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2012年F1開幕

今日は家族全員でTOEICを受験してきました。
2時間200問は本当に過酷です(内容以前に・・・)。
終了後、3人ヘロヘロになり甘味で頭に栄養を補充して帰宅しました。
 
帰宅前にヨーカドーでビールとおつまみを購入。
17時からF1開幕戦を観るためです。
毎年開幕戦はわくわくします。家族でビールを飲みながら、昔鈴鹿で観たときのことや
最近の話をしながら観戦しました。
 
可夢偉は6位でしたね。やった!
 
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えー、写真は数年前のF1日本GP前座のポルシェのレースから…。
いろいろなスポーツが始まりますね。
 
 
 

春、まだ遠きかな

先週日曜と昨日はコナンにとっての「2012年ゴルフ開幕シリーズ」でした。
開幕戦は106。OUT49で去年からの良い流れでスタートしたのですが、INのPAR5で大崩れ。
昨日は大雨の中まったく精彩を欠いてしまい久々の120。寒かったことと雨具を着たため普段とスイングの
大きさが違ってしまったようです。何度も何度もトップしてしまいました。
昨日は5つ上の先輩(会社の経理フィールド)とまわったのですが、同じ条件でも90でプレーする方もおり
とても参考になりました。今年は少し「考えて」プレーしようと思った次第です。
 
さて、昨日の日中は本当に寒かったです。
まぁ、あんな天気で外で傘もささずに遊んでいるわけですから「あたりまえだろが!」とお叱りをうけそうですが
息が真っ白になって広がる様子は真冬に近いものがありました。
ゴルフ場にある梅の木も「花」はぽつぽつと咲いているだけ。普通、今頃は満開だったように思います。
 
「春はまだまだ」
 
そんな印象でした。
 
そんな春はダイヤ改正の季節でもありますね。雑誌をみていないのであまり詳細がわからないのですが
今回も伝統ある列車や車両が去っていったようです。新幹線の100系と300系引退はNHKニュースでも大きく
扱われていました。「日本海」も同じく。地味なところではワム80000も引退とか・・・。
 
 
100系、300系は鈴鹿時代を中心にビジネスでの移動手段として大変世話になったという思いが残ります。
あるときは仕事の課題を抱えたまま憂鬱な気持ちで、あるときは区切りをつけて清清しい気持ちで・・・。
でも一番忘れられないのは単身赴任初日に乗った新幹線。あの日だけは涙が目からあふれて仕方
なかったです。
 
自分にとって新幹線は「移動の手段」。カメラを向けることはあまりありませんでした。
そんなわけで100系、300系の引退は自分の中では普通の生活の中でのワンシーンです。
 
「日本海」の定期便終了は、「まだ残るのだろうな」という自分の勝手な予想が外れ少々驚きました。
食堂車は無いものの、数少ない「伝統的編成」を持つ寝台列車。
北陸や東北訪問時は被写体として欠くことのできない存在でした。
 
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一日遅れですが・・・
 
さようなら「日本海!」

さらば300系

いよいよダイヤ改正が近づいてきました。
いつも泣き言のように書いているのでもう目障りかもしれませんが、しばらくの間はしっかりと仕事を
しなければならず、カメラを持って出かけることが難しそうです。
 
あまり注目されない新幹線ですが(最近はそうでもないかな…)、今回100系と300系が引退します。
単身赴任の終わりの頃、名古屋と東京を何度も何度も往復していました。利用時間は早朝もしくは夜が主。
新幹線は貴重な「睡眠時間」でした。
 
しかし・・・
 
300系だと本当に寝れない。
ガクン、ガクンと変速ショックのような揺れが続くからです。
 
300系は登場した頃からあまり良い印象がありません。
100系を追いやった車両。食堂車の無い無味乾燥とした車両。顔つきも鉄仮面のように表情を感じない。
700系が導入されてからは300系にあたると本当に残念な気分になったものです。
 
 
一方で色々な思いを持って乗っていたのも事実。
鈴鹿への赴任時は300系のグリーン車で移動しました。
 
 
とは言え一つの時代が終わるのですね。
あの顔を見ることができなくなる事実はもうすぐそこまで来ています。
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続く不安

自分はその2週間前から原因不明の背中の痛みの検査をしていました。
MRIによる検査などを経て「大丈夫。加齢で筋力が落ちているだけ。」という悲しい最終結果を医師から聞かされたのが3月11日の11時頃。その後午後から出社してあの地震に遭遇しました。
 
家族の安否確認、帰宅困難化、同僚の帰途状況確認と交通手段の確認、当面の食料確保、地震情報の入手・・・そしてその過程で知った大津波の被害、福島原発の危機・・・。
 
 
でも当日はそれほどの不安もなく、明日は土曜なので夕方頃までには帰宅できれば良いくらいに考えていました。
そしてそのとおり翌日昼頃に帰宅するのですが、そこで本当の状況を知るのです。
 
 
ここ我孫子も液状化の甚大な被害がありました(幸い自宅の被害はなかったです)。
計画停電の影響はその被害地区が近隣のためありませんでした。
そして少しだけ気になっていたことが実は深刻だった・・・。
 
福島原発の事故によって放射物質が大量に放出され、それがここ我孫子周辺にも届いていたのです。
 
原発から我孫子は直線距離で約180km。
手賀沼周辺を歩くのが習慣なのですが、地震直後は南からの風が吹いていました。
それが北東の風に変わったことが手帳に記してあります。
最初はインターネットでの「柏あたりの放射線量が高い」という情報が始まりでした。
そのうちアエラ等の雑誌でも独自調査の数値が載るようになります。
 
何ともいえない不安感。
ここ数年の間に我孫子に住み続けるかの判断をしようと思っています。
 
 
ここも海が近かったから被害を受けたのだろうな…。
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きっかけ

2002年頃から20年ほど冬眠していた鉄道写真の趣味を再開したきっかけのひとつ。
 
 
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大糸線の非電化区間の風景のすばらしさを知ってしまったから。
2005年頃はまだETC1000円の制度もなかったので、下道とETC割引制度を組み合わせる努力をして
行ったものです。金曜深夜に鈴鹿を発って向かうのも一つの楽しみでした。
もちろんキハ52の存在も大きかったです。
 
 
今年は雪が多かったからこのあたりも大変だったでしょうね。
 

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