スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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1970年 - 南イエメンが国号をイエメン人民民主共和国に改称し、社会主義国家を宣言する。
1970年 - 北海道斜里郡斜里町の釧網本線斜里駅(現:知床斜里駅)と同町の越川駅を結んでいた国鉄(日本国有鉄道、現在の北海道旅客鉄道[JR北海道])根北線(路線距離12.8km)がこの日限りで廃止。根北線は、斜里駅と標津線(北海道川上郡標茶町の標茶駅で釧網本線から分岐し、北海道標津郡標津町の根室標津駅に至る本線と、北海道標津郡中標津町の中標津駅で本線から分岐し、根室市の厚床駅で根室本線に接続する支線から成立っていたが、1989年4月30日に全線が廃止される)の根室標津駅を結ぶことを目的に建設された路線で、1957年11月10日に斜里駅 - 越川駅間が開通する。当時は沿線の道路事情が悪く、木材輸送が期待されたが、国道244号の整備が進んだこと等から貨物輸送は振るわず、路線バスに旅客も奪われ、最末期には1日2往復の超閑散路線となって、廃止が決定する。僅か13年の短命路線となる。
1974年 - 東アフリカに位置するエチオピアで、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール[エチオピア北東部に所在する州]猿人とも呼ばれる、約390万万年前から約290万年前に存在した化石人類の一種)の化石人骨「ルーシー」が発見される。なお、この日付は、アメリカの人類学者、ドナルド・C・ジョハンソンと、アメリカの科学ジャーナリスト、マイトランド・A・エディの共著『ルーシー - 謎の女性と人類の進化』によるもので、11月24日に発見された、との説もある。「ルーシー」は、フランスの地質学者モーリス・タイーブが組織した国際アファール調査隊が発見し、当時流行していたイギリスのロックバンド、ザ・ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」に因んで命名されている。アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最初期に発見されたものの1つであり、全身の約40%に当たる骨が纏まって見付かったという資料上の貴重さから、広く知られている。この猿人の発見は、類人猿に近い脳容量と、人類に近い直立二足歩行を行なっていた痕跡を示す人骨という点で重要である上、人類の進化において、脳容量の増大よりも二足歩行が先行していたことを裏付ける証拠にもなっている。但し、他の研究の結果は、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)が現代人の直接的な先祖ではないことを示唆している。なお、ドナルド・C・ジョハンソンは、国際アファール調査隊の共同責任者の1人で、後にアリゾナ州立大学(アメリカ合衆国南西部、アリゾナ州フェニックス都市圏内、テンピ市に本部がある、アメリカ有数の規模を誇る大学)人類起源研究所の所長となっている。
1977年 - アメリカ軍が使用していた東京都立川市にある立川基地(防衛省所管の軍用飛行場、立川飛行場)が、約32年振りに全面返還される。現在の立川飛行場は、1982年3月から運用が開始され、主に各官公庁のヘリコプターが運用されている。陸上自衛隊立川駐屯地の一部であると同時に、立川広域防災基地としての役割があることから、東京消防庁航空隊多摩航空センターや警視庁航空隊立川飛行センターが併設され、共用している。
1984年 - 電電公社(日本電信電話公社、現在の日本電信電話株式会社[NTT])が、キャプテンシステムの実用サービスを開始。キャプテンシステムは、電気通信役務として提供していたビデオテックス(電話回線を通じて、文字・画像・簡易動画を送受信するコンピューターネットワークシステム)サービスである。当初は将来性を期待されていたものの、インターネットの普及に伴ない縮小を余儀なくされ、日本国内でのサービスは既に終了している。
1984年 - 兵庫県加古川市の加古川駅から兵庫県高砂市の高砂駅までを結んでいた国鉄(日本国有鉄道、現在の西日本旅客鉄道[JR西日本])高砂線(路線距離8.0km)がこの日限りで廃止。
1984年 - 大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた国鉄(日本国有鉄道、現在の九州旅客鉄道[JR九州])宮原線(路線距離26.6km)がこの日限りで廃止。
1984年 - 宮崎県宮崎郡佐土原町(現:宮崎市)の佐土原駅と同県西都市の杉安駅とを結んでいた国鉄(日本国有鉄道、現在の九州旅客鉄道[JR九州])妻線(路線距離19.3km)がこの日限りで廃止。
1990年 - 平成2年台風28号が紀伊半島に上陸し、観測史上最も遅い時期の台風上陸となる。台風の上陸日時としては、記録が残る1951年以降では最も遅い記録であり、それまでの最晩記録であった1967年の昭和42年台風34号(10月28日3時半頃、愛知県南部に上陸)よりも、1ヶ月以上遅いものとなる。大型の勢力で和歌山県西牟婁郡白浜町付近に上陸。上陸時の中心気圧は975ミリバール(現在の単位はヘクトパスカル)、最大風速は秒速30mで、上陸後間もなく温帯低気圧に変わったが、この台風の影響で、広い範囲で大雨・暴風となり、全国で死者・行方不明者4名、家屋全半壊162棟等の被害を出す。
