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			<title>ハワイで介護</title>
			<description>ハワイで介護の仕事をしています。日本と何が違うのかな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>ハワイで介護</title>
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			<description>ハワイで介護の仕事をしています。日本と何が違うのかな。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08</link>
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		<item>
			<title>介護は４Ｋの仕事</title>
			<description>&lt;b&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;１．Ｋｕｓａｉ臭い　２．Ｋｉｔａｎａｉ汚い　３．Ｋｉｂｉｓｈｉｉ厳しい　４．Ｋｏｗａｉ怖い&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;１．Ｋｕｓａｉ臭い&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　フレッシュなおしっこやウンチのにおいはむしろ良い匂い。しかし、古くなった小便のにおい、古くなった垢、汗、排出物のにおいは堪らない臭さだ。研修を受けている時に、ある介護施設の病棟に行き、玄関を入ったとたん、我慢できずに息を止めてすぐに表に出て来てしまうほど酷い臭いのところで、教師曰く、このような時はビックスのベイポラブ（ＶａｐｏＲｕｂ）を鼻に塗っておけば我慢できる、ということだった。ここで働いている人達は本当にすごい。こんなことは経験してみなければ到底解ることでは無い。残念ながら患者本人は、臭いに日々不感症になっていくのである。そして臭いはどんどん蓄積され、複雑な、云うにいわれぬ悪臭と化す。さらに体調がくずれると、どんなに清潔にしても体からなんともいえぬ嫌な臭いが湧き出す。そんな状況の中で何時間も笑顔でお世話をして過ごせますか。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　職業病なのだろうか、アラモアナ公園をジョギングしていると、ホームレスの人達がトイレにしている場所が分ってしまう。パーキング場の階段の臭いがたまらない。日本で電車に乗ると、時々シルバーシートに敏感に反応してしまう。たぶんおしっこを漏らしたのだろうと、すぐに分ってしまうのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;２．Ｋｉｔａｎａｉ　汚い&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　おしっこやウンチなど洗えばすぐに落ちるけど、怖いのは眼に見えない黴菌、細菌、病原菌。汚染された血液。病院で働く人達は、シビアに手袋を二枚重ねたり、エプロン、ガウン、マスク等様々な物を使って予防しているけど、家庭での介護では手袋、手洗いくらいのことしか出来ない。手洗いの後はペーパータオルで拭いて捨てるのが良いけど、現実には自分のタオルを持ち歩き、何度も繰り返し使うことになる。学校の研修で教えられたようにはならない。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　糖尿病の患者さんの血糖値を量るのに本当は手袋をしなければいけない。けれど、実際に器具を取り扱うのに手袋ではやりにくい。本当に少量の血液でも、えたいの知れない血液は怖い。&lt;br /&gt;
最近ものもらい（眼病）に罹った。子供の頃に罹ったことはあるけど、何十年も罹ってはいない。患者さんのシャワーのお手伝いやスポンジバスの時は、汗だくになる。眼鏡は自分の汗で曇ってしまう。汗を拭う暇がないから目にも入ってしまう。そんなことが原因かと思われる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　以前内科医のところで仕事をしていた時に、Ｂ型肝炎の予防注射をすることになって抗体検査をすると、３人のうち２人には既に抗体が出来ていた。これには検査を受けた本人達がびっくりしてしまった。一番仕事の時間が短かった私だけが抗体が出来ていなかったのだった。医師曰く、おそらく患者さんから感染し、快復した結果だということであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;３．Ｋｉｂｉｓｈｉｉ厳しい&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　老人には大抵収入は殆ど無く、蓄えを切り崩して介護費用にあてるから、経済的に当然シビアになる。家族の都合アポイントメントの都合で、スケジュールの変更キャンセルが突然に起こる。払う側にとっては大金。けれど私達の時給は１０ドル前後。緊急の場合はオーバータイムもたまにあるけど、通常は無い。むしろ減らされる方が多い。朝７時からの仕事、午後からの仕事、夜通しの仕事、２時間、３時間、６時間、１０時間、１２時間、切り刻まれた不規則なスケジュールをこなす。こんなにも不安定な仕事なのが介護の現実。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　虐待が問題になっているが、介護の仕事を選んだ人が、あるいは家族の介護をしようとする人が、初めから虐待をしようとする人は居ないと思う。一生懸命がんばればがんばるほど、深みにはまり込んで、逃げ場の無いやり切れなさが、少しづつ人を毒していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;４．Ｋｏｗａｉ怖い&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　病気の人をお世話するのは怖い。この仕事を始める前には、必ず心臓蘇生術（ＣＰＲ）の講習を受けなければならない。介護に行くと先ずファイルを見て患者の病歴、薬、介護の内容、緊急時に蘇生術をするか否かを確認する。毎年ＣＰＲ講習を受けても、実際したことが無い。本番で果たして役に立つのか不安だ。もしも自分の担当している時に容態が急変したらと思うだけでぞっとする。歳をとると大体の人は皮膚が脆く敗れやすくなる。ちょっとぶつけただけで皮下出血を起こす。そしてちょっとぶつけたりするだけで皮膚が破れ出血する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　介護は大変な仕事だが、誰もがしなくてはいけないこと。歳をとらない人はいない。病気にかからない人もいない。親のいない人も居ない。自分だけが介護される側になろうなんて虫の良い話は無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　患者さんのプライバシーは絶対守らなくてはいけない。家族が介護をしている場合も同じだと思う。老いること、病気になること、体が不自由になることは決して恥ではないが、それについてくるものはとても重く簡単に人に話せるものではない。介護の現場で綺麗な話し、楽しい話など殆どない。むしろ悲惨で、悲しくて、切なくて、寂しくて、やりきれない思いを、吐き出すことが出来ないまま、自分の無力と戦う。それを他の人に話して心を軽くすることが出来ず、さらに自分に重くのしかかってくる。介護を知らない人に話したところで、見当違いの答えが返ってきて云わなければよかったと後悔してしまうことも多々ある。だから同じ仕事をする仲間同士、あるいは患者さんの家族とのコミュニケーションが心の救いとなる。言葉は殆ど要らない。そうだね。どうしようもないね。そんな風に辛さを共感してくれるだけでいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一生懸命家族の介護をしている人たちがたくさんいる。けれど、口は出しても手は出さない、見ているだけで自分からは手を出そうとしない家族もたくさんいる。夫婦間、親子間でコミュニケーションが取れなくなっている。立場を代えて考えてみて欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　見るとやるとでは大違い。わからない、できないは理由にならない。初めから上手に出来る人は居ない。試行錯誤を重ねてその人に一番適したやり方を探していくのが介護だ。&lt;br /&gt;
たとえ１時間でも２時間でも実際に介護に参加してくれることが大切なこと。自分の大切な家族のために、そして自分の番が来たときのために。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/23934200.html</link>
			<pubDate>Thu, 19 Feb 2009 18:22:06 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>老後の介護を考える時</title>
