スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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7月11日 記念日 その2

YS-11記念日(続き)。
2015(平成27)年11月11日には、かつて53年前にYS-11が初飛行を行なったのと同じ名古屋飛行場(小牧空港)において初飛行に成功し、9年振りに国産旅客機が日本の空を舞った。機体の設計者達は第二次世界大戦前に軍用機造りに携わってはいたが、旅客機の設計をしたことがない(それどころか乗ったこともない)者が殆どであった。このため、設計は軍用機の影響が強く、信頼性と耐久性に優れる反面、騒音と振動が大きく居住性が悪い、操縦者に対する負担が大きいという、民間旅客機でありながら軍用輸送機に近い性格の機体となってしまった。快適性・安全性・経済性が重視される民間機としては好ましくなく、運用開始した航空会社側からは、非常に扱いにくいという厳しい評価を受けた。それでも、日本の航空業界側は「日本の空は日本の翼で」という意識の下、改修に改修を重ね、機体を実用水準に高めた。航空業界によって使える機体に育ったとも言える。やがて、東亜国内航空(後の日本エアシステム、2004[平成16]年に事実上消滅)では日本国外に輸出された機体を購入し直す等、YS-11に対する信頼性は大いに上がった。YS-11の軍用機的性格が良い方に働いた例として、機体の頑丈さが挙げられる。航空先進国であった欧米では、民間輸送機開発に際して、既に耐用年数等を踏まえた合理的な機体設計を行なうようになっていたが、YS-11は第二次世界大戦後日本で初の本格的旅客機であるため、安全率を過大なまでに確保していた。主翼については約19万飛行時間、胴体は約22万5千時間に相当する疲労強度試験を行なっている。東京都調布市にある航空宇宙技術研究所(NAL、現:JAXA)では26ヶ月に亘り大きな水槽の中に胴体を沈め、内圧の増減を繰返す胴体強度試験を行なった(1950年代中期、世界最初のジェット旅客機であるイギリスのデ・ハビランド社製「コメット」Mk.Iに連続して発生した、構造上の欠陥による航空事故[空中爆発]の総称であるコメット連続墜落事故の検証で使われたものと、ほぼ同じやり方である)が、9万時間までどこも損傷することはなかった(最終的に試験装置の方が損傷し、終了した)。しかし、頑丈さは重量増加という欠点にもなって跳ね返ってきた。近代旅客機の常道通りに総ジュラルミン製のモノコック構造(航空機等の機体構造の一種で、機体の外板に応力を受持たせる構造)であるが、強度重視で重量過大となり、出力の限られたエンジンに対しては重過ぎる機体となった。元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YS-11の出力不足は、沼口正彦に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹は、その著書『機長からアナウンス』で「最初は余りのパワーのなさに驚いた」、「飛行機マニアに今でも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」と酷評しており、オートパイロットがないこと等も含めて、実際に操縦したパイロットからの評価は決して高いものではない、とのことである。操舵系統には第二次世界大戦後主流になりつつあった油圧を使わず、操縦桿と動翼(補助翼・方向舵・昇降舵等の主操縦翼面[いわゆる舵面]に加え、フラップ[飛行機の揚力を増大させるための装置]・スポイラー[航空機の揚力を減少させる装置]・エアブレーキ等の二次操縦翼面を含めた、可動する平板状装置全般)をケーブルにより直接繋げており、自動操縦装置もなく(後に一部機体にはオートパイロット装備)、殆どを人力で動かしているため、沼口正彦はYS-11を「世界最大の人力飛行機」と評している。信頼性確保と軽量化を目的としての人力操舵採用であったが、当然の結果として操縦に力を要し、パイロットからの評価を下げる一因となった。トイレを装備しているが、当時の輸送機にはまだ多かった蓄積方式(いわゆる汲取り構造で、消毒・消臭液を汚物タンク部に溜めてある)を採用しており、便器に水を流す設備はなかった。汚物の液体分だけを漉し取って消毒液を混ぜ、便器の水洗に利用する「循環式」は、YS-11では採用に至っていない。トイレ内の照明はかなり暗めに設定されていた。荷物棚が座席上部に存在するが、ここは帽子ぐらいの大きさのものしか収納できない(いわゆるハットラック)ため、大きな荷物は搭乗前に手荷物として預けるか、座席の下に置く必要があった。機内の照明には丸形の蛍光灯が使用されており、一昔前のバスを思わせる内装となっていた。日本国外で活躍している機体も、ほぼ機内は無改造のまま使用されていることが多く、カーゴ設備や機内サービス器具、座席上部の読書灯等にその名残を見ることができる。一方で、初期の機体には内蔵式のタラップ(エアステア、飛行機の乗り降りのために、一時的に架設される構造物)が用意されておらず、地上設備の貧弱な地方空港での運用に難がある等、ここでも旅客機としては使い勝手の悪い面が見られた。なお、後にユーザーの要望を受けて、内蔵式タラップも装備されている。日本国内の民間航空機としては引退したが、その頑丈な造りのため、各国に輸出された機体にはまだ現役にあり続けるものも少なくなく、タイやフィリピン等では纏まった数の機体が各航空会社で活躍している。日本国内の民間航空会社においては、日本の「航空法(昭和27年7月15日法律第231号)」が設置を義務付ける空中衝突防止装置(TCAS)が搭載されていないため、機体寿命より早く引退した。空中衝突防止装置(TCAS)が義務付けられていない自衛隊においては、航空自衛隊で現役で使用されている他、山梨県甲斐市に法人本部を置く学校法人の日本航空学園では、地上訓練用の教材として現役を続けている機体が存在する。エアーニッポン(離島等の輸送改善を目的として設立された航空会社で、2012[平成24]年に解散)で使用していたYS-11は、1997(平成9)年に定時離陸率99.6% - 99.8%、日本航空グループの航空会社、日本エアコミューターで運航されていたYS-11も、2004(平成16)年に定時出発率91.8%を達成している。これは、世界の最新鋭飛行機でもなかなか達成できないものである。日本エアコミューターで使用されていた登録番号JA8717(製造番号2092)の機体は、登録されたのが1969(昭和44)年2月で、2006(平成18)年9月11日までの総飛行時間は71,220時間47分、総飛行サイクルは72,359回と世界一の記録となっており、このことからもYS-11の頑丈さが分かる。なお、退役したYS-11の一部は、日本国内各地の博物館等に寄贈され、静態保存され展示されている。YS-11の総生産数は決して多くはないが、日本の高度経済成長期を象徴する存在の1つとしてのノスタルジーや、武骨な構造・独特のエンジン音等を持つ個性的な機体として、日本には多くのファンがいる。日本国内の航空専門誌では、「日本の名機」「日本初の名国産機」等とも評しているが、実際にはエンジンを初めとして計器類等、パーツの殆どは海外製で、重量過大や操縦性の問題といった未熟さを指摘する意見もある。鉄道雑誌では、同じ1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の前後にデビューした日本の乗り物として、陸の新幹線0系電車と対をなす存在として語られることがある。両者には、かつて軍用機製造に携わっていた人々によって作られた、という共通点がある。

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