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介護は4Kの仕事

1.Kusai臭い 2.Kitanai汚い 3.Kibishii厳しい 4.Kowai怖い

1.Kusai臭い

 フレッシュなおしっこやウンチのにおいはむしろ良い匂い。しかし、古くなった小便のにおい、古くなった垢、汗、排出物のにおいは堪らない臭さだ。研修を受けている時に、ある介護施設の病棟に行き、玄関を入ったとたん、我慢できずに息を止めてすぐに表に出て来てしまうほど酷い臭いのところで、教師曰く、このような時はビックスのベイポラブ(VapoRub)を鼻に塗っておけば我慢できる、ということだった。ここで働いている人達は本当にすごい。こんなことは経験してみなければ到底解ることでは無い。残念ながら患者本人は、臭いに日々不感症になっていくのである。そして臭いはどんどん蓄積され、複雑な、云うにいわれぬ悪臭と化す。さらに体調がくずれると、どんなに清潔にしても体からなんともいえぬ嫌な臭いが湧き出す。そんな状況の中で何時間も笑顔でお世話をして過ごせますか。

 職業病なのだろうか、アラモアナ公園をジョギングしていると、ホームレスの人達がトイレにしている場所が分ってしまう。パーキング場の階段の臭いがたまらない。日本で電車に乗ると、時々シルバーシートに敏感に反応してしまう。たぶんおしっこを漏らしたのだろうと、すぐに分ってしまうのだ。

2.Kitanai 汚い

 おしっこやウンチなど洗えばすぐに落ちるけど、怖いのは眼に見えない黴菌、細菌、病原菌。汚染された血液。病院で働く人達は、シビアに手袋を二枚重ねたり、エプロン、ガウン、マスク等様々な物を使って予防しているけど、家庭での介護では手袋、手洗いくらいのことしか出来ない。手洗いの後はペーパータオルで拭いて捨てるのが良いけど、現実には自分のタオルを持ち歩き、何度も繰り返し使うことになる。学校の研修で教えられたようにはならない。

 糖尿病の患者さんの血糖値を量るのに本当は手袋をしなければいけない。けれど、実際に器具を取り扱うのに手袋ではやりにくい。本当に少量の血液でも、えたいの知れない血液は怖い。
最近ものもらい(眼病)に罹った。子供の頃に罹ったことはあるけど、何十年も罹ってはいない。患者さんのシャワーのお手伝いやスポンジバスの時は、汗だくになる。眼鏡は自分の汗で曇ってしまう。汗を拭う暇がないから目にも入ってしまう。そんなことが原因かと思われる。

 以前内科医のところで仕事をしていた時に、B型肝炎の予防注射をすることになって抗体検査をすると、3人のうち2人には既に抗体が出来ていた。これには検査を受けた本人達がびっくりしてしまった。一番仕事の時間が短かった私だけが抗体が出来ていなかったのだった。医師曰く、おそらく患者さんから感染し、快復した結果だということであった。

3.Kibishii厳しい

 老人には大抵収入は殆ど無く、蓄えを切り崩して介護費用にあてるから、経済的に当然シビアになる。家族の都合アポイントメントの都合で、スケジュールの変更キャンセルが突然に起こる。払う側にとっては大金。けれど私達の時給は10ドル前後。緊急の場合はオーバータイムもたまにあるけど、通常は無い。むしろ減らされる方が多い。朝7時からの仕事、午後からの仕事、夜通しの仕事、2時間、3時間、6時間、10時間、12時間、切り刻まれた不規則なスケジュールをこなす。こんなにも不安定な仕事なのが介護の現実。

 虐待が問題になっているが、介護の仕事を選んだ人が、あるいは家族の介護をしようとする人が、初めから虐待をしようとする人は居ないと思う。一生懸命がんばればがんばるほど、深みにはまり込んで、逃げ場の無いやり切れなさが、少しづつ人を毒していく。

