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家の娘が兎年生まれの「年女」ということでありまして・・。
兎のイメージを考えてみたら、なんとも貧困なイメージで(笑)
「因幡の白ウサギ」と「ウサギとカメ」くらいしか思い出さない。
わりと頭がいいにも関わらずツメが甘く、笑い者になっている・・そんな感じ。
証券市場では兎年は縁起がいい年とされているらしいが、どんなものか。
21世紀の今でも迷信を信じ、縁起を担ぐ。
人間とはそんなものだと言ってしまえばそうなのだろう。
「悲しきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
愚禿悲歎述懐の和讃の一つであるが、道教や陰陽道に根差した「物忌み」が当たり前の時代に親鸞はその在り方を嘆く。それによって生活のリズムが決定していたのだから今の占い程度の生半可なものではない、それを否定した。蓮如の時代になると「門徒ものしらず」と世間は揶揄した。
もともとは「門徒物忌みしらず」が正しい。蓮如の時代もまた物忌みが常識で、物忌みしない真宗門徒は非常識者と蔑まれた。
中学生くらいだったと思う、友達と初詣に出かけ破魔矢を買って来たことがある。家に帰ると破魔矢を見た親父が黙ってそれを捨ててしまったし、年末に消防の人が持ってくる鎮火のお札もすぐにゴミ箱に捨てられていた。当時は自分の親父は頭の固いクソ親父だと思って疑わなかった(笑)
お守りを持ったことは一度もない。
好きな女の子がくれたのなら、後生大事に持ってたかもしれないが。
良いことだけを人は欲しがる。
良いことを求めることは悪いことを恐れ避けることになっていく。
自分の現実をそのまま受取る生き方、現実に向かい合う生き方を求めるならお守りはいらない。
今年、年女の娘は占いに一喜一憂している。
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現状に「下駄」を履かせる事が出来るなら、「占い」も「呪い」とっても有効でしょう。
しかし、依存する事が、自分の人生に「無責任」を呼び込むと危ないデスね(笑)
自力を捨て「大いなるもの」に身を任せる精神で「占い」に向かうと、思いもよらない「啓示」があります\(≧∇≦*)
2011/1/8(土) 午後 4:13 [ 竹光侍2008 ]