			<description>&lt;b&gt;&lt;u&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;老後の介護を考える時&lt;/font&gt;&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ハワイで介護士の資格ＣＮＡ（サティファイド・ナース・エイド）を取って仕事を始めてから、早８年を迎える。様々な人たちに出逢い、いろいろな問題にぶち当たった。誰でも自分の老後、親の老後、伴侶の老後を考える時、心細くなる。老後の様々な問題の中で分かりにくく、しかし是非知りたいことの一つが介護ではないだろうか。それはあまりにプライベートなことであり、厳しい現実であり、他人には知られたくないことである。同じ家族の一員でありながら、目をそむけている人には理解できないこと。意外とわかっているようで、本当のところが分らない。現在問題に直面している方達にとっては、誰にも喋ることが出来ない、そんな情況から、なかなか表には出てこない。けれどきちんと向き合わなければならない時にきていると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本からハワイに来て長く暮らしていると、老後をどこで暮らすべきか、悩む人も多いことだろう。私自身も一度はハワイでずっと暮らしていこうと決め、アメリカ市民権を取得したにもかかわらず、年を重ね、気力体力の変化と共に、兄弟姉妹のいる日本で暮らすことをも考え始めた。また日本にいる家族もそれを強く願うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アメリカにはメディケア以外には日本のような国民健康保険や介護保険制度は無い。保険会社が売り出している介護保険はあるが、かなり高額の保険料金になるし、必ずしも入れるとは限らない。ちなみに私には到底払える金額ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エイジェントを通して介護士（ホーム・ケアー・エイド）派遣を契約すると、1時間25ドル位かかる。通常は1回最低3時間の契約になる。状況に応じて６時間、10時間、24時間ということもある。契約次第だが、いずれにしてもかなりの費用が必要でしかも延々と続く。単純計算でも24時間介護ならば、1ヶ月1万6千ドル以上の負担になる。そして実際にそのようなケースは多々ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本人の介護士は非常に少なく、人数は減ることはあっても増えることはないのが実情だ。エイジェントは契約どおりに必ず人を派遣してくれるけど、日本人ではない。同じ人がずっと担当することは先ず無い。若い医学生のこともあるし、年配主婦のこともある。フィリピン系、韓国系、ハワイアン系、黒人系、ラテン系、男性、女性、とにかく色んな人達が働いている。まして３時間の仕事は効率が悪いので敬遠され、行く人がなかなか決まらない。少々難しい患者さんでも１２時間の方がずっと効率がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　病院で働くＣＮＡの仕事はナースの指示を受け、患者さんの食事や身の回りの世話をするのが主な仕事で、一人で常に八人位の患者さんを担当しているから、一回の介護にかけられる時間は短い。だから少々乱暴なこともある。声をかけ説明してから介護を始めるのが基本だけれど、言葉が通じないと省略していきなりブランケットを剥ぎ取られることにもなる。病院研修に行った時に何度かそんな場面に遭遇した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エイジェントから派遣される介護士は、ＴＢクリアランス、ＣＰＲサティフィケイト，クリミナルリポート、健康診断書を会社に提出して初めて仕事をもらえる。スケジュール担当者から電話で名前と住所とごく簡単なお世話の内容を聞いて直接患者さんを訪ねていく。事前に会社と契約した時に、ナースによって作られた患者さんの病歴や介護の内容が書かれた書類に目を通し介護をはじめる。この書類が難問、手書きのうえカーボンコピーなので非常に判読しにくい。しかも病気の状況はそれが書かれた時とは違っていることが多い。食事の内容、認知症の進み具合、体力的な変化等。もちろん英語、医学用語が並んでいる。英和辞書を使って読む暇はないから、おおよそのところで始める。不安や困惑を抱きながらお世話をする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もしも貴方が介護を受けなければならない時がきて、いきなり知らない人が家に入ってきて、よく分らない英語を喋られ、家の中を覗かれ、いちいち指図され、裸にされて体を拭かれることを想像してみてください。期待、諦め、ためらい、恥じらい、困惑、疑い、色んな心の葛藤が起こる。それに耐えられますか。介護されるほうも堪らないけど、それをしなければならない私達だって本当に必死です。耳が遠い人、目の見えない人、痴呆症の人、病気の為に機嫌の悪い人、体に麻痺がある人、体中があざだらけ傷だらけの人、そんな人達といきなり接していく仕事だから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　初めの日はお互い腹の探り合いではないけれど、どこまで踏み込んで良いのか試行錯誤、決められたマニュアルどおりなんてありえない。患者本人の思いと、家族の思いは殆どの場合食い違う。とにかく患者さんはもちろん、家族にも気に入ってもらえるように願いつつ、勤め終わってみればくたくただ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　初めての場所を住所と地図を頼りに探すのはすごいストレスになる。時間も掛かる。フリーウェーの出口を間違えて一時間も迷子になってようやくたどり着いたこともある。路上にパーキングを見つけられなくて、高い駐車料金を払ったこともある。朝七時に交代する介護士が遅れて来たため駐車違反チケットを切られたこともある。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/23933755.html</link>
			<pubDate>Thu, 19 Feb 2009 18:09:16 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>白人夫妻＋愛犬の介護－５</title>
			<description>　　&lt;br /&gt;
　&lt;b&gt;&lt;u&gt;葬儀を終えて &lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　24時間介護、時には2人体制での介護で常時10人以上の介護士や看護師が仕事にあたりました。たった一度だけで拒否されてしまった人も含めたら、関わった人たちの全ての数は３0人を超えるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　亡くなられたご夫婦は確かに我儘な方達でした。しかし正面から私達を受け止め、あるいは反発して、そして受け入れてくれました。介護を通じてお互いに教えたり、教えられたりして、介護する私達と介護されるご夫婦もその家族も一緒になって成長していったのだと思います。どんなに心を尽くしているつもりでも、独りよがりだったり、してあげているのだと言う驕った気持ちになったりすることがあります。一時的な感情に流され、相手が病人だと言うことを忘れて邪険にしてしまうこともあります。そんな心の隙間をご夫婦はじっと見ていたのかもしれません。お互いが正面から向き合うことで心が通じ、皆で寄り添うようにして歩み、最後は天国への扉を自ら開いて逝かれました。心からご冥福を祈ります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この介護を通じいろいろなことを思い悩み、考え、たくさんの感動と巡り会いました。介護とは何なのだろう？介護すること、介護されること、介護する人、介護される人、どうあるべきなのか？　介護士の役割、家族の役割、それぞれの立場で何をしたらよいのか？　たくさんの課題をもらった気がします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　亡くなられたお姑（かあ）さんのお葬式の日に、お嫁さんがこの文章を書いて式に参列された方々全員に、私達にはご夫婦の写真(すばらしい笑顔)を添えて手渡してくれました。原文は英語で書かれてありますが、私なりに翻訳してみましたので読んでみてください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
         ****************************************************************************&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私の主人の父や母が天使のような人たちから、どのようにして介護されたかを紹介します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　前の日に、怒られたり、怒鳴られたり、疑われたり、さらには杖で叩かれたり（ごめんなさい。）したことさえもあったはずなのに、一体どのようにして、毎日満面の笑顔を絶やさずに介護をしてこられたのか、私にはわかりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私達はなんと幸運だったのでしょう。彼女らは本当に辛抱強く、｢これで、よし！｣と言って貰えるまで、何度でも卵を料理したり、わざわざ休みの日に必要なものを買い揃えてくれたり、一日の午後に18回もお母さんが起きたがっているかもしれないと、ベッドの上に起きあがらせてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私達は本当に彼女らのやり方に心を打たれました。私達は本来父や母を監督し、嗜めるべきだったと思います。彼女らは私達に死んでいく人に対し、どのように深い愛情と尊敬の念を持って介護するべきなのかを教えてくれました。毎日昼夜を問わず、行動をもって見せてくれました。彼女らは本当に深く愛してくれました。父や母を真っ直ぐに見て、性格的な欠点も弱さもあるいは才能も全てを愛してくれました。