4.Kowai怖い

 病気の人をお世話するのは怖い。この仕事を始める前には、必ず心臓蘇生術(CPR)の講習を受けなければならない。介護に行くと先ずファイルを見て患者の病歴、薬、介護の内容、緊急時に蘇生術をするか否かを確認する。毎年CPR講習を受けても、実際したことが無い。本番で果たして役に立つのか不安だ。もしも自分の担当している時に容態が急変したらと思うだけでぞっとする。歳をとると大体の人は皮膚が脆く敗れやすくなる。ちょっとぶつけただけで皮下出血を起こす。そしてちょっとぶつけたりするだけで皮膚が破れ出血する。



 介護は大変な仕事だが、誰もがしなくてはいけないこと。歳をとらない人はいない。病気にかからない人もいない。親のいない人も居ない。自分だけが介護される側になろうなんて虫の良い話は無い。

 患者さんのプライバシーは絶対守らなくてはいけない。家族が介護をしている場合も同じだと思う。老いること、病気になること、体が不自由になることは決して恥ではないが、それについてくるものはとても重く簡単に人に話せるものではない。介護の現場で綺麗な話し、楽しい話など殆どない。むしろ悲惨で、悲しくて、切なくて、寂しくて、やりきれない思いを、吐き出すことが出来ないまま、自分の無力と戦う。それを他の人に話して心を軽くすることが出来ず、さらに自分に重くのしかかってくる。介護を知らない人に話したところで、見当違いの答えが返ってきて云わなければよかったと後悔してしまうことも多々ある。だから同じ仕事をする仲間同士、あるいは患者さんの家族とのコミュニケーションが心の救いとなる。言葉は殆ど要らない。そうだね。どうしようもないね。そんな風に辛さを共感してくれるだけでいい。

 一生懸命家族の介護をしている人たちがたくさんいる。けれど、口は出しても手は出さない、見ているだけで自分からは手を出そうとしない家族もたくさんいる。夫婦間、親子間でコミュニケーションが取れなくなっている。立場を代えて考えてみて欲しい。

 見るとやるとでは大違い。わからない、できないは理由にならない。初めから上手に出来る人は居ない。試行錯誤を重ねてその人に一番適したやり方を探していくのが介護だ。
たとえ1時間でも2時間でも実際に介護に参加してくれることが大切なこと。自分の大切な家族のために、そして自分の番が来たときのために。

老後の介護を考える時

老後の介護を考える時

 ハワイで介護士の資格CNA(サティファイド・ナース・エイド)を取って仕事を始めてから、早8年を迎える。様々な人たちに出逢い、いろいろな問題にぶち当たった。誰でも自分の老後、親の老後、伴侶の老後を考える時、心細くなる。老後の様々な問題の中で分かりにくく、しかし是非知りたいことの一つが介護ではないだろうか。それはあまりにプライベートなことであり、厳しい現実であり、他人には知られたくないことである。同じ家族の一員でありながら、目をそむけている人には理解できないこと。意外とわかっているようで、本当のところが分らない。現在問題に直面している方達にとっては、誰にも喋ることが出来ない、そんな情況から、なかなか表には出てこない。けれどきちんと向き合わなければならない時にきていると思う。

 日本からハワイに来て長く暮らしていると、老後をどこで暮らすべきか、悩む人も多いことだろう。私自身も一度はハワイでずっと暮らしていこうと決め、アメリカ市民権を取得したにもかかわらず、年を重ね、気力体力の変化と共に、兄弟姉妹のいる日本で暮らすことをも考え始めた。また日本にいる家族もそれを強く願うようになった。

 アメリカにはメディケア以外には日本のような国民健康保険や介護保険制度は無い。保険会社が売り出している介護保険はあるが、かなり高額の保険料金になるし、必ずしも入れるとは限らない。ちなみに私には到底払える金額ではない。

 エイジェントを通して介護士(ホーム・ケアー・エイド)派遣を契約すると、1時間25ドル位かかる。通常は1回最低3時間の契約になる。状況に応じて6時間、10時間、24時間ということもある。契約次第だが、いずれにしてもかなりの費用が必要でしかも延々と続く。単純計算でも24時間介護ならば、1ヶ月1万6千ドル以上の負担になる。そして実際にそのようなケースは多々ある。

