スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

今日は何の日

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0869年 - 貞観地震(グレゴリオ暦換算、ユリウス暦7月9日)。貞観地震は、陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震で、地震の規模は少なくともマグニチュード(M)8.3以上であったとされる。地震に伴なって発生した津波による被害も甚大で、死者は1,000名を超えるものと伝えられる。この地域に周期的に発生する三陸沖地震(日本海溝における海溝型地震[海側のプレートと大陸側のプレートとが接する海溝で、大陸側プレートの下に潜り込もうとする海側プレートに引き摺られてたわんだ大陸側プレートが、跳ね返って発生する地震]の中でも、特に遠方の海域で発生する地震の1つ)として理解されてきたため、貞観三陸地震と呼称されることがある。また、日本の観測史上最大の地震となった東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が、この地震の再来ではないかと言われている。
1573年 - 八十年戦争: ハールレム攻城戦が終結。
1643年 - イングランド内戦: ラウンドウェイダウンの戦い。
1765年 - ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワースが第9代イギリス首相に就任。
1772年 - イギリスの小型帆船『レゾリューション号』とイギリス海軍の三檣帆船『アドヴェンチャー号』が、イギリス海軍軍人、ジェームズ・クック率いる2度目の太平洋探検のためイギリス南西部にあるプリマスを出港。
1787年 - アメリカ合衆国連合会議で北西部領土の統治方法を定めた北西部条例が可決される。アメリカ合衆国が統治する最初の領土(テリトリー)として、五大湖(アメリカ合衆国とカナダの国境付近に連なる5つの湖の総称)の南、オハイオ川(アメリカ合衆国中東部を流れる川)の北と西、ミシシッピ川(アメリカ合衆国中西部を流れる川)の東の地域を北西部領土と規定する。
1837年 - イギリス女王ヴィクトリアが、イギリスの首都ロンドン中心部にあるセント・ジェームズ宮殿から、近隣のバッキンガム宮殿に移り住む。これ以降、バッキンガム宮殿がイギリス王室の常住の場となる。
1848年 - イギリスの首都、ロンドンのターミナル駅、ウォータールー駅が開業。現在のロンドン・ウォータールー駅は、ロンドン中心部の南郊に所在する主要な複合ターミナル駅である。4つの鉄道駅(その内の1つ、ウォータールー国際駅は、グレートブリテン島[イギリス]とヨーロッパ大陸[フランス]間のドーバー海峡[英仏海峡]を結ぶ鉄道用海底トンネル、英仏海峡トンネルを通ってイギリスと大陸ヨーロッパとを結ぶ国際列車、ユーロスターのロンドン側ターミナルとなっていたが、現在は閉鎖されている)とバスターミナルが繋がっている。ロンドン・ウォータールー駅は、イギリスでは一番旅客数が多い駅となっている。ユーロスターのターミナル駅が、ロンドン北西部に所在するセント・パンクラス駅に移されたため、旅客数が減少すると予想されていたが、それに反して、今なおその座を保ち続けている。ロンドン・ウォータールー駅の乗降人員数は、イギリスで最も多い乗降人員であるが、ヨーロッパでは15位、全世界では91位である。但し、ランクインしている駅の大半が、1位の新宿駅を筆頭に、日本の関東地方となっている。
1863年 - ニューヨーク徴兵暴動。南北戦争中のアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市で、アイルランド系移民の労働者が徴兵反対を訴え暴徒化する。市民は武装して略奪を繰広げ、警察の手に余る事態に発展したが、その後アメリカ軍が到着して、交戦の末鎮圧する。鎮圧への兵力供出は、南北戦争の戦線に影響を及ぼした他、最終的に数千の逮捕者と死者を出して、莫大な経済的損失をもたらすこととなる。
1864年 - 明保野亭事件。新撰組の周防国/長門国長州藩系浪士探索活動中に京都東山(現在の京都市東山区に所在)の料亭「明保野亭」(「あけぼの亭」「曙亭」とも)で、土佐国土佐藩士の傷害・切腹が偶発する。それに伴ない、陸奥国会津藩士の切腹事件も発生する。当時の新撰組には、会津藩から応援が派遣されており、土佐藩士を負傷させたのが会津藩士であったことから、土佐藩内部で新撰組と会津藩への反発が強まり、事態は会津藩と土佐藩の衝突に発展しかねない状況になる。京都守護職でもある会津藩主の松平容保が、事態の処理に苦慮したことを受け、当事者となった会津藩士は自主的に切腹し、会津藩と土佐藩の衝突は回避される。21歳という若さで切腹した会津藩士、柴司の忠義に感じた松平容保は、柴司の兄、外三郎に禄を与え、別家を興させて報い、柴司の葬儀には、会津藩士の他、新撰組隊士達も参列し、その死を惜しんでいる。