そして私達にゆだねてくれました。夜遅くに私達の部屋のドアーをノックして、孫娘達が｢おやすみなさい。｣の挨拶をおじいちゃんにすることの大切さを教えてくれました。最後の時を共に迎えながら寄り添い、そっと優しい言葉をかけてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　言葉ではとても言い尽くせません。私達に代わって愛犬に餌をあげてくれました。それだけではなく糞（フン）の後始末もしてくれました。（またまたごめんなさい。）マッサージをしてくれて、休みの日には料理をしてくれて、そして私達を気遣って電話をかけてきてくれました。また、私の子供達に贈り物をしてくれました。彼女らは私の姑（はは）が威厳と気品をもって天国にいけるように導いてくれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼女らが家に帰り家族と過ごしている時間でさえ、私達の事に心を砕いていてくれたのをよく知っています。そこまではしてもらえるとは思っても居ませんでした。父や母には気持ちが通じないのかと私は思った時もありました。いいえ、そうではなかったのです。全く逆に、幸運にも彼女らの優しさに触れ、心がほぐれて優しくなっていきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私達家族全員に本当に素晴らしい介護をしてくださってありがとうございました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
      &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　How were my mother and father-in-law cared for?  By angels, that’s how?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　I don’t know how they did it, how they could show each day with a bright, determined &lt;br /&gt;
smile, perhaps having been yelled at, or accused, or maybe even hit with a wild cane the day &lt;br /&gt;
before. (I’m so sorry)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　How did we get so lucky? Where did they get the depth of patience, tolerance, and plain &lt;br /&gt;
old energy to cook an egg until they got it “right dammit,” to shop for what was needed on &lt;br /&gt;
their time off, to lift my mother-in-law eighteen times in one afternoon because she thought &lt;br /&gt;
she “just might like to get up” again?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　We showed up to cramp their style. We knew we would be able to oversee things and set &lt;br /&gt;
them right. We didn’t know they would set us right and that we’d get an education on how &lt;br /&gt;
to care for someone who is dying, with respect, and care, and love. Because that’s what they &lt;br /&gt;
showed us, day in and night out. They loved them. They saw them clearly, character defects &lt;br /&gt;
and gifts, and they loved them. And they brought us to them. They might knock on our door &lt;br /&gt;
late so the grandkids could say goodnight to Grandpa, teaching us how precious each moment &lt;br /&gt;
of connection becomes.  Or tell us of compliments given in secret, paving the way to our &lt;br /&gt;
being a part of their journey ending.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　Beyond the call doesn’t touch it. These women fed the dog, for Christ’s sake. Not &lt;br /&gt;
only fed him but cleaned up after him. (again, so sorry) They massaged, they cooked on their &lt;br /&gt;
days off, and called in to see how things were going. They brought my children gifts. They &lt;br /&gt;
ushered my in-laws out of this life and into the next with a dignity and grace unimaginable.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　I know we were unfairly taking up space in their heads long after they were home with &lt;br /&gt;
their own families. I didn’t expect it. I thought they would have hardened. They’ve not. &lt;br /&gt;
Quite the opposite, they soften those around them, those lucky enough to be touched by their &lt;br /&gt;
care.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　Thank you for the beautiful care you gave to all of us,&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
                                                         &lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Xxxxxxxxxx and Yyyyy&lt;br /&gt;
                                       &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　**The End**</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/16706796.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 Sep 2008 16:00:46 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>白人夫妻＋愛犬の介護－４</title>
			<description>　８月に仕事を受けてから翌年４月まで約８ヶ月間の介護の記録です。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;1月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご主人のベッドをホスピタルベッドに換えたので、電動で高さを調節したり傾斜角度を変えたり、両脇の手すりにつかまって体位を変えることが出来るので、私達の仕事はやりやすくなりました。ご主人は日に日に弱って、もうベッドからは起き上がれなくなってしまいました。時には自分で食べるのも辛そうで、口に入れてあげます。体のあちこちから出血もしていました。本当にもう長くはないだろうと、だから皆優しく接しています。本人も覚悟ができつつあるように見受けられました。１２月にアメリカ本土に帰った息子家族が２月には来ると連絡がありました。それまで家ですごせるのかな、という思いでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　独身の娘は父親と折り合いが悪くあまり家に来ようとしなかったのですが、兄に諭され毎週土曜日に訪ねて来るようになりました。奥さんのランチにホットドッグを作ったので、ついでに彼女の分も作りました。私は少しでも長く居て話し相手になってくれたらと言う軽い気持ちでしたことでしたが、後日他の介護士からそのことで注意を受けました。一度やってしまうと、家族の食事や洗濯などが次からは当たり前になってしまって、本来の私達の仕事と混同されてしまうと言うのです。次からは自分でやってもらうことにしましたが、正解だったように思います。&lt;br /&gt;