 日本人の介護士は非常に少なく、人数は減ることはあっても増えることはないのが実情だ。エイジェントは契約どおりに必ず人を派遣してくれるけど、日本人ではない。同じ人がずっと担当することは先ず無い。若い医学生のこともあるし、年配主婦のこともある。フィリピン系、韓国系、ハワイアン系、黒人系、ラテン系、男性、女性、とにかく色んな人達が働いている。まして3時間の仕事は効率が悪いので敬遠され、行く人がなかなか決まらない。少々難しい患者さんでも12時間の方がずっと効率がいい。

 病院で働くCNAの仕事はナースの指示を受け、患者さんの食事や身の回りの世話をするのが主な仕事で、一人で常に八人位の患者さんを担当しているから、一回の介護にかけられる時間は短い。だから少々乱暴なこともある。声をかけ説明してから介護を始めるのが基本だけれど、言葉が通じないと省略していきなりブランケットを剥ぎ取られることにもなる。病院研修に行った時に何度かそんな場面に遭遇した。

 エイジェントから派遣される介護士は、TBクリアランス、CPRサティフィケイト,クリミナルリポート、健康診断書を会社に提出して初めて仕事をもらえる。スケジュール担当者から電話で名前と住所とごく簡単なお世話の内容を聞いて直接患者さんを訪ねていく。事前に会社と契約した時に、ナースによって作られた患者さんの病歴や介護の内容が書かれた書類に目を通し介護をはじめる。この書類が難問、手書きのうえカーボンコピーなので非常に判読しにくい。しかも病気の状況はそれが書かれた時とは違っていることが多い。食事の内容、認知症の進み具合、体力的な変化等。もちろん英語、医学用語が並んでいる。英和辞書を使って読む暇はないから、おおよそのところで始める。不安や困惑を抱きながらお世話をする。

 もしも貴方が介護を受けなければならない時がきて、いきなり知らない人が家に入ってきて、よく分らない英語を喋られ、家の中を覗かれ、いちいち指図され、裸にされて体を拭かれることを想像してみてください。期待、諦め、ためらい、恥じらい、困惑、疑い、色んな心の葛藤が起こる。それに耐えられますか。介護されるほうも堪らないけど、それをしなければならない私達だって本当に必死です。耳が遠い人、目の見えない人、痴呆症の人、病気の為に機嫌の悪い人、体に麻痺がある人、体中があざだらけ傷だらけの人、そんな人達といきなり接していく仕事だから。

 初めの日はお互い腹の探り合いではないけれど、どこまで踏み込んで良いのか試行錯誤、決められたマニュアルどおりなんてありえない。患者本人の思いと、家族の思いは殆どの場合食い違う。とにかく患者さんはもちろん、家族にも気に入ってもらえるように願いつつ、勤め終わってみればくたくただ。

 初めての場所を住所と地図を頼りに探すのはすごいストレスになる。時間も掛かる。フリーウェーの出口を間違えて一時間も迷子になってようやくたどり着いたこともある。路上にパーキングを見つけられなくて、高い駐車料金を払ったこともある。朝七時に交代する介護士が遅れて来たため駐車違反チケットを切られたこともある。

  
 葬儀を終えて

 24時間介護、時には2人体制での介護で常時10人以上の介護士や看護師が仕事にあたりました。たった一度だけで拒否されてしまった人も含めたら、関わった人たちの全ての数は30人を超えるでしょう。

