|
成人を迎えるあの20年前はこうだった。
1995年
ドリームズ・カム・トゥルー 「LOVE LOVE LOVE」
成人を迎えるあの20年前はこうだった。
◆
実は私はこの1995年に流行した歌、ドリームズ・カム・トゥルーの「LOVE LOVE LOVE」はyou tubeで初めて聴きました。
ポケベルが最高の契約数だったんですね。
私はその当時には携帯電話を持っていましたが、まだまだポケベルが主流で高校生のほとんどが今のスマホを持つのと同じように使っていましたね。
Windows 95ですか。
シーラカンスの時代のようですね。
今でも使っている人がいるんでしょうか?(笑)
あれから20年。
次の時代の
到来ですね。
|
日記
-
詳細
コメント(0)
|
12/24の東京新聞より
「白杖」を掲げたのを見たら臆せずサポートをお願いします。
視覚障害者が助けを求めて白杖を掲げるポーズ「白杖SOSシグナル」写真上(シンボルマーク)=を紹介した8日朝刊の記事について、読者の方々から「初めて知った」 「世間に広まれば」などの反響が本紙に寄せられた。
考案されて四十年近くたっても、あまり知られていなかったが、インターネットを通じて記事が拡散し続けている。
関係団体は、シグナルを見ても「腕や白杖を急に引っ張らないで」と注意点を挙びながら、理解がさらに広がることを期待している。(荘加卓嗣)
「今まで知らなかったが、これから街で見かけたら行動する。 ポーズを知り、手を貸そうという動きが社会に広がっていくといい」。
本紙にメールを寄せた埼玉県ふじみ野市の無職大野安雄さん(69)は話す。
約三カ月前、自校の女性と同じ電車に乗り合わせた。 女性が下車する際、手を貸さなかったことを悔やんでいるという。
女性は白杖を掲げていたわけではなく、壁伝いに降りられたが、大野さんはとっさに動けなかった。
「動きたくても動く勇気がない人も多いと思う。
ポーズを示してもらえれば動きやすい」
白杖SOSについて、電話やメールで本紙に寄せられた反響は二十一日までに十四件。 「発言」欄への投稿も四件あった。
「知らなかったし、周囲に知る1人もいなかった」 (東京都世田谷区の男性)、「これからは積極的に助けることができる」(新宿区の男性)などだ。 本紙ホームページに掲載している記事は、フェイスブックで六千件近くシェアされ、異例の広がりを呼んでいる。
日本盲人会連合にも電話が十三件あった。 鈴木孝幸副会長(59)によると、多くは「これからは気を付ける」 「どのようなときに掲げるのか」などの内容。
中には「もっと目立つように掲げたら」という提案もあった。
鈴木副会長は善意の輪に驚きつつ、注意してほしい点を挙げる。
「腕や白杖をいきなり引つ張られると、恐怖を感じる。
まず要望を聞き、肩や肘を貸してほしいのです」
視覚障害者の間でも、ポーズが一般化しているわけではない。 「こちらから声を掛けた方が早いから、ポーズをしたことがない」。
全盲の守屋智恵さん(29)東京都中野区はこう話し、「盲導犬の存在くらい認知度が広まればいい。
そうしたらやってみようかな」。
白杖を掲げるポーズが広まると、「掲げていない人には気を配らなくてよい」という風潮につながらないか、懸念もある。 全盲の中屋敷綾さん(27)板橋区=は「白杖を掲げていなくても、困っていそうだったら声を掛けてほしいし、声を掛けたら無視しないでほしい」と訴える。 「私たちば、無視されるのが一番困るんです」 ◆
私は3歳から13歳の間、東北の小さな町に住んでいたとき、隣のお兄ちゃんが目に怪我をし、町の眼科医に入院した。
何度か見舞いに行くと、私に手の指を目の前に出してくれ、と言い人差し指を出した。「うん一本だ」と言った。
二本、三本と何度か繰り返しそれに答えていた。
それが何か月か経つと、指が見えないと言う。
おばさんが、東北大病院に診てもらうことにした。と言い、仙台に行った。
手遅れだと思うが手術をすることになった。
結果は網膜が付かないということで、残念だが盲人になった。
おばさんは、私がもっと早く東北大病院に連れていけば、こんなことにならなかったと息子に申し訳ないことをしてしまったと毎日、悔やみ切れない顔で泣いていた。
それから私たち家族は東京に引き上げた。
私が中学の3年生のとき、お兄ちゃんは杉並にある国立光明寮という盲人学校に入学した。
夏休みや冬休みになると私は、学校にお兄ちゃんを迎えに行き、家で一泊し、翌日、上野駅に送り、列車に乗せた。
東北のある駅におばさんが迎えに来て、学校との送り迎えを2年間繰り返した。
