スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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3月22日 記念日 その3

放送記念日(続き)。
1945(昭和20)年8月15日に「戦争終結の詔書(いわゆる玉音放送)」が放送され、第二次世界大戦後の日本は、海外領土を失う。社団法人日本放送協会は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理・監督下に置かれ、言論統制が行なわれた。アメリカ軍とイギリス軍を中心とした(中華民国軍、及びソビエト連邦軍は日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。アメリカ軍向けは、後に極東放送網(FEN)、現在の米軍放送網(AFN)の前身となった。一部の局については、社団法人日本放送協会から施設や役務の提供が行なわれた。1950(昭和25)年に社団法人日本放送協会が公共企業体としての特殊法人日本放送協会に改組され、翌1951(昭和26)年には、9月1日朝に中部日本放送(現:CBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現:毎日放送[MBS])が、同年12月25日にはラジオ東京(現:TBSラジオ)と、民間放送も相次いで開始された。1953(昭和28)年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度であった時代に、テレビ受像機の価格は20万円から30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。ラジオ受信機にしても、当時は物品税(「物品税法[ 昭和15年3月29日法律第40号]」に基づく物品別間接税で、1989[平成元]年4月1日の「消費税法[昭和63年12月30日法律第108号]」施行に伴なって廃止された)が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは、秋葉原(世界有数の電気街として発展した、東京都千代田区の秋葉原駅周辺の地域)等から真空管(整流、発振、変調、検波、増幅等を行なうために用いる電気、電子回路用の能動素子)等の部品を買い集めて自作した方が安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の1つともなった。しかし、当時の第124代天皇、昭和天皇の第一皇男子で皇太子の明仁親王(現在の第125代天皇、今上天皇)皇太子明仁が、1959(昭和34)年に製粉業界最大手の製粉会社、日清製粉グループの経営者、正田英三郎の長女である正田美智子(現在の今上天皇の皇后)と結婚し、パレードのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始めたこと等から、ラジオは斜陽化の時代を迎える。1960年代になると、部品のトランジスタ(増幅、又はスイッチ動作をさせる半導体[電気電導性の良い金属等の導体、良導体と電気抵抗率の大きい絶縁体の中間的な抵抗率を持つ物質])の普及が進み、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーション(自動車が社会と大衆に広く普及し、生活必需品化する現象)により、カーラジオが普及する等、ラジオは一家に1台から1人に1台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送は、家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った深夜放送も盛んになった。1970年代後半に、中東戦争(ユダヤ人国家イスラエルと、周辺アラブ国家との間での戦争)やオイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)をきっかけとして、海外の国際放送を受信するBCL(放送、特に短波による国際放送を聴取して楽しむ趣味)ブームが中学生・高校生を中心に起こった。この時期には、日本向け日本語放送の充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらず、その国の文化等の理解を深める上で、一定の役割を果たした。また、受信報告書を送ると受取れるベリカード(放送局が放送をしたことを聴取者に証明する受信確認証)の収集も盛んに行なわれた。さらに、送信方向が日本向けではない等、一般的には受信困難な放送を、工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、第二次世界大戦後2回目の黄金期であった。しかし、日本からの海外旅行の一般化や、通信の自由化を遠因とする国際放送の縮小等で、BCLブームも終わりを遂げた。 1978(昭和53)年11月23日には国際電気通信連合(ITU)の取決めにより、AMラジオの周波数一斉変更(10kHz間隔→9kHz間隔。通称:9キロヘルツセパレーション)が行なわれた。