 亡くなられたご夫婦は確かに我儘な方達でした。しかし正面から私達を受け止め、あるいは反発して、そして受け入れてくれました。介護を通じてお互いに教えたり、教えられたりして、介護する私達と介護されるご夫婦もその家族も一緒になって成長していったのだと思います。どんなに心を尽くしているつもりでも、独りよがりだったり、してあげているのだと言う驕った気持ちになったりすることがあります。一時的な感情に流され、相手が病人だと言うことを忘れて邪険にしてしまうこともあります。そんな心の隙間をご夫婦はじっと見ていたのかもしれません。お互いが正面から向き合うことで心が通じ、皆で寄り添うようにして歩み、最後は天国への扉を自ら開いて逝かれました。心からご冥福を祈ります。

 この介護を通じいろいろなことを思い悩み、考え、たくさんの感動と巡り会いました。介護とは何なのだろう?介護すること、介護されること、介護する人、介護される人、どうあるべきなのか? 介護士の役割、家族の役割、それぞれの立場で何をしたらよいのか? たくさんの課題をもらった気がします。

 亡くなられたお姑(かあ)さんのお葬式の日に、お嫁さんがこの文章を書いて式に参列された方々全員に、私達にはご夫婦の写真(すばらしい笑顔)を添えて手渡してくれました。原文は英語で書かれてありますが、私なりに翻訳してみましたので読んでみてください。


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 私の主人の父や母が天使のような人たちから、どのようにして介護されたかを紹介します。

 前の日に、怒られたり、怒鳴られたり、疑われたり、さらには杖で叩かれたり(ごめんなさい。)したことさえもあったはずなのに、一体どのようにして、毎日満面の笑顔を絶やさずに介護をしてこられたのか、私にはわかりません。

 私達はなんと幸運だったのでしょう。彼女らは本当に辛抱強く、「これで、よし!」と言って貰えるまで、何度でも卵を料理したり、わざわざ休みの日に必要なものを買い揃えてくれたり、一日の午後に18回もお母さんが起きたがっているかもしれないと、ベッドの上に起きあがらせてくれました。

 私達は本当に彼女らのやり方に心を打たれました。私達は本来父や母を監督し、嗜めるべきだったと思います。彼女らは私達に死んでいく人に対し、どのように深い愛情と尊敬の念を持って介護するべきなのかを教えてくれました。毎日昼夜を問わず、行動をもって見せてくれました。彼女らは本当に深く愛してくれました。父や母を真っ直ぐに見て、性格的な欠点も弱さもあるいは才能も全てを愛してくれました。そして私達にゆだねてくれました。夜遅くに私達の部屋のドアーをノックして、孫娘達が「おやすみなさい。」の挨拶をおじいちゃんにすることの大切さを教えてくれました。最後の時を共に迎えながら寄り添い、そっと優しい言葉をかけてくれました。

 言葉ではとても言い尽くせません。私達に代わって愛犬に餌をあげてくれました。それだけではなく糞(フン)の後始末もしてくれました。(またまたごめんなさい。)マッサージをしてくれて、休みの日には料理をしてくれて、そして私達を気遣って電話をかけてきてくれました。また、私の子供達に贈り物をしてくれました。彼女らは私の姑(はは)が威厳と気品をもって天国にいけるように導いてくれました。

 彼女らが家に帰り家族と過ごしている時間でさえ、私達の事に心を砕いていてくれたのをよく知っています。そこまではしてもらえるとは思っても居ませんでした。父や母には気持ちが通じないのかと私は思った時もありました。いいえ、そうではなかったのです。全く逆に、幸運にも彼女らの優しさに触れ、心がほぐれて優しくなっていきました。

 私達家族全員に本当に素晴らしい介護をしてくださってありがとうございました。




   How were my mother and father-in-law cared for? By angels, that’s how?

   I don’t know how they did it, how they could show each day with a bright, determined
smile, perhaps having been yelled at, or accused, or maybe even hit with a wild cane the day
before. (I’m so sorry)

   How did we get so lucky? Where did they get the depth of patience, tolerance, and plain
old energy to cook an egg until they got it “right dammit,” to shop for what was needed on
their time off, to lift my mother-in-law eighteen times in one afternoon because she thought
she “just might like to get up” again?

