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			<title>GO!GO!Bびんご～今朝のひとこと＆徒然エッセイ</title>
			<description>レディオBINGO(FM777)番組「GO!GO!Bびんご～朝 7：00～9：00　」金曜日パーソナリティー小林和浩の番組コーナー「今朝のひとこと」の抜粋と徒然日記です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>GO!GO!Bびんご～今朝のひとこと＆徒然エッセイ</title>
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			<description>レディオBINGO(FM777)番組「GO!GO!Bびんご～朝 7：00～9：00　」金曜日パーソナリティー小林和浩の番組コーナー「今朝のひとこと」の抜粋と徒然日記です。</description>
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		<item>
			<title>「英語教育について」（2006-5-11）</title>
			<description>今、小学校に英語教育を導入すべきか否かの議論があるようですが、導入に反対する議論として、「学力の全体的低下が懸念される中、なぜ英語だけにそんなに注力する必要があるのか。」という声もあるようです。しかし、現代のような国際化の中で、英語ができることは、圧倒的に有利なことは間違いありません。&lt;br /&gt;
IT技術の発達で世界中の人々がインターネット上で情報を共有できるようになり、その情報量は膨大です。世界の知的資産の9割は英語で書かれていると言われているのです。技術論文、ビジネスにかぎらず、先端分野では英語が必ず必要になっています。特に、相手に自分を認めさせようと思えば英語を話すしかない。これが現実です。 &lt;br /&gt;
　ほとんどの日本人は英語コンプレックスを持っているといわれています。「英語を勉強する為の英語の授業」「こつこつ机の上で学ぶ英語」を続けた結果、多くの人が英語嫌いになっているのだと思います。英語が好きになる為には、小さいうちから楽しい英語や役に立つ英語に接すように仕向けることが大切だと感じています。&lt;br /&gt;
私は、小学校の英語の時間を増やすよりも、音楽の時間に「英語の歌」をたくさん取り入れたり、体育の時間に英語だけで授業をしたりするのがいいんじゃないかと思うのです。音楽の曲の中で英語を自然に覚えたり、体育の時間では、先生がｽﾀﾝﾀﾞｯﾌﾟ（起立）とか&lt;br /&gt;
ﾜﾝｽﾓｰｱ-（もう一度）とかいいながら授業をすれば、自然と英語が身につきます。さらに、算数や社会などの授業でも徐々に英語するようにすると、「英語を勉強すること自体を目的とした勉強」ではなく、「役に立つ為の英語の勉強」、「道具としての英語」ということが認識しやすくて、楽しみながら勉強できるのではないかと思います。&lt;br /&gt;
自分の経験で言うと、「英語のｺﾐｭﾆｹｰｼｮﾝ」というのは、必要性と興味から高まって来るんだと思います。私は、大学を卒業して商社に入社したときには、ほとんど英語ができませんでしたが、入社一年後、会社からインドネシアのｼﾞｬｶﾙﾀというところに、行かされてしかも、はじめてインドネシア語を大学で勉強するように命じられてから、生きたｺﾐｭﾆｹｰｼｮﾝとしての英語を意識するようになりました。インドネシア語の授業を英語とインドネシア語だけで教わるのですから、最低英語がわからなければ、授業も何もできません。手段としての英語だったわけで、ドライバーのような道具を使うのと一緒で、慣れてくれば自己流でも使えるようになるものです。「語学」を「文学」と認識するから「言葉の壁」が高くなるわけで、気取った表現がたくさん出てくる文章・小説・映画などは理解できなくて当然だと思って、身近なところから英語に入った方がいいんじゃないかと思うのです。日本人が日本語を話す時も、ひとつひとつを主語・目的語・述語みたいに、完全な文章をしゃべりませんよね。英語も会話では、きちんとした文には、なっていないものだということを理解できれば、「通じる英語」を優先した方がいいような気がします。&lt;br /&gt;
日本人が英語を学ぶ時、完全な文章をつくらなければいけないという意識が優先してしまえば、なかなか英語に慣れることは難しいのではないでしょうか？英語に道具としてなれて楽しむことということを英語学習では優先すべきではないかと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/4654967.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 May 2006 09:38:47 +0900</pubDate>
			<category>小学校</category>
		</item>
		<item>
			<title>金利の話（2006.4.20）</title>
