すわのものがたりを語るブログ

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天武の治世の末頃、諏訪国が信濃国から
独立した。続日本書記によると、養老五年(721)六月割信濃国分置諏訪国分家のとの記載がある。諏訪国の分家置はわずか十年余りで終わっており、天平三年三月(731) には、再び信濃国に併合されている。この十年の諏訪国の成立の理由だが、諏訪明神の神威発揚が最大の理由と考えられる。当時朝廷では、諸国において『風土記』の編纂に取りかかっていたのだが、諏訪明神を戴く諏訪の国から、(諏訪、伊那、筑摩の一部) は、独自の風土記を編纂しようとしたことから読書したと思われる。では、何故再度信濃国に併合されたかというと、朝廷

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の政策で諸国に置かれた『国分寺』が諏訪には置かれなかった事が原因と言われる。
諏訪明神の神威が強く、仏教を受け入れなかったことが理由と考えられるが、
とまれ、諏訪国が一つの国として独立していた時代があったのである。

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