得能莫忘

あきらめない強さを持とう!

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ここ数日。
 
今更ながら、頭を悩ませていることがある。
 
「プロ」とは?
 
「成功」とは?
 
ブロ友の築100年さんの記事からだ。↓
 
築さんは、非常に真面目で真摯に物事に取り組まれているので。
 
わが身のちゃらんぽらんさが痛くなり、読み逃げ常習犯と成り果てている。m(__)m
 
 
手相見のAさんのお話。
 
美容師、ネイリスト、エステティシャンの方と異なり、休憩に立ち寄った場所でも「(無料で)観て」と言われるそうな。
 
言った相手が仕事中でも。。。
 
何だ?そりゃ?そんなことが許される職場状況って・・・???と思った。
 
Aさんは、それをお断りしているらしい。休憩中は休みたいからと言って。
 
 
それに対して、築さんは思う。
 
手相は道具が要らない。その場でお愛想を言って、名刺を配ればいい宣伝になるのに・・・。
 
確かに、そうだ。
 
実際に、そうやって営業をしている知人もいる(手相見ではないが・・・)。
 
 
昔。
 
上司に連れて行かれたクラブで(キャバクラではない・笑)、「オレ、手相が観れるんだ〜」と言ってきゃっきゃとホステスさんの手を握って喜んでいたおっさんを思い出した。
 
堂々と綺麗所の手を握れる大義名分ぞ!と、生温かく見守ってあげた。
 
 
「プロ」と「アマ」の違いとしてよく言われるのが、「金が稼げるか否か」だと思う。
 
「プロ」として食っていけるだけの勉強や研鑽を重ね、その技量をもって対価を得る。
 
だから、そこに矜持が生まれる。
 
 
日本語に変換すると。
 
「玄人」と「素人」。
 
「玄」と「素」。
 
色で言えば、「黒」と「白」。
 
様々な色(努力、汗、涙等々)を塗り重ねた結果、最終的に黒く染まる。
 
対して、生地のまま。自然のまま。まっさら。
 
そこには、大きな隔たりがある。
 
「玄」には、深遠にいたるという哲学的な意味もある。
 
深く深く掘り下げていくのが、「プロ」。
 
 
その道が見えない者は、成果物が「見えない」ものには対価を払うことを渋る。
 
流行のヘアスタイル、豪華なネイル、磨かれた肌やボディ。
 
技術を売る商売でも、成果物があるものはまだいい。
 
そうそう。数日前にじんさんから頂いたコメントにあった「型」も成果物に入るかと。
 
 
問題は「知恵」。
 
この「見えない」ものを、具現化するのが「成功」ではなかろうか?と。
 
 
自己啓発書(うさんくさい・笑)は、現世利益的なことで釣る。
 
スピリチュアル系は、現世利益を脱却した対人関係に重きを置く。
 
何を以って「成功」とするかは、各人の定義に。。。←逃げ(笑)
 
 
う〜ん。まだまだ悩みそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
「書く」っつーことは、発作だなと思う今日この頃。
 
貧血男子が、天気の悪い日に限ってやってくる。
 
そうですか。今度は心理学ですか。。。
 
ほう。
 
昨今の心理学(コミュニケーション分野)は、アサーティビリティが台頭しているのですか。
 
 
ジャイアン型
 
のび太型
 
スネオ型
 
出来杉君型
 
 
「俺はジャイアン型です」って、ねぇ。
 
その顔色で言われても。。。
 
 
暴力、暴言、破壊的音痴で他人を意のままに動かすのか。
 
他人に依存して自己解決しないのか。
 
虎の威を借って上手く立ち回るのか。
 
他人の意見を尊重して、なおかつ自分の意見を通すのか。
 
 
そりゃま。
 
出来杉君が理想なんでしょうねー(棒読み)
 
 
自分がジャイアン体質なのは、自他共に認める(笑)
 
だからというわけではないが。
 
原作読んでいて、出来杉君って「つまらなかった」んだよな。
 
 
なんでだろ?
 
原稿用紙を振り回す貧血君を横目に小一時間。。。
 
 
うん。『意外性』がなかったんだよね。
 
そう。『予想通り』。
 
 
昔知り合った物書きさんから聞いたこと。
 
フィクションにおける登場人物は、全て作者の持つ性格の一部分ずつを投影し、オーバーに展開させたものだ、って。
 
当たり前のことだけれど。
 
上記の4タイプは、自分がどのタイプに特化しているかであって。
 
そのものズバリだけ抽出しているはずがない。
 
していたら、とんでもなくホラーだ。
 
出来杉君だらけの世の中。
 
ジャイアンだらけの世の中。
 
うひょー。プルプルしちゃう。
 
 
しかし。
 
私の周りには、のび太が集まってくる。
 
これまた、ホラーなのだ。
 
 
ドラえもんではない。断じてない。
 
自分のドラえもんは、自分で探せ!
 
 
 
 
 
 
卒業生の大学で出された論文やらレポート、プレゼンテーションの校正やら相談に追いまくられている今日この頃。
 
ちょっと面白いネット記事をナナメ読み。
 
「完全な『パクリ』レポートを作成せよ」−大阪市大の課題、その狙い 常識や先入観を逆手に
 
というもの。
 
お読みになった方も多いかも知れない。
 
タイトルだけ読んだ時点で。
 
(とうとう大学の先生方もキレたか?)と思った(笑)
 
パクリをするなら、徹底的にやってみろ!
 