1992(平成4)年には、コミュニティ放送(限られた地域での放送)が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行なわれるようになった。さらに、同じ1992(平成4)年には、AMステレオ放送が開始された。1995(平成7)年には、FM放送電波のすき間を利用して、音声と一緒に文字や図形等の情報を送る放送サービス、FM文字多重放送(いわゆる見て読むラジオ)もスタートする。1995(平成7)年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになり、また、大都市圏には外国語FM局も開局する。2000年代には、インターネットラジオ(インターネットによる、主として音声で番組を配信するもの)の登場、さらに、衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログラジオ放送と共に、ラジオの多様化が進んでいる。一方、メディアの多様化が起因となり、ラジオ離れの動きが顕著化し、それに伴なって広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられている。また、その一方では、ラジオの送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震等で放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能である。これを活かし、大規模災害の発生時には、臨時災害放送局が開設されることがある。一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、開局が盛んとなっている。なお、3月3日の「3」と「3」が、「耳(み[3]み[3])」と読めることに由来する「耳の日」に因んで、日本民間放送連盟ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定した「民放ラジオの日」は3月3日とされている。民放局制作のドキュメンタリー作品の内、文化庁芸術祭賞、放送文化基金賞、ギャラクシー賞、日本民間放送連盟賞、日本放送文化大賞、ATP賞等の受賞作品は、民放各社との提携によりNHK教育テレビジョンやNHK BSプレミアム等の番組枠で放送されることがある。2007(平成19)年からは、日本放送協会(NHK)、民放を問わず、ドキュメンタリー番組の受賞作品が『ザ・ベストテレビ』として、NHK BSプレミアム(開始当初はNHK BS2)で毎年放送されている。また、2013(平成25)年6月29日からNHK BSプレミアムの「名作時代劇」枠では、TBS系列で放送された『大岡越前 第2部』(加藤剛主演、1971[昭和46]年、C.A.L.製作)を放送している。さらに、NHK-BSでの『美少女戦士セーラームーン』(テレビ朝日系)、『けいおん』(TBS系)、Eテレでの『日常』(再編集版)や『ラブライブ!』『ラブライブ!サンシャイン!!』等、民放で放送されたテレビアニメが、それぞれ放送されたこともある。また、アニメ制作会社、株式会社ウィットスタジオ制作によるアニメ『進撃の巨人』に関しては、第1期がBSプレミアムで放送された後に、新作(第3期)の放送権が各民放から移行した。

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3月22日 記念日 その2

法隆寺会式(聖徳太子のお会式)(続き)。
聖徳太子は、飛鳥時代の皇族・政治家で、厩戸皇子、又は厩戸王の後世の呼称である。第31代天皇、用明天皇の第二皇子、母は第29代天皇、欽明天皇の皇女、穴穂部間人皇女。推古天皇の下、有力豪族の蘇我馬子と協調して政治を行ない、国際的緊張の中で遣隋使を派遣する等、大陸の進んだ文化や制度を取入れて、冠位十二階(日本で初めての冠位・位階[官吏の位を統一的に序列付けるもの]で、朝廷に仕える臣下を12の等級に分け、地位を表わす冠を授けるもの)や十七条憲法(官僚や貴族に対する道徳的な規範を示した法文)を定める等、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆に務めた。聖徳太子の聖人化は、『日本書紀』に既に見えており、8世紀には「本朝(日本)の釈迦」と仰がれ、鎌倉時代までに『聖徳太子伝暦』等、現存するものだけで二十種以上の伝記と絵伝(本来の聖徳太子の伝記に対する新たな解釈や創作によって派生した、聖徳太子の伝記・伝承の類である中世太子伝)が成立した。こうした伝記と絵伝により「聖徳太子信仰」は形成されていった。1972(昭和47)年、「梅原日本学」と呼ばれる独自の世界を開拓した哲学者、梅原猛が発表した論考『隠された十字架』は、西院伽藍の中門が4間で中央に柱が立っているという特異な構造に注目し、島根県出雲市大社町に所在する出雲大社との類似性を指摘して、再建された法隆寺は、王権によって子孫を抹殺された聖徳太子の怨霊を封じるための寺ではないか、との説を主張したが、歴史学の研究者の間では、一般的な怨霊信仰の成立が奈良時代末期であること等を指摘し、概ね梅原猛説には批判的であった。