1993年 - オランダで、世界初の安楽死(人に苦痛を与えずに死に至らせることで、一般的に終末期患者に対する医療上の処遇を意味して表現され、別表現として、尊厳死という言葉がある)を認める法律(改正埋葬法)が成立。
1993年 - アメリカで、銃規制を目的としたブレイディ法が発効。拳銃等の販売に5日間の猶予期間を設けること、販売店に購入希望者の犯歴を警察へ照会することを義務付けているブレイディ法の法律名は、レーガン大統領暗殺未遂事件(1981年3月30日に、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で、アメリカ合衆国第40代大統領ロナルド・レーガンが銃撃された事件)において負傷した大統領補佐官のジェイムズ・ブレイディに因んでいる。この法律は当初5年間の時限立法として制定され、後に5年延長されたが、2004年に延長されず、失効となっている。なお、アメリカ政治では、民主党が銃規制に積極的で、共和党が規制に消極的とみられている。
2007年 - 衛星アナログハイビジョンテレビの放送が終了(停波)。
2008年 - 初代新幹線0系電車が定期運用を終了。新幹線0系電車は、国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)が1964年の東海道新幹線開業用に開発した、初代の営業用新幹線電車である。1964年から1986年まで38次に亘り、改良を重ねつつ総計3,216両が製造される。世界で初めて時速200kmを超える営業運転を達成し、航空機に範を取った丸みを帯びた先頭形状と、青と白に塗分けた流線形の外観で、初期の新幹線のイメージを確立する。
2008年 - 東日本フェリー(2009年、道南自動車フェリー[現:津軽海峡フェリー]に吸収合併され解散)が国内フェリー事業から撤退。
2009年 - 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、デノミネーション(通貨単位の切下げ)が実施される。 
2016年 - それまで暫定的に系統名(正式な名称が定まっていない新しい元素を呼ぶために、各国の化学者を代表する国内組織の連合、国際純正・応用化学連合[IUPAC]が1978年に系統的な命名規則を定めたもの)で、ウンウントリウム(113番元素)、ウンウンペンチウム(115番元素)、ウンウンセプチウム(117番元素)、ウンウンオクチウム(118番元素)と呼ばれていた4つの新元素の正式名称が、それぞれ、ニホニウム、モスコビウム、テネシン、オガネソンに決定する。原子番号113の元素、ニホニウムの名称は、発見国である日本国(にほんこく)に因んだものである。埼玉県和光市に本部を持つ自然科学系総合研究所、国立研究開発法人理化学研究所が、2004年9月28日に線形加速器(粒子を一直線上で加速する荷電粒子加速装置)を用いて、「113番元素」の合成に成功したと発表する。その後、国立研究開発法人理化学研究所が3個の「113番元素」の合成、及び証明に成功したことから、2015年12月31日、国際純正・応用化学連合(IUPAC)評議会により、国立研究開発法人理化学研究所(基礎研究から応用研究まで行なう、国内唯一の自然科学系総合研究所)の研究グループに「113番元素」の命名権が与えられている。

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1700年 - 大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン同盟[北方同盟]を結成した諸国とがスウェーデンの覇権を巡って争った戦争): ナルヴァの戦い。
1783年 - アメリカ合衆国とイギリスが、アメリカ独立戦争(北アメリカの13植民地が結束して、イギリスの植民地政策に抵抗し、共和制国家として独立したアメリカ独立革命)の講和条約、パリ条約を締結する。パリ条約では、イギリスがアメリカの独立を承認し、北アメリカ大陸の中央を南北に流れるミシシッピ川より東をアメリカ領としている。
1786年 - 神聖ローマ皇帝レオポルト2世が、ヨーロッパでは初めて死刑制度の廃止を宣言(シティズ・フォー・ライフの日)。
1814年 - オーストリアの作曲家、フランツ・シューベルトが『羊飼いの嘆きの歌』を作曲。『羊飼いの嘆きの歌』は、フランツ・シューベルト17歳の時の作品で、初期を代表する傑作の1つである。愛する少女が遠い国へ旅立って行ってしまった後に残った羊飼いの少年の心が、痛ましいまでの感傷をもって美しく、繊細に歌われている。
1853年 - クリミア戦争: シノープの海戦。オスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)の軍港シノープをロシア黒海艦隊が奇襲。これを機に、イギリス・フランスがオスマン帝国側に立ち、クリミア戦争(フランス、オスマン帝国、及びイギリスを中心とした同盟軍等とロシア軍との戦いで、近代史上稀にみる大規模な戦争となり、ロシアの後進性が露呈する)への介入を決意する。
1864年 - 南北戦争: 第二次フランクリンの戦い。
1872年 - 史上初のサッカー公式国際試合となる、イングランド対スコットランドの試合が開催される。