1867年 - 土佐国土佐藩郷士から幕末の志士となった坂本龍馬が『船中八策』を著す。『船中八策』は、新国家体制の基本方針とされるものの俗称である。伝えられる内容は、大政奉還、上下両院の設置による議会政治、有能な人材の政治への登用、不平等条約の改定、憲法制定、海軍力の増強、御親兵の設置、金銀の交換レートの変更等、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されている。
1870年 - エムス電報事件。プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)宰相オットー・フォン・ビスマルクが、同国国王ヴィルヘルム1世から受取った電報に意図的な編集を行なって世間に公表する。当時のスペイン王位継承問題に端を発するもので、普仏戦争(フランスとプロイセン王国の間で行なわれた戦争)の直接の原因となる。なお、「エムス」は、ヴィルヘルム1世が静養していたドイツ西部の温泉地、バート・エムスに由来する。
1878年 - 露土戦争(ロシア帝国とオスマン帝国[現在のトルコ共和国の前身]の間で起こった戦争)の講和条約であるベルリン条約が締結される。
1886年 - 1888年1月1日から東経135度の子午線の時刻を日本標準時することを定めた勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件(明治19年7月13日勅令第51号)」が公布される。
1893年 - パークナム事件。フランスが、「タイ[シャム]属領のルアンパバーン王国・チャンパーサック王国・シエンクワーン王国とタイ領の旧ヴィエンチャン王国」(現在のラオスに相当する地域)の領有を迫る。「パークナム」とは河口という意味で、河口で紛争が起きたためこのように呼ばれる。
1911年 - 第三次日英同盟(日本とイギリスとの間の軍事同盟)協約が締結される。
1919年 - アメリカ合衆国が金本位制(一国の貨幣価値[交換価値]を金に裏付けられた形で金額で表わすもの)に復帰。
1923年 - 後にハリウッド(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のロサンゼルス市にある地区で映画産業の中心地)の象徴となる「HOLLYWOOD」の看板が設置される。
1930年 - 1930 FIFAワールドカップ(第1回ウルグアイ大会)が、南アメリカ南東部に位置するウルグアイで開幕。この第1回目となるFIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行なわれず、参加した全13チームは招待されて参加している。船での長旅のため、殆どのヨーロッパのチームが出場を辞退したが、当時の国際サッカー連盟(FIFA)会長、ジュール・リメ(フランス人)が参加を呼掛けた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4ヶ国(全て当時のフランスの同盟国)が参加に踏み切っている。開催国ウルグアイは4対2でアルゼンチンを下し、1921年から1954年まで国際サッカー連盟(FIFA)会長を務め、FIFAワールドカップの実現に尽力したジュール・リメから優勝杯を受取る。後に、ジュール・リメの功績を称えて、FIFAワールドカップの優勝杯は、ジュール・リメ杯と呼ばれるようになる。
1937年 - 大紅門事件。中華民国北平(現在の中国の首都北京)にある大紅門で、中国軍に日本兵が襲撃され、4名が死亡する。

7月13日 誕生日 

-100年 - ガイウス・ユリウス・カエサル、軍人・政治家・文筆家
0040年 - グナエウス・ユリウス・アグリコラ、軍人
1527年 - ジョン・ディー、錬金術師・占星術師
1590年 - クレメンス10世、第239代ローマ教皇
1608年 - フェルディナント3世、ハプスブルク朝神聖ローマ帝国第10代皇帝
1791年 - アラン・カニンガム、植物学者
1808年 - パトリス・マクマオン、政治家・フランス共和国第三共和政第2代大統領
1815年 - 梅田雲浜、儒学者
1821年 - ネイサン・ベッドフォード・フォレスト、陸軍軍人
1826年 - スタニズラオ・カニッツァーロ、有機化学者
1832年 - 松本良順、医師(蘭学医・軍医)・政治家
1841年 - オットー・ワーグナー、建築家
1852年 - ジョージ・ブラッドリー、米プロ野球
1859年 - シドニー・ウェッブ、政治家・社会主義者