			<description>消費者金融大手のアイフル全店舗が強引な取り立てを行っていたことなどから、すべての業務を停止するよう命じられました。今、この問題から、灰色金利という問題（つまり、刑事罰を盛り込んだ出資法（年29.2％）と罰則がない利息制限法（年15―20％）という2本の法定上限金利の間に生じたゾーン）が、法的な位置づけがあいまいで、社会問題化してきています。そこで、今日は、金利について、考えて見ましょう。貸金業規制法とに対し銀行などからお金を借りる場合、通常、金利を払う必要がありますよね。車のローンや住宅ローンなどが代表的なものですが、消費者金融（サラキン）という金利の高いものもありますね。金利数パーセントというと、大した金額ではないような印象ですが、実は意外と大きなものだということは、住宅ローンを組まれたことのある人は、良くご存知だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金利の高い低いの違いが返済総額としてどのくらい違うものなのかを、今朝はシュミレーションしてみましょう。話をシンプルにするために、ﾏﾝｼｮﾝもしくは、家を買うために2000万円を35年ローンで借りるとします。固定金利2％のと4％の場合を比較してみます。2％では、月々の返済は、66,253円、一方、4％では、月々の返済は、88,555円となり、月々の返済が22,300円位の違いとなります。&lt;br /&gt;
この差も大きいんですが、35年の返済総額を比べると、金利の怖さがよくわかります。2％では、27,826,073円（金利7,826,073円）ですが、4％では37,193,078円（金利17,193,078）にもなるんです。つまり、2000万円３５年ローンで、金利2％の違いが返済総額で937万円もの違いになります。2％で借りるか4％で借りるかでこんなにも違うんですよ。金利って恐ろしいでしょ。今、金利が徐々にじわじわと上がってきています。もし、金利が一年で1％上がると、例えば、もう少しお金を貯めてから家を建てようと思ってせっかくお金をためても、金利の安い今、今年建っておけば良かったということにもなりかねないわけです。金利が上がり始めた今、長期の借入れを組んで、住宅などの有形資産をつくるチャンスかもしれません。&lt;br /&gt;
話は逸れましたが、特に長期のローンにおいては、金利ってのは、非常に気にしておかなければならないものだということが、お分かりいただけたんじゃないかと思います。&lt;br /&gt;
余談ですが、ゴルフ上での小さい賭け事が大変なことになったというお話を一つ。これは、金利の話と通ずるところがあるんですが、以前にもお話しました。&lt;br /&gt;
ゴルフは通常18ホールですよね。あるゴルフ場で、ＡさんとＢさんが1ホール目からはじめて、第1ホールを10円、第2ホールを20円、第3ホールを40円、第4ホールを80円　という風に前のホールの倍の金額を次のホールをかけていくゲームをやったそうです。Ａさんは調子よく17ホールまでずっと勝ったのですが、18ホール目で恐ろしくなって手が震えて巻けたそうなんですよ。なぜだかわかります？？？？？？？？？　&lt;br /&gt;
それはですね。18ホール目の掛け金が１３１万７２０円だったからです。計算してみるとわかりますが、10.20.470.80.160.320.640.1280.2560.5120.（10ホール）、…・・163,840（１５ホール）32万（16）&lt;br /&gt;
65万円（17）で、131万円（１８ホール）でしょ。&lt;br /&gt;
これは、先程の金利と同じで、年金利が100％つまり、10円借りて１年後に20円払う金利で、18年後に複利計算して返す場合18年後には131万円ものお金が必要になるということです。&lt;br /&gt;
金利って本当に恐いものですよね。　以上、ニュースな言葉は、金利の恐い話でした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/3004601.html</link>
			<pubDate>Thu, 20 Apr 2006 14:32:17 +0900</pubDate>
			<category>その他金融と投資</category>
		</item>
		<item>
			<title>個人向け国債について（2003.2.6）</title>
			<description>最近、個人向け国債って言う言葉をよく聞きますよね。実は、このコーナーのニュースな言葉4月に「ムーディーズという格付け機関が日本の国債の信用ランク（格付け）をさげて、他の国の機関投資家（お金を運用している団体や金融機関など）が日本の国債を買わなくなる恐れがあるから、この国債を日本国民に買ってもらおうというしくみをつくろうと政府が力を入れている感じがする。」と言いましたよね。それが現実になりました。皆さんご存知の様に、「個人向け国債」の予約受け付けが3日、全国の銀行や証券会社、郵便局などで始まり、3月10日に初めて発行されるんですね。この個人向け国債は、購入額面が通常の国債の5万円と比べ1万円と安く、手軽に買えるのが特徴で、国が元本保証してくれるということで安全性が魅力と思われています。確かに現在の日本の国債の個人保有率は、２・５％しかなく、英米の８、９％に比べると小さいのでもっと個人が国債をもってもおかしくはないのですが、さて、果たして「本当に安心できるのでしょうか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前にもお話しましたように、日本政府の財政は異常なくらい不健全です。450兆円もの国債残とその他の借金もあわせると600兆円もの借金があって、経済の規模GDP（国内総生産）との比率で比較しても、日本のGDPに対する借金の比率は2002年で、150％に近いんです。つまり、日本政府はＧＤＰの約1.5倍近いの借金を抱えているんです。先進7カ国と比較しても、日本以外で100％を超えるのはイタリアだけですが、イタリアは、国が破滅するといわれた1995年でも123.5％で、現在は105.7％です。アメリカがレーガン大統領の頃、双子の赤字といわれた最悪の時期でも、100％までいっていなかったことを考えるといかに大変なことかがわかると思います。日本政府破綻の可能性はまだ低いと言う人もいますが、もし政府が破綻すると韓国やタイ、インドネシアのようにIMFが国の建てなおしに入って、場合によっては、国債の返金停止を指導する可能性もあります。&lt;br /&gt;