1888年 - 日本とメキシコとの間で日墨修好通商条約が締結される。この条約が、日本初の(アジアを除くもので、治外法権[外国人は滞在国の領土主権に服するが、例外的にそれから免れることが認められる特権]が無く、関税自主権のある)対等条約となる。
1892年 - 千島艦事件。日本海軍の水雷砲艦『千島』がイギリス商船と衝突し、沈没。商船側も損傷を受ける。日本政府が訴訟当事者として外国の法廷に出廷した最初の事件となり、領事裁判権の撤廃問題と絡んで日本の国内外を巻込む政治問題に発展する。
1892年 - 著述家・啓蒙思想家・教育者、福沢諭吉の後援で、医学者・細菌学者の北里柴三郎が、大日本私立衛生会伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所の前身)を設立する。ドイツ留学から帰国した北里柴三郎には、当時、日本では受け入れる機関がなく、国家有為の才能を発揮できない状態にあり、これを聞いた福沢諭吉が、私財を投じて設立した研究所が、大日本私立衛生会附属伝染病研究所である。後に、内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)から文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)に移管されるに及んで、移管に反対した北里柴三郎は大日本私立衛生会附属伝染病研究所を去り、新たに私費を投じ、北里研究所を設立して、細菌学の研究を続けている。 
1908年 - 日本の駐米大使高平小五郎とアメリカ合衆国国務長官エリフ・ルートが、高平・ルート協定に調印。高平・ルート協定は、1908年11月時点における領土の現状を公式に認識し、清国(中国)の独立、及び領土保全、自由貿易、及び商業上の機会均等、アメリカによるハワイ王国併合とフィリピンに対する管理権の承認、満州(現在の中国北東部に所在)における日本の地位の承認から成っている。また、暗黙の内に、アメリカは日本の韓国併合と満州南部の支配を承認し、そして日本は、カリフォルニアへの移民の制限を黙諾している。
1919年 - 食品工業(現在のマヨネーズ等の調味料を主力としている食品メーカー、キユーピーの前身)が創業。
1920年 - 京都赤旗事件。弁護士・政治家の高山義三の除隊を迎えに来た、社会運動家の鍋山貞親ら社会主義者の集団が警官隊と衝突し、「治安警察法(明治33年3月10日法律第36号)」違反等の容疑で逮捕される。
1926年 - 日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が設立される。日本ラグビーフットボール協会(JRFU)は、日本におけるラグビー(ボールを手で持って走ることが許されているラグビーユニオンで、単に「ラグビー」と称する場合は、このラグビーユニオンを指す場合が多い)の高等学校・大学・ジャパンラグビートップリーグ(社会人ラグビーの全国リーグ)を総括している団体である。
1936年 - 水晶宮(クリスタル・パレス)が焼失。水晶宮は、1851年にイギリスの首都ロンドンのハイドパークで開かれた第1回万国博覧会の会場として建てられた建造物である。イギリスの造園家・建築家・政治家、ジョセフ・パクストンが設計した、鉄骨とガラスで作られた巨大な建物であり、プレハブ建築物の先駆とも言われる。
1939年 - 第二次世界大戦: ソビエト連邦軍が、北ヨーロッパに位置するフィンランドに侵攻し、冬戦争が勃発する。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守っている。 
1942年 - 第二次世界大戦・ソロモン諸島の戦い: ルンガ沖夜戦。
1942年 - 横浜港ドイツ軍艦爆発事件。同盟国であった日本の横浜港を拠点に活動していた、ドイツの高速タンカー『ウッカーマルク』が火災を起こし、近くの船舶を巻込んで爆発。この事故により102名が犠牲になり、『ウッカーマルク』、ドイツの仮装巡洋艦『トール』、及び『トール』に拿捕されたオーストラリア船籍の客船『ナンキン』(拿捕後『ロイテン』と改名)、中村汽船所有の海軍徴用船『第三雲海丸』が失われ、横浜港内の設備が甚大な被害を受ける。
1943年 - 第二次世界大戦: テヘラン会談で、米英ソ首脳が1944年にフランスへのオーバーロード作戦(ドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦)を行なうことで合意。
1948年 - 68歳の歌人、川田順が弟子の大学教授夫人と共に家出。川田順が詠んだ歌から「老いらくの恋」が流行語になる。
1949年 - 対共産圏輸出統制委員会(COCOM、ココム)設立。対共産圏輸出統制委員会(COCOM)は、冷戦期に資本主義諸国を中心に構成された、共産主義諸国への軍事技術・戦略物資の輸出規制(或いは禁輸)のための委員会である。冷戦が終結しソビエト連邦が崩壊すると対共産圏輸出統制委員会(COCOM)の意義が薄れたため、1994年3月に解散する。
1954年 - ホッジス隕石がアメリカ合衆国南部、アラバマ州に落下。ホッジス隕石は、人間に当たって負傷させた確実な記録が残る唯一の隕石である。隕石はアラバマ州タラディーガ郡シラコーガの近傍にあるユージン・ホッジス家の屋根を突き抜け、室内の木製のラジオを破壊した上、昼寝をしていたアン・エリザベス・ホッジス夫人に当たり、アン・エリザベス・ホッジス夫人は重傷を負う。