　段々と打ち解けて話しやすくなってくると、介護とは全然関係の無い彼女の兄夫婦や子供達に対する不満を漏らすようになり、それに私の同調を求めてくるようになっていったのでした。そして父親の衰弱と比例してエスカレートしていきました。さりげなく彼女の求めを交わせるだけの距離を保てたことが良かったと後で思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　動けなくなってからご主人は便秘がひどくなり、お腹が膨らんで硬くなってきました。便意はあるのですが押し出す力が無いのです。簡易トイレをベッドの直ぐ側に持ってきて２人掛りで体を持ち上げて座らせることが出来ました。見事に大きな便が出て大喜びしましたが、まだまだお腹にはかなりの量の便が詰まっていました。次に２人体制の時にもう一度トイレに座らせようと試みたのですが、更に体力が衰えて便座の上に体を維持することが出来ませんでした。便秘の薬を飲んでもほんの少ししか出ません。足の屈伸運動をしながらお腹のマッサージをするようにして少しでも自力で出せるように手助けをしましたが、あとはオムツの交換のときに私達が指で肛門から掻き出すことになるので、痛くて可哀想でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;２月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アメリカ本土から、可愛い盛りの２人の娘達と供に息子家族がやって来て一緒に住むことになりました。それからは毎日ご夫婦に笑顔が見えるようになりました。２月のある日、一緒に病院に行った介護士があの時のドクターの言葉を思い出し、&lt;b&gt;｢あの２ヶ月が経ったね。｣&lt;/b&gt;と、しみじみと言いお互いに顔を見合わせました。便秘は相変わらずですが、食欲はありました。時間をかけて野菜や果物と一緒にお肉をやわらかく煮込んだのを良く食べてくれました。息子は父親のために朝食にコンビーフ・ハッシュを作ったり、父親と相談しながら，夕食に牡蠣のポタージュを作ったりと、毎日食べたいものを聞いて買いに行きました。この頃にはご主人に私は料理名人と認めてもらえるようになっていました。ふと、｢日本人だったらお粥を食べるのに、白人は最後まで肉を食べるのだな。｣と、不思議に思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;３月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私は日本に１ヶ月ほど行くことになってご主人に挨拶をしました。ご主人は私が帰ってくるまで元気で居ると、私は帰ってきたら最高のマッサージをするからと約束し、笑顔で別れましたが、それが最後となってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;４月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ハワイに戻ってくると同僚からご主人が３月下旬に亡くなられたことを聞かされました。ある日家族が買い物に出かけている間にひっそり息を止めたそうです。しかし其の数日前に息子夫婦に奥さんと独身の娘と愛犬のことを託し、別れの準備をしっかりされていたようでした。&lt;br /&gt;
　花を買ってお悔やみに行こうとしたところ、エイジェントから止められてしまいました。規則で私の仕事日以外には行ってはいけないと言うのです。翌日私が用意した花は看護師から家族に渡されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　正に私がハワイに戻って最初の仕事の日に、奥さんが家族に見守られて息をひき取りました。朝５時頃のことでした。私が７時に駆けつけたときには、既に葬儀社の人が遺体を運び出した後で、とうとう最後のお別れは出来ませんでした。後で聞いたことですが、亡くなる２日前に、家族・介護士達・愛犬、一人一人としっかりとハグをしてお別れの準備をしていたと言うことです。仲の良かったご夫婦が後を追うようにして亡くなられました。奥さんがこのように早く亡くなるとは思いもよらぬことでした。規則を破ってでも自分でお花を持って行っていたら、お別れが出来たのにと後悔しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　5日後にお葬式に行きました。墓地の一画に親族一同のお墓が集まっていました。そのひとつの土が掘り起こされていて、その周りに親しかった人達が集まり、家族の挨拶の後、思い出話をそれぞれが和やかに語り合い、ギターが奏でられて心温まるひと時でした。思い出話が語りつくされた頃、お骨がお墓に埋められ、盛り土の上に皆一人一人がレイをかけて冥福を祈りました。いままでにこのように簡素な、それで居て心和やかなお葬式は、私にとって初めの経験でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次に続きます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/16336086.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Sep 2008 17:51:28 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>白人夫妻＋愛犬の介護－３</title>
			<description>　８月に仕事を受けてから翌年４月まで約８ヶ月間の介護の記録です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;１２月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　奥さんはすっかり時間の感覚が狂ってしまったようで、私が朝７時に介護に行くと、９時３０分の美容院の予約に朝の４時から行くと騒いでいました。息子がつれていくことになっているのに家にいないといって探し回り、散歩から帰ってきた息子をしかりつけ、とうとう８時に出かけて行きました。美容院までは車で１０分の距離です。&lt;br /&gt;
　行くまでに大便を３回もして、その都度後ろに回ってお尻をふいて、帰ってきてからも、如何してこれだけ出るのかと思うほど、大便がでて、夫婦合わせて８回うんこの世話に明け暮れました。その間にご主人の尿瓶の世話もあり、半分くらいは尿瓶には入らず漏らしてしまうので、汚すたびに着替えをさせて、暖房をつけた部屋の中で、一日中尿と犬の臭いの入り混じった中で仕事をしてその日はくたくたでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この頃から口のうるさいご主人が助けて上げる度に「サンキュー」を言うようになってきました。そして素直に言うことを聞いてくれるようになってきていました。ようやく気持ちが通じたのでしょうか。そのぶん体が弱ってきているということなのですが。&lt;br /&gt;
まだこの時期にはオムツは使っていません。何度も使った方が無理にトイレに行かなくて済むからと勧めたのですが納得しませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご主人の左足がインフェクション(炎症)を起こし膝の上まで赤く腫上がり医者に連れて行きました。病院で抗生薬を投与され１日だけ入院をして戻ってきました。早速に介護２４時間2人体制となり、急遽新しいスタッフが増えて、なれない仕事に戸惑っている人たちに説明したものの、2日後にはご主人の一言で全てキャンセルとなり、元に戻されてしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ドクターから常に清潔にするように指示を受けたにもかかわらず、相変わらずシャワーを浴びようとしないご主人を何とかシャワーを浴びさせてしまおうと私達介護士の相談が纏まっていざ実行しようとした時には、既にシャワールームに行く事も、シャワーチェアーにすわっていることも出来ないくらいに体力がなくなっていました。食事の間ですら背もたれのある椅子に座っているのが辛くなっていました。&lt;br /&gt;
それでスポンジバス(沐浴)をして、ローションをたっぷり使って体中をマッサージしてあげたらすっかり気に入った様子でした。次回私の介護の日に挨拶に部屋いくと、開口一番｢Wash me up！（さあ、きれいにしてくれ！）｣でした。そしてその後は毎回スポンジバスとマッサージが楽しみとなり、私が行く日を心待ちしてくれるようになりました。こうなると私も俄然力が入ります。&lt;br /&gt;
　髭を剃ってから、お湯を何度も換えながら、頭のてっぺんから足のつま先まで綺麗に拭いて、ローションをたっぷりつけてマッサージをしました。最初の頃はたまっていた垢がとめどなくとれましたが、日を追う毎にだんだんときれいになっていきました。マッサージのあとは朝食を食べ、ぐっすりと眠りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　古いソファーは籐に穴が空き、奥さんがその上に横になるには危なくなったので、破棄することになりました。リビングルームに夫婦それぞれにゴージャスな新しいリクライニングチェアーが届きました。電動で傾斜角度を変えたり、ベッドのように平らにすることができたり、マッサージ機能まで付いていましたが、最初奥さんは使い慣れない椅子に拒否反応でした。けれど１つある簡易ベッドは一日中ご主人が占領してしまっているので、奥さんは使えません。いろいろ皆が助言して仕方なく使うことにしました。けれどご主人はたった１回座っただけで、２度と座ることはありませんでした。どんなにお金があっても体が動けるうちに使わなければ、無駄になるだけです。&lt;br /&gt;