お兄ちゃんは白杖を持って、私の肩に手を掛けながら普通の人より足早に歩いた。
お兄ちゃんも私も背が大きいほうで、白杖を持っている我々を見て、周りの人たちが不思議そうに見ていた。
お兄ちゃんにそのことを話すと、面白がって私にもっと早く歩くべ、と言って歌を歌いながら歩いた。
あれからもう60年になる。
だいぶ前にカラオケで歌ったときのカセットテープを送ってくれた。
もう85歳になるが、私を幼いころから可愛がってくれた大好きなお兄ちゃんだ。
|
|
有馬記念と給与格差
今年も競馬の社会では最後のG1レース第59回「有馬記念」が12/28に中山競馬場で行われます。
「有馬記念」の優勝賞金は2億円でダービーと同じです。
そこで「有馬記念」の優勝賞金とサラリーマンの給与を比較してみたいと思います。
平成24年度の大卒の初任給の平均は厚労省の調べだと「199,600円」となっています。
面倒なので平均初任給を200,000円とします。 「有馬記念」が最初に行われたのは1956年で、優勝賞金は2,000,000円です。
さて、ここからが問題です。 1956年頃「13,800円」というフランク・永井が歌ってヒットした歌がありました。
その「13,800円」が当時の大卒(男子)の初任給ということでした。 とすると、第1回「有馬記念」の優勝賞金は大卒初任給の約145倍ということになります。 別の角度から考えると、当初の「有馬記念」の優勝賞金2,000,000円が100倍の2億円になったわけですから、サラリーマンの給与も100倍の1,380,000円になるべきではないか。
という計算が成り立つわけです。 競馬はギャンブルで行っているのだから、競馬に関係しない人は知らない。
とすると、大企業の一部や、NHKの職員の平均年収、1780万円は何なんだ!ということです。
現実に平均月収1,480,000円を貰っている人がいるということです。
これはギャンブルではなく、皆さんが毎月支払っている聴取料でNHK職員を賄っているということなんですよ。
そういうことなのでアナウンサーは、NHKを代表し、お礼の意を込めて?画面から笑顔を振り向まいているわけですネ。
|
|
今日の東京新聞「こちら報道部」からです。
全ては福島原発事故の放射能を封じ込めることが先でしょうが。
東京電力の呼びかけで先月、福島原発事故による風評被害の払拭を目的にした「ふくしま応援企業ネットワーク」が設立された。
福島県産品の積極購入を進めるというが、深刻な減収に直面する被災農家などの支援にどれほどの効果があるのか。 (榊原崇仁)
応援企業ネットは東電をはじめ、鹿島や清水建設、大成建設、竹中工務店、日立製作所、東芝、三菱重工業、三菱電機、富士電機、関電工の計十一社で構成する。
原発と縁が深いゼネコンや原発プラントメーカーなどがずらりと顔をそろえるが、東電広報部は「廃炉作業などを通じて福島の地域実情に詳しい企業に声をかけた」と説明する。 先月十八日に東電本店であった設立総会では事業計画について協議。 社員食堂用に福島県産品を積極購入する▽贈答品や記念品で県産品を活用する▽社内広報誌で福島の観光プランを紹介する▽福島の食材の安全性について理解を深める−などの方針を確認した。
これまでに東電は福島の復興支援として、事業計画にある取り組みのほか、福島の特産品の社内販売会やウェブショッピングなどを実施しており、今年九月までに会社、個人を合わせて四十二億円の購入実績がある。 こうした実践を広げるため、応援企業ネットを設立したという。
「参加企業はいずれも日本を代表する会社。 組織的、継続的に連携することで大きな成果が上がると考えている」 (東電広報部)
東電は活動のPRにも積極的で、同社のホームページには、設立総会の様子を写真入りで伝えるコーナーを設けた。 業界紙の電気新聞も総会翌日付の一面で報じている。
ただし、効果のほどは不透明だ。 被災農家や企業を重点的に支援すべきだが、どこから何をどれだけ購入するかの数値目標などほ設定していない。
さらに言えば、東電に期待される風評被害対策は、福島県産品の購入にとどまらず、長期で十分な賠償を実現することだ。 記憶の風化も手伝って今後、「風評はなくなった」という印象が広がる一方で、売り上げが回復しない状況が続くことは十分に考えられる。
ところが、東電は減収の原因を事故と認めず、「事業縮小は自主的な経営判断に基づくもの」などとして賠償を拒む例も目立つ。