梅原猛の『隠された十字架』の所説は、基本的な事実誤認に基づいて推論を重ねている部分が多いとされ、美術史家からは厳しい評価を受けており、殆どの美術史家は敢えて正面から反論しなかった。それでも、『隠された十字架』が与えた影響は大きなものがあり、漫画家の山岸涼子は、『隠された十字架』に直接のインスピレーションを得て、1983(昭和58)年度の第7回講談社漫画賞少女部門を受賞した長編歴史漫画『日出処の天子』を発表したという。また、建築家の武澤秀一は、中門の中心にある柱が怨霊封じのためであるという梅原猛の説は退けつつも、梅原猛の問題提起を高く評価し、中国生まれのアメリカ合衆国の地理学者、イーフー・トゥアン(段義孚)等、現象学的空間論(空間には、ある場所から別の場所への運動が必要であり、同様に、場所には場所となるべき空間が必要、等とする理論)を援用しながら、法隆寺西院伽藍の空間設計が、それ以前の四天王寺様式が持つ圧迫感を和らげるために考案されたものであり、先行する百済大寺(初期の国家寺院の1つと言われるが、その位置は確認されておらず、武澤秀一は、奈良県桜井市南西部に所在したとされる吉備池廃寺を百済大寺に比定[同質のものがない場合、他の類似のものと比べて、そのものがどういうものかを推定すること]して、論を展開している)や、7世紀半ばの建立と推定される奈良県高市郡明日香村に所在した川原寺で試みられた「四天王寺様式を横にした」空間構築の完成形であったのではないか、と論じている。1878(明治11)年に法隆寺は、 300件余の宝物を当時の皇室に献納し、金1万円を下賜された(明治時代初期の頃は、1万円が約1億円に相当した、とも言われる)。これがいわゆる「法隆寺献納宝物」で、第二次世界大戦後は大部分が東京国立博物館(現在の東京都台東区にある、日本と東洋の文化財[美術品、考古遺物等]の収集保管、展示公開、調査研究、普及等を目的とした、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館で、日本最古の博物館である)の所蔵となり、その中の極一部が、皇室御物(皇室の私有品になっている絵画、書跡、刀剣等)、及び宮内庁保管となっている。「法隆寺献納宝物」は、シルクロード(中国と地中海世界の間の歴史的な交易路)の終着駅と言われ、古文書を始め、 服飾品、調度品、楽器等、8千点を越える宝物を収蔵している東大寺正倉院(奈良市の東大寺大仏殿の北北西に所在)の宝物よりも一時代古い、飛鳥時代から奈良時代前期を中心とする工芸品、仏像等を多数含み、歴史的・文化的に価値が高い。「法隆寺献納宝物」の所蔵者である東京国立博物館では、1964(昭和39)年、構内に「法隆寺宝物館」を開設し、献納宝物を展示・保管・研究している。
放送記念日。
1925(大正14)年3月22日、東京府東京市芝区芝浦(現在の東京都港区芝浦)にある東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部の前身)内に設けられた社団法人東京放送局(JOAK、現在のNHK[日本放送協会]東京ラジオ第1放送)仮送信所から、日本初のラジオ仮放送が行なわれたことを記念して、日本放送協会(NHK)が1943(昭和18)年に制定した日。仮放送当日の第1声は、「アー、アー、アー聞こえますか」であった。当時使われていたラジオは、鉱石の整流作用を利用したAMラジオ受信機「探り式鉱石受信機」が殆どで、第1声の「アー、アー、アー」は、この間に聴取者が、鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮と言われている。波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wで、当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市(現在の東京都区部[東京23区]に相当)内でないとよく聴こえなかった。日本放送協会(NHK)ではこの日(祝休日と重なる場合は、最直前の平日)に、東京都渋谷区の多目的ホール『NHKホール』で「放送文化賞」として、日本の放送界に貢献した著名人に対する表彰を行なっている。なお、社団法人大阪放送局(JOBK、現在のNHK[日本放送協会]大阪放送局)は、社団法人東京放送局と同時期に設立準備中であったが、1925(大正14)年6月1日に仮放送を出力500Wで開始した。さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在のNHK[日本放送協会]名古屋放送局)も同年7月15日に、出力1kWで放送を開始した。社団法人東京・大阪・名古屋放送局は、翌年の1926(大正15)年に社団法人日本放送協会として統合された。これは実質的には、政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標に、日本各地に放送局を開設した他、当時日本領であったオホーツク海の南西部にある、現在のロシア連邦サハリン州の島の南半分、南樺太(豊原放送局)や、西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々南洋群島(パラオ放送局)にも置局した。