1864年 - ジョン・ジェイコブ・アスター4世、会社経営者・陸軍軍人
1882年 - 青木繁、洋画家
1886年 - エドワード・ジョゼフ・フラナガン、聖職者・社会事業家
1887年 - 小絲源太郎、洋画家
1889年 - スタン・コベレスキ、米プロ野球
1891年 - フレエル、シャンソン歌手
1894年 - イサーク・バーベリ、作家
1900年 - ジョージ・ルイス、ミュージシャン(ジャズクラリネット奏者)
1901年 - 小山いと子、作家
1901年 - 伊藤幾久造、挿絵画家
1905年 - ボズレー・クラウザー、映画評論家
1908年 - ドロシー・ラウンド、テニス
1912年 - アルミ・ラティア、実業家・マリメッコ(フィンランドのアパレル企業)
1914年 - 塚本やっこ、漫才師 《三人奴》
1914年 - スティーヴン・ウルマン、言語学者
1917年 - 相模川佶延、大相撲
1918年 - アルベルト・アスカーリ、レーシングドライバー
1922年 - 山下喬子、児童文学作家
1924年 - カルロ・ベルゴンツィ、テノール歌手
1927年 - シモーヌ・ヴェイユ、政治家
1928年 - スベン・ダビッドソン、テニス
1929年 - ダリル・スペンサー、プロ野球
1930年 - 東谷夏樹、プロ野球
1930年 - 杉田豊、グラフィックデザイナー・絵本作家
1932年 - 三津川要、競艇
1933年 - ピエロ・マンゾーニ、美術家(画家・彫刻家)
1933年 - 石川進、歌手・俳優
1934年 - ウォーレ・ショインカ、詩人・劇作家
1935年 - 堺屋太一、作家・経済評論家・政治家
1935年 - ジャック・ケンプ、アメリカンフットボール・政治家
1936年 - 佐藤公博、プロ野球
1936年 - アルバート・アイラー、ミュージシャン(ジャズサクソフォーン奏者)
1937年 - 水野忠夫、ロシア文学者・翻訳者
1937年 - 新宮晋、彫刻家
1940年 - パトリック・スチュワート、俳優
1941年 - ジャック・ペラン、俳優・映画プロデューサー
1941年 - ロバート・フォスター、俳優
1942年 - ハリソン・フォード、俳優 
1942年 - 渡辺泰輔、プロ野球
1942年 - 小野坂清、プロ野球
1942年 - ロジャー・マッギン、ミュージシャン 《The Byrds》
1943年 - 関口宏、俳優・タレント・司会者
1943年 - 阪本敏三、プロ野球
1944年 - エルノー・ルービック、建築学者・数学者・ルービックキューブ(立方体パズルの1つ)発明者
1944年 - かぜ耕士、放送作家
1945年 - 日野てる子、歌手
1945年 - 野口鎮雄、歌手 《タイムファイブ》
1946年 - 尾上松助 〈6代目〉 、歌舞伎俳優
1946年 - 松本實藏、実業家・フジプレアム(化学品製造企業)創業者
1946年 - 宍倉邦枝、バレーボール
1946年 - 内田圭一、プロ野球
1947年 - 小松和彦、文化人類学者・民俗学者
1947年 - コリン・サーストン、音楽プロデューサー
1948年 - 中山千夏、作家・タレント・政治家
1949年 - 長谷川きよし、シンガーソングライター・ミュージシャン(ギタリスト)
1949年 - 木村研、児童文学作家
1950年 - 馬英九、政治家・中華民国第12代総統
1950年 - 笑福亭仁福、落語家
1950年 - 河村和茂、プロ野球
1951年 - 福間納、プロ野球
1952年 - 三宅民夫、アナウンサー
1952年 - 鵜沢達雄、プロ野球
1955年 - 達川光男、プロ野球
1955年 - 丹波義隆、俳優
1955年 - 藤田博史、精神分析医
1956年 - マイケル・スピンクス、ボクシング
1957年 - ティエリー・ブーツェン、レーシングドライバー
1957年 - 浅井純哉、アマチュア野球
1957年 - 松苗慎一郎、アナウンサー
1957年 - キャメロン・クロウ、映画監督
1958年 - 山口二郎、政治学者
1959年 - ファンキー末吉、ミュージシャン 《爆風スランプ》
1960年 - 小林誠、イラストレーター・メカニックデザイナー・アニメ監督
1961年 - 大槻東巳、物理学者
1961年 - 早見裕司、作家
1963年 - エリック宮城、ミュージシャン(トランペット奏者)
1963年 - 水野良、作家・ゲームデザイナー
1963年 - 村上信一、プロ野球
1963年 - ファットボーイ・スリム、ミュージシャン(クラブDJ)
1963年 - スパッド・ウェッブ、バスケットボール
1964年 - 青山真治、映画監督
1964年 - 村田晃嗣、国際政治学者・テレビコメンテーター
1964年 - 金子雅弘、空手家
1965年 - 中森明菜、歌手
1965年 - 星野智幸、作家
