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葬儀を終えて
24時間介護、時には2人体制での介護で常時10人以上の介護士や看護師が仕事にあたりました。たった一度だけで拒否されてしまった人も含めたら、関わった人たちの全ての数は30人を超えるでしょう。
亡くなられたご夫婦は確かに我儘な方達でした。しかし正面から私達を受け止め、あるいは反発して、そして受け入れてくれました。介護を通じてお互いに教えたり、教えられたりして、介護する私達と介護されるご夫婦もその家族も一緒になって成長していったのだと思います。どんなに心を尽くしているつもりでも、独りよがりだったり、してあげているのだと言う驕った気持ちになったりすることがあります。一時的な感情に流され、相手が病人だと言うことを忘れて邪険にしてしまうこともあります。そんな心の隙間をご夫婦はじっと見ていたのかもしれません。お互いが正面から向き合うことで心が通じ、皆で寄り添うようにして歩み、最後は天国への扉を自ら開いて逝かれました。心からご冥福を祈ります。
この介護を通じいろいろなことを思い悩み、考え、たくさんの感動と巡り会いました。介護とは何なのだろう?介護すること、介護されること、介護する人、介護される人、どうあるべきなのか? 介護士の役割、家族の役割、それぞれの立場で何をしたらよいのか? たくさんの課題をもらった気がします。
亡くなられたお姑(かあ)さんのお葬式の日に、お嫁さんがこの文章を書いて式に参列された方々全員に、私達にはご夫婦の写真(すばらしい笑顔)を添えて手渡してくれました。原文は英語で書かれてありますが、私なりに翻訳してみましたので読んでみてください。
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私の主人の父や母が天使のような人たちから、どのようにして介護されたかを紹介します。
前の日に、怒られたり、怒鳴られたり、疑われたり、さらには杖で叩かれたり(ごめんなさい。)したことさえもあったはずなのに、一体どのようにして、毎日満面の笑顔を絶やさずに介護をしてこられたのか、私にはわかりません。
私達はなんと幸運だったのでしょう。彼女らは本当に辛抱強く、「これで、よし!」と言って貰えるまで、何度でも卵を料理したり、わざわざ休みの日に必要なものを買い揃えてくれたり、一日の午後に18回もお母さんが起きたがっているかもしれないと、ベッドの上に起きあがらせてくれました。
私達は本当に彼女らのやり方に心を打たれました。私達は本来父や母を監督し、嗜めるべきだったと思います。彼女らは私達に死んでいく人に対し、どのように深い愛情と尊敬の念を持って介護するべきなのかを教えてくれました。毎日昼夜を問わず、行動をもって見せてくれました。彼女らは本当に深く愛してくれました。父や母を真っ直ぐに見て、性格的な欠点も弱さもあるいは才能も全てを愛してくれました。そして私達にゆだねてくれました。夜遅くに私達の部屋のドアーをノックして、孫娘達が「おやすみなさい。」の挨拶をおじいちゃんにすることの大切さを教えてくれました。最後の時を共に迎えながら寄り添い、そっと優しい言葉をかけてくれました。
言葉ではとても言い尽くせません。私達に代わって愛犬に餌をあげてくれました。それだけではなく糞(フン)の後始末もしてくれました。(またまたごめんなさい。)マッサージをしてくれて、休みの日には料理をしてくれて、そして私達を気遣って電話をかけてきてくれました。また、私の子供達に贈り物をしてくれました。彼女らは私の姑(はは)が威厳と気品をもって天国にいけるように導いてくれました。
彼女らが家に帰り家族と過ごしている時間でさえ、私達の事に心を砕いていてくれたのをよく知っています。そこまではしてもらえるとは思っても居ませんでした。父や母には気持ちが通じないのかと私は思った時もありました。いいえ、そうではなかったのです。全く逆に、幸運にも彼女らの優しさに触れ、心がほぐれて優しくなっていきました。
私達家族全員に本当に素晴らしい介護をしてくださってありがとうございました。
How were my mother and father-in-law cared for? By angels, that’s how?
I don’t know how they did it, how they could show each day with a bright, determined
smile, perhaps having been yelled at, or accused, or maybe even hit with a wild cane the day
before. (I’m so sorry)
How did we get so lucky? Where did they get the depth of patience, tolerance, and plain
old energy to cook an egg until they got it “right dammit,” to shop for what was needed on
their time off, to lift my mother-in-law eighteen times in one afternoon because she thought
she “just might like to get up” again?
We showed up to cramp their style. We knew we would be able to oversee things and set
them right. We didn’t know they would set us right and that we’d get an education on how
to care for someone who is dying, with respect, and care, and love. Because that’s what they
showed us, day in and night out. They loved them. They saw them clearly, character defects
and gifts, and they loved them. And they brought us to them. They might knock on our door
late so the grandkids could say goodnight to Grandpa, teaching us how precious each moment
of connection becomes. Or tell us of compliments given in secret, paving the way to our
being a part of their journey ending.
Beyond the call doesn’t touch it. These women fed the dog, for Christ’s sake. Not
only fed him but cleaned up after him. (again, so sorry) They massaged, they cooked on their
days off, and called in to see how things were going. They brought my children gifts. They
ushered my in-laws out of this life and into the next with a dignity and grace unimaginable.
I know we were unfairly taking up space in their heads long after they were home with
their own families. I didn’t expect it. I thought they would have hardened. They’ve not.
Quite the opposite, they soften those around them, those lucky enough to be touched by their
care.
Thank you for the beautiful care you gave to all of us,
Xxxxxxxxxx and Yyyyy
**The End**
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