全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

私は「おかげさま」と「感謝」を多用する坊主は信用しない(笑)
そこにあるにはただの現状肯定と安住の匂いしかしないからだ。
宗祖を奉ってとことん持ち上げて、そこにぶら下がっているだけなら坊主の前にクソをつけとけ。

若い人が多い坊主の学習会で親鸞聖人の聖人とは何かとの問いが出た。
「偉い人につける尊称」という風に落ち着きそうだったのであえて言った。
「聖の人」だろう。
同じショウニンという発音でも「聖人」と「上人」がありややこしい。
歴代の門主には尊称として上人とつけているが、親鸞の場合は聖人である。
セイジンとは読まない。ということは、聖なる・立派な・という意味ではなく、聖(ひじり)として生きた人という意味を大事にしていると思う。
一般に「聖人」という敬称で呼ばれるのは、法然・親鸞・日蓮だけである。
元来「日を知り」を意味して太陽の司祭者・呪術者を指したが、仏教伝来後は「聖」の字があてられ、学徳の高い僧を「聖」と呼んだ。中世では諸国を遊行する僧侶の意味に変わっていく。
浄土教信仰の広がりと共に、寺院に定住せず深山の草庵に住んだり、遍歴しながら修業する半僧半俗の者が現れ「念仏聖」と呼ばれた。
聖は寺院において学僧に相対し、寺院経済を支える立場にあり寺院から離れて別所と呼ばれる場所に集住し活動拠点とした。名高いのは高野山にある高野別所であり、ここの念仏聖を「高野聖」と呼んだ。
「三昧聖」とは三昧堂(火葬場)を管理常駐する僧のこと。
寺院建立や修繕のために寄付を集め各地を遍歴し銭や米の寄進を受ける者を「勧進聖」と呼ぶ。武蔵坊弁慶が安宅の関で関守の富樫左衛門の前で読むのが勧進帳で勧進の目的が書かれた巻物形式の趣意書のことである。
「聖」とは浄土思想を民衆の中に入って広め、施しを受ける事で生活をする者で、基本的には賎民である。法難で流罪になったということは「非人」になったという意味だし、僧形の賎民を表す言葉は多い。

けっして親鸞や坊主を貶めようとしているのではない。
逆にその事を誇るべきだと思う。そこに立つべきだと思う。
真宗は奈良・平安の伝統仏教ではない、それは官寺・官僧とは異種の自由な姿としての求道者だったはずであり、権威や権力に価値を見出さない者達だったはずだからである。
そんな真に自由人達の集まりの中にしか平等の地平が開けては来ないのではないだろうか。

閉じる コメント(2)

やっと「腑」に落ちて来ました(笑)

「セイジン」の違う呼び方でなくて「聖の人」ナンデスね〜(^∇^)v

2010/12/17(金) 午後 8:59 [ 竹光侍2008 ]

顔アイコン

わかって頂けましたか、ありがとうございます。親鸞という人を神格化しすぎなんですよね、多分。もっと生の生き方から感じ取れるものを大事にして共感したいと思うんです。

2010/12/17(金) 午後 9:19 sup*a*an34g*v


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事