世間へ「たわごと」

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人に対してよく「頑張って」とか「頑張れよ」とか言う。
応援してるよとか味方だよと言うような思いで便利に使う。
それでいい場合も多いのだけれど、抱えきれない程の問題を前に立ち尽くす人に
「頑張って」という言葉は無神経で無自覚な言葉だとの指摘もよく言われる。

確かに頑張り続けてボロボロになりながらもやっとやっと歩み続ける人、
成すすべなく立ち尽くす人に追い打ちをかけるようになお「頑張れ」というのは
相手のことを思いやる風につくろい、突き放す言葉にもなる残酷さがある。
すべてがそうではないのだけれど、自分を安泰な処において見下ろすならば
鋭利な刃物より冷たい言葉として相手には刺さる。

同じところに立とうとするなら「よく頑張ったね」と抱きしめるしかない。
一人じゃないよ、一緒にいるよと寄り添うしかない。

「頑張って」とはあえて言わずに、別の言葉を探しみようと思う。
言った言葉には責任が伴う。
自分はどんな言葉を選べるのか、そこに今の自分の本当の関わり方が表れてくる。

タイガーマスク現象

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2010年12月25日、クリスマス。
群馬県の中央児童相談所に「伊達直人」からランドセル10個が贈られた。
TVニュースで見た時、胸が熱くなった。
多分50代の方だろう、私もタイガーマスクの世代である。
その後同様の寄付が相次ぎ、1月12日までに全国の都道府県に及び、15日現在で約700件の寄付が寄せられ現金・商品券だけでも2400万円になるという。
収入のほんの少しを出されたのかもしれない。
質素な中からも少しづつ蓄えて出されたのかもしれない。
心の底から日本人もまだ捨てたものではないと嬉しくなる。

性善説・性悪説で分けられるほど人は簡単なものではなく、善悪合わせ持ったものが「人」である。
親鸞は「罪悪深重の凡夫」と名付けた。

最初の伊達直人もそれに続いたたくさんの伊達直人達も同じく凡夫である。
寄付をする前も後も。
その凡夫である最初の伊達直人が、本人は凡夫のまま後に続くたくさんの伊達直人達に仏として働いた。
また児童相談所の子供達が伊達直人生み出した仏とも言える。
色々なものを抱えたまま、悩み苦しむ姿がそのまま仏として働くという現実がここにある。
仏仏相念、往還二回向の実相と言っていいんだろうと思う。
子供達という仏を念ずる伊達直人という仏、最初の伊達直人を念ずるたくさんの伊達直人達という仏。
現実が浄土に変わる事実を教えられた。

涅槃経には「一切衆生悉有仏性」と説かれる。

一切の生きとし生けるものはことごとく仏性を持つ、と普通読まれるが

親鸞は
一切の生きとし生けるものがことごとく持つものを仏性と呼ぶ、と読み替えている。

特別なものではなく当たり前のことの中に人間の本来求めていることがあるのだろう。
遠くに求め過ぎている私がいるのだと思う。

タイガーマスク現象、もうすでにタイガーマスク運動と呼ぶらしい。

最後の忠臣蔵

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泣いた、久しぶりに映画を見て泣いた。

歳と共に涙腺がゆるくなっていることも、忠臣蔵が好きなのもあるだろうけど、
自分としては「ラストサムライ」以来の上質の映画だ。

時間があったので封切当初から行きたかった映画を見に行けた。
年末のTVドラマで田村正和主演の「忠臣蔵」にがっかりさせられていたし、役所広司が主演した映画の「十三人の刺客」にもがっかりさせられた。今度こそという思いがあったが見事に応えてくれた。

忠臣蔵のストーリーは今更言うまでもない。史実としては「元禄赤穂事件」、我々がよく知っているのは
歌舞伎・文楽で演じられる『仮名手本忠臣蔵』である。
「忠」とか「義」とか今は流行らないのかもしれないが、未だに忘れられることなくこの物語が繰り返される。色々な見方や意見もあろうけどこれは日本人の精神世界、心の琴線に触れるものである以上に価値観の一基準になっているのだと思う。日本人のDNAに刷り込まれているのかもしれない。