1965年 - 本広克行、演出家・映画監督
1966年 - 浅倉卓弥、作家
1966年 - 石川秀美、歌手・タレント
1966年 - ジェラルド・リバート、歌手
1967年 - 北斗晶、女子プロレス
1968年 - 南央美、声優
1969年 - SLAKE(藤井岳彦)、作曲家
1969年 - 葉山レイコ、タレント・女優
1969年 - 西野健一、タレント 《元 MANZAI-C》
1970年 - 石毛博史、プロ野球
1970年 - 角田英介、俳優
1970年 - 岩泉舞、漫画家
1971年 - 遠藤章造、タレント 《ココリコ》
1971年 - 渡辺秀一、プロ野球
1971年 - 川瀬晶子、アーティスティックスイミング(旧称:シンクロナイズドスイミング)
1972年 - 大地洋輔、タレント 《ダイノジ》
1972年 - 杉山貢一、タレント 《インスタントジョンソン》
1973年 - 浅野智哉、フリーライター
1974年 - ヤルノ・トゥルーリ、レーシングドライバー
1974年 - 川本成、タレント 《あさりど》
1975年 - はやのん、漫画家
1975年 - 長谷川崇夫、歌手
1976年 - 内藤裕子、アナウンサー
1976年 - ディアナ・ヴィシニョーワ、バレエダンサー
1976年 - 盛田剛平、サッカー
1977年 - 鈴木紗理奈(MUNEHIRO)、タレント・女優・シンガーソングライター
1977年 - 今村文昭、プロ野球
1977年 - 金本圭太、サッカー
1977年 - 牛島茂昭、リュージュ
1979年 - 井川慶、プロ野球
1979年 - 飯山裕志、プロ野球
1979年 - ルシンダ・ルー、フィギュアスケート
1980年 - 中孝介、歌手
1980年 - ジョン・コロンカ、プロ野球
1980年 - 冨田勇樹、ミュージシャン 《SunSet Swish》
1980年 - 松比良平太、プロ野球
1980年 - 米田夕歌里、作家
1981年 - ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ、レーシングドライバー
1982年 - ヤーディアー・モリーナ、米プロ野球
1982年 - 中川英之、サッカー
1982年 - チュ・シンス 〈秋信守〉 、米プロ野球
1982年 - クリストファー・ベルントソン、フィギュアスケート
1982年 - 巻加理奈、ハンドボール
1983年 - チェン・ユンチー 〈陳百陝 、米プロ野球
1983年 - Tatsuya、ミュージシャン 《START OF THE DAY》
1983年 - リヨウ・シャン 〈劉翔〉 、陸上競技/ハードル
1984年 - 吉田仁美、声優・歌手・女優
1984年 - 栗原あゆみ、女子プロレス
1985年 - 内竜也、プロ野球
1985年 - 苔口卓也、サッカー
1985年 - 上野なつひ、女優
1985年 - 平山智加、競艇
1985年 - アハマド・ブストミ、サッカー
1985年 - ギジェルモ・オチョア、サッカー
1985年 - 伊藤綾祐、ミュージカル俳優
1986年 - 木原真佐人、陸上競技/長距離
1986年 - 土屋雄民、漫画家
1988年 - 五嶋龍、ヴァイオリニスト
1988年 - 渋谷飛鳥、タレント・女優 《元 美少女クラブ31》
1988年 - 仁藤拓馬、プロ野球
1988年 - 鴨志田道秋、タレント 《シャンゼリーゼ》
1988年 - ヴァネッサ・クワイ、歌手
1988年 - DJ・ルメイユ、米プロ野球
1989年 - 道重さゆみ、歌手 《元 モーニング娘。》
1989年 - 柏原竜二、陸上競技/長距離
1989年 - 高木勇人、プロ野球 
1990年 - 小山夏希、タレント
1991年 - タイラー・スカッグス、米プロ野球
1992年 - 大谷澪、タレント
1992年 - 布巻峻介、ラグビー
1992年 - 高梨雄平、アマチュア野球
1993年 - のん(能年玲奈)、モデル・女優
1994年 - 三浦采夏、女優
1994年 - 上枝恵美加、タレント 《NMB48》
1994年 - 久慈暁子、モデル・女優・アナウンサー
1995年 - コディ・ベリンジャー、米プロ野球
1996年 - キーリー・マーシャル、女優
1997年 - 桑代貴明、タレント
2004年 - 高木星来、子役・俳優

7月13日 記念日 その4

オカルト記念日(続き)。