　ご主人は一日中ファミリームールの簡易ベッドで過ごした後、自力で自分の部屋に戻ることが出来なくなり、そのままファミリールームのベッドで朝まで過ごすことが、何度か繰り返され、朝夕の交代の時に、２人掛りで車椅子に乗せ、３段の階段を持ち上げ部屋に運んだこともありました。そうして日に日に体力が衰えて、朝ベッドルームからファミリールームまで歩いていくことも難しくなり、とうとう自分の部屋からは出ることが出来なくなりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　クリスマスがもう直ぐの頃、取替え用に２本の酸素ボンベと２台の車椅子を車に詰め込んで車の窓を開けて、ご夫婦と介護士２人計４人でドクターの予約の日に病院へ行きました。診察室でドクターを待つ間、ご主人は車椅子に座っているのが苦しくなって、診察台に横になって待ちました。ドクターが来て、診察をして、血液検査の結果と合わせ、奥さんのコレステロール値が高かったほかは、特にご主人には問題がありませんでした。&lt;br /&gt;
　しかしご主人は体力の衰えをドクターに訴え、肺がんの積極的な治療を相談したところ、ドクターは、｢自分としては今の状態が更に良くなるとは思わない。それよりも今現在の日々の生活をもっと楽しむようにした方が良いと思うが、選択するのは貴方だからもしもやってみたいのなら止めない。もしかしたら死が２週間先にあるかもしれないし、２ヶ月先かあるいは２年先かもしれない。後どれくらい生きられるかは神様にしか分らないことだから。｣と言われました。この時側で聞いていて、ドクターは暗に｢もう長くは無いよ。｣と諭しているのだなと感じたのは私だけではありませんでした。後日一緒に行った介護士も同じ様に感じていたと話してくれました。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　次回に続きます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/16026328.html</link>
			<pubDate>Sat, 30 Aug 2008 19:09:20 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>白人夫妻＋愛犬の介護－２</title>
			<description>　&lt;br /&gt;
　８月に仕事を受けてから翌年４月まで約８ヶ月間の介護の記録です。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;１０月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私達はどんな場合にも仕事を放棄することは許されません。ある朝７時に行くと、我儘で横暴なご主人に前シフトの介護士が怒鳴られ無視（けっして体に手を触れさせようとはしなかったのです。）されて、彼女は１２時間、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、仕事を終えて帰っていきました。&lt;br /&gt;
　昼間ご主人が言い訳の様に私に言った事は、「彼女が黒人だったのが気に入らなかった。差別はいけないのは分っているけど私は嫌だ。」でした。そして早速エイジェントに電話で二度と彼女を家に来させないように言いました。彼女も｢二度とここには来ない。｣と言い残して出て行きました。その時私も出来るなら、ここには来たくないと思いました。怒られるたびに神妙に聞いて、キッチンで&lt;b&gt;「くそじじいーーー！！！！」&lt;/b&gt;とつぶやいている私でありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　奥さんは週３回皮膚がんの治療のためドクターに行きます。そして其の帰りに食料品等の買い物をして帰ります。以前はその間ご主人が一人で留守番をしていたのですが、体力が衰え歩き損ねて転んだのを機に週３回の治療日は午前７時から１時まで介護士２人体制になりました。私のスケジュールは週３日間７時から１２時までの５時間ご主人を介護、土曜日は１２時間スケジュールで二人を介護となりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;１１月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ある土曜日の夕食の時間に奥さんが一週間分の薬を次から次へと開けて全部飲もうとしているのに気がつきましたが、私は自分の見ているのが本当の事なのかと一瞬疑いました。あわてて止めたら、すごく怒り出してしまいました。直ぐにエイジェントに連絡し、状況を説明、飲んだ薬を看護師に報告したら、カルシュウム系の薬で大事には至らなかったのです。このあと今度は２ヶ月前のドクターの予約カードを見て｢行かなくてはいけない。｣と言い出し、既に終わったことだからと何度説明しても分ってはもらえず、大騒ぎをしました。過去、現在、未来の判断がつかないのです。ご主人は奥さんの痴呆の進み具合を目の当たりにしてショックを受けていたようでした。これからのことを考えると、ご主人も私達介護士もそれぞれの立場で暗澹たるものがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後、ご夫婦の薬は全て看護師がそれぞれに朝・昼・夕薬入れに仕分けして、全てを奥さんの眼の届かないところに隠して、私達はその日の分だけを時間で出すようになりました。最初の２週間位はどこに薬があるのかを何度も聞かれて気持ちを逸らすのに苦労しましたが、やがて聞くこともなくなりました。そのことが機に急に痴呆症が進んでいるのに驚きました。今まできちんとしていたのに怠惰になり顔つきも変わってきているし、足腰も力が衰えてきていました。&lt;br /&gt;
　奥さんにとって自分で薬をオーダーして管理することは生きる励みだったような気がします。新聞や本を読むことをしなくなり、テレビにも興味がなくなって、何にもすることが無くなってしまって心のつっかえ棒が外れてしまったような感じです。出来ることがなくなってしまうことが一番良くないようです。老人が楽しめるゲームなどがあったらいいのにと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご主人はだんだん体力が衰え、自分でトイレに行くのが困難になってきていました。しかしそれを私達には言いたくはないのでしょう。私が奥さんの世話をしている間に、自分で力を振り絞ってトイレに行ったのですが、トイレに座ることも侭ならず、便座・床・洗面台をうんこだらけにして、自分のうんこをふんづけてベッドにたどり着き、潜り込んでいました。それでも私達の助けを頼まず、何とか自分でやろうとしている其の気持ちのいじらしさ、切なさに怒りも湧きませんでした。&lt;br /&gt;
　先ずはトイレの掃除から床の掃除をして、絨毯にこびり付いたうんこを拭きとって、漸くご本人の清掃に取り掛かりました。シーツにもブランケットにもうんこが付いているので全取替えです。いつもは素直に応じてはくれない人でしたがさすがにその時は協力的でした。全部終わったかなと思った時に、足の裏にまだうんこが付いているのに気づき拭き清めたら、｢サンキュウ｣が返って来ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次回に続きます</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/15504973.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2008 09:45:32 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>白人夫妻＋愛犬の介護－１</title>
			<description>　８月に仕事を受けてから翌年４月まで約８ヶ月間の介護の記録です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;&lt;u&gt;８月―９月&lt;/u&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最初エイジェントから仕事の内容を聞いた時、２４時間介護１２時間交代で私のスケジュールは週１回朝７時から夕７時の１２時間、奥さんの介護でした。しかし実際に家に行ってみると、ご夫婦それぞれのファイルが有り、2人の介護が仕事でした。しかし時給は１人分だけでした。そして大きな犬がいてほとんど一日中二人に寄り添うようにファミリールームに居ました。朝夕犬の毛を箒で集めると、大きな毛玉が出来ました。ご夫婦にとっては大事な家族なので、可愛がると2人が喜ぶのです。｢なんでこんな事までしなくてはいけないの。｣と思いつつ、いつの間にか犬にまでサービスしている自分がいました。人なつっこいのですが、暇さえあればちんちんをペチャペチャと音を立てて舐めているので、何となく嫌でした。&lt;br /&gt;
