍手を使っての折り紙など、障害のある子の気持ちに近づいてもらうための

模擬体験をする。寸劇なども挟み、楽しみながら理解してもらえるように工夫している。

草の根運動だけれど、理解がどんどん広がれば、偏見も軽減される。

普段、障害とは無縁と思っている人にこそ知ってほしい、という気持ちでやっている。

障害のない人も、いつ何時、自分や家族に障害を抱えるかもしれないのである。

さらに偏見を恐れて埋もれがちなことを、勇気を持って伝える人が増えれば、もっと大きな力になるかもしれない。

貴裕のひと言で始まったこの活動は、現在進行形で、新しい出会いをつなげている。



                       (ダウン症親の会いっぽいっぽクラブ代表・幸田啓子)さんの記事より




当時、小学校6年生の貴裕君の優しさのつまったひと言で、思いやりの輪が広がっていく・・・
読んでいて、うるうるっとしてしまいました。


障害への誤解や偏見・・・絶対あると思うのです・・・
私も、正直・・・全くないとは言いきれない部分があります。恥ずかしながら知識が浅いのだと思います


親になってみて、子供にどうやって伝えればいいのか私も常々考えていました


「障害のない人も、いつ何時、自分や家族に障害を抱えるかもしれないのである。」


これも頭の中で、常に思っていることのひとつです・・・
20代前半に、あるきっかけから添加物や残留農薬などから発がん性物質や、催奇形性などを学ぶ機会があり
奇形で生まれてくる赤ちゃんや、死産で生まれるケースなどさまざまな資料を読みました


初めての子、1号を産むときも、2号のときも・・・指は5本ずつあるのか、目は?耳は?
五体満足で生まれてきてくれるのか・・・不安でいっぱいでした


今は、五体満足だけどこの先は・・・!?


考えたくないけど、いつ病気や事故で何が起きるかはわからないですよね・・・
その時、私はわが子を守りきれるのだろうか・・・自分自身だってどうなるかわからない


息子たちに、貴裕君と同じ質問をされたら?


とても考えさせられる記事でした・・・
未熟者ゆえ・・・まだ幼い息子に、ちゃんと理解させられるような答えをだせないでいますが
1号、2号が貴裕君のような優しい心をもてるよう『思いやりの芽』を大事に育ててゆきたいと思います

忘れてはいけないコト

つい先日、引き出しの中からみつけたデジカメのメモリーカード・・・


  「何が入ってるんだっけ・・・?」


なんて軽い気持ちで見てしまい・・・思わずハッとしてしまいました
今から約2年前・・・



2004年10月23日  午後5時56分  M6.8  中越地震発生



私の家のほうでも、震度3〜4が観測されました
これだけじゃなく・・・例えば、阪神淡路の震災や、台風、JRの脱線事故、飲酒運転による事故など・・・
当事者である方たちの・・・愛する者、大切なものを失った哀しみは計り知れません


ブラウン管や、新聞を通してしか知らない私などは
だんだん報道もされなくなってくれば、自然に忘れていってしまう・・・日常に戻ってしまいます

けど、実際は・・・いまだ傷ついてる人たちがたくさんいるんですよね
苦しみの中から前を向いて生きていこうと頑張ってるんですよね・・・
    

私にできること・・・まず・・・『忘れてはいけない』ということ


家があって、寝る場所がある、食べ物もある、大切な家族がそばにいる・・・
平凡な『当たり前』な幸せに改めて感謝です・・・


これらの画像は、パパちゃんがわずかですけど義援金とお米をもって支援活動に行ったときのものです
(このときは、ちょっとパパちゃんを見直しました)


