スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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1945年 - 第二次世界大戦: 硫黄島の戦い。日本軍の最高統帥機関、大本営が硫黄島玉砕を発表。1944年8月、北西太平洋とフィリピン海の境界に位置するマリアナ諸島を制圧、占領したアメリカ軍は、効果的な日本本土への戦略爆撃を考慮し、マリアナ諸島と東京のほぼ中間点に位置する硫黄島攻略を決定する。1945年2月19日、アメリカ軍の硫黄島強襲作戦が開始されるが、日本軍硫黄島守備隊は頑強な抵抗を続ける。航空母艦(空母)艦載機群や基地航空隊による空襲や、新鋭戦艦含む戦艦部隊による艦砲射撃に援護された約110,000の兵力で硫黄島攻略を図ったアメリカ軍は、約20,000余りの日本軍硫黄島守備隊を約1ヶ月で壊滅させ、硫黄島を制圧する。しかし、アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名という、計28,686名の損害を受け、損害(戦死者と戦傷者数等の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いとなり、硫黄島は、第二次世界大戦対米英戦屈指の最激戦地の1つとして知られるようになる。
1945年 - 第二次世界大戦: 特殊滑空機(ロケット特攻機)「桜花」が初めて実戦投入される。出撃した部隊は母機と共に全滅する。「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して、目標に体当たりさせようというものである。専門に開発され実用化された航空特攻兵器としては、世界唯一の存在と言われる。ただ、「桜花」を搭載した母機の一式陸攻は速度が遅く、敵のレーダーや多数の高性能迎撃戦闘機による防御網を突破できず、「桜花」を防御弾幕の手薄な比較的遠距離で切離し、敵機動部隊外縁のレーダーピケット艦(駆逐艦等の自衛能力に優れた小型戦闘艦に大型レーダーを搭載したもの)等の軽艦艇に攻撃を掛けるのが精一杯であったとされる。
1945年 - 第二次世界大戦: イギリス空軍がカルタゴ作戦を実施。
1951年 - 日本国産初の「総天然色映画」『カルメン故郷に帰る』が封切られる。
1960年 - シャープビル虐殺事件。アフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国の北東部にあるシャープビルで、警察官が群集に対して発砲、69名が死亡、180名以上が負傷する。
1961年 - アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが平和部隊を創設。平和部隊は、アメリカ合衆国連邦政府が運営するボランティア計画である。隊員を開発途上国へと派遣し、現地の支援を行なうことを目的としており、日本の青年海外協力隊のアメリカ版である。
1963年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のサンフランシスコ湾にあるアルカトラズ島(ザ・ロック、監獄島)の連邦刑務所が閉鎖される。
1965年 - レインジャー計画: 月面探査機「レインジャー9号」が打上げられる。
1969年 - 一般有料道路西名阪道路(現:西名阪自動車道)松原IC(現:松原JCT) - 天理IC間(路線延長27.2km)が開通。
1972年 - 高松塚古墳で極彩色壁画が発見される。高松塚古墳は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳である。藤原京期(694年〜710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。古墳は1973年4月23日、特別史跡に、また、極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されていて、鎌倉時代頃に盗掘を受けていた古墳は、2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されている。
1976年 - 北海道勇払郡追分町(現:北海道勇払郡安平町)にある追分機関区で、最後の蒸気機関車が運用される。
1977年 - インド総選挙で与党の国民会議が惨敗し、インディラ・ガンディー首相も落選する。
1980年 - アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターが、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して、同年夏のモスクワオリンピック(第22回オリンピック競技大会)のボイコットを表明する。