1962年 - ビルマの政治家、ウ・タントが、第3代国際連合事務総長に選出される。
1966年 - 南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海東部洋上の小アンティル諸島に位置するバルバドスがイギリスから独立。
1967年 - 中東、アラビア半島の南西部に位置する南イエメン(現在のイエメン人民民主共和国)がイギリスから独立。
1969年 - 東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開する東京急行電鉄(東急)の通勤形電車、東京急行電鉄8000系が営業運転を開始する。1970年代から1980年代にかけて、東京急行電鉄(東急)の主力車として大量に増備された東京急行電鉄8000系の機器類については、極めて先進的で、制御系には回生制動(車両を止める運動エネルギーを、発電による電気エネルギーに変換して制動力を得る補助ブレーキの一種)が可能な他励界磁チョッパ制御方式(直巻巻線と分巻巻線の2つの界磁巻線をもつ電動機、複巻電動機の分巻界磁電流を、電流のON-OFFを繰返すことによって、直流、又は交流の電源から、実効値として任意の電圧や電流を擬似的に作り出す電源回路の制御方式、チョッパ方式で制御することにより、回生ブレーキを使用可能とする速度制御方式)を世界で初めて実用化し、また、運転台操作系には、量産車としては日本初となる、マスコン(マスター・コントローラーのことで、鉄道車両の出力・速度を遠隔制御するスイッチ装置)ハンドルとブレーキレバーを一体化した「ワンハンドルマスコン」が採用されている。

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11月30日 誕生日

1554年 - フィリップ・シドニー、詩人
1602年 - オットー・フォン・ゲーリケ、科学者(物理学者)・発明家・政治家
1667年 - ジョナサン・スウィフト、作家
1753年 - ヨハン・バプティスト・シェンク、作曲家
1756年 - エルンスト・クラドニ、物理学者・天文学者
1760年 - 華岡青洲、外科医
1761年 - スミッソン・テナント、化学者
1813年 - シャルル=ヴァランタン・アルカン、作曲家・ピアニスト
1825年 - ウィリアム・アドルフ・ブグロー、画家
1828年 - グスタフ・ツォイナー、物理学者・工学者
1835年 - マーク・トウェイン、作家
1857年 - 陸羯南、ジャーナリスト
1859年 - セルゲイ・リャプノフ、作曲家・ピアニスト
1863年 - アンドレス・ボニファシオ、フィリピン独立運動家・革命家
1869年 - ニルス・ダレン、物理学者
1869年 - コンスタンチン・ソモフ、画家
1870年 - フランク・キレン、米プロ野球
1874年 - ウィンストン・チャーチル、政治家・グレートブリテン=北アイルランド連合王国第61代・第63代首相
1874年 - ルーシー・M・モンゴメリ、作家
1875年 - 長谷川如是閑、ジャーナリスト
1888年 - 末弘厳太郎、法学者
1888年 - ラルフ・ハートレー、電子工学研究者
1889年 - エドガー・エイドリアン(初代エイドリアン男爵)、電気生理学者・ノーベル生理学・医学賞受賞者
1893年 - 満宮輝仁親王、皇族
1898年 - 廿日出要之進、実業家・アヲハタ(缶詰・ジャム類等の食品メーカー)創業者
1901年 - 向井潤吉、洋画家
1901年 - 荻須高徳、洋画家
1906年 - ジョン・ディクスン・カー、推理作家
1906年 - 圓鍔勝三、彫刻家
1911年 - 森有正、哲学者・フランス文学者
1911年 - 田村泰次郎、作家
1912年 - 玉ノ海梅吉(七代二所ノ関親方)、大相撲
1915年 – ヘンリー・タウベ、化学者・ノーベル化学賞受賞者
1918年 - 田川豊、プロ野球
1923年 - 永井洋二郎、プロ野球
1924年 - 塚本悦郎、プロ野球
1925年 - 林家三平、落語家
1926年 - アンドルー・ウィクター・シャリー、生理学者・内分泌学者・ノーベル生理学・医学賞受賞者
1926年 - 中根千枝、社会人類学者
1927年 - マーサ・チェイス、遺伝学者
1927年 - 山田敬蔵、マラソン
1927年 - 石井均、俳優
1927年 - 内田蒼生也、プロ野球
1928年 - 土井たか子、政治家・第68代衆議院議長
1928年 - 小宮隆太郎、経済学者
1929年 - 三木谷良一、経済学者
1929年 - レオ・カイリー、米プロ野球
1931年 - 浅井昭衛、宗教家
1932年 - 渡辺清、プロ野球
1933年 - 富永美沙子、女優・声優
1936年 - 打越敏彦、プロ野球
1937年 - リドリー・スコット、映画監督
1937年 - 松山容子、女優
1937年 - 千々松幸子、声優
1937年 - 光枝明彦、舞台俳優
1938年 - 亀石征一郎、俳優
1939年 - ワルター・ウェラー、指揮者・ヴァイオリニスト
1940年 - 井上真樹夫、声優・俳優・作詞家
1940年 - 安蘇谷正彦、神道学者
1940年 - ラリー・ブラウン、バスケットボール
1941年 - 加藤彰彦、ノンフィクション作家
1941年 - アリー・ハサン・アル=マジード、政治家
1941年 - 天城美枝、女優・振付師
1942年 - 高梨英夫、アマチュア野球