イメージ 1

イメージ 2



現在も、復興に向けて頑張っているそうです  【 新潟県HP 】

「いつ」「どこで」「なにが」起こるかわからない世の中です
愛する者を守るため、何ができるのか・・・今さらながら考えてみようと思います

水仙の咲くころ

イメージ 1


先日、4月7日は私の最愛の祖父の命日でした
享年91歳…大往生だったと思います

私たちが想像もできないような厳しく辛い戦争時代を生き抜いて来た祖父
7人兄弟の長男で、すごく頭がいい人だったのに家が貧しかったがために自分は学問を諦め
年の離れた弟、妹のために働きどおしで学校(地元の進学校)へ通わせ
結婚のしたくまでしてやり全ての面倒をみたときいてます

とにかく、誰からも好かれ頼りにされ
それでいて他人には甘えない、迷惑をかけないようにする人でした
私は祖父母が大好きでした

祖母は平成14年の夏に他界しました
多臓器不全…台所で倒れ救急車で運ばれ入院、わずか1週間で逝ってしまいました

祖母の葬儀の際、涙は見せなかったものの、ふだんは威厳あるシャンとした背中が
とてもとても小さく見えたことが今でも忘れられません

祖母が亡くなってからは、母屋で義姉が食事のお世話をしてくれており
他人に甘えることが苦手な祖父にとって
孫のお嫁さんのお世話になることは、かなり気兼ねしたことと思われますが
曾孫たちと一緒に食卓を囲め楽しそうにしていたようにも思います
お義姉さんにも本当に良くしてもらいお世話になりました

昨年の正月明け頃から体調をくずし…
義姉に電話をもらって、実家へ様子をみに行くと思ったより見た目は元気そうで

 「嫁さんに言うと心配するから黙ってたんだけどな、何日も前から便がカチカチでなぁ…
  苦しくて自分で指で掻き出したんだぁ…
 (便が)つまってたから飯が入らなくて吐いちまったんだべなぁ…?
  だから、もう大丈夫だぁ…みんなには黙ってろよ」とじいちゃん…

 「痛いの我慢しても辛いのじいちゃんなんだから、苦しい時は我慢しないで
  ちゃんと言わないとダメなんだよ?
  そんな苦しかったなら便が出るお薬だしてもらうことだってできるんだからね?」と諭すと

 「んだなぁ〜(そうだなぁ)でも大丈夫だぁ〜もうすっぎりしだがらぁ」

と元気に見せようと思ったのか、義姉が差し入れてくれたおにぎりを美味しそうに頬張っていました
だけど…翌日1月28日に入院…

ホントは、相当苦しかったのだと思います
本人は、ただの検査入院ですぐに家に帰れると思っていたようですが

病魔は進んでおり(2回ほど癌の摘出手術をしていました。本人に告知なし)検査の結果
腫瘍に食道が圧迫され細くなってしまい食事を受け付けられなくなっていたことがわかり

90歳ながら手術に耐えられる体力も十分あることから
食道を広げて、もう一度ご飯を食べられるようにしてあげたいとの医師の配慮もあり
手術をすることになりました

2月9日 手術

手術室に入り1時間も経たないうちに父が呼ばれました
嫌な予感が的中…

癌が胃の外側まで放射線状に広がっていたため、手術ができずそのまま閉じることになりました
わずかな希望を失い、家族、親戚全員が肩をおとしました

本人には「手術は成功したからね」と伝えました

何日経っても、食事が出ないことを不思議がっていた祖父
はじめは起きて話も出来ていたのですが
痛み止め(モルヒネ)を投与するようになってからは眠ることの方が多くなり
たまに目が覚めても、幻覚がみえるのか意識が混濁しているのか意味不明なことを口走るようになっていました

家に帰りたい…その思いだけは強かったのだと思います
それだけは、何度も何度も言っていました
帰ろうとベットから降りようとしたこともありました
できることなら連れて帰ってあげたかった…その願いは叶わず

3月下旬から熱が下がらなくなり、話かけても話もできないようになっていました
当時つけていた、じいちゃんの病状メモによると

3月30日 「これは夢じゃねぇ〜よなぁ〜?」

3月31日 「あした…」

それ以降、私がじいちゃんの声をきくことはありませんでした
毎日、昏々と眠り続けるばかり
「あした…」何が言いたかったんだろう…

4月3日

夕方、病室へいくと看護士さんたちがバタバタとしており
じいちゃんの体内酸素の数値と血圧が低下したため、集中治療室へ移すところでした
医師からの説明によると(メモより)