1982年 - 浦河沖地震。北海道浦河郡浦河町南西沖約20kmを震源とした内陸地殻内地震(大陸プレート内地震)で、規模はマグニチュード(M)7.1。最大震度は、北海道浦河郡浦河町で観測された震度6(烈震)で、北海道から関東甲信地方にかけて揺れを感じる。震源に近い北海道日高地方を中心に、家屋の損壊や土砂災害、地盤の液状化等の被害が発生し、負傷者167名、家屋全壊13棟、家屋半壊28棟等の被害となる。
1985年 - 日本初の後天性免疫不全症候群(エイズ[AIDS]、ヒト免疫不全ウイルス[HIV]が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす免疫不全症)患者は血友病(血液中の血を固めるたんぱく質の一部が欠乏、又はうまく働かないために止血異常をきたす代表的な病気)患者であったと報道される。翌日、厚生省(現:厚生労働省)が第1号はアメリカから一時帰国の同性愛者であるとして否定。
1990年 - アフリカ南西部に位置するナミビアが、南アフリカ共和国から独立する。
1994年 - 地球温暖化問題に対する国際的な枠組みを設定した条約、「気候変動に関する国際連合枠組条約(気候変動枠組条約」が発効する。日本での公布は6月21日(「気候変動に関する国際連合枠組条約[平成6年条約第6号]」)。
1998年 - 明石海峡大橋が開通(一般車両は4月5日から)。明石海峡大橋(愛称:パールブリッジ)は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋である。長さ3,911m、最大支間長1,991m、高さ298.3m(主塔)65m(航路高)。淡路島内のみならず、本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの1つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、四国と近畿、更には本州の各大都市間を結ぶ交通の要になっている。なお、明石海峡大橋が建設中のであった1995年1月17日、橋のほぼ直下で兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生していて、この地震による橋梁構造物の損傷はなかったが、地盤が変位したことで中央径間が約0.8m、淡路島側の側径間が0.3mそれぞれ拡がった他、神戸側橋台が0.13m上方へ、神戸側橋脚が0.0 m上方へ、淡路島側橋脚が0.19m下方へ、淡路島側橋台が0.22m上方へ移動する。
2001年 - 家庭用レジャー機器メーカー、任天堂が携帯型ゲーム機『ゲームボーイアドバンス』を発売。
2006年 - 短文投稿情報サービス『Twitter』で、最初のツィート(140文字以内の短文の投稿)が投稿される。『Twitter』での短文投稿を指す「tweet」は、「鳥のさえずり(囀り)」を意味する英語であり、日本語では「つぶやき(呟き)」と意訳され、少なくとも、同言語話者のユーザーの間では定着している。『Twitter』のユーザー数は、全世界で3億を超えるとされる。
2009年 - マダガスカル・クーデター: アフリカ大陸東南部のインド洋沖にあるマダガスカルの大統領に、アンドリー・ラジョエリナが就任する。
2013年 - プランク(宇宙背景放射を観測するための高感度・高分解能の観測装置を備えた欧州宇宙機関[ESA]の人工衛星)による測定で、宇宙の年齢は、137.98±0.37億年であると発表される。
2013年 - コープとうきょう、さいたまコープ、ちばコープが合併し、東京都、埼玉県、千葉県を活動地域とする生活協同組合(生協)のコープみらいが発足。

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1187年 - 鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、頼朝と対立した源義経が、東北地方一帯に勢力を張った豪族、奥州藤原氏の当主である藤原秀衡の庇護下に入る。
1413年 - 前日のイングランド国王ヘンリー4世の死去に伴ない、ヘンリー5世がイングランド国王に即位する。
1566年 - イングランドの宗教改革指導者トマス・クランマーが、女王メアリー1世の命により火刑に処せられる。