1943年 - アネット・メサジェ、美術家
1944年 - 中原全敏、プロ野球
1945年 - ロジャー・グローヴァー、ミュージシャン・音楽プロデューサー 《Deep Purple》
1945年 - ラドゥ・ルプー、ピアニスト
1945年 - 武藤まき子、アナウンサー・芸能リポーター
1946年 - 王東順、テレビプロデューサー
1947年 - 小池哲夫、ミュージシャン 《ヴィレッジ・シンガーズ》
1947年 - デヴィッド・マメット、劇作家・脚本家・演出家・映画監督
1949年 - 鹿島茂、フランス文学者
1949年 - 江戸家猫八 〈4代目〉 、物真似師
1951年 - 陣内誠、アナウンサー
1951年 - 神田紫、講談師
1951年 - 三好鉄生、歌手・俳優
1954年 - ローレンス・サマーズ、経済学者・政治家
1954年 - ロドニー・ブルックス、ロボット工学者
1955年 - 紅龍、ミュージシャン 《上々颱風》
1956年 - 花井愛子、作家
1956年 - 郡寿男、囲碁
1957年 - 江上由美、バレーボール
1957年 - 田口トモロヲ、俳優・声優
1957年 - 山田昌弘、社会学者
1958年 - 杉浦日向子、漫画家・江戸風俗研究家
1959年 - シルビア・ハニカ、テニス
1960年 - ゲーリー・リネカー、サッカー
1961年 - 相島一之、俳優
1962年 - ボー・ジャクソン、アメリカンフットボール
1962年 - 戸崎貴広、アナウンサー
1963年 - 柳家喬太郎、落語家
1964年 - 獣神サンダー・ライガー(山田恵一)、プロレス
1965年 - 秋篠宮文仁親王、皇族
1965年 - 中嶋治彦、プロ野球
1966年 - デビッド・バーコフ、競泳
1967年 - 水谷加奈、アナウンサー
1967年 - 田中章、タレント 《プリンプリン》
1967年 - 藤井かすみ、ゴルフ
1968年 - ウチダトモヒロ、作曲家
1968年 - 松本梨香、声優
1968年 - ローラン・ジャラベール、自転車ロードレース
1968年 - デズリー、歌手
1969年 - トゥリーナ・ガリヴァー、ダーツプレイヤー
1970年 - 小林宏、プロ野球
1970年 - サンドラ・オー、女優
1971年 - イバン・ロドリゲス、米プロ野球
1971年 - 高井美穂、政治家
1971年 - ヘラルト・ファン・フェルデ、スピードスケート
1971年 - 吉本一義、プロ野球
1972年 - 四位洋文、騎手
1972年 - 奥井奈緒子、女優・歌手
1972年 - 橋爪浩一、モデル・俳優
1973年 - ジェイソン・リソ(クリスチャン・ケイジ)、プロレス
1973年 - 藤澤英雄、アマチュア野球
1974年 - リー・エンチ、ロッククライミング
1974年 - 東恵子、タレント
1975年 - 束芋、現代美術作家
1976年 - クレイグ・ウィルソン、米プロ野球
1977年 - スティーヴ・アオキ、ミュージシャン(エレクトロミュージックDJ)・音楽プロデューサー
1977年 - 斉藤和巳、プロ野球
1977年 - 高勢祥子、俳人
1977年 - オリヴィエ・シェーンフェルダー、フィギュアスケート
1978年 - クレイ・エイケン、歌手
1978年 - ガエル・ガルシア・ベルナル、俳優
1978年 - 鎌倉千秋、アナウンサー
1978年 - 鎌田祐哉、プロ野球
1979年 - 小名川高弘、ミュージシャン 《CHARCOAL FILTER》
1979年 - クリス・アトキンソン、ラリードライバー
1979年 - 前原しゆな、歌手 《元 BeForU》
1980年 - 金城毅士、ミュージシャン 《THE GRANDWAZOO》
1980年 - シェーン・ビクトリーノ、米プロ野球
1980年 - 木下菜穂子、女優
1981年 - リッチ・ハーデン、米プロ野球
1982年 - クリストファー・ヒラタ、天体物理学者
1982年 - 志村由美、声優
1983年 - 武田博行、サッカー
1983年 - ニコラス・コール、フィギュアスケート
1983年 - 白城華奈、タレント
1984年 - 谷本安衣、女優
1984年 - 竹野康治郎、アナウンサー
1984年 - ナイジェル・デ・ヨング、サッカー
1985年 - 宮あおい、女優
1985年 - 内田暁子、バレーボール
1985年 - 満島ひかり、歌手・女優・タレント 《元 Folder 5》
1985年 - ルイス・バルブエナ、米プロ野球
1986年 - ジョーダン・ファーマー、バスケットボール
1986年 - 岩田聖司、アマチュア野球
1987年 - 中村桃子、将棋
1987年 - ビッケブランカ、シンガーソングライター
1987年 - チェイス・アンダーソン、米プロ野球
1988年 - 井上優里菜、タレント
1988年 - 園田清次、サッカー
1989年 - ヴラディミル・ヴァイス、サッカー
1990年 - 絵梨華、タレント
1990年 - マグヌス・カールセン、チェス選手
1993年 - 知念侑李、歌手・タレント 《Hey! Say! JUMP》
1994年 - ナイジャ・ヒューストン、スケートボード
1994年 - シャーロット・ウィングフィールド、陸上競技/短距離
1994年 - 鈴木圭一郎、オートレース
1996年 - 刈谷友衣子、モデル・女優
1998年 - 伊藤純奈、タレント 《乃木坂46》
1999年 - 加賀楓、歌手 《モーニング娘。》