  「おなかの状態からみても、あまり永くないと思います…1〜2週間ぐらいかと…
   おじいちゃんもそんなに頑張れないから…お別れすることも考えて個室に移ったほうがいいと
   思うので、ご家族のみなさんと相談してみてください」

と言われ、頭が真っ白になりました
泣きながら、オロオロと兄と叔母に電話をかけました
急遽、泊まることにし一晩中じいちゃんの顔をみながら手を握っていました
こんなに早くそんな日がくるなんて!!

4月4日 個室へ

1時間おきに鼻から管を入れ痰の吸引。痰と一緒に黒い胃液のようなものがでるようになり苦しそうでした
(胃の腫瘍から出血してるものだそうです)

4月5日 病状かわらず…

4月6日 病状変わらず…叔母と付き添いで泊まる

4月7日 病状変わらず… 

朝から尿の出が悪くなっていました
祖母の時も、パパちゃんのおじいちゃんの時も亡くなる寸前そうだったから
もしや…と思いました

午後から、虫のしらせとでもいうのか連絡もしていなかったのに
祖父の兄弟たちがお見舞いに来てくれました
次兄も川崎からかけつけ、18時過ぎに病院へ着きました

みんなが見守る中、18:50じいちゃん永眠
眠ったままス〜ッと逝ってしまいました

我慢強い性格からなのか、痛いという感覚も麻痺してしまっていたのかはわかりませんが
術後、意識がしっかりしている時でも一度も「痛い」とは言わなかった祖父

あとから義姉にきいた話なのですが、祖父の部屋の片づけをしていたら
吐いたあとのタオルなどのかたまりが、見つからないようにあちこちにいくつも隠してあったそうです

きっと、ずっと苦しかったのでしょう
心配かけまいと義姉の作ってくれたご飯をおいしそうに食べてみせては
離れで吐いていたのかもしれません

みんなのために生きてきた祖父
常に誰かのために…自分のことは後回しにしてでも働いていた祖父
新しい服を買ってあげても、亡くなった祖母がつぎあてた古いものを大事に着ていた祖父…

意識混濁の中でよく言っていたこと

 「家に帰りたい」が一番でしたが

 「うちに来てみなさい。年寄りを大事にするいい家ですよ」

 「みんな仲良く手と手を取り合って…頼りあっていきなさい…これがじいちゃんの遺言」

ホントに、これが祖父の遺言になってしまいました
他人を思いやる心、モノを大事にする心など…祖父にたくさん教わりました

実家の庭に、祖父が残したスイセンが今年も花を咲かせようとしていました
祖父が「ここにいるよ」と言っているような気がして株分けしてもらい
命日に、うちの庭にも植えました

これからも毎年咲くであろうスイセンとともに、祖父に教えてもらった『こころ』を
育てていけたらなと思います

優しい空気

パパちゃんのおじいちゃんの告別式を本日無事に終えることが出来ました

先日、おじいちゃんについて書かせてもらった記事に
あたたかい励ましのお言葉や、お悔やみのお言葉をくださった皆様
本当にありがとうございました(T-T)ダラダラ(T^T)ズルズルー
とても励みになりましたし嬉しかったです(めちゃ感激しました)

この数日、母上を含めたおじいちゃんの子供たち(娘3人、息子1人)や孫たち
それぞれが、おじいちゃんのことを想い涙してる姿をみたり
最期までの数年間を一緒に暮らしてきたOさんのお話なんかを聞いたりしているうちに
おじいちゃんは皆に愛されていたんだ…寂しいわけじゃなかったんだと
思えるようになりました