1591年 - 葛西大崎一揆を扇動した嫌疑で、伊達政宗が上洛し喚問を受ける。葛西大崎一揆は、豊臣秀吉の奥州仕置(この「仕置」とは、領主権力における所務[徴税]を除く所領統治全般を指す)により改易された、陸奥国中部(宮城県北部から岩手県南部)の戦国大名、葛西氏や大崎氏らの旧臣による、新領主の木村吉清、木村清久父子に対する反乱である。葛西氏当主の葛西晴信、大崎氏当主の大崎義隆の両名は、小田原に参陣しなかったことを理由に、豊臣秀吉に領地を没収され、その旧領13郡約30万石には、奥州仕置で敵軍を撃破する等の戦功により、知行5千石であった木村吉清が封じられる。木村吉清は領国経営を開始したが、その統治手法は、旧葛西・大崎家臣団らの強い反発を買うもので、発生した一揆は、領内全土へと拡大する。奥州仕置で実行役として中心的役割を担った豊臣政権の五奉行筆頭、浅野長政(なお、「長政」は晩年の改名で、「初名」の長吉を名乗っていた時期が長く、「長政」に改名するのは、豊臣秀吉の死後である)は、帰京の途にあったが引返し、奥州仕置において、陸奥国会津に移封されて42万石を領した蒲生氏郷と、本領72万石を安堵されていた伊達政宗に、木村吉清、木村清久父子の救出を命じる。しかし、一揆を扇動したのは伊達政宗、との報告を受けた蒲生氏郷は、一揆、及び伊達政宗に備えると共に、豊臣秀吉に使者を遣わして情勢を報告し、蒲生氏郷からの報告を受けた豊臣秀吉は、吏僚としての功績が大きい、腹心の石田三成を派遣して対策を命じる。伊達政宗は、木村吉清、木村清久父子を救出し、両名を蒲生氏郷の許へ送り届けたが、その後も蒲生氏郷は、伊達政宗への備えを解かず、帰路の安全確保のため、伊達政宗に人質を要求する。石田三成は、伊達政宗に対して豊臣秀吉からの上洛命令を伝え、蒲生氏郷と木村吉清、木村清久親子らを伴なって帰京する。上洛した伊達政宗に対する査問が行なわれると、伊達政宗は、一揆を煽動した証拠とされる密書は偽造されたものであり、本物の自分の書状は、花押の鶺鴒の目の部分に針で穴を開けていると主張する。豊臣秀吉はこの主張を認め、伊達政宗に改めて一揆を鎮圧するように命じ、援軍として、小田原征伐時の副将であった養子の豊臣秀次や、徳川家康にも出陣を命じる。伊達政宗は一揆勢の烈しい抵抗に遭ったが、約10ヶ月後に一揆を終息させる。木村吉清は一揆発生の責任を問われて改易となり、その領国となっていた葛西・大崎13郡は、伊達政宗に与えられることになる。
1801年 - エジプト・シリア戦役: アレクサンドリアの戦い。
1804年 - フランスの私法の一般法を定めた法典、フランス民法典(ナポレオン法典)が発布される。
1854年 - 東海道筋や神奈川宿・神奈川湊から離れ、80軒程の漁師小屋が建ち並ぶ半農半漁の寒村であった横浜村(現在の神奈川県横浜市)のペリー応接所(横浜応接所)の庭で、日本で初めて模型の機関車が運転される。
1871年 - オットー・フォン・ビスマルクがドイツ帝国の初代首相に就任。プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)首相で、プロイセン王家が帝位に就くドイツ帝国を成立させたオットー・フォン・ビスマルクは、卓越した外交力で、国際政治においても主導的人物となり、19世紀後半のヨーロッパに、「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築する。ドイツ統一によって、ドイツ各国の市場が緊密化し、また、フランスから巨額の賠償金を獲得したことで、ドイツ資本主義は急速に発展し始め、オットー・フォン・ビスマルクは、貨幣の統一、様々な関税の引下げ、中央銀行の創設、法律と裁判制度の統一化等、数多くの自由主義化・近代化改革を推進し、また、世界に先駆けて、全国民強制加入の社会保険制度を創出する社会政策を行なう。ドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム1世は、オットー・フォン・ビスマルクとは、しばしば意見対立しながらも、崩御まで首相として重用し続けたが、ヴィルヘルム1世の孫に当たり、父のフリードリヒ3世もヴィルヘルム1世に続いて崩御したことにより、ドイツ帝国の第3代皇帝となったヴィルヘルム2世は、オットー・フォン・ビスマルクと激しく対立し、1890年に首相を辞職させて、親政を開始している。
1874年 - 現在の東京都中央区築地にあった海軍兵学寮(1876年に改称されて海軍兵学校となり、1888年には呉市の呉鎮守府に近接した広島県の安芸郡江田島町[現在の江田島市]に移転する)で、日本初の運動会「競闘遊技会」が開催される。日本で最初に行なわれた運動会はこれが定説とされるが、1868年に江戸幕府の横須賀製鉄所(後に横須賀造船所から横須賀海軍工廠となる)で、技術者や職工らによって行なわれたものが最初である、とする説もある。