完コピしか許さん! とは、ね。
 
一瞬、完パクするだけの根拠論文や引用書籍を読ませる手段の一つか?とも。
 
それくらい、昨今の大学生のコピペはひどいらしい。
 
接続詞で繋げてもいないらしいからね。
 
 
ちょっと待て、よ。
 
ふむ。
 
これは、非常に難易度が高い。。。
 
条件が。
 
・ネット上や書籍に存在する既存の文章を組み合わせ、10箇所以上の異なる出典を明記し、
 
「自分で独自に執筆した文章を一字一句たりとも交えてはならない」
 
ですからっ!
 
さらに、
 
「論旨や文章が支離滅裂なレポートには単位を認定しないので、上記の執筆条件に厳密に従った上でレポートの日本語文章としての全体的な完成度を高めるよう留意すること」
 
と釘が刺されてる〜。
 
当然、外部からは賛否両論。
 
どの意見も、なるほどな〜と思ったが。
 
ひとつだけ、ちょっとひっかかったものがある。
 
「何の意味があるのかよく分からない」というもの。
 
記事としてまとめられているものだから、発言者の前後の言葉も態度も割愛されてしまっているが。
 
ここだけを読むと、思考停止してるな・・・とか。
 
こういう意見が新しい試みを潰すんだな・・・とか。
 
自分の世界でしか物事を捉えられない哀しさ・・・とか。
 
 
学ぶ姿勢は、古今東西変わらぬものがあると思うが。
 
学ぶ手段や方法は、時代とともに移り変わる。
 
新しいものをいかに便利なツールとして使いこなし、日常にしていくか。
 
これが、学びに価値を生み出していくのではなかろうか。
 
 
やってみなければ分からないことがある。
 
やる前から、文句を言うな。
 
やれといわれたら、とりあえずやれ。
 
やったら、思う存分にダメ出ししろ。
 
 
最初から無理だと思ったら、何もできない。
 
何としてもやると思ったら、悪知恵も沸く(笑)
 
 
現に、テーマは異なるが辞書や辞典から1文字単位で引っ張ってきた猛者もいたらしい。
 
素直に、そのパワーに脱帽。
 
でも、その作業中は絶対に楽しかっただろうな。
 
課題を出した先生の度肝を抜いてやるぜ、ウヒヒとか思って。
 
 
しかし。
 
課題を出した先生の最後の言葉にぞっとした。
 
『既存の言葉を組み合わせてコミュニケーションを行っている「自分」はどのような形で「オリジナル」なのか』という問いを考えてもらいたい。
 
完全な模倣が困難であるのと同様に。
 
完全な創造も、これまたかなり困難であるかし。
 
 
 
 
 
 
 

【番外編】 折り合い

今更ですが。
 
・・・ものすごーーーーーく今更ですが。
 
明けちゃいまして、おめでとうございますm(__)m
 
正月特訓からは、とっくのとうに身を引いたのですが。
 
何となく、よそながら眺めるものとなっております。。。
 
年末に、バタバタと転入生が二人。
 
入学手続やら、馴染ませるプログラムを考えたりして。
 
落ち着かない日々を過ごしています。
 
 
気ぜわしい季節は。
 
大人はもちろん、子どもも落ち着かない日々を送ります。
 
それが体調面に出るか、精神面に出るかは神のみぞ知る・・・。
 
と、達観しようとは努めているのですが。
 
いざ目の前にすると、自分の凝り固まった思考にがっくりくるものです。
 
 
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せめて。
 
何でも笑ってやろうと悪あがき。
 
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猫の好きな生徒を待って。
 
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・・・欠席だって(涙)
 
今年の課題は、『折り合いをつける』ですな。
 
 
ちょっと笑っていただければ、幸いですん♪
 
 
 
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世間様の「連休」という言葉に踊らされ・・・
 
とにかく禅寺に突撃したい相方の乗せられ・・・
 
館林まで突撃してきました(^_^)v
 
最初の目的地は、『ぶんぶく茶釜』の発祥である 青竜山 茂林寺。
 
イメージ 2
 
一歩寺内に踏み入れれば、そこはすでにお狸様の聖地。
 
私たちの後から大挙してやってきたお子様連れも、大喜び。
 
それぞれ句を刻んだ和尚狸が一杯!
 
イメージ 3
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どこかユーモラスではありますが。
 
拝観の際に頂いた縁起を書いたものに、ちょっとぞっとしました。
 
” 当寺開山大林正禅師に随い、応永三十三年伊香保から来て代々の住職に仕えた守鶴和尚は、元亀元年夏七世月舟和尚の代に千人法会があり喫茶の用に供する湯釜がなくて寺で困っていた際、一夜の中に何処からか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に供えたところが不思議に常に汲んでも湯は尽きなかったので、衆人はその無尽蔵の妙術に驚かないものはありませんでした。和尚は自らこの茶釜を紫金銅分福茶釜と称しました。其の後十世天南和尚の代まで百六十一年間当山に居りましたが天正十五年二月二十八日飄然と寺を去って行方がわかりません。後世守鶴和尚は狸の化身だと伝えるものがあり、遂に皆様ご存知の御伽話となったものでしょう。”
 
帰宅してから年表を調べてみたら。。。
 
応永三十三年=1426年
 
天正十五年=1587年
 
確かに、161年間。。。
 
でもって、応永三十三年にすでに何歳かであったはずだから。。。
 
うひょーって思ってしまいました。
 
伝説、説話、狐狸の類と言ってしまえばそれまでですが。
 
「飄然と寺を去って」しまった日付が明確なのが、なんともはや。
 
まして、その年。
 
太閤さんが、北野大茶会を催しているんですよね。。。
 
 
 
 
 
 

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