私のなかで、独りで逝かせてしまったという想いがどうしても強く残っていて
悔やんでいたのですが、誰にも迷惑をかけたくないとまわりを常に思いやっていた
おじいちゃんらしい逝き方だったのかなと考えるようにもなり
少しかるくなったというか、吹っ切れるものがありました

自分で葬儀プランを考え費用も用意してあったと前回も書きましたが
そこまで遠慮すること無いのに…と涙がでるほど完璧にしてありました…
花輪、生花、供物、香典は全て辞退してほしいということでした
最期ぐらい華やかにおくってあげたいと思ったのですが
それが、おじいちゃんの遺志だからということで質素ではありましたが静かに
おくってあげることができました
パパちゃんに、辞退といっても香典や御花をあげたいのだけど…と相談したところ

 「何かをあげるだけが供養じゃない。これから毎月お墓参りに行くとか
    そういうカタチで供養していくことが俺たちにできることだろ?」

と言われ、納得しました
昨年、私の実の祖父を亡くし毎月の月命日にはお墓参りに行っています
おじいちゃんの月命日にもかかさず行きたいと思います

Oさんと一緒に購入した家のこと、元住んでいた家のこと
(土地だけは借り物なので、更地にして返すため家の取り壊し費用も用意してあるそうです)
もちろん残されて入院中のおばあちゃんのこと…
優しく几帳面なおじいちゃんらしく全てちゃんとしてありました
娘や息子に、なんの負担もおよばないように…
母上のキョウダイも誰一人Oさんを責める人はいなかったし(新居はOさんの名義に変更)
言葉では表現できないような優しい空気のようなものが流れていて
お葬式に使うには変ですが『良いお葬式』でした

多分、この母上のキョウダイなら遺産相続などで争うこともないだろうと思います
(実は、ハムさんの兄弟はものすごくもめました←おばば1号、2号がひどかった( ̄‥ ̄)=3 )

1号、2号は、子供ながらすでに…曾祖母(私の)、曾祖父(パパちゃん)、曾祖父(私)
今回の曾祖父(パパちゃん)のお葬式に立ち会っています
私の祖母のときは、1号もまだ小さかったので理解もできていなかったと思いますが
パパちゃんの実家の祖父が亡くなったときは当時3歳ぐらいだったのですが、納棺の際

 「どうして、じいちゃんしんじゃったの?」

と号泣しまわりの皆ももらい泣きするほどでした。それから『死』というものに対して敏感になってしまい
しばらくは炎につつまれる人の絵を描き続けたり、青い空に羽のはえた人(天使だと思います)
を描くようになったりしたので心配もしましたが

 「じいちゃんは、てんしになってぼくたちのことみてるんだよね?」

と何かを悟ったようでした
今回も、教えなくても自ら祭壇の前に立ち、ぼぉ〜っと遺影を見つめたあと
目をつぶり手を合わせおじいちゃんと何かお話しているように見えました
おじいちゃんが亡くなった日に、私が目の前で泣いてしまったせいかとても気遣ってくれ
私のかわりにお掃除をしてくれたり、いつもは喧嘩ばかりしているくせに
2号のお世話をすすんでしてくれたり、本当に優しい子だなぁと思いました

1号、ありがとね…

チョロ助2号ちゃんはというと…せっかくの1号のいい話が台無しになってしまうのですが…
お葬式=ごちそうが食べられるところだと思っているので・・・・・Σ( ̄⊥ ̄lll)
ご想像どおり、ちょろちょろしては

 「おなかすいたぁ〜のどかわいたぁ〜おしゃしみ(お刺身)たべたぁ〜い」

なんてばっかり言い…パパちゃんの母方のいとこは若い女の子が多いので
そろりそろりと近寄っていっては愛想を振りまき「かわいい〜♥」なんて言ってもらうと
調子にのってレギュラー西川の気絶の顔マネをし、へらへらしてました…(/≧◇≦\)アチャー!!

