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(仏教への道 ブータン編 五木寛之)抜粋
仏教では、人間もふくめて、自然界のすべての命を大切にしようと考える。
人間と同じように、海にも命があり、山にも森にも命がある。
他者の命をうばってはいけない。だからこそ、自然も汚染したり破壊してはいけ
ないのである。
二十一世紀にはいり、ますます深刻化する環境問題は、この仏教の思想でなければ
解決できないのではないか。自然は征服し、道具のように管理して利用するという
考えかたから、私たちはもう一歩進んで、自然の一部として生きるという次元に移行
する必要がある。
ブッダが仏教をはじめる以前から、古代インドには輪廻という考えかたがあった。
それは、人間の生命はこの世だけでは終わらず、死後、別のもに生まれ変わる、と
いうものである。
ふつうの人の場合、死んだのちに生まれ変わりたくなくても、輪廻をくり返さなけ
ればならない。つまり、永遠に輪廻をくり返すことは、人間にとって苦だとされてい
た。なぜ輪廻が苦なのかといえば、次ぎは人に生まれるのか、動物に生まれるのか、
何に生まれるのかがわからないからである、という。
そのため、さとりを開くことで輪廻という苦から解脱することが、仏教の最大の
目的とされてきた。だが、凡夫がさとりを開くことは非常にむずかしく、多くの人
びとは、輪廻という苦の世界から抜けだせずにいる。
そのなかで、解脱にいたることはできなくても、生きている間に戒を守って善行
をつめば、よりよい来世が約束される、と考えるようになった。
この輪廻の考え方は、仏教を通じて、インドだけでなく東南アジアや中国、日本
などにも影響をあたえている。
なかでも、チベット仏教・ブータン仏教において輪廻思想は重要なものだ。人間
は死んでから四十九日間、生と死のはざまにあると考えられている。そして、死者
の生前の行いに応じて。さまざまな世界に生まれ変わることが決められる。
仏教で想定されているのは、「六道輪廻」という六つの世界である。六つの世界
とは天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄で、解脱しないかぎりは、このいずれかの
世界にかぎりなく生死をくり返して行くことになる。
ブータンの人びとは決してハエや蚊をたたいて殺さない。なぜなら、そのハエや
蚊が前世では人間だったかもしれず、祖先の誰かが生まれ変わった姿かもしれない
からだ。
仏教は総合文化だ、といわれることがある。
宗教としての教義だけでなく、美術もあり、音楽もあり、造形もあり、科学もある。
まさに、人間の全文化を総合したものを仏教と呼ぶのだ、とあらためて感じた。
次ぎはニュージーランドに旅をする。
いつも、外国に行くと、日本の良さを再確認する。
「今度は、お寺巡りのおかげで、さらにその傾向が増すかもね」
「あー、楽しんで来よう」
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