2001年 - 二木蒼生、タレント 《こけぴよ》

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11月30日 記念日 その4

砂糖の日。
砂糖の優れた栄養価等を見直す日として、砂糖関係8団体(精糖工業会、日本製糖協会、日本ビート糖業協会、日本甘蔗糖工業会、日本分蜜糖工業会、日本砂糖輸出入協議会、全国砂糖代理店会、全国砂糖特約店協同組合連合会)を構成員とし、砂糖についての啓発活動を実施している「お砂糖"真"時代」推進協議会が2014(平成26)年度に制定した。日付は、3月10日の「3」と「10」を「砂糖(さ[3]とう[10、十])」と読む語呂合わせから。元々、3月10日は、語呂合わせから「砂糖の日」とされていたが、制定した団体等は不明であった。その後、「お砂糖"真"時代」推進協議会が、この日を記念日として改めて制定した形となる。「お砂糖"真"時代」推進協議会では、砂糖の良さを発信する日とし、3月10日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生の前日ということもあり、「長期保存可能なエネルギー源」という砂糖の効用の啓発を通じ、防災について考える催事を実施していくこととしている。「お砂糖"真"時代」推進協議会は、11月30日の「11」と「30」を、「いい(11)砂糖(さ[3]とう[10])」と読む語呂合わせから、11月30日を、同じく「砂糖の日」に制定している。砂糖は、日本には奈良時代に、中国唐朝の高僧であった鑑真によって伝えられたとされている。平安時代後期には、日本現存最古の薬物辞典『本草和名』に見られるように、ある程度製糖の知識も普及し、菓子や贈答品の一種として扱われるようにもなっていた。室町時代には、幾つもの文献に砂糖羊羹、砂糖饅頭、砂糖飴、砂糖餅といった、砂糖を使った和菓子が見られるようになってくる。やがて、戦国時代に南蛮貿易(ポルトガル人やスペイン人が日本に来航して行なった貿易)が開始されると、宣教師達によって様々な砂糖菓子が持込まれ、さらに、アジアから砂糖の輸入が盛んになり、徐々に砂糖の消費量は増大していく。江戸時代に入ると、海外からの主要な輸入品の1つに砂糖が上げられるようになり、オランダや中国の貿易船が、バラスト(重量を増したり重量のバランスを取ったりするために積込む重し)代わりの底荷として、大量の砂糖を長崎の出島(鎖国時代の日本の対外貿易窓口)に持込んだ。この頃、日本からは大量の金や銀が産出されており、その経済力をバックに、砂糖は高値で輸入され、大量の砂糖供給は砂糖を使った和菓子の発達をもたらした。しかし、17世紀後半には金や銀は枯渇し、その流出の原因の1つとなっていた砂糖輸入を減らすために、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が、琉球(現在の沖縄県)からサトウキビを取寄せて、江戸城内で栽培させ、サトウキビの栽培を奨励して砂糖の国産化を目論んだ。また、殖産興業を目指す各藩も、価格の高い砂糖に着目し、自領内で栽培を奨励した。特に、讃岐国高松藩第5代藩主松平頼恭がサトウキビ栽培を奨励し、江戸時代後期の天保期には、国産白砂糖のシェア6割を占めるまでになった。また、讃岐国高松藩はこの頃、黒砂糖をまろやかにしたような独特の風味を持ち、淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴の和三盆の開発に成功し、高級砂糖として現在でも製造されている。こうした動きによって、19世紀に入ると、砂糖のかなりは日本国内で賄えるようになった。明治時代中期、主に朝鮮半島(李氏朝鮮)を巡る日本と清国(中国清朝)の戦争、日清戦争の結果として台湾が日本領となると、台湾総督府(台湾を統治するために設置された日本の出先官庁)は糖業を中心とした開発を行ない、これに伴なって、日本には大量の砂糖が供給されることとなった。これにより、沖縄を除く日本本土ではサトウキビの生産が衰退したが、台湾での増産によって生産量は増大を続け、昭和時代に入ると砂糖の自給をほぼ達成した。一方、北海道においては、明治時代初期にテンサイ(別名はサトウダイコンで、寒冷地作物であり、サトウキビと並ぶ砂糖の主要原料)の生産が試みられたが一度失敗し、昭和時代に入ってやっと商業ベースに乗るようになった。この砂糖生産の拡大と生活水準の向上によって、砂糖の消費量も増大した。しかしその後、第二次世界大戦の戦況の悪化に伴ない砂糖の消費量は激減し、1945(昭和20)年の第二次世界大戦敗戦によって、砂糖生産の中心地であった台湾を失ったことで、砂糖の生産流通は一時大打撃を受けた。その後、1952(昭和27)年に砂糖の配給が終了して生産が復活し、日本の経済復興と共に、再び潤沢に砂糖が供給されるようになった。南北に長い日本列島は、サトウキビの栽培に適した亜熱帯と、テンサイ栽培に適した冷帯の両方が存在する。国産量は微増傾向にあるが、それは主にテンサイ糖の増加によるもので、サトウキビ糖は微減傾向にある。サトウキビの主な生産地は沖縄県や鹿児島県で、テンサイの生産地は主に北海道である。なお、日本は先進国の中では、砂糖消費量が非常に少ない方である。
きりたんぽみそ鍋の日。