   We showed up to cramp their style. We knew we would be able to oversee things and set
them right. We didn’t know they would set us right and that we’d get an education on how
to care for someone who is dying, with respect, and care, and love. Because that’s what they
showed us, day in and night out. They loved them. They saw them clearly, character defects
and gifts, and they loved them. And they brought us to them. They might knock on our door
late so the grandkids could say goodnight to Grandpa, teaching us how precious each moment
of connection becomes. Or tell us of compliments given in secret, paving the way to our
being a part of their journey ending.

   Beyond the call doesn’t touch it. These women fed the dog, for Christ’s sake. Not
only fed him but cleaned up after him. (again, so sorry) They massaged, they cooked on their
days off, and called in to see how things were going. They brought my children gifts. They
ushered my in-laws out of this life and into the next with a dignity and grace unimaginable.

   I know we were unfairly taking up space in their heads long after they were home with
their own families. I didn’t expect it. I thought they would have hardened. They’ve not.
Quite the opposite, they soften those around them, those lucky enough to be touched by their
care.

   Thank you for the beautiful care you gave to all of us,


                                   Xxxxxxxxxx and Yyyyy


                       **The End**

 8月に仕事を受けてから翌年4月まで約8ヶ月間の介護の記録です。 

1月

 ご主人のベッドをホスピタルベッドに換えたので、電動で高さを調節したり傾斜角度を変えたり、両脇の手すりにつかまって体位を変えることが出来るので、私達の仕事はやりやすくなりました。ご主人は日に日に弱って、もうベッドからは起き上がれなくなってしまいました。時には自分で食べるのも辛そうで、口に入れてあげます。体のあちこちから出血もしていました。本当にもう長くはないだろうと、だから皆優しく接しています。本人も覚悟ができつつあるように見受けられました。12月にアメリカ本土に帰った息子家族が2月には来ると連絡がありました。それまで家ですごせるのかな、という思いでした。

 独身の娘は父親と折り合いが悪くあまり家に来ようとしなかったのですが、兄に諭され毎週土曜日に訪ねて来るようになりました。奥さんのランチにホットドッグを作ったので、ついでに彼女の分も作りました。私は少しでも長く居て話し相手になってくれたらと言う軽い気持ちでしたことでしたが、後日他の介護士からそのことで注意を受けました。一度やってしまうと、家族の食事や洗濯などが次からは当たり前になってしまって、本来の私達の仕事と混同されてしまうと言うのです。次からは自分でやってもらうことにしましたが、正解だったように思います。
 段々と打ち解けて話しやすくなってくると、介護とは全然関係の無い彼女の兄夫婦や子供達に対する不満を漏らすようになり、それに私の同調を求めてくるようになっていったのでした。そして父親の衰弱と比例してエスカレートしていきました。さりげなく彼女の求めを交わせるだけの距離を保てたことが良かったと後で思いました。

 動けなくなってからご主人は便秘がひどくなり、お腹が膨らんで硬くなってきました。便意はあるのですが押し出す力が無いのです。簡易トイレをベッドの直ぐ側に持ってきて2人掛りで体を持ち上げて座らせることが出来ました。見事に大きな便が出て大喜びしましたが、まだまだお腹にはかなりの量の便が詰まっていました。次に2人体制の時にもう一度トイレに座らせようと試みたのですが、更に体力が衰えて便座の上に体を維持することが出来ませんでした。便秘の薬を飲んでもほんの少ししか出ません。足の屈伸運動をしながらお腹のマッサージをするようにして少しでも自力で出せるように手助けをしましたが、あとはオムツの交換のときに私達が指で肛門から掻き出すことになるので、痛くて可哀想でした。