そうは言っても、国が約束したものだから大丈夫に決まっていると思われている人もおおいとおもいます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、実は日本政府は過去第２次世界大戦前に国債を大量に国民に買わせて、お金をかえしていないんですよ。つまり、国債が紙くず同然になったことが過去にあるんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
財務省は個人投資家に国債の保有層を広げ、個人の金融資産1400兆円を当てにしていて、吸い上げたい考えですが、この考え方はいかがなものかと思います。&lt;br /&gt;
アメリカは、レーガン政権の財政赤字がどうしようもない時期に、アメリカ国債を日本の金融機関に買わせて、日本からのお金を吸い上げましたが、景気を本当に良くしようと思うなら、日本の国債を売りにくくても、海外に買ってもらうべきだと思います。海外から日本国内にお金が入ってくれば、本当の意味で日本国内のお金が増えるわけですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前に例えたように、おとうちゃんである日本政府が大借金をしていて、おかあちゃんである金持ちの民間からお金を吸い上げてもその家族である日本が豊かになるわけではありません。もし、隣の家族からお金を貸してもらえれば（借りないに越したことは無いですが）、裕福になる訳です。今の個人向け国債とは、大借金の放蕩おやじにお金をかすようなものですから、そのおやじが日本国政府だとしても、倹約をしてもらわないと将来お金をかえしてもらえるかどうか、心配ですよね。　今日のニュースな言葉は、「個人向け国債について」でした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2877592.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Apr 2006 18:12:32 +0900</pubDate>
			<category>景気</category>
		</item>
		<item>
			<title>日本の常任理事国入り（2005.6.9）</title>
			<description>日本の常任理事国入りについてのニュースが増えてきています。「中国・韓国、特に中国がどうも反対しているようだとか。」「町村外務大臣や外務省のこの問題への対応が徐々に細かくニュースとして伝わってき始めました。日本の常任理事国入りは、日本外交の悲願、もっといいかえれば、政府　外務省の長年の夢とされていました。なぜならば、日本がいくら経済大国になって多くの国との友好関係を結んでも、真に世界のリーダーと言えるのは、「世界各国の中での発言力を高めること。」だと、外務省は考えているからです。&lt;br /&gt;
国連で常任理事国を増やそうという機運が高まったのは、国連がイラク問題で米国の単独行動を許し、存在感を発揮できなかった反省がきっかけのようです。ここ数年、安保理の拡大を含めた「国連改革」の議論が広がり、特に、アナン事務総長が今年の三月に、「九月の国連創設六十周年特別首脳会合までに安保理拡大について結論を出すべきだ」との考えを表明してから、この問題は急激な進展をみせはじめたようです。&lt;br /&gt;
中国、韓国は歴史問題などを持ち出して日本をけん制、したり、中国のデモ騒動なども、この影響だといえるわけで、中国は、日本が常任理事国入りをすることを相当嫌がっているような気がします。&lt;br /&gt;
以前からお話をしているように、中国の外交はしたたかです。これは、私の勝手な憶測かもしれませんが、中国が日本の常任理事国入りに反対しているのは、靖国問題などが理由ではないと思います。中国は、既に大国となっているわけですが、今後20・30年を考えると、中国のライバルは、日本ではなく、アメリカ・とインドです。　「人口の減少していく日本は、国力が落ちていく。」と考えているわけで、ライバルと思っていないと思います。&lt;br /&gt;
じゃあ何で反対するのかといえば、日本は、イラクへの自衛隊派遣でもわかるように、ほとんど99％アメリカに追従していく国だからです。「日本の常任理事国入り」は、アメリカの利益にしかならないと考えていて、日本は、アメリカ支持の単なる一票であり、だからこそ、うっとうしい存在なんだと思います。　一方アメリカは、日本の常任理事国入りの問題を利用して、米国の世界戦略のために日本の軍事的役割を広げようという意図が透けて見えますよね。去年、パウエル国務長官のときに、「安保理の一員となり、それに伴う義務を担うというなら、憲法９条が今のままでいいのか検討されなければならない」と発言しましたよね。今の改憲の動きは、昨年のここから表面化してきたわけですね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　しかし大切なのは、常任理事国になること自体でなく、そこで何をするかだと思います。それは常任理事国にならないとできないのか、逆に海外での軍事行動に道を開くことになりはしないか、といったことを冷静に考えて判断をしなければならないのではないかと思います。 ただ、「とにかく常任理事国になりたい」というのでは、意味がないのではないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何だか、外務省だけが一生懸命にがんばっているだけで、国会も国民もこの問題に関しては、非常に意識が低いような気がしますが、どうなんでしょう？　ちなみに、2005年の日本の国連通常予算の分担金は、3億4640万ドル（400億円）で、約20％、2番目です。1位のアメリカは、4億3960万ドルで、22％、中国は、3650万ドルで日本の10分の1の分担金しか出していません。　お人よし、見栄っ張りですよね。やってられませんね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2876405.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Apr 2006 17:58:00 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>お金とは何か ? （2002.11.14改訂2006.4.19）</title>
