GO!GO!Bびんご〜今朝のひとこと&徒然エッセイ

経済・政治・社会・建築の気になる話題を独自の視点からチェックします。

レディオBINGO 社会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

今、小学校に英語教育を導入すべきか否かの議論があるようですが、導入に反対する議論として、「学力の全体的低下が懸念される中、なぜ英語だけにそんなに注力する必要があるのか。」という声もあるようです。しかし、現代のような国際化の中で、英語ができることは、圧倒的に有利なことは間違いありません。
IT技術の発達で世界中の人々がインターネット上で情報を共有できるようになり、その情報量は膨大です。世界の知的資産の9割は英語で書かれていると言われているのです。技術論文、ビジネスにかぎらず、先端分野では英語が必ず必要になっています。特に、相手に自分を認めさせようと思えば英語を話すしかない。これが現実です。
 ほとんどの日本人は英語コンプレックスを持っているといわれています。「英語を勉強する為の英語の授業」「こつこつ机の上で学ぶ英語」を続けた結果、多くの人が英語嫌いになっているのだと思います。英語が好きになる為には、小さいうちから楽しい英語や役に立つ英語に接すように仕向けることが大切だと感じています。
私は、小学校の英語の時間を増やすよりも、音楽の時間に「英語の歌」をたくさん取り入れたり、体育の時間に英語だけで授業をしたりするのがいいんじゃないかと思うのです。音楽の曲の中で英語を自然に覚えたり、体育の時間では、先生がスタンダップ(起立)とか
ワンスモーア-(もう一度)とかいいながら授業をすれば、自然と英語が身につきます。さらに、算数や社会などの授業でも徐々に英語するようにすると、「英語を勉強すること自体を目的とした勉強」ではなく、「役に立つ為の英語の勉強」、「道具としての英語」ということが認識しやすくて、楽しみながら勉強できるのではないかと思います。
自分の経験で言うと、「英語のコミュニケーション」というのは、必要性と興味から高まって来るんだと思います。私は、大学を卒業して商社に入社したときには、ほとんど英語ができませんでしたが、入社一年後、会社からインドネシアのジャカルタというところに、行かされてしかも、はじめてインドネシア語を大学で勉強するように命じられてから、生きたコミュニケーションとしての英語を意識するようになりました。インドネシア語の授業を英語とインドネシア語だけで教わるのですから、最低英語がわからなければ、授業も何もできません。手段としての英語だったわけで、ドライバーのような道具を使うのと一緒で、慣れてくれば自己流でも使えるようになるものです。「語学」を「文学」と認識するから「言葉の壁」が高くなるわけで、気取った表現がたくさん出てくる文章・小説・映画などは理解できなくて当然だと思って、身近なところから英語に入った方がいいんじゃないかと思うのです。日本人が日本語を話す時も、ひとつひとつを主語・目的語・述語みたいに、完全な文章をしゃべりませんよね。英語も会話では、きちんとした文には、なっていないものだということを理解できれば、「通じる英語」を優先した方がいいような気がします。
日本人が英語を学ぶ時、完全な文章をつくらなければいけないという意識が優先してしまえば、なかなか英語に慣れることは難しいのではないでしょうか?英語に道具としてなれて楽しむことということを英語学習では優先すべきではないかと思います。

世の中いろいろ便利になってきてます。「携帯電話」しかり、インターネットしかり。また、人の移動においては、新幹線「のぞみ」や飛行機を使うと、福山から日帰りの出張もできますよね。けど、そのおかげで本当に人の暮らしが楽になってるといえるのでしょうか?物事が便利になればなるほど、それを前提により多くの事を求められるような時代になってきているような気がします。例えば、携帯電話で2.3回電話しても通じなくて、折り返しの電話が一日かからなかっただけで、「連絡をしてこん奴。」だとか、「わしを、さけとるんか?」とか、いってませんか? そんなこんなで、着信があると、「早く書け返さないと…。」なんて思って気がせいて「便利だけれど、楽になったとは、必ずしも言えないなあ。」と多くの人が思っているのではないでしょうか? 昔、電気がはじめて通じたころには、恐らく、皆本当に便利になったと思ったにちがいありません。「夜遅くまで、本が見え、一日の生活時間がながくなったし、遠くの人とも電話で話しができるようになって、わざわざその人に会いに行かなくても、用事を伝えることが出来るようになって」ほとんどの人は、便利になり、楽な時代になったと思ったに違いありません。 しかし、今の便利さは、どうなんでしょうか? 結構きついと思うことはないですか?忙しいという言葉は使っちゃいけない、とよく言います。忙しいという字は、心を亡くすと書くのだから。まずは忙しいと言わないこと。言えば言うほどしんどくなるだけですよね。