　昼間の介護は既に以前から来ていた２人の介護士が３日間づつ、私が残り１日を担当でした。気難しいご主人なのでなかなか定着して介護する人が決まらなかったようでした。介護に行った最初の日にご主人から言われたのが、｢高い金を払っているのだから、絶対に奥さんが転ばないように常にくっついて動いていろ。｣ということでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　奥さんは８６歳元校長先生で陽気な性格でしたが、アルツハイマーと皮膚癌にかかっていました。私は昔マーッサージの勉強をしたことがあるので、ちょっと自信が有ります。最初の日に肩と首をマッサージしてあげてから、すっかり気に入られて仲良しになり、それからはやって欲しいと両手で揉む真似をして合図を送ってくるようになりました。痴呆症で訳が分らなくなったときに、気持ちを切り替えるにはマッサージはとても便利で効き目がありました。奥さんがご主人に、｢とっても気持ち良いから貴方もやってもらったらどお？｣と声をかけましたが、｢マッサージなんか必用ない！｣と受け付けませんでした。&lt;br /&gt;
　奥さんはご主人のように声を荒げるようなことは無く、介護はやりやすかったです。難聴になっているのですが、補聴器が嫌いでつけようとしません。ご主人が喋る早さに理解が追いついていけないのでなかなか会話が成立せず、余計にご主人を苛つかせ怒らせてしまうこともありました。テレビのコントローラーの操作が良く分らなくて、音量が大きくなりすぎてしまうことが頻繁に起こりました。その度にご主人は怒鳴っていやみを言って、自分の部屋に引きこもってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ご主人は９２歳弁護士で非常に気難しく、不機嫌で、猜疑心が強く、プライドが高く、最初から私達を見下し、何をしても決して満足しない人でした。最初の頃は食事の支度以外は私達の助けを必要とせず、まるで御目付け番のように私達のすることに目を光らせていると言う具合でした。シャワーの介助をしましょうと言っても常に｢ノー。｣の一言でした。昼間は尿瓶を使って用を足していましたが、立ってズボンの前を開けて尿瓶におしっこをするのが間に合わず、ベッドも服も汚してしまっていることが頻繁にありましたが、決して自分からは私達には言いませんでした。肺癌の後遺症ため酸素チューブを一日中引きずっていなければなりません。自分はタバコを全く吸わないのに、父親の喫煙のせいで肺がんになってしまったと言っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　朝食にコーヒー・パパイヤ(レモン添え)・半熟卵を食べますが、｢御前らは半熟卵もまともに作れないのか。｣という調子で怒鳴りつけます。半熟卵にはタバスコ・バター・塩・コショウ・スプーン・殻を割るためのナイフをトレーの上に揃えて持って行き、ひざの上に乗せると｢Good!（よし）｣と合格になるのです。トーストも均等に焼き上がらないとやり直しをさせられます。&lt;br /&gt;
　夕食は週３回宅配サービスを利用していました。メニューは洋食でレストランのフルコースのような内容と量でした。それ以外の日は冷凍してあるものを解凍し、残り物を暖めて出すのですが、自分が食べる時に温かくないと、皿をつき返してよこすという具合でした。そして常にテーブルにはお気に入りの塩・タバスコ・黒コショウの入ったミルが用意されていなければなりません。ご主人は元気だった頃は料理が得意で、壁には料理コンテストで賞を取ったときの写真が飾られています。キッチンには聞いたこともないような名前のスパイスの瓶が６０種類も並んでいました。&lt;br /&gt;
　ある日食事のテーブルに付くとマージュラムを持って来いと言われ、私は戸惑いました。｢え！マーガリン？　バターしかないよ。　バターじゃないの？　え、何なの？　とりあえずバターを持っていけ。｣とバターを持っていったら案の定怒鳴られ、やっぱりスパイスなのかとキッチンに戻って、壁に並んでいるスパイスの瓶を端から順に追っていって漸くマージュラムと書いてあるビンを見つけました。&lt;br /&gt;
　ご飯を炊けるかと聞かれ、｢イエス！｣と答え、そんなことならわけないぞと古い超旧式の炊飯器にお米を研いでスイッチを押したのですが、何度押してもスイッチが元に戻ってしまって炊飯が始まらないのです。一瞬血の気が失せました。どうしよう？　スイッチを手で押さえていれば良いのですが、炊き上がるまでそんなことしていることは出来ません。とっさに側にあるもので何とかスイッチを固定することができました。今度は何時スイッチを切るか気が気では有りませんでした。炊飯器に頬がくっつく位顔を近づけてご飯が炊き上がる時の音を聞き逃さないようにして、何とか炊くことが出来たときは本当にホットしました。次週介護に行ったときには、新しい炊飯器に替わっていたのでやれやれという思いでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次回に続きます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/15130153.html</link>
			<pubDate>Sat, 16 Aug 2008 13:52:55 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>介護規則違反</title>
			<description>&lt;b&gt;介護士として、してはいけないこと。患者さんにやってあげたいこと。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　家族にしてもらえる一つ一つは些細なことでも、介助が必要な一人暮らしや年老いた夫婦だけの暮らしでは、できない事がたくさんあります。お互いの気持ちが通じ合い、介護の様々な場面で、万一事故が起きた場合でも信頼関係の上で解決できるであろうと思えば、いろいろな事ができます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私が介護に行ったユダヤ人の女性は一人暮らしで糖尿病の持病があり９０ｋｇの肥満でした。ベッドに腰掛けて靴を履こうとして前にかがんだ時に、お尻がベッドから滑り落ち、自分の体重の重さで尾&amp;#39606;骨を骨折したのですが、原因は足の爪が長く伸びていて靴がはきにくかったのです。以前に私は何度か爪を切るように頼まれましたが、規則でできないと断りました。定期的に行くクリニックの看護師にも頼んだのですがやはり断られました。&lt;br /&gt;
　仕方なく足の専門医に予約をいれて、付き添っていきました。医者はヨードチンキで足の爪を消毒して、いとも簡単に切って終わりました。糖尿病の人は血行が悪く壊死を起こしやすいのです。だから絶対に爪切りはやってはいけない決まりです。たとえ糖尿病でなくても私達にできるのは爪用のヤスリで削ることだけです。&lt;br /&gt;
　けれど、一人暮らしの患者さんの場合、気づいた時にはすでに１ｃｍ以上ものびて、ヤスリでは手に負えない状態になっている状況に巡り会うことがよくあります。年寄りの爪はとっても脆いです。はさみを入れると割れてしまうことがあり危険です。自分の身の安全を考えれば無視するしかありません。けれど見てみぬふりをする自分が許せません。糖尿病ではない患者さんで、水虫やファンガスなどの症状が無い場合、規則違反を承知で切ることもあります。細心の注意を払い、決して深爪にならぬようにこころがけています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じく耳が良く聞こえないと言う患者さんに付き添って耳鼻科のクリニックに行きました。診察後、驚いたことに医者は耳にホースで水を流し込みました。そして両耳から出てきたのはふやけて大きなナメクジほどの白い耳垢のかたまりでした。もちろんその後、耳はとってもよく聞こえるようになりました。やってあげたいと思える患者さんには出来る範囲で綿棒を使い軽く耳垢の掃除もしますが、これも規則違反です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ハワイでは買い物を小切手で支払いをする時に必ず身分証明書の提示を求められますが、患者さんには身分証明書の代わりをするものが無く、現金で支払いをしなければならないことが多くいつも不便でした。それで運転免許証を取ると言い出しました。車椅子を人に押してもらっている彼女が運転免許を取れるはずがないのはわかりきったことでしたが、気持ちを変えることが出来ず、試験場まで行きました。係官が一目見て無理だと私に言うのです。私の言うことでは聞いてもらえないのでと、こっそりと事情を説明すると、親切に直接本人にハワイ州発行の身分証明書を取ることを奨めてくれました。それでも本人は納得していない様子でしたが、其の日は試験問題集を買って、申請書を頂いて帰ることになりました。それで気が済んだのか、無理だと分ったのか、以後沙汰止みとなりほっとしました。けれど不便さは相変わらずで、何度か薬代を私のクレジットカードで立替たこともあります。これも規則違反です。しかし他のものと違い薬は直ぐに必要で、しかも買えないことでパニックを起こしヒステリー状態になってしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私が彼女の介護に通うようになって直ぐの頃、通販で買ったムームーの丈が長過ぎるので、裾をはさみで切ろうと苦戦しているところに来合わせました。紙切りバサミでは布は良く切れないので、ジグザグになっていました。私がミシンで縫って直してあげると申し出ると、喜んで更に別のムームーの直しと余った部分をスカートにして欲しいと言い出しました。後日介護に行った時に、出来上がったムームー２着とスカート１着を渡しました。&lt;br /&gt;