風評被害に関する賠償請求などを支援する「ふくしま原発損害賠償弁護団」の渡辺真也事務局長は「被災者側が裁判外紛争解決手続き(ADR)まで持ち込んで争うことも少なくない」と指摘する。 JA郡山市(福島県郡山市)の担当者は「生産者側の収入が通常時の水準に戻るまで、減収分は補てんしてもらわないと困る」と訴える。 東電の旧経営陣らの事故責任を問う「福島原発告訴団」の武藤類子団長はくぎを刺す。 「原発関連企業が原子力の負のイメージをごまかすだけのパフォーマンスにしてはいけない。被災者一人一人が今もどんな窮地に置かれているか把握し、丁寧に対応していくことこそが求められている」
記事は取材を素直に報じている。
気になるのは、
ところが、東電は減収の原因を事故と認めず、「事業縮小は自主的な経営判断に基づくもの」などとして賠償を拒む例も目立つ。
という字句である。
建前論では、福島原発事故の風評被害を食い止め、被災者を応援しますよ。という
ポーズである。
放射能をいつまでに、封じ込められるのか。
その計画説明がないまま、ただ風評被害を防ぎましょう。では頭隠して尻がモロに見える、隠れ鵺(ぬえ)の正体を見ているのと同じではないか。
私は前から言っていますが、3.11以降、福島、茨城の海産物、農産物は買わないように、食べないように心がけています。
本当に福島の産物を売ることに協力する気があるなら、食品表示法に則りとか何とか言わず、官と民が全ての食品の放射能検査を行い、放射能が検出(基準値以下)されなければ、堂々と表示することです。
それまでは怖くて買えないし、食べられませんね。
ものはついでですが、先ごろ「ペヤング焼きそば」かに、ゴキブリが混入していたと報じられ、会社は全ての生産を中止したとか。
その余波かどうか知りませんが、ネットでは1個1万円の値が付いたとか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、家には3個の「ペヤング焼きそば」がありました。
食べるのも何となく気味が悪いので、放射能とは関係ないと思いますが、記念に残しておこうと思います。
|
|
民・維 競合大幅減
共倒れ回避へ選挙区調整
2012年の前回衆院選では、野党候補が同じ選挙区で乱立して、反自民票が分散し共倒れしたが、今回は競合する選挙区は大幅に減少する。
しかし、次世代の党、共産党とは、ほとんど調整が図られないまま、十二月二日の公示を迎える。 (横山大輔)
民主党の岡田克也代表代行は、維新の党との選挙区調整について「かなりうまくいった」とブログで自賛した。
例えば、千葉13区では維新前職が別の小選挙区に移り、民主前職との競合を回避。
三重1区では民主新人と維新新人がともに出馬する構えだったが、民主党が新人の公認内定を取り消した。
前回衆院選に与党として臨んだ民主党は小選挙区の大半で候補者を立てたが、維新の前身の旧日本維新の会と約半数の選挙区で競合。
生活の前身の旧日本未来の党や、みんなの党とも票を奪い合い、自民、公明両党の圧勝を許した。
今回は、前回の反省から、自公両党に対抗するには選挙区調整が必要だとの機運が野党内に高まった。
民主と維新は「当初は四十超」(岡田氏)だった競合選挙区を半減させた。
みんなの党が解党し、生活から民主党に復党する前職が複数いたことも、野党のすみ分けを加速させた。
だが、自公両党に代わる政権の受け皿を提示するまでには至っていない。
野党間の公約の違いは明白で、共通政策も一部にとどまる。
各党の地方組織の意向が影響し、調整を断念した選挙区も残る。
維新の江田憲司共同代表は「与党を利することはしないが、維新は維新として戦う」と個別に選挙戦に臨む姿勢を強調する。
加えて、次世代の党は独自候補の擁立を進め、民主党とは二十以上の選挙区で競合する見込み。
民主党内には、保守色の強い次世代は自民党の票を奪い、他の野党候補が有利になるとの見方もあるが、確証はない。
原則全選挙区で候補を擁立する方針の共産党は沖縄を除いて調整に加わらず、各選挙区で与党のほか、他の野党候補とも争う。
「転ばぬ先の杖」ということわざがあるが、原発ひとつ取ってみても、今の安倍自民党政権は「転んだ奴は放ったらかしておけば良い」という考えで突き進んでいる。
そして情けないのが転んでも「誰のせいでもない、みんなオイラが悪いのさ」と諦めている人も多くいることだ。
選挙とは民衆の意見を投票に図るわけだが、まだ、「オラガのセンセイ」がまかり通っていることや、若い人もスマホでゲームをやっている場合じゃないだろうと思うのだが、あと2〜3の原発が事故を起こしてもポカンとして、「どうしたんでしょうね」と言うのがオチなんでしょうね。
そうならないようにしたいものです。
|


