スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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西暦(グレゴリオ暦)AD2018年 
平成30年 昭和93年 大正107年 明治151年 皇紀2678年 干支 戊戌(つちのえ いぬ)
第1土曜日 旧暦  10月24日、先負(丁卯)、月齢 23.8 
グレゴリオ暦で年始から335日目、年末まであと30日。
誕生花 ドラセナ・ニオイスミレ・アンスリウム。

映画の日。
東京都中央区日本橋に事務所を置く、映画産業の振興を目的とする大手映画関連会社による業界団体、一般社団法人映画産業団体連合会(映団連)が1956(昭和31)年に制定。1896(明治29)年11月25日から11月29日にかけて、兵庫県神戸市にある関西地区在住の外国人の相互交流を目的とする会員制社交クラブ、神戸外国倶楽部で、日本初となる映画の一般公開があったことを記念したもの。この神戸外国倶楽部で公開されたのは、今日のスクリーンに映写されるタイプではなく、1人ずつ覗き込んで見るタイプの「キネトスコープ」と呼ばれるもので、発明はアメリカの電気技術者で発明家のトーマス・エジソンによる。但し、日付は、それに近く区切りのよい12月1日に変更された。記念日は60周年を記念したもので、この日には、日本映画界の各団体が、多年に亘り日本映画に貢献してきた人々への記念式典や、上映会、トークショー等の事業を行なっている。興行を行なう側の全国興行生活衛生同業組合連合会も映画産業団体連合会と協力して、1980年代より映画入場券の割引サービス等を映画の日の事業として実施している。映画は、古くは活動写真とも呼ばれた。かつてはフィルムで撮影した作品が大半であったが、現在ではデジタル化も進んでいる。一般的に専用施設(映画館等)の中でスクリーンに投射して公開する作品を指す。その撮影工程は、特に問われない。20世紀に大きな発展を遂げた表現手段であり、映画は今や芸術と呼ぶべき水準に達している。また、古来からの芸術である絵画、彫刻、音楽、文学、舞踊、建築、演劇に比肩する新たな芸術として「第八芸術」、又は、舞踊と演劇を区別せずに「第七芸術」とも呼ばれる。さらに、映像やストーリー、音楽等様々な芸術の分野を織り交ぜて1つの作品を創造することから、「総合芸術」の一種としても扱われる。活動写真は、明治・大正期における映画の呼称で、「motion picture」の直訳語であり、元来は幻灯機(スライド映写機の原型に当たる機械)のことを指す。後に意味が変じて、映画を指すようになった。単に活動とも呼ばれた他、自動幻画、活動大写真、自動写真という呼称もあった。映画という名称が広く使われるようになるのは、大正後期になってからである。「シネマ(cinéma)」は、フランス語で映画の意味で、フランスの写真機材技術者、リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフの「シネマト」から派生したと言われている。アメリカでは、アート作品を「シネマ」と呼び、娯楽作品には「ムービー」と区別して呼ぶ傾向がある。第二次世界大戦前の日本では、映画は「キネマ」とも呼ばれたが、これはギリシャ語の「kinematos(動き)」に由来する。当時から続く映画雑誌(『キネマ旬報』[キネマ旬報社刊行]等)にこの名前が残っている他、懐古的な情緒が好まれる時にも用いられる。映画は19世紀に生まれ、20世紀に大きな発展を遂げた、言わば新しい芸術である。しかし、20世紀から21世紀にかけての科学技術や産業の大きな発展、社会の変容を受けて、今の映画はリュミエール兄弟が発明した当時とは、大きく異なる様相を見せている。映画表現において大きな画期となったのは、1920年代の「トーキー」の登場、それに続いて行われたいわゆる「総天然色」映画の登場が挙げられる。これらはそれぞれ、それまでの映画の形式を最終的には駆逐するに至った。例えば、今では「トーキー」以前の形式である「サイレント」が新たに発表されることはほぼない。また、今「モノクローム」で撮影された映画が発表されることは極めて稀である。20世紀前半に行なわれたこれらの映画技術の進展とは異なり、20世紀後半の映画技術の発展は、映画表現の多様性を増す方向に作用した。第二次世界大戦後、普及した映画の撮影技法には、例えば「特殊撮影」「アニメーション」「コンピュータ・グラフィクス」が挙げられる。これらの新たな撮影技法は、それ以前の方法を駆逐することによって普及したのではなく、それが登場する以前の撮影技法と共存しつつ、独自の分野を成す形でそれぞれの発展を遂げている。1970年代からはビデオテープレコーダ(VTR)が普及したが、フィルムとビデオとの基本的な表示方式の違いから、映画は35mmフィルムによる撮影が一般的であった。21世紀に入った頃から、商業作品もデジタルビデオカメラで撮影され、フィルムを使わず、コンピュータ上で編集される例が増加している。なお、1951(昭和26)年3月21日、国産初の長編総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』が封切られたことから、3月21日は「カラー映画の日」とされている。因みに、日本初の短編カラー映画は、1937(昭和12)年に作られた『千人針』である。『千人針』は、主に第二次世界大戦前に活躍した映画監督、三枝源次郎が監督を務めた作品で、日本国内ではフィルムは戦災等で消失し、存在を知る者はごく僅かであった。満州(現在の中国東北部)に侵攻したソビエト連邦軍によって接収された『千人針』のフィルムが、2002(平成14)年にロシアで発見され、日本放送協会(NHK)のドキュメンタリー番組で紹介されて、広く知られる様になった。但し、かなりの部分が欠損している。
映画サービスデー。
劇場によって、入場料金が一律1000円になる等の特別日。かつて、12月1日の映画の日に宮城県環境衛生同業組合(現在の生活衛生同業組合宮城県映画協会)加盟映画館において、入場料金の半額サービス、及び有料入場者に対する抽選による加盟映画館1年間無料パス進呈を行なっていた。この割引サービスが1981(昭和56)年から全国に広まり、1月1日と3月、6月、9月の第1水曜日を映画ファン感謝デーとし、これに映画の日を加えた年5回を、全国興行生活衛生同業組合連合会(東京都港区新橋に事務所を置く、全国47都道府県に存在する興行生活衛生同業組合の全国組織)加盟の映画館(全ての劇場ではない)で一律700円(後に1,000円)で入場することができるようになった。これは、その拡大版と言える。月毎に1日設けられるようになって、この名称が付けられた。このサービスに限らず、各劇場では大小様々なサービスを設けているところも多い。2004(平成16)年からは、映画人口2億人を目指して、一般社団法人日本映画製作者連盟(東京都中央区日本橋に事務所を置く、松竹、東宝、東映、KADOKAWA[角川映画]の映画製作配給大手4社が構成する業界団体)や全国興行生活衛生同業組合連合会等の団体が中心となって、「映画館に行こう!実行委員会」を結成し、様々な割引サービスを提供している。ミニシアター系列の映画館等では毎週1日、1,000円入場の特別日を設けているところもある。
 

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