　其の日クリーニング屋に行くと言うので車を運転しそこでオートレーションの済んだムームー１着を受け取りましたが、私が直したのと全く同じムームーでした。裾上げ代金＄１７を支払いホームに戻った時に私に＄５のチップが渡されました。その後また頼まれましたが、ミシンが壊れたからもう出来ないと言って断りました。早く仲良くなりたいと思ってしたことでしたが、気持ちの通じない人なのだと思いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ボタンが取れてしまったと言うだけで、即不機嫌になってしまうこともあります。洋服のボタンが取れたり、縫い目がほどけてしまったり、破れたり、そんな場面には何度もめぐり合いました。大抵は針も糸も無い患者さん達がほとんどです。だから今はいつも針と糸を携帯していて時間があれば直します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一人暮らしのアルツハイマーのおばあちゃんには定期的に髪の毛をカットしました。なかなかじっとしていることが出来ないので、車椅子に座ってもらって１５分ほどで仕上げました。雑な仕上げですが、それでもさっぱりとしてかわいらしくなった自分を鏡で見て嬉しそうでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　介護の仕事は病人が相手ですから、気難しい人が多くて神経を使います。病気も怖いです。もしも病状に急変することがあったらどうしようと考えると、神様にお願いしたくなることもあります。そんな時心が通うと自然と力が湧き出て、少しでも役に立ちたい、らくにしてあげたいと思うのです。&lt;br /&gt;
　逆に憎たらしい患者さんも居ます。作り笑いをして、仕事と割り切って余計なことは一切せず時間をこなして帰ります。仕事を終え、一歩外に出た時の開放感は何とも言えません。車の中に入ると大声で叫びたくなります。急いで家に帰り、熱いシャワーを浴びて、ビールを飲んで頭を冷やします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/13183041.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 Jul 2008 17:32:07 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>ハワイで介護士になるには</title>
			<description>&lt;b&gt;ハワイで介護士、ＣＮＡ（Certified Nurse Assistant）になるには&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１９９９年２月に父が亡くなりましたが、その時に３ヶ月の休職をとり、日本に介護のため戻りました。たった３ヶ月間でしたが、付ききりで介護が出来たのは幸せでした。もしもあの時に介護の方法が分っていたらどんなにか良かったのにと、今はつくづく思います。当時は母のすることを側から手助けすることしか出来ませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２００１年　September 11アルカイダーテロの後、観光地ハワイでは大量解雇がありました。私の勤めていた会社は旅行関係だったので、日本からのお客様のキャンセルが相次いで社員が約半分に減らされ、私も職を失いました。ハワイ中が解雇された人達であふれ、失業保険の申請は列をなし、それをテレビのリポーターがハワイ州の失業保険事務所に来てインタビューをしている光景が見られました。集団で失業保険の申請をするのは、会社の解雇のやり方に対する不満は多々あったものの、ヤケクソ気分と同時に一種お祭り気分もありました。大勢の同じ会社からの申請者を一室に集め、説明を受け手続きを終わらせました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後、新たに仕事を探さなければならないのですが、求人が全然ありません。しかし病院関係には求人がありました。失業保険も６ヶ月まではもらえますが、何もしないで失業保険をもらうことはできません。その時に１人が生涯７千ドルまで仕事のトレーニングの為に資金が政府から払われると言うことを聞き、それでＣＮＡの資格をとることにしたのです。ＣＮＡ(Certified Nurse Assistant)、ＬＰＮ(Licensed Practical Nurse)、ＲＮ(Registered Nurse)の求人募集は引き続いてあったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ＫＣＣ（カピオラニ・コミュニティー・カレッジ）にＣＮＡのクレジットコースがありました。当時ＣＮＡは８０時間の研修を受けることが義務づけられていましたが、コースは２４０時間でした。申請の前に先ず英語能力試験を受けてパスしなくてはなりません。かろうじて合格点をとって、申し込みにいきましたが、申請方法が良く分らず後れを取り１０人定員枠に入れずキャンセル待ちとなってしまいましたが、その後キャンセルがあってぎりぎりセーフ受講することが出来ました。受講料、本代、保険料などを政府に払ってもらいましたが、その後、予防接種料金、健康診断、ユニフォーム代等後日立て替えた分に関しては、政府は資金不足となり払ってもらえず、結局自費となってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　準備として、プロフェッショナル保険への加入、健康保険への加入、結核に罹っていないことの証明、健康診断、Ｂ型肝炎の予防注射、破傷風予防注射をクリヤーすることがありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　講義は毎日昼食と休憩を入れて７時間、医療用語はちんぷんかんぷん、発音すらできなくてとてもついていけるとは思えない状態が１ヶ月ほど続いた頃、ようやく毎日提出の宿題を何とかこなすことが出来るようになりました。毎日６時間も英語の授業を受けると、家に帰ってもそれ以上は頭が受け付けません。予習も復習もできず、録音したものを聞く余裕すらなく、翌日を迎えていました。&lt;br /&gt;
　教室での授業がおおよそ終わると、レアヒ・ホスピタルのケアー・ホームでの実習が１０日間ありました。最初は１人の患者さんを担当して、ベッドの上で体をふいてあげたり、髭をそったり、歯を磨いたりします。そしてＲＯＭ（Range of Motion）、食事の介助、アクティビティーへの参加などです。&lt;br /&gt;
　先生が最も力を注いだのは、感染予防、体を痛めないような介護の仕方、ベッドから車椅子へのトランスファーでした。トランスファーは、一対一の場合、二対一の場合、電動リフトを使う場合に安全にトランスファーできるよう指導が繰り返されました。殆どの患者さん達が認知症です。食事を口に入れようとしても口を開いてはくれず、自分ばかり「あーん」と言いながら口をあけている始末です。&lt;br /&gt;
　慣れると今度は２人の患者さんを担当することになり、もっと効率よく仕事をしていかないと時間までに終わらせることができません。そして一日の最後に担当した患者さんのことを記録したものを提出するのですが、英語で書くのが本当に苦手で、いつも先生から叱られていました。たった２人ですら満足に介護が出来ず、ふがいない気持ちでいっぱいでしたが、そこで働いているＣＮＡは一人で１０人くらいを担当するのです。その研修の最後に、もう直ぐ亡くなっていく患者さんがどのようにして死を迎えるのかを実際に学びました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後教室に戻り点滴チューブ、尿道カ―テル、酸素チューブ、大便パウチなどを学び、次の実習はクアキニ・ホスピタルでの１０日間となりました。最初の日に５本のチューブを体中に付けている患者さんを担当するように言われ、見たとたんに怖くて動けませんでした。肺炎で入院しているその患者さんは病状が悪化した為、結局私の出来ることは無くて、ホットしたのでした。ケアー・ホームでの研修は初めての事ばかりで大変でしたが、どこか楽しさもありました。&lt;br /&gt;
　しかし病院では毎朝行くのが本当に怖くていつもドキドキ、オドオドしていました。隔離された患者さんの介護も担当しました。付き添っている家族の苦情も直に受けました。実際の患者さんの血圧を量るのも、自分の胸のドキドキが大きくて、脈の変化を聞き取れず謝りながらやり直しをしました。研修の最後にファイナルの試験を受け、無事卒業することができました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後、ハワイ赤十字（American Red Cross）で筆記と実技の試験を受け、合格してとうとうＣＮＡ(Certified Nurse Assistant)となりました。引き続きＬＰＮ(Licensed Practical Nurse)の勉強をしたいと意欲をだしたのですが、高校卒業資格と共に成績証明が必要と分り、日本に帰り高校に行ってみて、成績が既に破棄されていることが分り諦めなければなりませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　現在ＣＮＡとなるには、１８歳以上であること、ＤＨＳ（Department of Human Services）公認の１００時間以上の講習をうけること、アメリカン・レッド・クロスでの試験に受かることが必要です。学校はいろいろありますが、参考として、アメリカン・レッド・クロスでは、ＣＮＡコース１３０時間＄７９５、そして試験をうけるには、登録料＄１０、筆記試験＄１５０、実技試験＄９０が必要です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２年毎に資格の更新がありますが、病院や介護施設で働く人には自動的に無料で更新されます。訪問介護士の場合は、会社からの雇用証明と、１０月以降に実施されるＥｖａｌｕａｔｉｏｎを受け、さらに＄３５の費用を払わなければなりません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/11956209.html</link>
			<pubDate>Wed, 02 Jul 2008 10:41:09 +0900</pubDate>