おじいちゃん、こんな曾孫たちだけどおじいちゃんみたいに優しい思いやりのある子に
育てられるように頑張るからね。お空で見守っててね…(^-人-^)

ちょっと、さぼり気味のブログでしたが今夜か、明日あたりからガンガン訪問させてもらいますので
また、宜しくお願いしま〜す(● ̄(エ) ̄●)ノ☆・゜::゜♪

ありがとう…。

今朝、パパちゃんの母方のおじいちゃんが亡くなりました…83歳でした
長くなりますが、おじいちゃんの話をのこしておきたいと思います

私が、ちゃんとおじいちゃんと話をしたのは今年の1月7日が最後でした…
昼間、うちに電話をくれて
 
 「おばあちゃんが骨折して入院したから、N子(母上)に伝言してほしい」

という内容でした(このとき母上は1号と温泉旅行中でした)
おばあちゃんは、パパちゃんが高校生のころに脳梗塞で倒れ
半身不随、意識障害の後遺症が残りました
私が結婚する前からすでに施設に入居していて、おじいちゃんは隣接する
老人用の賃貸マンションのようなところに住んでいました
優しい母上のお父さんというだけあり、おじいちゃんも温厚で優しい人柄でした
おじいちゃんにとって初曾孫の1号、2号のことや、パパちゃんの仕事のことなども
よく気にかけてくれ、たまに電話などで近況を報告しあったりしていました
私もおじいちゃんが大好きでした
3年ほど前に内緒で新居を購入し、違う女性と同居を始めました…
 
 「K(パパちゃん)とさにーちゃんだけには話しておこうと思う」

とコッソリ教えてくれました
なんで??と理解できない人もたくさんいると思います
だけど、パパちゃんも私も素直に賛成しました

なぜかというと、おばあちゃんが倒れた時、おじいちゃんも60代そこそこ…
定年退職してこれからの楽しい余生が待っていたはずです
どのぐらいの期間を要して施設に入居できたかはわかりませんが、今のようにまだ介護保険もない頃です
母上を含め3人の娘は嫁ぎ、末息子の長男(ちょっと頼りない)は独身で東京に住み…
子供たちにも誰にも頼らず自分一人で頑張ってきたのです
施設に入ってからは、おばあちゃんのお世話は介護士さんにお願いできるようになったとはいえ
毎日おばあちゃんのところに通っていたそうです
金銭的なものの負担も相当だったと思います(おじいちゃんの部屋の家賃だけで月14万ときいてました)
おじいちゃん寂しかったんだと思います…

女性と一緒に住むと言っても、もちろんいやらしい気持ちなどではなく
ただ安らげる相手が欲しかったんじゃないかなって…
話し相手になってくれて、寝食をともにし、ご飯や洗濯など身の回りのことをしてもらえるだけでも
高齢のおじいちゃんにとっては楽になれたはず…
おばあちゃんが元気だったら普通に訪れていたであろうしあわせ
(こんな風に言っても仕方ないことなのだけど…)
数年前に癌を患い自分の余命を知り、残りの人生自分のために生きてもいいんじゃないかって
思ったのだと思います
冷たいと思うかもしれませんが、おばあちゃんのことはちゃんと考えています
おじいちゃんだって年を取ってるのです
おじいちゃんにも、おじいちゃんの幸せがあってもいいのではないでしょうか…
今日、同居していた方に初めてお会いしましたがとても良い方でした(70代ぐらいでしょうか)
だから、私も賛成できたのです

おじいちゃんは悪いことをしたのでしょうか?私には、おじいちゃんを責められません…
誰に何を言われても…おじいちゃんをかばってあげたい
おばあちゃんには申し訳ないけれど、苦労してきた分、おじいちゃんにも幸せになってほしかったから…

おじいちゃんが入院したと連絡がきたのは14日でした
おばあちゃんも入院したばかりだったので驚きました
すぐにお見舞いに行けばよかったのに…風邪気味だったこともあり、
病人にうつしたらマズイととりあえずパパちゃんに先に行ってもらいました
あまり容体が良くないという話にショックを受け…
やっと本調子になった金曜に昼間パパちゃんとお見舞いに行きました