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会、台湾には台湾放送協会が設立され、社団法人日本放送協会の番組を多く中継した。受信機としては、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は、国内メーカーによって生産が可能となっており、アマチュアによる受信機自作も、当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。やがて、ラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマ等の多彩なプログラムが提供されるようになったことで、娯楽の主役となったが、1941(昭和16)年の第二次世界大戦の対英米戦開戦と、その後の戦局の進行と共に、日本軍の最高統帥機関である大本営の陸軍部、及び海軍部が行なった、戦況等に関する公式発表、大本営発表を行なうための機関と化し、プロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為)的な番組が増えた。この傾向は、第二次世界大戦終戦まで続いた。

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3月22日 記念日 その1

西暦(グレゴリオ暦)AD2019年 平成31年(1月1日 - 4月30日) 新元号元年(5月1日 - 12月31日)  
昭和94年 大正108年 明治152年 皇紀2679年 干支 己亥(つちのと い) 
第4金曜日 旧暦   2月16日、大安(戊午)、月齢 15.5 
グレゴリオ暦で年始から81日目、年末まであと284日。
誕生花 チューリップ・アザレア(赤)・ゼニアオイ・ムクゲ・レンゲソウ・レンギョウ・ヤグルマギク。

二十四節気・雑節等
社日(春)。
雑節。産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。社日は、古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。春分、又は秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を、生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても、一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を産土信仰という。氏神(同じ地域[集落]に住む人々が共同で祀る神道の神)と氏子(氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体)の関係が、血縁を基に成立するのに対し、産土神は地縁による信仰意識に基づく。従って、その意識が強く表われるのは都市である。例えば、京都では、同族集団の結束が弱まり、地縁による共同体意識が形成されると共に、中世には稲荷神社(現在の京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社)、御霊神社(現在の京都市上京区にある上御霊神社で、上御霊神社という社名は、京都市中京区にある下御霊神社に対応するものであり、政争に巻込まれて憤死した人々を諸神として、その怨霊を慰めるために創建された)、賀茂神社(現在の京都市北区にある賀茂別雷神社[上賀茂神社]と京都市左京区にある賀茂御祖神社[下鴨神社]との2つの神社の総称)、北野神社(現在の京都市上京区にある北野天満宮)等の有力な神社を中心に、産土神を基にした産子区域の観念が発達した。そして、産土詣での語が一般に使われるようになり、生まれた子の初宮参りを始め、成年式、七五三等に産土詣でをする風習が盛んになった。また、江戸では、日枝山王(山王信仰[比叡山に鎮まる神]に基づき、比叡山麓の日吉大社[現在の滋賀県大津市坂本にある神社]より勧請を受けた神社)が徳川氏の産土神とされ、その祭礼は盛大を極めた。産土神は、安産の神である産神とも関連がある。現在は、全国的に同族神としての氏神信仰が衰え、新たに起こった産土神の信仰に吸収されていく傾向が多くみられる。十干は元々、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸と、日を順に10日の纏まりで数えるための呼び名(符号)であった。10日毎に、「一旬(いちじゅん)」と呼び、3つの旬(上旬、中旬、下旬)で1ヶ月になるため、広く使われていた。古代中国では、万物は全て「陰」と「陽」の2つの要素に分けられるとする「陰陽説」と、全て木、火、土、金、水の5つの要素からなるとする「五行説」という思想があった。これらを組合せて「陰陽五行説」と言い、やがて陰陽五行説を「十干」に当嵌めるようになった。戊(つちのえ)は、十干の5番目である。陰陽五行説では、土性の陽に割当てられており、ここから日本では「つちのえ」(土の兄)ともいう。方位では中央に宛てられる。時刻では午前4時頃を指し、午前4時から午前6時までを戊夜(ぼや)という。戊の字は「茂」に通じ、植物の成長が絶頂期にあるという意味で、十干の5番目に宛てられた。