映画『エクソシスト』が公開されると、当時の人々の間に、「悪魔憑き」や「悪魔祓い」に対する再認識が起こった。そのためか、以降は、世界各地で悪魔祓いを求める声が起こるようになった。オカルトとは、ラテン語(古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた、ギリシャ語と並ぶ西ヨーロッパの古典語)を語源とするもので、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような知識の探求と、それによって得られた知識体系は、「オカルティズム」と呼ばれている。但し、何をもって「オカルト」とするのかについては、時代や論者の立場等により見解が異なる。この語は、ヨーロッパにおいては、論敵にレッテルを貼るために使われてきた歴史を持つ。特に、正統派を自認している側から、そうではない側をこの名称で呼ぶことが行なわれた。但し、その正統派が誰なのかという点は、時代と共に変遷する。この語がこのような使われ方をする別の理由としては、立場が異なる知識体系の内容はそれがどんなものであれ、大抵はとりあえず慣れない内はひどく意味不明であり、まるで得体の知れないものを扱っているように感じられることから、「隠されたもの」という語があれば、その語を用いて非難してしまいたくなるという人間の心理上の事情もある。宗教や信仰の分野においても、そのような原理は働いており、自らの信仰体系とは異なるものは即「オカルト」と呼ぶことにも繋がる。日本では、このような知識についての記事が学習研究社(教育雑誌、学習参考書、辞書、辞典等、教育関係の出版を中心に発展した出版社)の児童用雑誌に掲載され好評であったため、そこからスピンアウト(派生的に生じること)した学習研究社のオカルト情報誌『ムー』により、人々に広く知られるところとなった。
もつ焼の日。
東京都港区麻布台に本部を置く、畜産副産物(家畜から食肉を生産した後に残る部位)を扱う企業による業界団体、一般社団法人日本畜産副産物協会が2011(平成23)年に制定した他、長崎県佐世保市大塔町に本社を置き、食肉や牛、豚等のもつ(ホルモン)を扱う企業、株式会社丸協食産も制定している。もつ焼の美味しさ、動物からもたらされる資源の有効活用等を広めるのが目的。日付は、「7」と「13」で「内臓(ナ[7]イ[1]ゾ[3]ウ)」の語呂合わせから。また、11月7日は、「11」と「7」で「いいもつ鍋」の語呂合わせから、「もつ焼の日」の制定者でもある株式会社丸協食産が制定した「もつ鍋の日」となっている。もつとは、鳥獣肉の臓物(内臓)のことで、ホルモン、畜産副生物、内臓肉とも呼ばれている。また、欧米では「バラエティミート」や「ファンシーミート」と呼ばれる。種類としては、ホルモン(小腸)、シマチョウ(大腸)、レバー(肝臓)、ミノ(牛の第一胃)、ハチノス(牛の第二胃)、センマイ(牛の第三胃)、ギアラ(牛の第四胃)、ハツ(心臓)、ハラミ(横隔膜)等がある。内臓肉の栄養素は、ビタミンAやビタミンB群、鉄分が主である。内臓肉は常温では腐敗速度が速いので、正肉と比較して保存が悪く廃棄物とされていた。牛の正肉の場合、死後硬直を経て1週間から3週間位経過してからの方が美味となるとされているが、それに比較して内臓肉は保存性が悪い。これを食用とするためには、新鮮な内に処理を行なう。肉食動物が捕食行動を取る際には、獲物の内臓から食べ始める。食肉卸売業のセリを通らずに供給されることや、保存性が低いことから安価である。コラーゲン(主に脊椎動物の真皮、靱帯、腱、骨、軟骨等を構成するたんぱく質の1つ)が含まれており、美容に良いと広く信じられている。しかし、人間がコラーゲンを経口摂取した場合、消化器官中で消化分解され、アミノ酸として吸収された後、血流に乗り全身に運ばれる。また、プリン体(デオキシリボ核酸[DNA、地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質]を形作る核酸の材料になる塩基で、動物性食品に豊富に含まれる)を多く含む。通常、プリン体は分解されて尿酸に変化し体外に排出される。しかし、尿酸量が排出能力を超え、体内に蓄積されると痛風の原因となると言われる。日本では、7世紀に内臓を食する料理が存在しており、肝臓は肝(きも)、胃袋は胘(みげ)と呼ばれ、膾や塩辛等に調理して食べられていた。第二次世界大戦前にも、大阪等では家畜内臓料理が提供されていたが、第二次世界大戦後になっても、食肉の歴史が古いヨーロッパ等とは異なり、日本においては、食肉の文化が限定的で、また、内臓肉は精肉より劣化が早く、独特の外見や匂いがあること等から消費者の好みが分かれるものであり、一般の人々が口にしたり、店頭で見かける機会は少なかった。しかし、安価な食材であることから大衆居酒屋等のメニューとしてはよく用いられ、各地に特徴のあるもつ料理が存在する。一時期は、もつ料理・もつ鍋がブームとなったが、2000年代初めにBSE問題(牛の脳の中に空洞ができ、スポンジ[海綿]状になる病気、牛海綿状脳症[BSE]に関する一連のできごと、事件、また、それらのメディア報道によって発生した社会問題)が発生して以降、(特に牛もつ系について)ブームとしては急速に衰退した状態となっている。