			<description>「お金とは何か」とをちょっと考えてみましょう。「今更何を言い出すのか。」と思われるかもしれませんが、この紙切れがどうして一万円の価値があるんでしょう？今ちょっと無理して一万円を財布から取りだしましたが、別名、日本銀行券と言うわけですけれども、これは一体全体何ものなんでしょう。じつはこの紙幣に赤い色のハンコが押してあるんです。この日本銀行券に押されている判子とは、いったい誰の判子か、みなさんご存じでしょうか？　よく見ていただくと「総裁の印」と書いてあるわけです。つまり日本銀行総裁が判子を押しているわけですね。今日現在ですと、福井俊彦（その前は、速水優）日本銀行総裁のハンコです。これはどういう意味かというと、この紙切れは、「日本銀行総裁が一万円分の借金をしました」ということを示す借用証書だということなのです。日本銀行総裁は「一万円という価値を国民から借りていて、請求があれば国民にすぐに返します」という義務を負っている。言ってみれば一万円紙幣とは「日本銀行による一万円相当の借用証書」に過ぎないわけですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、大切なことは、その借用書の信用度です。一般的にはお金を借りるためには、その人に本当に信用力があるかどうかが非常に重要ですよね。もし私がほとんどお金のない貧乏人であれば、「100万円貸して下さい。」と言っても、いくら金持ちでも貸してくれないでしょう。要は、日本銀行はお金持ちで、しっかりしている、大丈夫だという信用がなければならないですよね。&lt;br /&gt;
日本銀行に信用があるから、日本銀行の借用証書に過ぎない「一万円紙幣」というものを、皆は受け取ってくれる。本来は借用証書なのに、「お金」だとして受け取ってくれるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここでさらに重要なことは、自分だけでなく他の人もそのお金の価値を信用していると言うことです。他の人も受け取ってくれるだろうと思うから、みんなが受け取ってくれるわけですね。まず、「この借用証書には一万円の価値がある」という幻想が無意識のうちにあって、その上に、「他の人も同じ幻想をもっている」「だから受け取ってくれるだろう」という信用の基で、「お金」というものは流通しているわけです。けど、そういう意味では、非常に脆いものでもあるんですね。万が一、「この紙幣はただの紙切れで価値なんかないんだ。」なんて思われるようになったら、翌日からいきなり誰も受け取ってくれなくなるかもしれないですよね。そういう危険とも背中合わせなんです。実際、経済危機のアルゼンチンなどの南米諸国では自国通貨ではなくアメリカドルに国民はどんどん替えて行った訳です。&lt;br /&gt;
当たり前かもしれませんが、「お金」というのは、「信用」の塊なんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貨幣経済というものは、本質的には、信用という骨が無ければ、ふにゃふにゃで脆いものなんですから、しっかりと成り立たせ、それを維持していくためには、ルールというのが必要なんです。&lt;br /&gt;
言い換えれば、貸した金は返す、もし返さない人がいればきちんと取り立てる、約束は守らせる、嘘はつかせない。そういう約束のもとで、「お金」というそもそもよく分からないものを受け渡ししながら、私たちは経済生活を営んでいるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もし借金は踏み倒してもいいという話が通ったり、約束を腕力などの違法的行為にものを言わせて破ってもいいということが成り立つ社会であれば、そもそも「信用」を基盤にする社会というのは成り立たないわけですね。小泉政権の経済改革を議論する際には、この貨幣経済を再度考えて、資本主義が成り立つ為には、ルールが必要だということを次回は考えてみたいと思います。今日のニュースな言葉は、お金についてでした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2876102.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Apr 2006 17:52:11 +0900</pubDate>
			<category>国際経済</category>
		</item>
		<item>
			<title>お金とは何か ? （2002.11.14改訂2006.4.19）</title>
