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吉田藩の時も瓦町、船町、呉服でした。
字の通り瓦を作っていた人たちが集まり、船が出入りした町であり、呉服店が集まっていた町です。
伝馬町もありますので馬の乗り替え場所だったのかもしれません。
仁連木、小池、天王、横須賀は村でした。
十一月二日
「時習館御剣術定日ニ付被為入相済、学寮おいて録三郎講釈有之御聴聞被遊候」
時習館には寮があったようです。広い敷地ですから可能です。
録三郎が誰なのか分かりません。
お金の単位。
金千疋。(きんせんひき)
鎌倉時代から江戸時代の銭貨の数えかた(通貨単位)百疋=一貫だそうです。
「吉田藩日記」のはじめからお金の単位は疋でした。
古典にはよく疋が出てきまして意味が分からずにいました。
「吉田藩日記」には両、文、朱はあまり出てきません。
金弐百疋とかの表示です。
十二月六日
父忌服之覚
忌五十日 十二月より正月二十六日
服十三ヶ月 十二月六日より来巳十二月迄
右之通忌服請申候
十二月六日 足立善蔵
明治元年、喪に服すのに十三ヶ月だったようです。
平安時代は喪に服している間は家に引きこもっておりましたが、明治元年はどうだったのでしょう?
服忌令(ぶっきりょう)という法令がありました。
実の親ですと十三ヶ月なのです。
その間髪やひげを剃らないとあります。これでは城仕えもできません。家にいるのでしょう。
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月番で書かれた日記もあります。でも少し内容が違います。目録が中心の事務的な日記です。
毎日の食事の記録はないです。
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