1907年 - 「小学校令(第三次、明治33年8月20日勅令第344号)」が「小学校令中改正ノ件(明治40年3月21日勅令第52号)」により改正されて、義務教育が6年間となる。「小学校令」は、近代日本の初等教育制度について定めた勅令である。「小学校令(第一次、明治19年4月10日勅令第14号)」、「小学校令(第二次、明治23年10月7日勅令第215号)」を経て、第三次の「小学校令」となるが、1941年に「国民学校令(昭和16年3月1日勅令第148号)」に改題の上、全部改正される。その後1947年には、「学校教育法(昭和22年3月31日法律第26号)」の公布・施行に伴ない廃止となる。
1918年 - 第一次世界大戦: ドイツ軍がパリ砲(「カイザー=ヴィルヘルム砲」とも呼ばれる、フランスの首都パリを砲撃するために製造した巨大な列車砲)による攻撃を開始。
1919年 - 中央ヨーロッパに位置する現在のハンガリーに、ハンガリー社会主義連邦評議会共和国が樹立される。ハンガリーにおける共産主義体制国家であったが、8月6日に崩壊する。
1921年 - 戦時共産主義による国民の疲弊を救うため、ロシアが新経済政策(ネップ)を施行。食料税の導入と税納付後の残余農産物を市場で自由に売買できること(市場原理の部分的導入)が特徴であるが、結果としてネップマンと呼ばれる私的商人・私的実業家の出現を許し、社会主義体制との矛盾が生じることとなる。
1934年 - 函館大火。強風に見舞われた北海道函館市で、市街地の約三分の一が焼失する大火災が発生。火災の発端は、函館市の南端にあった家の屋根が強風で飛び、炉の火が巻上げられ出火したもので、その後、強風の影響も相まって市内22ヶ所に飛び火し、最終的には、死者2,166名、焼損棟数11,105棟を数える大惨事となる。
1935年 - 西アジア・中東に位置するペルシャが、国号をイランに改称する。
1935年 - 「吉田岩窟王事件(現在の名古屋市千種区の路上で小売商が殺された事件)」の無期徴役囚、吉田石松が23年振りに仮出獄し、再審請求を開始する。
1940年 - ポール・レイノーがフランス首相に就任。

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3月21日 誕生日 その2

1956年 - イングリッド・クリスチャンセン、マラソン
1956年 - 佐々木るん、声優
1956年 - バッキー木場、声優・ナレーター
1956年 - 板井圭介、大相撲
1956年 - 曽我廼家八十吉、俳優
1957年 - 友里千賀子、女優
1957年 - 津村和彦、ミュージシャン(ジャズギタリスト)
1958年 - ゲイリー・オールドマン、俳優
1958年 - マルリース・ゲール、陸上競技/短距離
1958年 - シルヴィア、歌手 《元 ロス・インディオス&シルヴィア》
1958年 - 田崎真也、ソムリエ
1958年 - 出雲亮一、ミュージシャン 《ラッツ&スター》
1959年 - 植松伸夫、作曲家
1959年 - 浅暮三文、作家
1960年 - アイルトン・セナ、レーシングドライバー
1960年 - よしいけいこ、声優・ナレーター
1960年 - 滝澤正光、競輪
1961年 - 住宅顕信、俳人
1961年 - 城福浩、サッカー
1961年 - 中島さおり、翻訳家・エッセイスト
1961年 - ローター・マテウス、サッカー
1961年 - 森下知幸、アマチュア野球
1962年 - 垣野内成美、漫画家・アニメーター
1962年 - マシュー・ブロデリック、俳優
1962年 - ロージー・オドネル、女優
1963年 - 高田裕三、漫画家
1963年 - ロナルド・クーマン、サッカー
1963年 - ショーン・ダンストン、米プロ野球
1964年 - 江國香織、作家
1964年 - 村山斉、物理学者
1964年 - 山岡龍孔、CG写真作家
1965年 - ティム・マッキントッシュ、プロ野球
1965年 - 山崎和佳奈、声優
1966年 - 城島充、ノンフィクション作家
1967年 - 岡浩也、俳優
1967年 - 川島だりあ、シンガーソングライター・タレント
1968年 - リック・デハート、プロ野球
1968年 - 中村康子、女優
1968年 - 三島ゆたか、俳優
1968年 - ショーンK、ラジオパーソナリティー・ナレーター・タレント
1969年 - 勝又清和、将棋
1969年 - アリ・ダエイ、サッカー
1969年 - 土田世紀、漫画家
1969年 - 重村佳史、俳優
1970年 - 新山志保、声優
1970年 - 濱ノ嶋啓志(十七代尾上親方)、大相撲
1970年 - 木村明広、イラストレーター・CG作家・漫画家
1971年 - かみやたかひろ、漫画家
1971年 - 山王丸和恵、アナウンサー・テレビ局員