私は、蒸気機関の発明からはじまった産業革命から、人は物質的に豊かになり、便利になりましたが、昨今の情報革命では、スピードがどんどん早くなり、「寛容と辛抱」のこころをなくし、精神的に貧しくなってきているのではないかと思います。
「情報革命」では、人の処理能力がどんどん求められて、人情が入り込む余地をどんどん狭めているような気がします。そして、なにも楽にならないのに「便利」の代償は確実にたまり、環境なり健康なりにつけを請求するようになってきているのではないでしょうか。最近しょっちゅう「便利」について考えさせられているので、「便利と楽」について、つれづれなるままにお話しをしました。

確定申告も終わり、いよいよ年度末を向かえましたが、国税庁の調査によると、日本では年間所得が5000万円以上の高額所得者ですら寄付をしているのは、約10%だという事です。アメリカでは、個人納税者全体のの3割以上が寄付をしているようですが、アメリカ並みに寄付が増えれば、寄付を受ける民間の公益サービスが強くなるわけですね。何故こんな話をするかというと、先週、「寄付金への優遇拡充」という見出しでの日経新聞のトップニュースがありました。記事では、「政府は、公益法人制度改革の一環として、財団・社団法人などを対象に、寄付金を優遇する対象法人を増やして、高齢者福祉や国際交流など公益性の高いサービスの担い手として育成を促すことをはじめる。」というのです。財団法人や社団法人は、今、官僚の天下り先になっているとして、非難をあびていますよね。世間では、荒っぽい議論で、全部財団法人や社団法人を廃止してしまえば・・・という話もあるわけですが、これらの公益法人が今でも公益サービスの一部を担っている事は確かな事です。政府はその選別に入ったというわけです。
例えば、社団法人 福山青年会議所などは、天下りもいませんし、本当の民間組織でボランティアとして、まちづくりを担って活動している団体です。福山のばら祭なんかは、この福山青年会議所メンバーがボランティアとして働いているからこそできているわけで、それによって充実した内容のまつりを、本来かかる費用を大幅に節約できているわけですね。
公益法人は、学校法人・宗教法人を含めて、現在、日本に25,000を超える団体があるそうです。その中で、例えば、日本ユニセフ協会などは、寄付金控除を受けられる団体として活動しているという事はご存知の方も多いと思います。うちの父も、時々ユニセフに寄付をしたりしてますが、確定申告で控除を受けています。

少子高齢化のもとで負担が重くなる年金、医療や介護制度を、どう整備するか。教育や育児、郵便を始めとしたサービスを、どこまで政府が担うべきか。政府は打ち出の小槌のように、お金を無尽蔵に使えるわけでもありませんし、また、どこまでも増税をすればいいというものでもありません。財政赤字が拡大したから、公共的な仕事を減らせばいい、というのは構造改革の本質では無いわけです。
どうやって、社会の公共的な仕事を運営していくかが、今、問われています。

 日本では、とかく「公共的」なものは、政府の仕事だと決め付けがちでした。しかし、今漸く、日本でも、理解が深まりはじめたことが、2つあります。一つは、公共的な仕事もその多くは、民間団体や企業もしくは、NPOに委ねた方が上手くいく場合が多いということ。つまり、民間団体では、安くて高品質のサービスを提供できるばかりか、地方ごとに異なったニーズや時代の変化にも柔軟に対応しやすいわけです。
 もう一つは、本当に必要な公共サービスは何かということについては、国民が主体的に考え、選ぶことが大切だ、ということです。国としてやるべきこと、地方でやるべきこと、そして民間に任せるべきことを、私たち自身が考え、選択する中で、社会への参加意識も高まってきます。民間でできることを民間がやることで本来の民間活力が引き出されます。これが官から民へ、中央から地方へ、という構造改革の本質だと思います。寄付金の問題は、個人個人がこの公益的な仕事を、分野別で選んでサポートするという民間で公益事業・公益団体を支えるという仕組みの根底の問題です。

今後、観光や福祉・環境などもどんどんNPOなどの民間が中心となり、行政サービス以上のことができるようになると思われます。そして、寄付金控除が認められる団体もどんどんNPOなどに広がっていき、民間の公益団体がしっかりしてくると思われます。寄付金がどんどん増えて、その分税金が減ってくれば、行政も小さくなって行かざるをえません。行政の仕事として、何が最小限必要なのかという議論を市議会を中心に色んな場所で、今後しっかりしなければならなくなると思います。これからの地方行政のあり方は、これから市民全体で自ら新しい枠をつくりながら再構築されていくんだということですよね。市民が行政サービスよりNPOや民間を選ぶ時代がすぐそこまで、見えるところまできているということを、「寄付金と公益サービス」における変化から今日は考えてみました。

