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新聞連載で始まった五木寛之の「親鸞」。
今年は60万部を売り上げたベストセラーだとか。
来年からその「激動編」の連載が始まる。
親鸞像は一人ひとり違うのだろうけど、最近の五木寛之の本のすべてに真宗というのか、彼の信仰心が流れている。
タイトルにたしか「人間の覚悟」というのがあった。
彼にとっての信仰心とは「覚悟」なんだと知らされ唸る思いをした、流石だ。
特に嬉しかったのは沖浦和光との出会いである。
五木寛之も「戒厳令の夜」や「風の王国」でサンカに光を当てているが、沖浦和光から生まれたと言っていい「サンカの民と被差別の世界」を読んだあとの「親鸞」の連載であったから期待するものが大きかった。今のところの「親鸞」上下巻では「放埓人」という存在が描かれてはいたがまだまだ全然である。
これからの越後や関東で親鸞と被差別民との関わりに期待したい。
親鸞が「悪人正機」と言われる視点を確立したのは当時の悪人と呼ばれた人々との関わりの中で実感して体得し理論化したものだと信ずるからだ。流刑地・越後で親鸞を迎え入れてくれたのは散所民であり、関東で親鸞を支えたのは霞ヶ浦周辺の漁民や猟師が多かっただろう。
人殺しをする武士も当時は悪人の代表である。
救われない我が身の存在に頷きながらもなお、生き生きとした命の輝きを放つ彼らの中にこそ
人間の救いの本質を見出したに違いない。
来年からの「激動編」には、そんな親鸞像を期待したい。
大和朝廷の進出は農耕民による狩猟民への侵入、あるいは狩猟民の農耕民化と言えると思う。
農耕・定住といった民の上にはじめて課税・使役が可能になり、律令制が生まれる。
当然そこには定住民=良民・非定住民=賎民という思想が生まれることになる。明治までの封建制を貫いて農村という部落社会しか生き場所を与えなかったのが為政者の常套手段である。
しかしそんな枠にはまらない民がいた。その多くは非差別民と言われた。そんな彼等を五木寛之は何かの本のなかで「日本列島を流れる血液のようなものだ」と書いていた。言いえて妙である。
彼等なしには定住生活は成り立たないし、情報・文化も彼らが運んだろう。
そんな枠外の民=悪人こそが親鸞の思想を深め、親鸞に寄り添い続けた人だったと思う。
まぁ極論的だが。
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茨城の古河から水戸の間の人達を「あそこら辺は、おかしなのがいっぱいいるから」と茨城の人が言っていたのが、気になっていました。ちょうど「開祖」流布の範囲を指しています。この現代でも「差別」「異見」が残っているようで、恐ろしさを覚えました。
2010/12/9(木) 午後 11:32 [ 竹光侍2008 ]
社会現象として差別は存在し根深い問題であると同時に、自分のなかのそれといかに向き合うか、向き合い続けるかが大事ですよね。
2010/12/11(土) 午前 1:08
仏壇屋です、20年業界でお寺の裏も表もみてきました! 袈裟の検索でふとお見掛けして面白く拝読させて頂きました♪
因みに高田派では釈○○○3文字ですよ〜
2014/11/3(月) 午後 8:49 [ suk*a*ami ]