1971年 - 安藤美佐子、ソフトボール
1971年 - コルネル・ゲオルゲ、フィギュアスケート
1971年 - 橋爪秀範、アナウンサー
1972年 - 小林麻子、女優
1972年 - 白鳥哲、声優
1972年 - 尾崎一彦、スタントマン・俳優
1972年 - 伊勢直弘、俳優・声優・演出家・ラジオパーソナリティー
1972年 - デラルツ・ツル、陸上競技/長距離
1973年 - 石井正則、タレント 《アリtoキリギリス》
1974年 - 俊藤光利、俳優
1974年 - 出島武春(十五代大鳴戸親方)、大相撲
1974年 - マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ、サッカー
1974年 - ローラ・アレン、女優
1975年 - ファブリシオ・オベルト、バスケットボール
1975年 - 鈴田江美、タレント
1975年 - 松岡洋介、会社経営者・俳優
1976年 - 音尾琢真、タレント・俳優 《TEAM NACS》
1977年 - 桐田咲智代、アナウンサー
1977年 - 泉ゆうこ、タレント
1978年 - 川原田樹、俳優
1978年 - 竹森巧、タレント 《アップダウン》
1978年 - 姫路麗、ボウリング
1978年 - まちだあきこ、タレント
1978年 - 小林史和、陸上競技/中距離
1978年 - 日笠山亜美、声優
1980年 - デリック・ウィブリー、ミュージシャン 《Sum 41》 
1980年 - 近衛はな、女優
1980年 - 寺田武史、サッカー
1980年 - ロナウジーニョ、サッカー
1980年 - マリット・ビョルゲン、クロスカントリースキー
1980年 - 市井舞、女子プロレス
1981年 - 鮫島巧、ミュージシャン・作曲家・編曲家 《元 YELLOW FRIED CHICKENz》
1982年 - 松下幸司、俳優
1982年 - アーロン・ヒル、米プロ野球
1984年 - 相原玲、タレント
1984年 - 加藤良輔、俳優
1985年 - エイドリアン・ピーターソン、アメリカンフットボール
1985年 - 古川けんぢ、ミュージシャン 《bianco nero》
1985年 - ウイルソン、サッカー
1986年 - 根本朋久、プロ野球
1987年 - 高崎紗緒梨、バレーボール
1987年 - カルロス・カラスコ、米プロ野球 
1988年 - 堀口あすか、声優 
1988年 - リー・カッターモール、サッカー
1989年 - 佐藤健、俳優
1989年 - 當間建文、サッカー
1989年 - 橋本彩、タレント
1989年 - 有田隆平、ラグビー
1989年 - 上田拓馬、バドミントン
1989年 - ジョルディ・アルバ、サッカー
1989年 - ニコラス・ロデイロ、サッカー
1990年 - 新畑博美、モデル
1991年 - 昌子カエデ、モデル・女優・シンガーソングライター・アートディレクター
1992年 - 水沢エレナ、モデル・女優
1992年 - 榎田貴斗、タレント
1993年 - 小池詩織、アイスホッケー
1994年 - 森杏奈、タレント 《元 AKB48》
1995年 - 高木優希、子役・俳優
1995年 - 張沢紫星、子役・俳優
1996年 - 谷岡竜平、プロ野球
1996年 - 大濱絵梨香、女優

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0927年 - 趙匡胤、中国北宋初代皇帝
1239年 - 一遍、僧侶・時宗開祖
1546年 - バルトロメウス・スプランヘル、画家
1666年 - 荻生徂徠、儒学者
1685年 - ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、作曲家
1736年 - クロード・ニコラ・ルドゥー、建築家
1763年 - ジャン・パウル、作家
1768年 - ジョゼフ・フーリエ、数学者
1775年 - リュシアン・ボナパルト、政治家
1782年 - 熊谷直好、歌人
1805年 - 山田方谷、儒学者
1806年 - ベニート・フアレス、政治家・メキシコ合衆国第44代大統領
1839年 - モデスト・ムソルグスキー、作曲家
1851年 - アドルフ・ブロツキー、ヴァイオリニスト
1855年 - エミール・ヴェルハーレン、詩人・劇作家
1866年 - 若槻禮次郎、政治家・第25代・第28代首相
1876年 - 押川春浪、SF作家
1880年 - ハンス・ホフマン、画家・教育者
1884年 - ジョージ・デビット・バーコフ、数学者
1887年 - デーヴィッド・ケイリン、生物学者
1887年 - 高畑誠一、実業家・日商岩井(総合商社、現在の双日の前身の1つ)創業者