法隆寺会式(聖徳太子のお会式)。
聖徳太子の祥月命日(一周忌以後の当月の命日)。本来は旧暦2月22日であったが、1911(明治44)年以降は、月遅れの新暦3月22日から3月24日までの間に行なわれるようになった。この期間には、法隆寺において法要が行なわれている。10年に1度は「聖霊会」と呼ばれる大会式(大法要、2001[平成13]年、2011[平成23]年 - )が行なわれ、南都楽所(江戸時代初期に制度化された雅楽の伝承組織、三方楽所の中で、現在の奈良市登大路町にある藤原氏の祖、藤原鎌足とその子息の藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った興福寺の楽所)の雅楽に合わせて楽人が舞う舞楽が奉納され、他の年は小会式が行なわれる。748(天平20)年旧暦2月22日、第45代天皇、聖武天皇の勅許を得た行信僧都(法隆寺東院の復興に尽力した僧侶)が、聖徳太子の命日に300名余りの僧徒の参列を得て法要(お会式)を行なった。1121(安元2)年、東堂南端には太子像を安置し、聖霊院で行なうようになる。現在の奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺は7世紀の初め頃に創建されたと言われる、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、聖徳太子ゆかりの寺院である。1950(昭和25)年に、法相宗からの独立を果たしており(宗教法人として認可されたのは、1952[昭和27]年)、現在は、聖徳太子を宗祖とする仏教宗派の1つ、聖徳宗の総本山となっている。なお、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の1つ、法相宗は、万有は識、即ち、心の働きによるものとして、存在するものの相を究明する宗派で、日本が唐に派遣した使節、遣唐使での入唐求法僧侶により、数次に亘って伝えられた。奈良時代、唐の都、長安や、北魏(中国の南北朝時代[5世紀中頃から6世紀末近くまでの、中国の南北に王朝が並立していた時期]に、華北[中国北部地域]を統一した国)の洛陽(現在の中国中東部、河南省に所在し、長安と並んで、中国王朝の首都となったことも数度ある)等を模倣して建造されたと言われる平城京を中心に栄えた日本仏教の6つの宗派、南都六宗の1つとして、8世紀頃から9世紀頃には、法相宗は隆盛を極め、多くの学僧が輩出した。1882(明治15)年に興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が大本山となったが、第二次世界大戦後、法隆寺は聖徳宗を名乗って離脱した。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方mで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は、現在の奈良県生駒郡斑鳩町にある法起寺と共に、1993(平成5)年に「法隆寺地域の仏教建造物」として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品等、多数の文化財を有する。法隆寺のある斑鳩の地は、生駒山地の南端近くに位置し、大和川を通じて大和と河内とを結ぶ交通の要衝であった。聖徳太子は601(推古9)年、飛鳥からこの地に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、605(推古13)年に斑鳩宮に移り住んだという。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、即ち法隆寺であった。明治時代の半ば(19世紀末頃)まで、法隆寺の西院伽藍の建物は創建以来一度も火災に遭わず、推古朝(7世紀前半頃)に聖徳太子の建立したものがそのまま残っていると信じられていた。1939(昭和14)年の旧伽藍(いわゆる若草伽藍)の発掘調査以降、現存の法隆寺西院伽藍は聖徳太子在世時の建築ではなく、一度焼亡した後に再建されたものであることが決定的となり、再建・非再建論争には終止符が打たれた。現存の西院伽藍については、693(持統7)年に法隆寺で仁王会が行なわれていることから、少なくとも伽藍の中心である金堂は、この頃までに完成していたとみられる。711(和銅4)年には、五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成しているので、この頃までには五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していたとみられる。なお、622(推古天皇30)年2月22日、聖徳太子が斑鳩宮で薨去(皇太子妃や親王・親王妃や内親王、又は位階が三位[正三位・従三位]以上の死去を意味する言葉)したことから、2月22日には京都市右京区太秦にある広隆寺で、3月22日には法隆寺で、4月22日には大阪市天王寺区にある四天王寺で、それぞれ聖徳太子の遺徳を偲ぶ法会が行なわれる。

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