幕府の評定である「切腹」という回答は、輪王寺門主で上野寛永寺に居住する公弁法親王が将軍・綱吉に説いたと言われるが、最上の回答だったと思う。散る桜だからこそ美しい。

しかし、この映画では瀬尾孫左衛門にゆうと二人で生きて欲しかった。

だんだんと時間がたつ中で、可音を育てた16年が孫左衛門が内蔵助からあずかった16年だと思える。
討ち入りには参加出来なかった瀬尾もやはり討ち入りで死んでいるのである。四十七士と共に生き、死ぬ
道を内蔵助からの願いお聞き入れた時点ですでに選んでいる。
可音を嫁がせた後の自決で瀬尾の生涯は完結し、逆に寺坂吉右衛門は生き切ることで完結する。

こうしてブログを書いていても泣きそうになる。

清廉なその私欲のなさ、選び取ったものを貫きとおす潔さ、それはやはり人の心を打つ。
日本人は誰もがそうありたい。

葬儀から見る門徒制度

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最近「自分らしい葬儀」なんてことがマスコミで語られる。
私の周りの坊主達はだんまりを決めているかのように何も言わない。
元々は葬儀費用が高過ぎるという批判から散骨だの直葬だのと言われるようになり、今の「自分らしい葬儀」という流れにつながっていると理解している。

好きだった花に囲まれ、自分の好きな色に包まれ、自分の好きな人達に送られる。
たとえばイーグルスの「エスぺラード」が流れるなか出棺するのも悪くはないけれど、どれだけ好きなものを集めてみてもそこに自分はいないから仕方がないし、どこまでも中心は自分で個人性を超えようという視点は微塵もない。

大事なことは仏教儀式としての葬儀をするのか、通過儀礼としての告別式をするのかである。

通過儀礼の告別式なら思いつくまま好きなようにすればいいのである。葬儀屋さんと綿密に打ち合わせをすればたいていのことは出来るだろう。それはそれでありだと思う。
ただそこには坊主はいらないし、呼ぶ必要もない。風景としてまたBGMとして坊主がいるなら誰かに坊主の格好をさせとけばそれでいい。坊主はただお布施目当てに出かける必要はない、そんな最低限のプライドくらいは持ってもいいだろう?坊主は食わねど高楊枝である。仏事としての葬儀を依頼されたらタダでも行く気概を持て。それが真宗の坊主じゃないか?
祭壇は時代によって変わり続ける、その中で何を中心にするのかがハッキリすればいい。
簡単に言うと真宗の葬儀は「正信偈」で亡き人を送る、それだけである。
中心になるもの、それがわかればいらないモノが見えてくるはずだ。

葬儀という仏事を司る人を「導師」と呼ぶ。誰が導師をするかといえば亡き人の手次寺の住職である。
手次寺の住職は門徒の仏事の執行権を持つ。この関係を門徒制度と呼ぶのであるが平たくいえば所属である。まぁ最近はユルユルのグズグズにはなって来ているのだけれど。
この関係の元になっているのは「寺請制度」(檀家施度・寺壇制度ともいう)であるが、それは、

1664年(寛文4)に江戸幕府がキリスト教や日蓮宗不受不施派を禁制とし、信徒に対し改宗することを目的として制定し制度としとものである。仏教の壇信徒である証明を寺院から請ける制度で、いずれかの寺院を菩提寺として定め、その檀家となることを義務付けされた。寺院では今の戸籍に当たる宗門人別帳が制作され、旅行や住居の移動には証文(寺請証文)が必要とされた。宗門人別帳から名前が削除されると無宿(帳外)となり野非人(無宿非人)として扱われる。
封建時代において常人が非人に落とされるということは死刑宣告に近い。
当時非人に3種類の区分があり、