			<description>「お金とは何か」とをちょっと考えてみましょう。「今更何を言い出すのか。」と思われるかもしれませんが、この紙切れがどうして一万円の価値があるんでしょう？今ちょっと無理して一万円を財布から取りだしましたが、別名、日本銀行券と言うわけですけれども、これは一体全体何ものなんでしょう。じつはこの紙幣に赤い色のハンコが押してあるんです。この日本銀行券に押されている判子とは、いったい誰の判子か、みなさんご存じでしょうか？　よく見ていただくと「総裁の印」と書いてあるわけです。つまり日本銀行総裁が判子を押しているわけですね。今日現在ですと、福井俊彦（その前は、速水優）日本銀行総裁のハンコです。これはどういう意味かというと、この紙切れは、「日本銀行総裁が一万円分の借金をしました」ということを示す借用証書だということなのです。日本銀行総裁は「一万円という価値を国民から借りていて、請求があれば国民にすぐに返します」という義務を負っている。言ってみれば一万円紙幣とは「日本銀行による一万円相当の借用証書」に過ぎないわけですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで、大切なことは、その借用書の信用度です。一般的にはお金を借りるためには、その人に本当に信用力があるかどうかが非常に重要ですよね。もし私がほとんどお金のない貧乏人であれば、「100万円貸して下さい。」と言っても、いくら金持ちでも貸してくれないでしょう。要は、日本銀行はお金持ちで、しっかりしている、大丈夫だという信用がなければならないですよね。&lt;br /&gt;
日本銀行に信用があるから、日本銀行の借用証書に過ぎない「一万円紙幣」というものを、皆は受け取ってくれる。本来は借用証書なのに、「お金」だとして受け取ってくれるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここでさらに重要なことは、自分だけでなく他の人もそのお金の価値を信用していると言うことです。他の人も受け取ってくれるだろうと思うから、みんなが受け取ってくれるわけですね。まず、「この借用証書には一万円の価値がある」という幻想が無意識のうちにあって、その上に、「他の人も同じ幻想をもっている」「だから受け取ってくれるだろう」という信用の基で、「お金」というものは流通しているわけです。けど、そういう意味では、非常に脆いものでもあるんですね。万が一、「この紙幣はただの紙切れで価値なんかないんだ。」なんて思われるようになったら、翌日からいきなり誰も受け取ってくれなくなるかもしれないですよね。そういう危険とも背中合わせなんです。実際、経済危機のアルゼンチンなどの南米諸国では自国通貨ではなくアメリカドルに国民はどんどん替えて行った訳です。&lt;br /&gt;
当たり前かもしれませんが、「お金」というのは、「信用」の塊なんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貨幣経済というものは、本質的には、信用という骨が無ければ、ふにゃふにゃで脆いものなんですから、しっかりと成り立たせ、それを維持していくためには、ルールというのが必要なんです。&lt;br /&gt;
言い換えれば、貸した金は返す、もし返さない人がいればきちんと取り立てる、約束は守らせる、嘘はつかせない。そういう約束のもとで、「お金」というそもそもよく分からないものを受け渡ししながら、私たちは経済生活を営んでいるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もし借金は踏み倒してもいいという話が通ったり、約束を腕力などの違法的行為にものを言わせて破ってもいいということが成り立つ社会であれば、そもそも「信用」を基盤にする社会というのは成り立たないわけですね。小泉政権の経済改革を議論する際には、この貨幣経済を再度考えて、資本主義が成り立つ為には、ルールが必要だということを次回は考えてみたいと思います。今日のニュースな言葉は、お金についてでした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2876064.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Apr 2006 17:51:32 +0900</pubDate>
			<category>アメリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>「便利」は必ずしも人を楽にせず（2003.9.12）</title>
			<description>世の中いろいろ便利になってきてます。「携帯電話」しかり、インターネットしかり。また、人の移動においては、新幹線「のぞみ」や飛行機を使うと、福山から日帰りの出張もできますよね。けど、そのおかげで本当に人の暮らしが楽になってるといえるのでしょうか？物事が便利になればなるほど、それを前提により多くの事を求められるような時代になってきているような気がします。例えば、携帯電話で2.3回電話しても通じなくて、折り返しの電話が一日かからなかっただけで、「連絡をしてこん奴。」だとか、「わしを、さけとるんか？」とか、いってませんか？　そんなこんなで、着信があると、「早く書け返さないと…。」なんて思って気がせいて「便利だけれど、楽になったとは、必ずしも言えないなあ。」と多くの人が思っているのではないでしょうか?　昔、電気がはじめて通じたころには、恐らく、皆本当に便利になったと思ったにちがいありません。「夜遅くまで、本が見え、一日の生活時間がながくなったし、遠くの人とも電話で話しができるようになって、わざわざその人に会いに行かなくても、用事を伝えることが出来るようになって」ほとんどの人は、便利になり、楽な時代になったと思ったに違いありません。　しかし、今の便利さは、どうなんでしょうか？　結構きついと思うことはないですか？忙しいという言葉は使っちゃいけない、とよく言います。忙しいという字は、心を亡くすと書くのだから。まずは忙しいと言わないこと。言えば言うほどしんどくなるだけですよね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、蒸気機関の発明からはじまった産業革命から、人は物質的に豊かになり、便利になりましたが、昨今の情報革命では、スピードがどんどん早くなり、「寛容と辛抱」のこころをなくし、精神的に貧しくなってきているのではないかと思います。&lt;br /&gt;
