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明治二己巳年正月
書き手が変わったのか一朝御膳らの記入がありません。
日にちにその日の天気が書かれています。
正月の記述かと思いましたら、
十二月二十七日に戻っています。
「当秋収納米者共儘村方ニ差置金穀共一ヶ年分不残
徳川様衆へ直納ニ致候様御差図御座候ニ付」
との文があります。
三河、穂の国のコメは徳川家の人々の口に入っていた
んですね。
十二月
「脱走一件只今畠京より返書来候所」
詳しくは分からないのですが、
奥番士、片山林八・金助父子が家族共旧臓十七日家出
いたし行衛不相知と同二十日に届出ル。
刑部大輔に届け出たと御名家来、岩上九兵衛の書状が
載っています。
正月十四日
「今度幸ひ脱走者吉田表へ差立候間」
とあり見つかり吉田表へ連れてこられたようです。
どういう処置が下ったのか書かれていませんし、ほかに
も脱走者がいるようで片山父子のこととは言い切れませ
ん。
ここまで目を通してきて
東京での出来事と思うようになりました。
書き方があまりにも事務的ですし、奥様、若様が出てき
ていません。
二月
議長、議員幹事、行政官、公用人、弁事御役所などの文
字が出てきまして江戸時代とは違うと思わせてくれます。
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やはり脱藩者はあとを絶たないのでしょうね.
処置が気になります….
2019/8/21(水) 午後 6:13
見つかった人もいるようですが、行方不明のままの人も。
現在でしたら行方不明はすごく少ないと思います。
悪いことをしたらすぐネットで追われます。ただ間違われるのはたまらなくいやですね。
2019/8/22(木) 午前 8:28 [ 答他伊奈 ]