1887年 - エーリヒ・メンデルゾーン、建築家
1889年 - 柳宗悦、思想家・美術評論家
1894年 - 島野庄三郎、実業家・シマノ(自転車部品・釣具等のアウトドアスポーツ用品メーカー)創業者
1894年 - 荒川豊蔵、陶芸家
1898年 - ポール・ワイス、生物学者
1899年 - 水島三一郎、化学者
1902年 - サン・ハウス、ブルースミュージシャン(ギタリスト)・歌手
1904年 - ニコス・スカルコッタス、作曲家
1905年 - 村瀬幸子、女優
1906年 - 河野鷹思、グラフィックデザイナー
1906年 - ジョン・D・ロックフェラー3世、会社経営者・慈善家
1907年 - 近藤宮子、作詞家
1908年 - 川喜多かしこ、映画事業家
1909年 - 佐賀潜、弁護士・作家
1910年 - 西田修平、陸上競技/棒高跳
1910年 - 柳原義達、彫刻家
1912年 - 布施健、検察官
1914年 - ポール・トルトゥリエ、チェロ奏者・作曲家
1914年 - 北田光男、実業家・ベスト電器(家電量販店チェーンストア展開企業)創業者
1915年 - 松平永芳、海軍軍人・陸上自衛官・神官・靖国神社第6代宮司
1916年 - 斎藤茂太、医師(精神科医)・エッセイスト
1916年 - 小沼文彦、ロシア文学者
1917年 - 秋山長造、政治家
1918年 - 升田幸三、将棋
1918年 - 青葉笙子、歌手
1919年 - 小島貞二、大相撲・格闘技評論家・演芸評論家
1920年 - エリック・ロメール、映画監督
1921年 - アルテュール・グリュミオー、ヴァイオリニスト
1922年 - ラス・メイヤー、映画監督
1924年 - 伊藤宗一郎、政治家・第69代衆議院議長
1924年 - ハリー・レーマン、物理学者
1925年 - 信夫山治貞(九代山響親方)、大相撲
1925年 - ピーター・ブルック、演出家
1925年 - ユーゴ・コブレ、自転車ロードレース
1927年 - 宮城まり子、女優・歌手
1927年 - ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー、政治家
1927年 - ホルトン・アープ、天文学者
1927年 - 赤座憲久、児童文学作家
1928年 - 奥田幹生、政治家
1929年 - 小林司、医師(精神科医)・作家
1931年 - 豊登道春、大相撲・プロレス
1932年 - 高森和子、女優・エッセイスト
1932年 - ウォルター・ギルバート、物理学者・生化学者・ノーベル化学賞受賞者
1933年 - 種村季弘、ドイツ文学者
1933年 - 本田靖春、ノンフィクション作家・評論家
1933年 - 図子英雄、作家
1934年 - 大和田明、プロ野球
1934年 - 原哲男、タレント・俳優 《元 吉本新喜劇》
1934年 - 多賀弘明、レーシングドライバー
1934年 - 齊藤寛、実業家・シャトレーゼ(菓子等の食品メーカー)創業者
1935年 - 井上孝雄、俳優
1935年 - 島田久、政治家
1935年 - 吉田勝豊、プロ野球
1935年 - ブライアン・クラフ、サッカー
1936年 - マイク・ウエストブルック、ミュージシャン(ジャズピアニスト)・ビッグバンドリーダー・作曲家
1937年 - ウォーレス・E・オーツ、経済学者
1938年 - 坂井勝二、プロ野球
1938年 - 竹田真砂子、作家・脚本家・演出家
1940年 - 阿知波信介、俳優・芸能プロモーター・経営者(アクターズエージェンシー[芸能事務所、2007年に破産])
1940年 - ソロモン・バーク、R&B歌手
1941年 - 浅井淑子(朝井ゆかり)、声優
1942年 - フランソワーズ・ドルレアック、女優
1942年 - フラディケ・デ・メネゼス、政治家
1944年 - 伊能正司、プロ野球
1946年 - 九重佑三子、歌手・女優
1946年 - ティモシー・ダルトン、俳優
1947年 - 平野レミ、シャンソン歌手・タレント・料理愛好家
1947年 - 加藤和彦、ミュージシャン・作曲家・音楽プロデューサー 《元 ザ・フォーク・クルセダーズ》
1949年 - 橋本真由美、経営者(ブックオフコーポレーション[中古本販売チェーン「BOOK OFF」展開企業])
1949年 - 夏純子、女優
1949年 - スラヴォイ・ジジェク、哲学者・精神分析家
1950年 - 淡路仁茂、将棋
1950年 - 残間里江子、アナウンサー・イベントプロデューサー
1950年 - チョー・ヨンピル 〈趙容弼〉 、歌手
1950年 - タイガー大越、ミュージシャン(トランペット奏者)
1951年 - 岩城滉一、俳優
1952年 - 吉村達也、推理作家
1953年 - 成田裕介、テレビドラマ監督・映画監督