「情報革命」では、人の処理能力がどんどん求められて、人情が入り込む余地をどんどん狭めているような気がします。そして、なにも楽にならないのに「便利」の代償は確実にたまり、環境なり健康なりにつけを請求するようになってきているのではないでしょうか。最近しょっちゅう「便利」について考えさせられているので、「便利と楽」について、つれづれなるままにお話しをしました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2871604.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Apr 2006 16:27:17 +0900</pubDate>
			<category>家庭環境</category>
		</item>
		<item>
			<title>福山駅前再開発について（2006-4-14）</title>
			<description>今週の火曜日（4月11日）に「協働のまちづくりシンポジウム」が開催されました。これば、&amp;#12851;福山青年会議所主催で行われ、500人近くの人が会場に集まりって、大変有意義なシンポジウムとなりましたので、そこから少しお話をしたいと思います。&lt;br /&gt;
シンポジウムでは、羽田市長と福山JC理事長、そして、各再開発事業の地元ﾄｯﾌﾟをパネリストとして迎え、ｺｰﾃﾞｨﾈｰﾀｰとして、日本政策投資銀行地域企画部参事役のもたに藻谷こうすけ浩介氏という方が入られて進められました。その藻谷さんという方が、浜松・大分・倉敷などの他都市のいろんな開発や駅前の問題点と福山の駅前再開発の問題を比較しながら、パネリストと意見交換をしていくものでしたが、大変わかりやすくまとめられていました。&lt;br /&gt;
どうも藻谷さんのお話では、「今のような計画だけでは、ちょっと再開発が成功するのは、難しいのでは・・・。」という感じでした。高い建物よりも、人が平面を歩けるまちが、にぎわうのだと言うお話だったようです。広島のシャレオのように、地下街や地下道に人を追いやって、地上の交差点を人が動けないようにすると、人の流れが減ってしまい、にぎわいがなくなってしまう。渋谷駅前の交差点のように、車と人がごたごたしている方が、面が繋がり人出が多くて、商業も発展するというお話もありました。また、いろんなまちを見ると、にぎわっているエリアは、大型店があるところではなくて、個性的で平面に新しい感覚の商店が集まったエリアだというお話もありました。私も、「なるほどなあ。」と感じましたが、リスナーの皆さんは、どうお感じでしょうか？&lt;br /&gt;
私から一つ、このシンポジウムで話にでなかったことで、ぜひ、再開発を担当されている方々に、考えていただきたいことがあります。それは、再開発と観光の関係です。&lt;br /&gt;
福山の商店街が閑散とし始めて、久しくなりますよね。郊外型のショッピングモールやレストランが増え、商店街に行く必要がなくなったし、商店街は、車を止めるのに不便だということは、時代の流れで仕方のないことなのかもしれません。特に、日常生活品は、郊外店舗で駐車場があるところが便利ですし、価格の安いものも溢れるくらい揃っています。&lt;br /&gt;
ところが、例えば、神戸・広島・福岡などは、まちがにぎやかですよね。なぜなんでしょう。理由は簡単です。大きな都市ということもありますが、魅力的な場所として、昔からより多くの人がより遠くから訪れているからだと思います。私の知人には、2連休のたびに大阪や神戸に出て買い物をする人がいますし、若い人は、日曜日に福山を出て、近場の行楽地や広島・倉敷・岡山に出てしまいますよね。「商店街の人は、福山の人にもっと市内特に、商店街にきてほしい。」とよく言われます。&lt;br /&gt;
そこで、考えていただきたいことがあります。それは、お客様としてのターゲットを、福山の人ではなくて、他のまちの人とすることです。観光客・行楽客を福山に呼び込んで、商店街で買い物をしていただくしくみ・仕掛けをつくるということです。&lt;br /&gt;
今の時代を考えてみると、夫婦共働きが多いですよね。そうすると、休みの日には、近場でもいいからどこかに出かけたいという夫婦やカップルが多いわけです。そんな人たちは、平日の買い物、日常生活品の買い物は、市内郊外の便利なお店で買い物をし、商店街には中々足を運ぼうとはしません。土日は、広島や倉敷・岡山に行きますし、時には、神戸・大阪・東京へも行くわけです。休みの日には、非日常を感じたいと思っているから、どうしても福山から外に出る人が増えてしまうのではないかと思います。&lt;br /&gt;
じゃあ、商店街はどんなお客様をターゲットにすればいいのでしょうか？　個人的な意見ですが、福山郊外の人・近隣都市に住んでいる人、そして、市内中心部のお年寄りではないかと思います。&lt;br /&gt;
福山の商店街が閑散としているのは、福山に来る人より、福山から出る人の方が多いからだと思うのですが、どうでしょうか？　福山に来る人を増やすには、今、改めて、福山が観光都市を目指すことが大切なことだと感じます。福山には、この番組でよくお話をしているように、鞆のようにすばらしい観光財産があります。鞆をもっと快適な空間、例えば、海を見て食事ができる場所であるとか、シーフードレストランなどカップルや家族が、ゆったりできるところを増やせば、団体旅行客だけでなく、近場の広島や倉敷岡山などからも、観光や行楽で福山に来る人を増やせるのではないでしょうか？　福山全体でもっと観光を考えて、また、駅前の再開発も、地元の便利さや、地元の買い物客をターゲットにするのではなくて、倉敷や広島、できれば大阪や神戸の人をターゲットに、個性的で魅力で、観光客を呼び込めるような再開発ができることを、願いたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