もつ焼とも称されるホルモン焼きは日本全国で食べられ、地域によっては、独自の調理を行なっている。北海道旭川市の「塩ホルモン」は、塩ベースの調味液で塩漬けにされた豚のホルモン(内臓肉・腸)である。旭川市内には数多くのホルモン専門店がり、一般の焼肉店でも供され、ジンギスカンと一緒に食べられることも多い。宮城県気仙沼市では、遠洋漁業が発達し始めた1955(昭和30)年頃から、「気仙沼ホルモン」と呼ばれる、独特の豚ホルモン焼きが市民に広まった。宮城県岩沼市では、生の豚のもつをジンギスカン鍋で焼く、「岩沼とんちゃん」と呼ばれるホルモン焼きが一般的である。埼玉県秩父市では、豚のホルモン焼き店が多く、安価に良質のホルモンを味わうことができる。神奈川県厚木市では、網で焼くと、丸みを帯びてコロコロになることから名付けられた、「厚木シロコロ・ホルモン」と呼ばれるホルモン焼きが知られている。「厚木シロコロ・ホルモン」は、地域活性化を目的とする、町おこしのためのイベントであり、全国各地のご当地グルメを通じた「まちおこし団体」の共同PRイベントである「B-1グランプリ」の第3回大会(2008[平成20]年)でゴールドグランプリを獲得し、2010(平成22)年に富士宮やきそば等と共に殿堂入りした。  
艸心忌、吉野秀雄忌。
歌人・書家、吉野秀雄の1967(昭和42)年の忌日。 雅号(本名以外に付ける風雅な名)の「艸心(そうしん)」、住居の名「艸心洞」から「艸心忌」とも呼ばれる。吉野秀雄は、関東有数の織物問屋「吉野藤」の創立者の次男であるが、幼い頃から病弱で、生涯に亘って種々の疾病と闘い続けた。病床で国文学を独学し、俳人・歌人の正岡子規らアララギ派の作風に強い影響を受ける。第二次世界大戦後、雑誌『創元』の創刊号に「短歌百余章」を発表する。次いで、評論『鹿鳴集歌解』、詩歌集『寒蝉集』や『早梅集』等を刊行して歌壇に地位を確立。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠み、生涯を通して結社や流派に属さず、独自の歌風を築いた。また、短歌だけでなく、書にも積極的に取組み、ラジオやテレビに多く出演して、花のある歌人として活躍した。
 

7月13日 記念日 その3

水上バイクの日。
新潟市江南区三百地に事務局を置く日本海マリンクラブが制定。日本海マリンクラブでは、クルージングやツーリング、講習会等を通して、海難事故の防止や社会奉仕事業を行なっている他、記念日となる7月13日には、水上バイクの乗船会等を予定している。日付は、「7」と「13」で「な(7)み(3) = 波」の間に「/(1)」で「波を切る」と読み、水上バイクの爽快感を表わしている。水上バイク(水上オートバイ)は、船舶の一種であり、推進力としてウォータージェット推進システム(後方に高圧の水流を噴出することで推進力を得る方式)を用い、ハンドルバーの操作と操縦者の身体バランスにより操縦するものである。他の船舶が持つスクリューのような回転体は、船体外へ露出していない。1人乗り(スタンドアップタイプ)と2人・3人・4人乗り(ランナバウトタイプ)の2種類に分類される。日本では、「船舶職員及び小型船舶操縦者法(船舶操縦者法、昭和26年4月16日法律第149号)」における特殊小型船舶を指す。船等に対する水上オートバイの利点としては、次のようなものが挙げられる。船体が小さいため、停船場所を選ばない。停船しても、端に寄せれば交通の迷惑になりにくい。船体価格が比較的安い。燃費が良い。保険料や税金、検査料金等、維持費が比較的安い。狭い水路でも通行が可能。どこでもすり抜けができる(但し、好ましい運転方法ではない)。スピンターンが容易で、回転半径が小さい。トレーラーに載せて自動車で牽引したり、クルーザー等の大型船舶に積載が可能。一方で、欠点としては、次のようなものが挙げられる。船と違い、体が船体で覆われておらず露出しているため、事故の時に衝撃を直接受ける。操作を誤ると落水する。雨天時は、快適性が著しく損なわれる。動きが速く、周囲の者に不安や恐怖を感じさせる。モラルが低い操縦者が多く、漁業従事者・海水浴客・近隣住民への騒音問題や環境問題等、多くの問題の源となる。運搬手段として(乗入れ禁止にも拘らず)、海浜に自動車を乗入れる輩が多い。特殊な用途として、水上警察や消防等の沿岸警備隊、海軍や海兵隊等の軍隊の他、民間のレスキュー会社や団体でも、レスキュー用として配備している。機動力と入手の容易さから、警備隊や正規軍だけでなく海賊やテログループ等が、船舶に対する奇襲として利用することもある。最近では、ボートやサーフィン等のイベントでも、レスキュー艇として使用される機会が増えている。