1954年 - 高木幹夫、教育カウンセラー
1955年 - ジャイール・ボルソナーロ、政治家・ブラジル連邦共和国第38代大統領
1955年 - フィリップ・トルシエ、サッカー
1955年 - ベーベル・エッカート、陸上競技/短距離

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3月21日 記念日 その8

国際人種差別撤廃デー
(International Day for the Elimination of Racial Discrimination) 。
1966(昭和41)年の国際連合総会で制定。国際デーの1つ。1960(昭和35)年3月21日、アフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国の北東部にあるシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69名が死亡し、180名以上が負傷した。この「シャープビル虐殺事件」と呼ばれる事件は、国際連合が人種差別に取組む契機となった。世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。また、この日を初日とする3月21日から3月27日までの1週間は、国際週間の1つである「人種差別と闘う人々との連帯週間(Week of Solidarity with the Peoples Struggling against Racism and Racial Discrimination)」となっている。人種隔離政策(アパルトヘイト)とは、特に、南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシア等からのアジア系住民や、カラードと呼ばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことである。元々は、ボーア戦争(イギリスとオランダ系アフリカーナー[ボーア人、或いはブール人とも呼ばれる、オランダ系移民を主体とした民族集団]が南アフリカの植民地化を争った2回に亘る戦争)以来、統治側のイギリス人とアフリカーナーが激しく対立していたことに対する緩和策の1つであった。アフリカーナーの多くはイギリス系に対し経済的な弱者となり、「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層を形成していた。これら白人貧困層を救済し、白人を保護することを目的に、さまざまな立法が行なわれてきた。かねてから、数々の人種差別的立法のあった南アフリカ共和国において、人種隔離政策(アパルトヘイト)1948(昭和23)年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994(平成6)年に全人種による初の総選挙が行なわれ、この制度は撤廃された。人種隔離政策(アパルトヘイト)は、「大アパルトヘイト」と呼ばれる土地の大規模な分離政策と、「小アパルトヘイト」と呼ばれるその他細則によって構成されていた。「小アパルトヘイト」は、異なる人種の異性が恋愛関係になるだけで罰せられる法である背徳法や、レストラン、ホテル、列車、バス、公園に映画館、公衆トイレまで、公共施設は全て白人用と白人以外に区別された隔離施設留保法等、一般生活において目に付き易い部分で導入され、故に大きな批判を浴び、「小アパルトヘイト」の多くが1980年代後半の改革により消滅し、「大アパルトヘイト」は1990年代に撤回された。大日本帝国とロシア帝国との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部(現在の中国東北部に所在)、及び日本海を主戦場として、1904(明治37)年に発生した戦争、日露戦争後の日本は、非ヨーロッパ系国家として唯一の列強であり、欧米帝国主義から自分達の権利を守るため、人種差別反対の立場を採ることが多かった。第二次世界大戦では、人種差別を国是とするナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)と軍事同盟を結んだが、ヨーロッパ人でもキリスト教徒でもない日本人は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害には非協力的であった。日独伊三国同盟(日本とドイツ、イタリアの間で締結された日独伊三国間条約に基づく、日独伊三国の同盟関係)成立後も、ユダヤ人を迫害をしない旨を取決め、他の枢軸国(第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国)・占領地域のように、ユダヤ人迫害に協力することはなかった。近年の日本においては、「2000年代に入って過激化した在日韓国人・朝鮮人への差別的言動・街宣活動」が問題視されるようになっている。