秋田市旭北錦町に所在する、秋田県味噌醤油工業協同組合に事務局を置く「きりたんぽみそ鍋協議会」が制定。鍋が美味しくなる秋から冬の季節に、秋田名物のきりたんぽを、秋田みそで味付けした鍋に入れる「きりたんぽみそ鍋」を、多くの人に知ってもらい食べてもらうのが目的。日付は、11月30日の「11」と「30」で、「11」が囲炉裏で焼かれている「たんぽ」が並んでる様子を表わし、「30」は「三十」で、「みそ」と読む語呂合わせから。「きりたんぽみそ鍋」の定義は、秋田みそを使用していること、秋田県産豚肉を使用していること、秋田県産野菜を中心に使用していること、秋田県産きのこを中心に使用していること、となっている。秋田県味噌醤油工業協同組合は、味噌や醤油の原料である米、大豆、小麦、脱脂加工大豆や、食品防腐用アルコール、各種容器資材等の共同購買事業を行なう一方、醸造技術の指導や「秋田の味噌、醤油」の普及啓蒙活動を積極的に行なっている。きりたんぽ(切蒲英)は、秋田県の郷土料理で、つぶした米飯(餅や赤飯、おこわ等に使われる、粘り気のあるもち米ではなく、普通の米飯、うるち米を使用する)を、杉の棒を先端から包むように巻付けて焼いたたんぽ餅を、棒から外して食べ易く切った食品である。鶏(秋田県北部の米代川流域[比内地方]で古くから飼育され、日本三大地鶏の1つと考えられている、比内地鶏)ガラのダシ汁に入れて煮込んだり、味噌を付けて焼いたりして食べる。うるち米を素材とするきりたんぽは、長時間煮ると形が崩れるため、食せる状態まで煮たら、早めに鍋から引上げ、食べることが望ましい。特に、土産品として売られているきりたんぽには、繋ぎとして米粉が混ぜ込まれているため、その場で米を潰して作ったきりたんぽよりも型くずれし易い。秋田県内では、北部を中心に、野外に集まり、きりたんぽ鍋を作る会合が行なわれ、「なべっこ」と呼ばれる。また、小学校等では、遠足できりたんぽ鍋を作る「なべっこ遠足」が、かつては盛んに行なわれた。なお、同じ秋田県の郷土料理であり、粒が残る程度に半搗きにしたうるち米飯を、直径3cm程度に丸めたもので、だまこ、やまもちとも呼ばれるだまこもちは、主に鍋の具材として用いられ、だまこもちが入った鍋がだまこ鍋と呼ばれる等、きりたんぽとの共通点が多い。また、中部地方の山間部(長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方や山梨県)に伝わる、粒が残る程度に半搗きにしたうるち米飯にタレをつけ、串焼きにした郷土料理、五平餅も、きりたんぽに類似した郷土料理であるが、香ばしく焼き上げるもので、鍋にはしない。
 

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年金の日。
11月30日の「11」と「30」で、「いい(11)未来(みらい[30])」の語呂合わせから。厚生労働省は、「国民一人ひとり、『ねんきんネット』等を活用しながら、高齢期の生活設計に思いを巡らす日」として、2014(平成26)年度から毎年11月30日を「年金の日」とした。「年金の日」の趣旨について、賛同した各団体等と協働した取組みにより、『ねんきんネット』等を利用して年金記録や年金受給見込額を確認してもらい、高齢期に備え、その生活設計に思いを巡らしてもらうことを呼掛けている。「年金の日」の取組みは、 民間との協働イベントとして、「年金の日」賛同団体やその会員等(銀行、生保・損保、信金、金庫等)が行なう年金相談会等で、「年金の日」や「ねんきんネット」の周知を実施する他、日本年金機構において、出張相談や年金セミナーを実施すること等である。日本年金機構では、11月を「ねんきん月間」と位置付け、公的年金制度の普及・啓発活動を展開している。東京都杉並区高井戸西に本部を置く日本年金機構は、日本国政府(厚生労働大臣)から委任・委託を受け、公的年金(厚生年金及び国民年金)に係る一連の運営業務を担う、役職員が国家公務員の身分を有さない非公務員型の特殊法人である。運営業務の内訳は、旧社会保険庁(厚生労働省の外局[特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織]であった、社会保障担当の行政機関)が担ったもので、保険料の徴収や年金給付等の年金事業である。管理、及び企画部門を中心とする本部を東京に置き、その下に、現場管理、及び支援を行なうブロック本部が9ヶ所ある。また、各ブロック本部の下に、対面を要しない届出処理業務等を行なう都道府県事務センター47ヶ所と、事業所の調査、強制徴収、年金相談等の、地域に密着した対人業務を行なう年金事務所(旧社会保険事務所)が312ヶ所ある。年金事務所の規模は、小規模(職員数20名未満)が104ヶ所、中規模(職員数20名から39名)が192ヶ所、大規模が(職員数40名以上)が16ヶ所である。公的年金の運用は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が複数の金融機関に委託している。従来、公的年金の積立金運用は、特殊法人である年金福祉事業団が財政投融資に預託して行なっていた。しかし、第2次橋本内閣が進めた特殊法人改革によって、2001(平成13)年3月に年金福祉事業団は廃止され、日本国政府は年金資金の自主運用を求められることになった。そこで、2001(平成13)年3月の年金福祉事業団廃止の直後、同2001(平成13)年4月1日に年金資金運用基金へ改組された。2006(平成18)年4月1日には、年金積立金管理運用独立行政法人が設立されて、同日付で廃止された年金資金運用基金から、年金積立金の管理・運用業務を引継いだ。