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11月25日(日)の午後、温かい陽気に誘われ、 亀山城址、亀山公園に行ってきた。 紅葉が丁度見頃で、午後の陽射しに照らされて、鮮やかだった。 亀山城(伊勢)について
伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって 伊勢国鈴鹿郡若山に築城された。 最近の出来事としては、まだ記憶に新しい。 2007年4月15日三重県中部地震発生。 亀山市西丸町で震度5強を観測。 その時にこのお城の石垣の一部が崩落。 紅葉した木立ちに彩られる古い歴史を持った城跡。 生垣のドウダンツツジが鮮やかに紅葉。 公園のもみじが午後の陽射しを浴びて。
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お城と公園
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今日、水曜日は朝からどんよりと曇った空で、朝仕事へ出掛けるとき 雨が降りだしそうな空模様でした。だけど、雨が降り出したのは18時 前からでした。 今日は松本城の写真を掲載します。 4名城とは「姫路城」、「彦根城」、「犬山城」、「松本城」だそうです。 この4つのお城はいづれも国宝に指定されております。 さて、あなたはどのお城のお殿様あるいはお姫様になりたいでしょうか。 (写真がないので姫路城は除いてお答えください。) 7月31日 掲載の犬山城 7月19日 掲載の彦根城 松本城(1) 松本城(2) 松本城(3) お城の内部(1) お城の内部(2) 黒門、お城へ入る正門 四柱神社
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以前から『清州城』は新しく、モダンなお城だなぁと思っていました。 このお城は築城からまだ20年経っていないのです。 清州城は400年前に廃城となっていたのです。 現在の清州城(ウィキペディアより) 尾張の英雄・織田信長公の天下布武への足がかりとなった城として名高い『清洲城』 清洲町の町制百周年を記念して平成元年(1989年)に再建されました。 しかしながら、資料がほとんど残っておらず、お城の外観は想定で作られて いるそうです。 慶長14年(1609年)、家康により清州から名古屋への遷府が指令され、 翌年15年、清州城下町は名古屋城下町へ移転。 清州城は名古屋城築城の資材として利用された。 特に名古屋城御深井丸西北櫓は清州城天守閣の資材をもとに作られ、 清州櫓と呼ばれる。 慶長18年(1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了した ことにより清州城は廃城となった。 お城 お城(五条川をはさんで!) 清州古城跡(1) 清州古城跡(2) 白壁の建物(蔵?) 濃姫像とお城
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伊吹山の帰り道に関が原古戦場に寄ってきました。 そこは、400年まえの天下分け目の戦いの決戦地です。 そこの写真を数枚撮ってきているので紹介します。 東軍 七万五千、西軍 八万五千の大軍がここに集結し、にらみ合い ここで戦ったのでしょう。 慶長五年(1600年)9月15日、午前八時 決戦まさに始まらんとす! とありました。 |
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お城は外観の華やかさにどうしても目を奪われる。 今まで、お城(天守閣)の内部の構造などを詳しく見たことはなかった。 前回、彦根城でお城(天守閣)の内部の柱、梁などを興味を持って 見ることが出来た。今日は犬山城の内部の写真を主に掲載する。 模型で見るように、外観は三重の構造。 しかし内部は4階からなる。 各々の階の広さは以下の通りである。そんなに凄い広さではない。 天守閣建坪 111坪 一階 納戸の間 87坪 二階 武器の間 76坪 三階 破風の間 25坪 四階 高欄の間 15坪 |





