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「社会の分断」と呼ばれる現象ですが、
これが深まると、情報が事実か否かよりも、
帰属している、あるいはしたい集団に
都合のよい物語だけが大切になります。
二〇一九年を迎えました。
新しい年には希望を託したいものです。
時間はつながっているので、その中身を考えるためにも、昨年一年を振り返ってみます。
印象に残ったことの一つに森友学園との国有地取引を巡る財務省の決裁文書改ざん事件がありました。 この事件は、いまという時代を象徴しているように思えました。
どこがそうなのか。
公文書は不可侵な存在です。
改ざんなど想定外。
その理由は国家や社会の根幹にかかわっています。
世の中には多様な意見を持つ人がいるので、私たちは議論をして決めます。
議論には事実の共有が不可欠です。
その事実の共有のために公文書はあります。 それを記録する公務員について、憲法一五条二項は「すべて公務員は、全体の奉仕者
であって、一部の奉仕者ではない」と定めています。 ところが、財務官僚はあたかも「一部の奉仕者」のように振る舞い、文書を改ざんしました。
携わった官僚はその行為が歴史への犯罪で、国民主権への侵害であることを知っていたはずです。
知っていたのに、なぜやったのか。 当人にしか分からないこととはいえ、少なくとも「全体の奉仕者」の「全体」の重みをさほど感じていなかったはずです。
実際、主権者たる国民とか、国民全体という概念は軽くなっています。 全体より自分、もしくは自分と仲間のみという風潮は世界で一段と強まっています。
「社会の分断」と呼ばれる現象ですが、これが深まると、情報が事実か否かよりも、帰属している、あるいはしたい集団に都合のよい物語だけが大切になります。 働き方改革や外国人労働者を増やす改正入管難民法の国会審議では、役所が事実をごまかした資料を出しました。 新安保法制以来の熟議を欠いた採決は、昨年も多くの法案でなされました。
現在の政権与党は「全体」よりr帰属する集団優先なのです。
こうした流れを反転させたい。 もう絶望しているという声も聞きます。 でも、社会に絶望することは人間に絶望することで、それは自分への絶望に転じます。
事実を追求し、分断にあらがってつながろうとする人びとの動きを追う。
その先に希望も浮かんでくるはずです。 そうした紙面を今年も目指したいと思います。
新年から紙面は少しですが、変わります。 「本音のコラム」では河村小百合さんに代わり、青山学院大の三木義一学長が執筆陣に加わります。
また週に一回、部長もしくはデスクが書く新しいコラム「編集局南端日誌」を始めます。
本年もよろしくご愛読ください。 (特報部長・田原牧)
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