開く トラックバック(1)

もうすぐ新年度ですね。ところで、新しく就職や入学し一人暮らしを始める人も多いと思いますが、
4月からは必要な電気製品を安い中古品でそろえることが難しくなるようです。それは、電気用品安全法に基づく(安全基準適合を示すPSEマーク)のない電気製品が、4月から販売できなくなるからです。「PSEマーク」と言われても、昨日の坂本龍一さんのニュースで聞くまでは、私も含めてあまりご存知なかったのではないでしょうか。これは、電気用品の安全性を保証するPSEというアルファベットが□か○の中に表示された印で、四月以降、これがついていないとテレビや冷蔵庫、洗濯機など、五年以上前に製造された中古家電の多くが販売できなくなるというものです。昨日のニュースで、「作曲家の坂本龍一さんら音楽家グループが昨日記者会見し、PSEマークの規制をすべての中古の電気製品において除外するよう訴えた。」とありました。もとは、坂本さんたちは、希少価値の高い「ビンテージ」のギターなど電気楽器が売れなくなるのはおかしいということで、反対をされていたようです。しかし、昨日の記者会見では、すでに適用除外された「ビンテージ」の電気楽器などだけではなく、「自分の使うものを役所に決められたくない。」と発言して、この規制自体がおかしいと投げかけていました。今、このPSEマークが問題となってきています。調べてみると、どうもPSEマークの義務化は、リサイクル業者にとって廃業につながりかねない重要な政策変更なのに、多くの業者は当初、中古品が対象になるとは知らず、今年になって初めて、報道や経産省からの通知で知ったようです。2001年PSEマークについて定めた「電気用品安全法」が施行されたときには、ほとんど話題にならなかったのに、ここにきて、ようやく中古市場に与える影響が関係者に知れ渡り、大騒ぎになっているようなのです。どうも「電気用品安全法」が改正されるとき、国会でも議論がなかったようで、そもそも中古は想定外だったようなのです。だとすると、中古品販売業者の方々は、本当に気の毒ですよね。
突然、商品を売ってはいけないといわれたも同然で、業界が「死活問題」と猛反発するのも無理はありません。しかも、経済産業省がリサイクル業者などに通知したのは先月2月になってからのようです。
一旦市場に出た電気用品は、現在、業者が販売する中古品市場を通じた売買だけでなく、レンタルであるとか、個人取引であるとか、輸出であるとか、色んな形態で流通しています。(ちなみに、レンタル・ネットオークション・輸出などにはこの規制はないそうです。それも、おかしいでしょ・・・!)
もともとこの制度の趣旨は、「漏電など電気用品の事故を防ぐこと」でしょうから、決して間違った事ではないと思います。しかしながら、どうも、今回のように、法律の改正を、すでに昔生産された中古品にまで適用するということが妥当かということに関しては、どうもおかしいのではないかと思います。というのは、中古品も、それぞれ当時の基準で国が安全を認め、消費者の手に渡っているわけですよね。
住宅にあてはめてみるとわかりますが、法律が変わって耐震基準が厳しくなったといって、もし前の建築基準法で建った家が売買できなくなってしまえば、多くの建物の資産価値が突然下がってしまって、大変な問題になってしまいますよね。中古住宅が売れなくなると、銀行の取っている担保価値がゼロになって、不良債権が突然増えてしまうので、バブル後起こった大不況以上の不況になってしまうかもしれませんよね。
 
他にも問題は、再利用や再資源化など時代の大きな流れに逆行しているということがあります。中古市場の流通が滞れば不法投棄が増えることも予想されますから。古い製品の多くを、結果的に捨てるということは、「本当にもったいないこと」ですよね。

それにしても、このPSEマークの問題は、これからだんだん問題が大きくなりそうです。一番のミスは、お役所(経済産業省)が市場の利害関係者の意見を十分に吸収することなく、机上で作ったものであったということだと思います。本来はもっと多くの人の意見(特に、中古品市場関係者の意見)を聞いて時間をかけて法律化すべきだったんですね。例えば、インターネットに、法律のたたき台を公開して、一般の多くの人の意見を受けつけて、幅広い関係者の意見を反映し利害を調整して、法案をつくるというようなことも、これからはあってもいいのではないかと思います。
昔のように一人の優秀な官僚が机の上で法律作るのではなく、場合によっては、多くの意見を事前に聞いて、法案化すべき時代ではないでしょうか? 昔から「三人寄れば文殊の知恵」といういいますが、今ではインターネットで「何千人何万人の知恵」を集められる時代です。法律の作り方も、官僚が起案して国会だけを通して法律化するだけでなく、案の段階でインターネットを通じて公開しながら改良して法律をつくっていくという新しい方法もありかなと思います。