			<category>その他の病気</category>
		</item>
		<item>
			<title>おばあちゃんは本当にアルツハイマーなのでしょうか。</title>
			<description>&lt;b&gt;超ユニークなアルツハイマーのおばあちゃん&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アルツハイマーの明確な診断は死後遺体を解剖してみないと、本当のことは分らないといいます。私が関わったおばあちゃんは本当にアルツハイマーなのでしょうか。この話は5年ほど前のことですが、今はある介護施設に入り元気にしています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　夜7時から１２時間の介護に行きました。前任者と交代する時には既に寝ている時が多かったから、目が覚めてからご対面となります。夜はよく寝る日と全然寝ない日があり、寝ない日のほうが多いです。部屋の電気は消して、トイレだけ点灯しておく。１０時頃から起き出し部屋の中を動き回る。何回もトイレに行くが、トイレを目の前にしていながらマットの上に漏らしてしまう。トイレに座るということが分らなくなってしまった。そこで、ベッドがきしみ起きあがるけはいがあると、それを別の部屋からそっと見守る。トイレのドアーを開けた。トイレに向かった。そこへさっと出て行き、「こうやってトイレに座るんだよ。」とデモンストレーションをしてみせるとけっこう上手くいく。だが声をかけるきっかけは早過ぎても遅すぎてもいけない。もう良いかと声をかけたとたん、&lt;br /&gt;
「あんた誰？」&lt;br /&gt;
と言って尿意を忘れＵターンしてしまうこともある。またはトイレに入って行くおばあちゃんを僅かに開けたドアーから今か今かと見ていると、トイレではなく鏡に向かって行く。入れ歯磨きのブラシをもって上目づかいに髪を解かし始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　部屋では、着ている服を脱いでしまう。ドレッサーの引き出しから次から次へと取り出したものを頭にかぶる。毎日のように繰り返され、ドレッサーの引き出しはどれも壊れてしまい、取り外されて外側だけの残骸になってしまった。薄暗い部屋で繰りひろげられる真夜中の光景はホラー映画なみ。ベッドに戻って寝てくれるように電気をつけずに、出来るだけ声はかけないように見守るが、もう寝てくれそうもないと判断すると、部屋を明るくして声をかける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　キッチンへ行き冷蔵庫を開けて猛烈に食べ始める。外に行こうとドアーを開けようとする。鍵は既に壊れてしまっている。足で押さえながら開ける振りをして、&lt;br /&gt;
「おかしいね。開かないよ。壊れたみたいだよ。」&lt;br /&gt;
と言うと漸く諦める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　夜でもたまには会話が成立することもある。汚れたオムツを換えてあげると&lt;br /&gt;
「あんたこんな汚い仕事よくやるねえ。」&lt;br /&gt;
と云ってくれる。&lt;br /&gt;
「この頭が悪いんだ。」&lt;br /&gt;
と言いながら自分で頭をたたくこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　おばあちゃんが私に教えてくれた言葉です。&lt;br /&gt;
「ことな。大人でも子供でもない人のこと。」&lt;br /&gt;
「自分で自分を見つける。」&lt;br /&gt;
「立てばビヤダル、座ればたらい、歩く姿はガスタンク。」&lt;br /&gt;
「意地悪ばあさん根性が悪い。」&lt;br /&gt;
「仰る通り、その通り、山のカラスの鳴く通り、銀座ちゃらちゃら裏通り。」&lt;br /&gt;
おばあちゃんの若い頃、日本でＮＨＫに長く勤めていたのが自慢なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私のシフトが昼間に変わった。昼間だから色々なことがしてあげられて、とっても仲良しになりました。今までは名前を覚えようともしなかったのに、今は忘れるけどその度にまた覚えようとするのです。ふだんは出来るだけ部屋の外に車椅子で連れ出してあげるのが、とっても嬉しいのです。相変わらず苦しいを連発するのですが、&lt;br /&gt;
「じゃあ、お部屋に帰る？」&lt;br /&gt;
と聞くと、&lt;br /&gt;
「苦しいけど未だ帰らなくていいよ、苦しいは私の口癖なのだから。苦しいと言ってもやたら人を呼ばないで。」&lt;br /&gt;
などと言います。&lt;br /&gt;
「私はあんたが来ると、どうしても甘えちゃうのよね。自分の母さんはもう死んじゃったけど。あんたは私の母さんだから。歳が上とか下とかは関係ないよ。」&lt;br /&gt;
なんて言います。時間になって帰ろうとすると、&lt;br /&gt;
「帰っちゃうの？淋しいよう！」&lt;br /&gt;
と、泣きまねまでしてみせるのです。そんな訳で私もはまり込んでしまっているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　けれど情緒不安定になると、&lt;br /&gt;
「あんたは私が苦しがっているのに何にもしない。意地が悪い。　」&lt;br /&gt;
「自分だけ美味しいもの食べて。　」　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
「早く早く、助けて、痛い、苦しい、苦しい、助けて、助けて、苦しい！！　」　&lt;br /&gt;
「ダイエイに行こう。苦しい、すしが食べたい。苦しい、助けて。」&lt;br /&gt;
必死に私の腕にしがみつき車椅子に座ったかと思えば、直ぐに立ち上がる。歩いてドアーまで行き私に開けさせて、外に出たらすぐに中に入る。ベッドにようやく寝かせれば、すぐにむくむくと起き上がる、トイレに１５分間隔で行き少しばかりのおしっこをする。こんなことを休み無く繰り返し続けます。火事場の馬鹿力のごとく、ものすごい勢いで動き回り、すごい形相で泣き喚く。とにかく私を疲れ果てるまで引きずりまわし、罵しり、そしてだんだんとおとなしくなっていきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ある日便秘が高じて、あまりに苦しがるので看護師を呼びました。２人がかりでベッドの上で浣腸をしてマッサージをして漸く大きな便が出た時に、&lt;br /&gt;
「おばあちゃん大きいのが出たよ。よかったね。」&lt;br /&gt;
と声をかけると、おばあちゃんは、&lt;br /&gt;
「男か？女か？」&lt;br /&gt;
と訊きました。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　ある朝おばあちゃんのところへ行くと、私の顔を見るなり、若いフィリピン人のケアーギバーを指差し、&lt;br /&gt;
「このガキは私が病人だと思っていじめるんだよ。ひどいやつだよ。懲らしめてやりたい。ぶっ殺してやりたい。」&lt;br /&gt;
と、涙をいっぱいためて私に訴えてくるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その日は一日中落ち着かず、苦しい、疲れた、痛い、を連発し、３０分か１時間おきにトイレに行き、その都度ちょびちょびおしっことうんこをし、疲れたと言うからベッドに寝かせると、直ぐにむくむく起きてくる。暑いと言って、カーデガンを脱いで、すぐに寒いと言い出し、またカーデガンを着せるという始末です。&lt;br /&gt;
「今脱いだばかりでしょう。」&lt;br /&gt;
と言えば、&lt;br /&gt;
「私は敏感だから。」&lt;br /&gt;
と言う。朝7時から夕5時頃までずっとこの常態が続き、さすがに私もムッとして言葉も切り口上になるのをぐっとこらえましたが、それでも私が怒っているのがわかったようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　苦しいを連発していると、本当に呼吸が困難になって苦しくなるのです。だから&lt;br /&gt;
「３０分だけでいいから寝ようね。楽になるからね。」&lt;br /&gt;
となだめると、&lt;br /&gt;
「30分寝たぐらいで良くなるわけが無い。」&lt;br /&gt;
と言うのです。それでも添い寝してなだめながら寝かしつけて、やれやれと一息ついた頃むくむくと起き上がってきました。でも落ち着いた様子だから、&lt;br /&gt;
「寝たから楽になったでしょう。」&lt;br /&gt;
と言ったら、&lt;br /&gt;
「寝たからよくなったんじゃないよ。あんたの顔見たからよくなったんだよ。もう喧嘩するのよそうね。」と、ああ言えばこう言う具合で、本当にアルツハイマーなのかと思わせるのです。そして&lt;br /&gt;
「あんたボーイフレンドはいるの？男はつくっちゃだめだよ。あんたを男に取られるのは嫌だからね。」おばあちゃんはとうとう私と二人で静かに暮らしたいと言い出し、帰るときには、泣き出しそうになるのを振り切って逃げ出してくる始末です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sunrisei08/11487553.html</link>
			<pubDate>Wed, 25 Jun 2008 18:12:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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