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ハワイで介護士、CNA(Certified Nurse Assistant)になるには
1999年2月に父が亡くなりましたが、その時に3ヶ月の休職をとり、日本に介護のため戻りました。たった3ヶ月間でしたが、付ききりで介護が出来たのは幸せでした。もしもあの時に介護の方法が分っていたらどんなにか良かったのにと、今はつくづく思います。当時は母のすることを側から手助けすることしか出来ませんでした。
2001年 September 11アルカイダーテロの後、観光地ハワイでは大量解雇がありました。私の勤めていた会社は旅行関係だったので、日本からのお客様のキャンセルが相次いで社員が約半分に減らされ、私も職を失いました。ハワイ中が解雇された人達であふれ、失業保険の申請は列をなし、それをテレビのリポーターがハワイ州の失業保険事務所に来てインタビューをしている光景が見られました。集団で失業保険の申請をするのは、会社の解雇のやり方に対する不満は多々あったものの、ヤケクソ気分と同時に一種お祭り気分もありました。大勢の同じ会社からの申請者を一室に集め、説明を受け手続きを終わらせました。
その後、新たに仕事を探さなければならないのですが、求人が全然ありません。しかし病院関係には求人がありました。失業保険も6ヶ月まではもらえますが、何もしないで失業保険をもらうことはできません。その時に1人が生涯7千ドルまで仕事のトレーニングの為に資金が政府から払われると言うことを聞き、それでCNAの資格をとることにしたのです。CNA(Certified Nurse Assistant)、LPN(Licensed Practical Nurse)、RN(Registered Nurse)の求人募集は引き続いてあったのです。
KCC(カピオラニ・コミュニティー・カレッジ)にCNAのクレジットコースがありました。当時CNAは80時間の研修を受けることが義務づけられていましたが、コースは240時間でした。申請の前に先ず英語能力試験を受けてパスしなくてはなりません。かろうじて合格点をとって、申し込みにいきましたが、申請方法が良く分らず後れを取り10人定員枠に入れずキャンセル待ちとなってしまいましたが、その後キャンセルがあってぎりぎりセーフ受講することが出来ました。受講料、本代、保険料などを政府に払ってもらいましたが、その後、予防接種料金、健康診断、ユニフォーム代等後日立て替えた分に関しては、政府は資金不足となり払ってもらえず、結局自費となってしまいました。
準備として、プロフェッショナル保険への加入、健康保険への加入、結核に罹っていないことの証明、健康診断、B型肝炎の予防注射、破傷風予防注射をクリヤーすることがありました。
講義は毎日昼食と休憩を入れて7時間、医療用語はちんぷんかんぷん、発音すらできなくてとてもついていけるとは思えない状態が1ヶ月ほど続いた頃、ようやく毎日提出の宿題を何とかこなすことが出来るようになりました。毎日6時間も英語の授業を受けると、家に帰ってもそれ以上は頭が受け付けません。予習も復習もできず、録音したものを聞く余裕すらなく、翌日を迎えていました。
教室での授業がおおよそ終わると、レアヒ・ホスピタルのケアー・ホームでの実習が10日間ありました。最初は1人の患者さんを担当して、ベッドの上で体をふいてあげたり、髭をそったり、歯を磨いたりします。そしてROM(Range of Motion)、食事の介助、アクティビティーへの参加などです。
先生が最も力を注いだのは、感染予防、体を痛めないような介護の仕方、ベッドから車椅子へのトランスファーでした。トランスファーは、一対一の場合、二対一の場合、電動リフトを使う場合に安全にトランスファーできるよう指導が繰り返されました。殆どの患者さん達が認知症です。食事を口に入れようとしても口を開いてはくれず、自分ばかり「あーん」と言いながら口をあけている始末です。
慣れると今度は2人の患者さんを担当することになり、もっと効率よく仕事をしていかないと時間までに終わらせることができません。そして一日の最後に担当した患者さんのことを記録したものを提出するのですが、英語で書くのが本当に苦手で、いつも先生から叱られていました。たった2人ですら満足に介護が出来ず、ふがいない気持ちでいっぱいでしたが、そこで働いているCNAは一人で10人くらいを担当するのです。その研修の最後に、もう直ぐ亡くなっていく患者さんがどのようにして死を迎えるのかを実際に学びました。
その後教室に戻り点滴チューブ、尿道カ―テル、酸素チューブ、大便パウチなどを学び、次の実習はクアキニ・ホスピタルでの10日間となりました。最初の日に5本のチューブを体中に付けている患者さんを担当するように言われ、見たとたんに怖くて動けませんでした。肺炎で入院しているその患者さんは病状が悪化した為、結局私の出来ることは無くて、ホットしたのでした。ケアー・ホームでの研修は初めての事ばかりで大変でしたが、どこか楽しさもありました。
しかし病院では毎朝行くのが本当に怖くていつもドキドキ、オドオドしていました。隔離された患者さんの介護も担当しました。付き添っている家族の苦情も直に受けました。実際の患者さんの血圧を量るのも、自分の胸のドキドキが大きくて、脈の変化を聞き取れず謝りながらやり直しをしました。研修の最後にファイナルの試験を受け、無事卒業することができました。
その後、ハワイ赤十字(American Red Cross)で筆記と実技の試験を受け、合格してとうとうCNA(Certified Nurse Assistant)となりました。引き続きLPN(Licensed Practical Nurse)の勉強をしたいと意欲をだしたのですが、高校卒業資格と共に成績証明が必要と分り、日本に帰り高校に行ってみて、成績が既に破棄されていることが分り諦めなければなりませんでした。
現在CNAとなるには、18歳以上であること、DHS(Department of Human Services)公認の100時間以上の講習をうけること、アメリカン・レッド・クロスでの試験に受かることが必要です。学校はいろいろありますが、参考として、アメリカン・レッド・クロスでは、CNAコース130時間$795、そして試験をうけるには、登録料$10、筆記試験$150、実技試験$90が必要です。
2年毎に資格の更新がありますが、病院や介護施設で働く人には自動的に無料で更新されます。訪問介護士の場合は、会社からの雇用証明と、10月以降に実施されるEvaluationを受け、さらに$35の費用を払わなければなりません。
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私は2001年のテロの時まさにあのNYに住んでいました。テロ後、ハワイ州が「もう安全だから楽園のハワイに来て下さい。」と観光宣伝していたことを思い出しました。でもその時に大量解雇があったなんて考えも及びませんでした。そうですよね、ハワイは観光収入でまかなっているようなものですものね。いろいろな人が、人生の方向転換を余儀なくされたのでしょう。介護のお仕事は、肉体的にも、また精神的にもしんどいことがあると思います。ブログをみるととてもバイタリティを感じます。がんばってくださいね。
2008/8/14(木) 午前 9:54 [ エイミー ]
日本で介護歴は18年。英語できなかったらやはり介護は無理ですか?
2016/4/8(金) 午後 11:22 [ Izumi ]