開く トラックバック(1)

千葉県の姉歯建築設計事務所が耐震設計の構造計算を偽造した事件は、大きな社会問題となっていますよね。東京、千葉、神奈川のマンション20棟とホテル1棟の計21棟が偽造され、中には建築基準の3割からの強度しかなく、震度5強の地震で倒壊する可能性も指摘されています。今回の場合、構造計算を実施した設計事務所(偽造元)が一番悪いのは事実ですが、そこに発注した親元の設計事務所(または建築会社内部の設計)や検査機関が見逃したのも同罪だと思います。検査機関は適切に業務を行ったと言いますが、業務をどうしたかではなく、見逃したかどうかの結果が全てです。検査機関の仕事は、おかしいところがあるかどうかを調べる事ですからね。

さて、私は、建設会社を経営している者ですので、この機会に一般の方々と建築業界のギャップなど、いわゆるそこから生じる見えにくい問題点を指摘したいと思います。いろんな問題がありますが、マスコミでまだ余り指摘されていない点を2つほど指摘しておきたいと思います。
まず始めに、一級建築士および一級建築士事務所が、建築の事全てがわかる人だと思ってはいけないという事です。実は、ほとんどの一級建築士は、資格をとったあとに、設計の実務をしていません。もちろん、中には優秀な一級建築士さんもいらっしゃいますが、全般的には、他の士がつく職業にくらべると、仕事(設計)も勉強もしていません。一級建築士をとれば、設計の仕事があると思って、一級建築士の資格を取った人も、仕事のない人が実に多いのです。例えば福山市において、一級建築士が設計しなければならない大型建築物は、月に十件程度しかありません。一級建築士さんは、福山に何百人もいるのですから、一級建築士をとっても本格的な設計の仕事が回ってくるのは、ごくわずかなわけです。そこで、ほとんどの建築士は、設計といっても、店舗設計のようにデザインに近いものや、比較的多い住宅を設計するわけですが、これらは現在、CADというコンピューターを使えば、資格がなくても簡単にあっという間に設計ができてしまいます。少なくとも2級建築しで充分です。そんなわけですから、一級建築士を必要とする仕事自体が非常に少なくて、現実は一級建築士をもっていても、設計の仕事を全くせずに、建築の営業をやったり現場監督として現場仕事をしたりしている人が多いわけです。一級建築士をもっていてそれなりの設計実務を日々やっている人は、資格を持っている人の一割もいないと思います。資格を持っていても、経験をつんでその腕を磨かなければ、全く意味がないわけですから、そういった意味からすると、この資格自体が既に大きな改革を迫られているといっても過言ではないと思います。資格者の数が多すぎて、現状の全体のレベルが低いという事実を、もっと市民が知っておく必要があります。もっとも、優れた一級建築士の先生や事務所もありますから、あくまで全般的な特徴でのお話ですが。弁護士にも、会社法務関係の得意なところ、民法関係が得意なところ、刑事事件がとくいなところがあり、医者さんでも内科、外科、産婦人科など色々ありますよね。一級建築士さんにおいても、デザインなどの意匠を主にするところや、構造計算などを同業者の下請けをするところなど、専門はいろいろとわかれていますから、一級建築士だから建築に関しては、何でも大丈夫とか信用できるとかはありえません。
もう一つの問題は、誰が構造チェックを依頼するか、ということが根本的に間違っているということです。本来は、購入者が検査機関を選んでお金を払うべきですが、分譲マンションの場合には、、建設会社やディベロッパーがお金を払って検査機関に仕事をさせるということ、そういうシステム自体がおかしいという事です。建築中に購入者が決まっていない場合には、役所などの第三者がチェックしなければ、検査自体手抜きになることは明らかです。
ディベロッパーはすざまじい競争をやっているのですから、中には限度を超えた設計や構造計算、そして、検査においても早くてチェックのあまい検査機関にお願いするようになる恐れがあることは、容易に予測できたはずです。私は、「官から民へ」の改革をすすめることには大賛成ですが、国や地方の行政がすべきこととして、「国民の生命と財産を守るのが国家」であるのならば、この構造計算と建築確認・現場検査などは、国民の財産を守る事といった意味合いから、以前のように行政が行った方が筋ではないのかなあと思います。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事