2月

 アメリカ本土から、可愛い盛りの2人の娘達と供に息子家族がやって来て一緒に住むことになりました。それからは毎日ご夫婦に笑顔が見えるようになりました。2月のある日、一緒に病院に行った介護士があの時のドクターの言葉を思い出し、「あの2ヶ月が経ったね。」と、しみじみと言いお互いに顔を見合わせました。便秘は相変わらずですが、食欲はありました。時間をかけて野菜や果物と一緒にお肉をやわらかく煮込んだのを良く食べてくれました。息子は父親のために朝食にコンビーフ・ハッシュを作ったり、父親と相談しながら,夕食に牡蠣のポタージュを作ったりと、毎日食べたいものを聞いて買いに行きました。この頃にはご主人に私は料理名人と認めてもらえるようになっていました。ふと、「日本人だったらお粥を食べるのに、白人は最後まで肉を食べるのだな。」と、不思議に思いました。

3月

 私は日本に1ヶ月ほど行くことになってご主人に挨拶をしました。ご主人は私が帰ってくるまで元気で居ると、私は帰ってきたら最高のマッサージをするからと約束し、笑顔で別れましたが、それが最後となってしまいました。

4月

 ハワイに戻ってくると同僚からご主人が3月下旬に亡くなられたことを聞かされました。ある日家族が買い物に出かけている間にひっそり息を止めたそうです。しかし其の数日前に息子夫婦に奥さんと独身の娘と愛犬のことを託し、別れの準備をしっかりされていたようでした。
 花を買ってお悔やみに行こうとしたところ、エイジェントから止められてしまいました。規則で私の仕事日以外には行ってはいけないと言うのです。翌日私が用意した花は看護師から家族に渡されました。

 正に私がハワイに戻って最初の仕事の日に、奥さんが家族に見守られて息をひき取りました。朝5時頃のことでした。私が7時に駆けつけたときには、既に葬儀社の人が遺体を運び出した後で、とうとう最後のお別れは出来ませんでした。後で聞いたことですが、亡くなる2日前に、家族・介護士達・愛犬、一人一人としっかりとハグをしてお別れの準備をしていたと言うことです。仲の良かったご夫婦が後を追うようにして亡くなられました。奥さんがこのように早く亡くなるとは思いもよらぬことでした。規則を破ってでも自分でお花を持って行っていたら、お別れが出来たのにと後悔しました。

 5日後にお葬式に行きました。墓地の一画に親族一同のお墓が集まっていました。そのひとつの土が掘り起こされていて、その周りに親しかった人達が集まり、家族の挨拶の後、思い出話をそれぞれが和やかに語り合い、ギターが奏でられて心温まるひと時でした。思い出話が語りつくされた頃、お骨がお墓に埋められ、盛り土の上に皆一人一人がレイをかけて冥福を祈りました。いままでにこのように簡素な、それで居て心和やかなお葬式は、私にとって初めの経験でした。

 次に続きます。

 8月に仕事を受けてから翌年4月まで約8ヶ月間の介護の記録です。

12月

 奥さんはすっかり時間の感覚が狂ってしまったようで、私が朝7時に介護に行くと、9時30分の美容院の予約に朝の4時から行くと騒いでいました。息子がつれていくことになっているのに家にいないといって探し回り、散歩から帰ってきた息子をしかりつけ、とうとう8時に出かけて行きました。美容院までは車で10分の距離です。
 行くまでに大便を3回もして、その都度後ろに回ってお尻をふいて、帰ってきてからも、如何してこれだけ出るのかと思うほど、大便がでて、夫婦合わせて8回うんこの世話に明け暮れました。その間にご主人の尿瓶の世話もあり、半分くらいは尿瓶には入らず漏らしてしまうので、汚すたびに着替えをさせて、暖房をつけた部屋の中で、一日中尿と犬の臭いの入り混じった中で仕事をしてその日はくたくたでした。

 この頃から口のうるさいご主人が助けて上げる度に「サンキュー」を言うようになってきました。そして素直に言うことを聞いてくれるようになってきていました。ようやく気持ちが通じたのでしょうか。そのぶん体が弱ってきているということなのですが。
まだこの時期にはオムツは使っていません。何度も使った方が無理にトイレに行かなくて済むからと勧めたのですが納得しませんでした。