GOGOチェック（2006-4-14）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くのリスナーの方もニュースなどでご存知かと思いますが、福山駅前は、今再開発の計画がいろいろと煮詰まってきています。福山駅前のバスターミナルと道路のエリア→ここは、バスターミナルが駅前の中央に移動して、駅前道路南から駅に来る迎えの車が地下にスロープでおりてUターンして駅前通を帰れるようになります。つぎに、福山駅南口の西からのアプローチ道路は、既に工事に入っていますが、駅の乗降客をﾋﾟｯｸｱｯﾌﾟする補助的な役割で、西から駅にｱﾌﾟﾛｰﾁできる場所で、その地下には、有料自転車置き場がきます。、そして、伏見町再開発（駅南口の東側、駅前の交番やﾋﾟｶﾃﾞﾘｰの映画館を含む一体）は、40階建ての高級マンション棟とホテル棟のほか、多数の店舗や1000台の立体駐車場も計画されていて、時間消費型スペースとなるようです。もう一つは、いわゆる繊維ビル東桜町の再開発ですが、こちらも21階建てのマンションや大型店舗ｸﾘﾆｯｸﾓｰﾙ、駐車場などが完備されるようです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2564094.html</link>
			<pubDate>Fri, 14 Apr 2006 09:52:24 +0900</pubDate>
			<category>その他経済</category>
		</item>
		<item>
			<title>通貨と国力（2006-2-17）</title>
			<description>国力（こくりょく）というと、軍事力や経済力、また政治的影響力・文化的影響力など人によって思いつくものは違うかもしれませんが、国家が持ついろいろな力を総合したものというのが正解だと思います。そして、通貨とは、単なる買い物のツールではなくて、軍事力とか政治力とかをしょっている国力のバロメーターといえると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お金については、以前詳しくお話をしましたよね。&lt;br /&gt;
中央銀行、もっというとその国の信用に基づいて、その国もしくは中央銀行が発行した借用証書であって、皆がその価値を信用するから流通し、通貨となるわけです。信用が高くなれば、他国通貨と比較して、通貨の価値が上がり、逆に信用がなくなれば、通貨価値、つまり、為替レートがさがるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は今、密かに日本の円が二流通貨になりつつあるという兆候であるデータがあります。&lt;br /&gt;
それは、国際通貨基金（ＩＭＦ）の特別引き出し権（ＳＤＲ）というもので、これは、ＩＭＦの中心的な準備資産であり、家庭で言う「緊急のために蓄えておく預金」の世界版なわけです。つまり、リスクができるだけないように、いろいろな通貨がその時ときの世界状況から安定性・安全な通貨を中心に組み込まれるわけです。主要国の通貨（ドル・ユーロ・円・ポンド）がその影響力を考慮して比率配分されているもので、その比率は通貨の国際性の通知票ともいわれているのですが、日本円の比率は、15年前の17％を頂点に、徐々に下がって、今年に入ってからは、11％になっています。ちなみに、現在、ドルが44％、ユーロ34％、イギリスのポンド11％です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本も昔は1ドル＝360円の時代から変動相場になり、バブル期を経てプラザ合意により、&lt;br /&gt;
大幅に円高になったのは、国力が高く評価されていった結果だといえます。&lt;br /&gt;
一般に国力の高いとされている国は、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、中国などで、国力の高い国は大国と呼ばれます。中でも、アメリカは大国中の大国ですよね。&lt;br /&gt;
なぜアメリカは世界の超大国として力を行使できるかというと、背後にはドルという通貨があるからです。アメリカは、世界中の貿易や石油の決済に、「ドルじゃなきゃダメだ」という体制をニクソン時代に確立しました。そのお陰で、苦しいときでもアメリカは石油を調達することができるのです。ドルを使えば世界中から何でも購入することができるわけです。アメリカがイラク戦争を始めた本当の理由として一つ言われていることがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、「アメリカはイラクから大量に石油を買っていたのですが、イラクが2000年の末から石油代金をドルではなくユーロにしてくれ」と言い始めたというのです。しかも、イランやサウジアラビアなど他の石油輸出国もユーロでの取引を求めはじめ、アメリカはフセインがその糸を引いていると結論付けました。もしそうなれば、ドルの特権が失われるかもしれなくなるわけで、ドルにとって危機的な状況と考えられたのです。だから、アメリカはそういう状況は認められない！　戦争！　という流れになったというのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、前にもお話したように、中国も外貨の保有をドルからユーロにシフトしているのです。アメリカは、中国を軍事力でねじ伏せるということはできませんから、「中国に大変気を遣って、中国の機嫌を損ねずに仲良くする」以外には、中国との外交は成り立たないようになってきているような気がします。今後、中国の急激な発展とともに、世界の主軸通過が、ドル・円・ユーロから中国元になっていく可能性も十分にありえるのではないでしょうか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2426858.html</link>