メーカー別では、ジェットスキー(カワサキ)、マリンジェット(ヤマハ発動機[世界最大の総合楽器メーカーである現在のヤマハの前身、日本楽器製造の二輪部門が独立して誕生した、主にオートバイを中心とした輸送用機器を製造するメーカー])、シードゥー(ボンバルディア・レクリエーショナルプロダクツ[雪上車や水上バイク、全地形対応車を製造するカナダのメーカー])が登録商標となっている。特に、オートバイ・航空機・鉄道車両・船舶等の輸送機器、その他機械装置を製造する、日本を代表する総合重機械産業、川崎重工業の社内カンパニーである川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーが持つ「ジェットスキー」の名称は、水上バイク全体を指す名称として使用されることがある。日本国内において、レジャーやスポーツ等で使う海や川、湖を走るエンジン付き小型船(プレジャーボート、モーターボート、ホバークラフト、エンジン付きヨット、水上オートバイ)を操縦するために必要な免許が、小型船舶操縦士免許で、通称では、「ボート免許」とも呼ばれる。免許の種類に、一級、二級、特殊の3種があり、一般的に「水上バイク免許」と呼ばれている特殊小型船舶操縦士免許が、水上オートバイを操縦するために必要な免許となる。一級、又は二級のみでは、水上オートバイの操縦はできず、特殊のみでは水上オートバイ以外の操縦はできない。これは、四輪自動車と二輪自動車が別免許になっている自動車運転免許と同じ考え方である。なお、旅客の輸送のための船舶(遊漁船、旅客船等)を操縦する場合は、一級、又は二級の小型船舶操縦士の免許の他に「特定操縦免許」も必要となる。
オカルト記念日。
1974(昭和49)年7月13日、アメリカの長編オカルト映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火付け役となった。オカルトブームとは、かつて日本で発生した、心霊・UFO(未確認飛行物体であるが、「エイリアンクラフト」[宇宙人等の乗り物]という意味で使われることが多い)・宇宙人・UMA(未確認動物[伝承や目撃談、噂等で実在を主張されていながら、生物学的には確認されていない未知の動物])・終末論・超能力・超常現象(現在までの自然科学の知見では説明できない現象)・都市伝説(口承される噂話の内、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの)等を中心に起こった、流行・社会現象・ブームである。『エクソシスト』や、1973(昭和48)年に発行された、フランスの医師・占星術師・詩人、シェル・ノストラダムスの著した『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』について、ミシェル・ノストラダムスの伝記や逸話を交えて解釈する、という体裁を取っていたルポライターで作家、五島勉の著書『ノストラダムスの大予言』のヒットにより、1970年代に第一次ブームが起こり、1990年代にも第二次ブーム状態となった。『エクソシスト』は、少女に憑依した悪魔と神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作であり、第46回アカデミー賞のアカデミー脚色賞とアカデミー音響賞を受賞した。題名となっている「エクソシスト」とは、キリスト教、特に、カトリック教会の用語で、エクソシスムを行なう人のことである。エクソシスムとは、誓い、厳命を意味するギリシャ語であり、洗礼式の時に悪魔を捨てる誓約があるが、その後に悪魔に憑かれた人から、悪魔を追出して正常な状態に戻すことをいう。かつては、カトリック教会の下級叙階の位階の1つとして存在し、「祓魔師」(ふつまし)と訳された。また、日本の神道用語が転用されたことがあるが、キリスト教と神道は異なる宗教であり、全く別概念である。エクソシストは、カトリック教会の黎明期から存在した役職であるが、その役割は、改宗の補助であると考えられる。多神教であるローマの伝統的な信仰から、一神教であるキリスト教への転換は決して容易ではなく、その宗旨替えは、その人の信ずる価値体系のトータルな変更を伴なう。このような場合、人はしばしば重大な精神的危機に見舞われる。その一形態が憑依と呼ばれる狂乱状態であり、エクソシストは、このような人達の精神の不安を取去ることを任務としていた。形骸化していた祓魔師という位階は、1962(昭和37)年から1965(昭和40)年に、第261代ローマ教皇ヨハネ23世の下で開かれ、後を継いだ第262代ローマ教皇パウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議、第2バチカン公会議後の教会制度の見直しに当たって廃止された。なお、第2バチカン公会議では、公会議史上初めて世界五大陸から参加者が集まり、まさに普遍公会議というにふさわしいものとなった。教会の現代化(アジョルナメント)をテーマに多くの議論がなされ、以後の教会の刷新の原動力となる等、第2バチカン公会議は、20世紀のカトリック教会において最も重要なできごとであり、現代に至るまで大きな影響力をもっている。

