スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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7月14日 記念日 その5

フランス建国記念日、フランス革命記念日。
1789(寛政元)年7月14日、フランスの首都パリの民衆がバスティーユ監獄(元々は要塞で、ヴァロワ朝第3代国王シャルル5世[在位:1364年 - 1380年]の治世下に建てられ、フランス革命前には政治犯や精神病者を収容した牢獄として使われていた旧体制[アンシャン・レジーム]支配の象徴とされた建物)を襲撃して占領し、多くの政治犯を解放した。これが、世界史上の代表的な市民革命で、前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命とされる、フランス革命の始りとなった。1787(天明7)年に中世フランス王国の王朝、カペー朝の支流である近世フランス王国の王朝、ブルボン朝の王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、1789(寛政元)年から全社会層を巻込む本格的な革命となり、政治体制は絶対王政(王が絶対的な権力を行使する政治の形態)から立憲王政(制限君主制とも呼ばれる、君主[王]の権力が憲法により規制されている政治の形態)、そして共和制(人民、又は人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体)へと移行した。さらに、1794(寛政6)年のテルミドール反動(フランス革命政府を支配していたフランス革命期にできた政治党派の1つジャコバン派であるジャコバン派がクーデターで倒れ、ジャコバン派の中心人物であり、フランス革命期の政治家で、史上初のテロリスト[恐怖政治家]・代表的な革命指導者とされるマクシミリアン・ロベスピエールらが処刑された事件)の後に退潮へ向かい、1799(寛政11)年にフランス革命期の陸軍軍人・政治家ナポレオン・ボナパルト(後のフランス第一帝政皇帝ナポレオン1世)によるクーデターと帝政樹立に至る。一般的には、1787(天明7)年の貴族の反抗から1799(寛政11)年のナポレオン・ボナパルトによるクーデターまでが革命期とされている。フランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建(上位の君主が、臣下に対して、その領地支配を認め、爵位を与え、臣従[貢納・軍事奉仕等]を義務付ける社会制度)的諸特権が撤廃されて近代的所有権が確立される一方、アッシニア紙幣を巡って混乱が起こった。なお、アッシニア紙幣とは、1789(寛政元)年12月19日から1796(寛政8)年3月10日までの間、フランス革命期のフランス、及びその姉妹共和国で使用された紙幣である。元々は土地債券(債券とは、国、地方公共団体、政府関係機関、株式会社等が多くの投資家から均一条件で大量の資金を借入れる場合に発行する一種の債務証書で、その発行者に対する債権を表示した有価証券である)で、利子付きであり、担保も設けられた公債であったが、歳入と正貨の著しい不足から、不換紙幣(本位貨幣[正貨たる金貨や銀貨]との兌換が保障されていない法定紙幣)として強制流通(貨幣において、額面で表示された価値で決済の最終手段として認められる効力が強制通用力で、法律により強制通用力が付与された貨幣を、通貨、或いは法貨[法定通貨]という)されることになった。しかし、激しい物価上昇(インフレーション)を引起こして、経済と革命とを大混乱させ、最終的には廃止された。革命によって生まれたフランス第一共和政は、ナポレオン・ボナパルト独裁による執政政府の開始によって約10年で終わった。さらに、ナポレオン・ボナパルトによるフランス第一帝政を経て、ナポレオン・ボナパルトの失脚後にはブルボン朝が復活した(フランス復古王政)。なお、当時のフランスでは度量衡(さまざまな物理量の測定、或いは物理単位のことで、字義的には、度は「長さ」及び「さし[ものさし]」、量は「体積」 及び「枡[升、ます]」、衡は「質量」及び「秤[はかり]」を表わしている)が統一されていなかったが、世界で共通に使える統一された単位制度の確立を目指して、1791(寛政3)年に「メートル法」が定められた。フランス以外の国家でも、度量衡の単位の統一に悩んでおり、「メートル法」に興味を持ち始めた。1867(慶応3)年のパリ万国博覧会(フランスの首都パリで開催された国際博覧会で、42ヶ国が参加し、会期中約1,500万名が来場した)の際、パリに集まった学者の団体が、「メートル法」によって単位の国際統一する決議を行なった。1875(明治8)年、「メートル法」を導入するため、各国が協力して努力するという主旨の「メートル条約」が締結された。「メートル法」は定着までには時間を要したが、今日では、国際的に定めた単位系である国際単位系(SI)として、世界における標準的な単位系となっている。なお、国際単位系(SI)は、「メートル法」の後継とされているが、「メートル法」が発展したものでもある。公式に建国記念日として祝われるのは、翌1790(寛政2)年同日の「連盟祭」である。1880(明治13)年から祝日となった。このフランス共和国の成立を祝う日が、日本で「パリ祭」と呼ばれているのは、フランスの映画監督・脚本家・映画プロデューサー、ルネ・クレールが監督した1932(昭和7)年のフランス映画『Lu Quatorze Juillet(7月14日)』の邦訳名が『巴里祭』であったことに因む。映画の原題は、端的に「7月14日」というものである。しかし、それだけでは日本人には馴染みがないため、『巴里祭』という邦題となった。この日には、フランス各地で1日中花火が打上げられる。また、パリでは軍事パレードが開催される他、慣例として、消防士達はダンス・チームを組んで市民に披露する。 
ゼラチンの日、ゼリーの日。
東京都中央区日本橋本町に本部を置く業界団体、日本ゼラチン・コラーゲンペプチド工業組合(2015[平成27]年に日本ゼラチン・コラーゲン工業組合と改称)が、2004(平成16)年に「ゼラチンの日」を、2005(平成17)年に「ゼリーの日」を、それぞれ制定した。ゼラチンがフランス料理によく使われることから、フランス革命の日をその記念日とした。また、ゼラチンがゼリーの主材料となることから、同じ日を「ゼリーの日」としている。なお、この時期は、ゼラチンやゼリーの消費が増えることもその理由の1つ。ゼラチンは、動物の皮膚や骨、腱等の結合組織の主成分であるコラーゲン(たんぱく質の1つ)に熱を加え、抽出したものである。日本では、主に食品や医薬品等に使われる純度の高いものをゼラチン、日本画の画材や工芸品等の接着剤として利用する精製度の低いものを膠(ニカワ)と称している。中国から日本に膠が伝わったのは、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』等の記述から第33代天皇、推古天皇の時代、「膠墨」としてもたらされたものと考えられている。奈良時代以降、製墨原料、建築・指物用接着剤、織布の仕上げ剤、医薬品(造血剤)等の材料として普及した。20世紀に入り、フィルムや印画紙に吸湿性の低い高純度のゼラチンが必要になったことから、洋膠(ゼラチン)の技術導入が始まった。食材としての伝来は遅く、明治時代以降、欧米の食文化の到来と共にゼラチンとして知られることになったが、食用のゲル化剤としては和菓子等に用いる寒天や葛粉等、多糖類系統のものが既に広く用いられていたこともあり、1935(昭和10)年頃、国内で食品にできるだけの純度に精製する技術が確立して後、ようやく食品用ゼラチンが普及することとなった。ゼリーの語源は、ラテン語(古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた、ギリシャ語と並ぶ西ヨーロッパの古典語)の「凍る、固まる」を意味する「ゲラーレ」が由来とされている。また、フランス語の「ジュレ」も同じ語源から来ている。


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