			<pubDate>Wed, 12 Apr 2006 13:48:50 +0900</pubDate>
			<category>アメリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>寄付と公益サービス（2006-3-31）</title>
			<description>確定申告も終わり、いよいよ年度末を向かえましたが、国税庁の調査によると、日本では年間所得が5000万円以上の高額所得者ですら寄付をしているのは、約10％だという事です。アメリカでは、個人納税者全体のの3割以上が寄付をしているようですが、アメリカ並みに寄付が増えれば、寄付を受ける民間の公益サービスが強くなるわけですね。何故こんな話をするかというと、先週、「寄付金への優遇拡充」という見出しでの日経新聞のトップニュースがありました。記事では、「政府は、公益法人制度改革の一環として、財団・社団法人などを対象に、寄付金を優遇する対象法人を増やして、高齢者福祉や国際交流など公益性の高いサービスの担い手として育成を促すことをはじめる。」というのです。財団法人や社団法人は、今、官僚の天下り先になっているとして、非難をあびていますよね。世間では、荒っぽい議論で、全部財団法人や社団法人を廃止してしまえば・・・という話もあるわけですが、これらの公益法人が今でも公益サービスの一部を担っている事は確かな事です。政府はその選別に入ったというわけです。&lt;br /&gt;
例えば、社団法人　福山青年会議所などは、天下りもいませんし、本当の民間組織でボランティアとして、まちづくりを担って活動している団体です。福山のばら祭なんかは、この福山青年会議所メンバーがボランティアとして働いているからこそできているわけで、それによって充実した内容のまつりを、本来かかる費用を大幅に節約できているわけですね。&lt;br /&gt;
公益法人は、学校法人・宗教法人を含めて、現在、日本に25,000を超える団体があるそうです。その中で、例えば、日本ユニセフ協会などは、寄付金控除を受けられる団体として活動しているという事はご存知の方も多いと思います。うちの父も、時々ユニセフに寄付をしたりしてますが、確定申告で控除を受けています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少子高齢化のもとで負担が重くなる年金、医療や介護制度を、どう整備するか。教育や育児、郵便を始めとしたサービスを、どこまで政府が担うべきか。政府は打ち出の小槌のように、お金を無尽蔵に使えるわけでもありませんし、また、どこまでも増税をすればいいというものでもありません。財政赤字が拡大したから、公共的な仕事を減らせばいい、というのは構造改革の本質では無いわけです。&lt;br /&gt;
どうやって、社会の公共的な仕事を運営していくかが、今、問われています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本では、とかく「公共的」なものは、政府の仕事だと決め付けがちでした。しかし、今漸く、日本でも、理解が深まりはじめたことが、2つあります。一つは、公共的な仕事もその多くは、民間団体や企業もしくは、ＮＰＯに委ねた方が上手くいく場合が多いということ。つまり、民間団体では、安くて高品質のサービスを提供できるばかりか、地方ごとに異なったニーズや時代の変化にも柔軟に対応しやすいわけです。&lt;br /&gt;
　もう一つは、本当に必要な公共サービスは何かということについては、国民が主体的に考え、選ぶことが大切だ、ということです。国としてやるべきこと、地方でやるべきこと、そして民間に任せるべきことを、私たち自身が考え、選択する中で、社会への参加意識も高まってきます。民間でできることを民間がやることで本来の民間活力が引き出されます。これが官から民へ、中央から地方へ、という構造改革の本質だと思います。寄付金の問題は、個人個人がこの公益的な仕事を、分野別で選んでサポートするという民間で公益事業・公益団体を支えるという仕組みの根底の問題です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後、観光や福祉・環境などもどんどんNPOなどの民間が中心となり、行政サービス以上のことができるようになると思われます。そして、寄付金控除が認められる団体もどんどんＮＰＯなどに広がっていき、民間の公益団体がしっかりしてくると思われます。寄付金がどんどん増えて、その分税金が減ってくれば、行政も小さくなって行かざるをえません。行政の仕事として、何が最小限必要なのかという議論を市議会を中心に色んな場所で、今後しっかりしなければならなくなると思います。これからの地方行政のあり方は、これから市民全体で自ら新しい枠をつくりながら再構築されていくんだということですよね。市民が行政サービスよりNPOや民間を選ぶ時代がすぐそこまで、見えるところまできているということを、「寄付金と公益サービス」における変化から今日は考えてみました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/suzukashowroom/2414169.html</link>
			<pubDate>Wed, 12 Apr 2006 09:45:42 +0900</pubDate>
			<category>地方自治</category>
		</item>
		</channel>
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