世界ダウン症の日(World Down Syndrome Day)。
ダウン症候群の啓発を目的として、2004(平成16)年に世界ダウン症連合(DOWN SYNDROME INTERNATIONAL)が制定し、2006(平成18)年から開催された。2012(平成24)年からは、国際連合が、国際デーの1つに制定している。3月21日に開催する由来は、ダウン症候群の患者の多数が21番染色体(性染色体以外の染色体である常染色体の1つで最小のもの)を3本持つことによる。ダウン症のある人達とその家族、支援者への理解がより一層深まり、ダウン症のある人達が、その人らしく安心して暮らしていけるように、さまざまな啓発のイベントを通して、世界中の人々に訴えていくための日とされ、この日には、世界ダウン症連合の呼掛けにより、世界各国でセミナーや写真展等、さまざまな記念イベントが開催されている。日本では、東京都豊島区南大塚に本部を置く公益財団法人、日本ダウン症協会が主催するトークセッションや写真展、ダンスイベント等が開催されている。ダウン症候群は、ダウン症や蒙古症とも呼ばれる先天性の疾患群である。治療法・治療薬はない。臨床像としては、知的障害、先天性心疾患、低身長、肥満、筋力の弱さ、頸椎の不安定性、眼科的問題(先天性白内障、眼振、斜視、屈折異常)、難聴があるが、必ず合併する訳ではない。
弘法忌、空海忌、御影供。
弘法大師の諡号(死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名で、921[延喜21]年に醍醐天皇から贈られた)で知られる真言宗の開祖、空海が835(承和2)年に、高野山金剛峯寺の敷地内に所在する奥の院で入寂した日。真言宗では「御影供」と呼ばれる。空海の俗名(幼名)は、佐伯眞魚(さえきのまお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家(書における高度な技術と教養を持った専門家)としても知られ、第52代天皇、嵯峨天皇、及び、貴族で書家の橘逸勢と共に三筆(日本の書道史上の能書の内で最も優れた3人の並称)の1人に数えられている。弘法大師は「空海」を越え、千年の時を越え、普遍化したイメージでもある。歴史上、天皇から下賜された大師号は全27名に及ぶが、一般的に大師と言えば殆どの場合、「弘法さん」「お大師さん」とも呼ばれる弘法大師を指す。空海は、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市善通寺)で生まれた。故郷である四国において空海が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、四国霊場の最も代表的な札所である四国八十八箇所に代表されるような霊場として残り、それ以降、霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集めている。四国八十八箇所は、四国にある空海ゆかりの88ヶ所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。他の呼び方として、「四国八十八ヶ所」「八十八箇所」「お四国さん」「本四国」等がある。四国八十八箇所を巡拝することを四国遍路といい、また、四国八十八ヶ所霊場会では「四国巡礼」といい、他に「四国巡拝」等ともいう。他の巡礼地と異なり、四国八十八箇所を巡ることを特に遍路といい、地元の人々は、巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶ。また、札所に参詣することを「打つ」と表現する。そして、霊場寺院を結ぶ歩き道を遍路道といい、八十八箇所を「通し打ち」(1度の旅で八十八箇所の全てを廻ること)で巡礼した場合の全長は、約1,100kmから約1,400km程である。距離に幅があるのは、遍路道は一種類のみではなく、選択する道で距離が変わるためである。自動車を利用すると、「打戻り」と呼ばれる、来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いため、徒歩より距離が増える傾向にある。一般的に、徒歩の場合は40日程度、自動車や団体バスの場合で異なるが、8日から11日程度で1巡できる。さらに、高速道路の整備により、最短で巡拝する熟練者は5日程度で1巡する。 

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