積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の2016(平成28)年度第2四半期末現在の運用資産は132兆751億円である。運用資産は、アメリカ合衆国の公的な投資基金、社会保障年金信託基金に次ぐ世界第2位を誇る。2011(平成23)年末時点では、年金基金の中で、2位のノルウェー政府年金基金(5,755億2,700万米ドル)に2倍以上の差を付けて、資産額は世界最大である(1兆3,948億7,300万米ドル)。このことから、積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、世界最大の機関投資家と呼ばれる。市場規模509兆円の内、約6%弱の日本株を保有しており、株式会社三井住友銀行、株式会社みずほ銀行、株式会社三菱東京UFJ銀行の三大メガバンク(巨大銀行や、輸送機器、及び機械工業メーカーの本田技研工業株式会社等、少なくとも日本企業の121社の筆頭株主であり、日本最大規模の企業であり、単一の自動車メーカーでは世界最大の大手自動車メーカー、トヨタ自動車株式会社の発行済み株式数の約5.5%を保有する、第2位の大株主である。積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の事務職員は、運用の専門知識を持たないため、実際の運用は金融機関に委託(投資信託)している。投資信託とは、多数の投資家から販売会社を通じて出資・拠出されてプールされた資金を、運用会社に属する資産運用の専門家(ファンドマネージャー、ポートフォリオマネージャー)が、株式や債券、金融派生商品等の金融資産、或いは不動産等に投資するよう指図し、運用成果を投資家に分配する金融商品で、運用による利益・損失は投資家に帰属する。
絵本の日。
福岡市南区大橋に所在し、福岡市等で子どもの歯科医院を運営する「医療法人 元気が湧く」が開設した、絵本と図鑑の民間図書館「絵本と図鑑の親子ライブラリー(ビブリオキッズ&ビブリオベイビー)」が制定。絵本の研究者、作家、出版社、書店、読者と共に絵本の魅力を伝え、絵本を通して子ども達の感性を育て、個人と社会を結び、その教育的、文化的、社会的な活動を広めていくのが目的。日付は、近代絵本の魁けとなる考え方を示した、児童文学研究者の瀬田貞二著『絵本論』(福音館)の初版が発行された1986(昭和61)年11月30日に因んで。絵本とは、その主たる内容が絵で描かれている書籍で、絵画(イラストレーション)を主体とした書籍の内、物語等のテーマを設けて文章を付与し、これを読ませるものである。幼児や児童向けの内容のものが多いが、大人が読んでも読み応えのあるものや、大人対象の絵本もある。幼児向けのものでは、幼児自身はまだ十分に文字が読めないため、大人や年長者が物語を読み聞かせつつ、絵を眺めさせるという形態が一般的である。これによって、言葉とイメージ(視覚から得た情景)を関連付けさせ、言葉の意味を学習する一種の家庭教育的な効果も期待されるが、より日常的な場では、単に娯楽という側面が強い。また、児童向けのものでは、絵本の文章は情景を示す物語ではあるが、絵の方から得られる副次的な情報が、文章の説明を補足する性質も見られる。
いい30歳の日。
東京都中央区京橋に本社を置く、不動産の賃貸・仲介・管理会社等を傘下とする純粋持株会社、スターツコーポレーションの傘下にある出版社で、女性のための情報サイト「オズモール」を運営する出版社、スターツ出版株式会社が制定。30歳の東京女子の会員を多く持つ「オズモール」では、希望と不安を抱えた彼女達の節目を応援し、いい30代を過ごして欲しいとの想いから、この日を30代のスタートの日としている。日付は、11月30日の「11」と「30」を、「い(1)い(1)30歳」と読む語呂合わせから。スターツ出版株式会社は、女性向け情報誌や、フリーペーパーの製作を主な事業としてきた。また、早くから紙メディアと携帯電話やウェブの連携を目指しており、「モバイル文学の先駆者的存在」等と称されるケータイ作家、Yoshiのヒットにより、ブームの火付け役となったケータイ小説は、その成果と言える。ケータイ小説とは、携帯電話(後には、スマートフォン[先進的な携帯機器用OSを備えた携帯電話の一種])を使用して執筆し、閲覧される小説(オンライン小説、電子書籍)で、2002(平成14)年頃から2007(平成19)年頃に「ケータイ小説ブーム」を迎えた。2011(平成23)年頃になると、スマートフォンの普及に伴なって、スマホ小説が徐々に浸透している。
いいおしりの日。
東京都渋谷区渋谷に本社を置き、音楽映像事業、タレント・モデル・アーティストのプロモート事業等を展開する芸能プロダクション、ヴィズミック株式会社が制定。お尻のフォルムの美しさ伝えることで、グラビア業界や世の中を明るく元気にするのが目的。日付は、11月30日の「11」を「い(1)い(1)」と読み、その30日は月末でお尻の日、との考えから。なお、ヴィズミック株式会社は、胸のフォルムの美しさ伝えることで、グラビア業界や世の中を明るく元気にすることを目的として、11月8日を「11」「08」として、「い(1)い(1)おっ(O)ぱ(8)い)と読む語呂合わせから、11月8日を「いいおっぱいの日」としている。

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