 ご主人の左足がインフェクション(炎症)を起こし膝の上まで赤く腫上がり医者に連れて行きました。病院で抗生薬を投与され1日だけ入院をして戻ってきました。早速に介護24時間2人体制となり、急遽新しいスタッフが増えて、なれない仕事に戸惑っている人たちに説明したものの、2日後にはご主人の一言で全てキャンセルとなり、元に戻されてしまいました。

 ドクターから常に清潔にするように指示を受けたにもかかわらず、相変わらずシャワーを浴びようとしないご主人を何とかシャワーを浴びさせてしまおうと私達介護士の相談が纏まっていざ実行しようとした時には、既にシャワールームに行く事も、シャワーチェアーにすわっていることも出来ないくらいに体力がなくなっていました。食事の間ですら背もたれのある椅子に座っているのが辛くなっていました。
それでスポンジバス(沐浴)をして、ローションをたっぷり使って体中をマッサージしてあげたらすっかり気に入った様子でした。次回私の介護の日に挨拶に部屋いくと、開口一番「Wash me up!(さあ、きれいにしてくれ!)」でした。そしてその後は毎回スポンジバスとマッサージが楽しみとなり、私が行く日を心待ちしてくれるようになりました。こうなると私も俄然力が入ります。
 髭を剃ってから、お湯を何度も換えながら、頭のてっぺんから足のつま先まで綺麗に拭いて、ローションをたっぷりつけてマッサージをしました。最初の頃はたまっていた垢がとめどなくとれましたが、日を追う毎にだんだんときれいになっていきました。マッサージのあとは朝食を食べ、ぐっすりと眠りました。

 古いソファーは籐に穴が空き、奥さんがその上に横になるには危なくなったので、破棄することになりました。リビングルームに夫婦それぞれにゴージャスな新しいリクライニングチェアーが届きました。電動で傾斜角度を変えたり、ベッドのように平らにすることができたり、マッサージ機能まで付いていましたが、最初奥さんは使い慣れない椅子に拒否反応でした。けれど1つある簡易ベッドは一日中ご主人が占領してしまっているので、奥さんは使えません。いろいろ皆が助言して仕方なく使うことにしました。けれどご主人はたった1回座っただけで、2度と座ることはありませんでした。どんなにお金があっても体が動けるうちに使わなければ、無駄になるだけです。
 ご主人は一日中ファミリームールの簡易ベッドで過ごした後、自力で自分の部屋に戻ることが出来なくなり、そのままファミリールームのベッドで朝まで過ごすことが、何度か繰り返され、朝夕の交代の時に、2人掛りで車椅子に乗せ、3段の階段を持ち上げ部屋に運んだこともありました。そうして日に日に体力が衰えて、朝ベッドルームからファミリールームまで歩いていくことも難しくなり、とうとう自分の部屋からは出ることが出来なくなりました。

 クリスマスがもう直ぐの頃、取替え用に2本の酸素ボンベと2台の車椅子を車に詰め込んで車の窓を開けて、ご夫婦と介護士2人計4人でドクターの予約の日に病院へ行きました。診察室でドクターを待つ間、ご主人は車椅子に座っているのが苦しくなって、診察台に横になって待ちました。ドクターが来て、診察をして、血液検査の結果と合わせ、奥さんのコレステロール値が高かったほかは、特にご主人には問題がありませんでした。
 しかしご主人は体力の衰えをドクターに訴え、肺がんの積極的な治療を相談したところ、ドクターは、「自分としては今の状態が更に良くなるとは思わない。それよりも今現在の日々の生活をもっと楽しむようにした方が良いと思うが、選択するのは貴方だからもしもやってみたいのなら止めない。もしかしたら死が2週間先にあるかもしれないし、2ヶ月先かあるいは2年先かもしれない。後どれくらい生きられるかは神様にしか分らないことだから。」と言われました。この時側で聞いていて、ドクターは暗に「もう長くは無いよ。」と諭しているのだなと感じたのは私だけではありませんでした。後日一緒に行った介護士も同じ様に感じていたと話してくれました。
 
 次回に続きます。

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