 1、代々の非人素性の者・・非人頭が支配する非人小屋に属し、小屋主の配下に編成される。

 2、非人手下(ひにんてか)という刑罰で非人になる者・・犯罪による非人への身分移動。非人頭に身柄が引き渡され完了。

 3、野非人・・非人組織に属さないままの浮浪状態にある者。経済的困窮などにより欠落(かけおち)し非人化し取締りの対象となる。また勘当を奉行所が許可した場合は人別帳から外される。

天明の大飢饉(1782−88、天明2−8)以後無宿者が大量発生し江戸に流入したため、無宿者を捕らえ佐渡金山の水替人足とした。遠島刑の流人は島流し、水替人足は島送りと呼び区別した。
江戸期の関東では関八州穢多頭の浅草矢野弾左衛門の支配下に入り、江戸には
浅草の車善七、品川の松右衛門、深川の善三郎、代々木の久兵衛、木下川の久兵衛の5名の世襲の非人頭が置かれていた。
このような背景から江戸初期において葬儀・法要を手次寺を呼んで勤めるという習慣が出来る。旦那寺は所属の信徒に人別帳を持つ特権で支配を確立した。

これをを未だに引きずっただけの門徒制度なら仏事としての葬儀はいずれ消えていくだろう。

さぁ、何から始めればいいのだろうか・・・。

河童とサンカ

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はっきり覚えていないが「ゲゲゲの女房」の中で水木しげるが
「妖怪の住めんような世の中は淋しい」という意味のセリフを言っていたように思う。
まったくだ。

科学は科学で進歩すればいいのだけれど、人間の精神世界の中に人智を超えたものに対する畏敬や恐怖、あるいは憧れ、尊敬と言った感情は普通の精神活動をする人ならば消えない。

日本の三大妖怪といえば「鬼」「天狗」「河童」である。
中国になにかルーツがありそうにも思えるが、一応そうなっている。
その中の河童。
河童の絵というと清水昆の漫画を思い出すが、日本画で河童といえば小川芋銭と言われる。
最近亡くなられた岩崎巴人の河童もいい、すごくいい。一枚持っている(笑)

河童とは、川(かわ)+童(わっぱ) 「かわわっぱ」が変化したものだと言う。
形態的に二種類いるそうで、亀形態と類人猿形態があるらしい。

中世は知らない、しかし近世の河童とは「サンカ」を指したものだと思う。
「サンカ」、山家という表記をすることもあるが、春から秋に川魚漁をしながら流浪した人々である。
実入りの良かったものはスッポン・亀・ウナギあたりらしい。
それぞれ決まったコースを家族単位で漁をしながら周り、生活していたと言われる。
このグループを作らない自立形態を五木寛之は「風の王国」で「めんめシノギ」という言葉で表している。各々が自分で食べて行けという意であろう。
ショーケン主演の「瀬振り物語」という映画もあった。
河原に小屋掛けをして最小限の荷物。お得意を回り信頼もあった。でなければ生きていけない。
冬は竹細工や棕櫚箒作りをしながら春を待った。
三上寛の作ったサンカのイメージは論外で、柳田国男は「古代山人末裔説」、喜田貞吉は「坂の者説」をとった。沖浦和光は江戸中期以前の文献を調べ、サンカらしい記述がみつからないことから江戸の三大飢饉である享保の大飢饉(1732)天明の大飢饉(1782〜87)天保の大飢饉(1833〜39)で食いはぐれた人々が山に入ったものがルーツではないかととなえている。
そんな人々が戦前・戦後までいたのである。

そんな人達の姿を想像して欲しい。褌一丁で手にはヤスをもち、背中に竹かごを背負って川から現れる。
農耕定住民はさぞ驚いたことだろう。普段人との繋がりが少ない分、物珍しさに近づいてきた子供と遊びたかったろう。そんな時は洒落た遊びなんぞしらないから多分こう言った。
「相撲をとろう」

河童の絵を見ると「サンカ」を思う。
枠外の人達の不自由で厳しい中にも、生き生きと輝く命を思う。

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