 「おじいちゃん、こんにちは」

と話しかけると目を開けてこっちを見てくれました
母上が

 「Kとさにーちゃんが来てくれたよ」

と声をかけると、うんうんと頷きました
水も自力では吸えなくなってしまい、母上がスプーンでお水を飲ませ、
唇が乾燥していたので私が薬用リップを塗ってあげました

 「さにーちゃんがリップ塗ってくれたから、唇つやつやになって良かったね〜」

と母上が話しかけると

 「さにーちゃん…いつも親切にしてくれて…ありがとう…」

とやっとの声で言ってくれました
涙があふれそうになりました
私は何もしてあげてないよ…親切にしてもらってたのは私のほうだよ…
おじいちゃん、ごめん、ごめんね…ホント何もしてあげられなくてごめんね…
申し訳なさでいっぱいになりました
パパちゃんの仕事の都合もあるので

 「明日は、チビたちも連れてくるからね」

と言うと、またうなずいてくれました。後ろ髪ひかれる思いで病院をあとにしました

翌日21日(昨日)午後から4人でお見舞いに行き病室に入ると
母上が人差し指を口にあてシーッのポーズでこっちを見ていました
なので静かに入っていくと

 「さっき声をかけて目が覚めちゃったら、痛みが強まっちゃったみたいで…」

とお腹をなでてあげていました
おじいちゃんは「いたたた…」と痛みで顔がゆがみ苦しそうでした
痛み止めのモルヒネを点滴してももう効かない状態らしく
寝かせてあげたほうが楽かもしれないと、声もかけないようにして母上と二人で
お腹や手を1時間ほどさすりました(本当に痛みで辛そうだった)
しばらくして痛みがやわらいだのか、また眠ったようでした
その日は「痛い」以外は一言も話せず、会いたかったであろう曾孫の顔も見せてあげられませんでした
母上も

 「静かに寝かせてあげたほうがいいのかもしれないね」

と一緒に帰ることにしました
こんなに早く別れがくると知っていたら…と今思うと後悔でいっぱいです

朝9時ぐらいに義兄から電話をもらい、おじいちゃんが亡くなったことを聞きました
突然すぎて呆然としました(チビたちが見てる前で、わんわん泣きました)
朝方、容体が急変して同居女性が病院に呼ばれ、眠るように息をひきとったそうです
葬儀も本人の希望で近親者だけで密葬にしてほしいということ…
葬儀のプランも自分で決め費用も同居女性に渡してあったそうです
女性へも配慮し遺体は一緒に住んでいた家ではなく直接斎場へ運んでほしいとのこと
娘の婿(ハムさん)たちには迷惑をかけたくないと言っていたこと
最期まで誰にも迷惑をかけまいとする立派な人でした
冷たくなったおじいちゃんは、斎場の小さな霊安所におさめられており
外側からは顔しか見ることができませんでした
いつもの優しい穏やかな顔をしていました
母上が静かに泣いていました(そこでさらに、もらい泣き…)
痛がっていたあの時の顔じゃなかったのがせめてもの救いでした

最期は痛みも忘れて安らかに逝けたのかな…
もう痛みは感じないよね…
ゆっくり休んでね
おじいちゃん本当に今までありがとう

そんなことを想いながら手を合わせました
すぐ、お通夜と告別式を控えています…
おじいちゃんの遺志にそった葬儀ができることが望みです
誰ももめることなく静かに送ってあげたいです…
おばあちゃんには、今の入院中に刺激を与えてもよくないだろうと
落ち着くまで知らせないそうです…

もし、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございました
しばらく、訪問等できないかもしれませんがお許しくださいませm(_ _"m)

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
さに-
さに-
非公開 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

(* ^(エ)^ *)

(=^(エ)^=)

( ・ (エ) ・ )

( T (エ) T )

++NEW++

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事