7月13日 記念日 その2

優生保護法の日。
1948(昭和23)年7月13日、「優生保護法(昭和23年7月13日法律第156号)」が公布され、第二次世界大戦前の「国民優生法(昭和15年5月1日法律第107号)」が、第二次世界大戦後の日本の状況に合わせて「優生保護法」に改正された。「優生保護法」は、1996(平成8)年制定の「優生保護法の一部を改正する法律(平成8年6月26日法律第105号)」により、性思想に関する条項が全て削除され、法律の題名も「母体保護法(昭和23年7月13日法律第156号)」となった。「母体保護法」は、母性の生命と健康を保護することを目的とし、そのために一定の条件を備えた場合には、不妊手術、又は人工妊娠中絶を認めたものである。「優生保護法」は「国民優生法」と同様、優生学(応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良することで人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される)的な色彩が強い法律であり、不良な子孫の出生の抑制を目的とし、母体の保護は、そのための手段という位置付けがなされていた。尤も、「国民優生法」においては、強制断種の条項に象徴されるように、優生手術(不妊手術)に重点を置いており、中絶一般については否定的な立場を取っていたが、「優生保護法」においては、第二次世界大戦後の混乱(復員による過剰人口問題、強姦による妊娠の問題)を背景にし、妊娠中絶の合法化の手段のため、優生思想を利用したという側面があった。「優生保護法」制定前から「国民優生法」の不完全さは指摘されており、優生思想に基づく条項の多くは残存し、断種等、優生政策の実施は強化されていくことになる。1949(昭和24)年の法改正(「優生保護法の一部を改正する法律[昭和24年6月24日法律第216号]」)により、経済的な理由による中絶の道が開かれ、1952(昭和27)年には、中絶について地区優生保護審査会の認定を不要とした(「優生保護法の一部を改正する法律[昭和27年5月17日法律第141号]」)。「刑法(明治40年4月24日法律第45号)」上の堕胎罪(人間の胎児を、母親の体の中で殺すか、流早産させて殺すことを内容とする犯罪)の規定は存置されたが、空文化が指摘されるようになった。その後、日本の高度経済成長(1954[昭和29]年12月から1973[昭和48]年11月までの約19年間続いた、日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期)により、経済団体の日本経営者団体連盟(日経連、現在の日本経済団体連合会[経団連]の前身の1つ)等からは、将来の優れた労働力の確保という観点から、中絶の抑制が主張されるようになった。また、宗教団体からは、新興宗教団体、生長の家とカトリック教会が優生保護法改廃期成同盟を組織して、中絶反対を訴えた。一方、羊水検査(出生前診断の一種で、妊娠子宮に長い注射針に似た針を刺して羊水[子宮内で胎児を取囲んでいる液体]を吸引すること[羊水穿刺]によって得られた、羊水中の物質や羊水中の胎児細胞を元に、染色体や遺伝子異常の有無を調べる検査)の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、日本医師会は、生長の家等の主張には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあったことに対して、全国青い芝の会等の障害者団体は、優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連の略称で知られた、戦闘的な日本のウーマンリブ団体)等の女性団体や、女性の駆け込み寺として、また、中絶や避妊等の相談センターとしても機能した「リブ新宿センター」からはそれに加え、経済的な理由に基づく中絶の禁止に対する反発が広がるようになった。結局、1996(平成8)年の法改正により、法律名が現在のものに変更されると共に、優生学的思想に基づいて規定されていた強制断種等に係る条文が削除され、「優生手術」の文言も「不妊手術」に改められた。
生命尊重の日。
医師・法律家・教育者・主婦等で構成される「生命尊重の日実行委員会」が1984(昭和59)年に制定。1948(昭和23)年のこの日、「優生保護法(現在の母体保護法、昭和23年7月13日法律第156号)」が公布されたことを記念したもの。
イーサン・ハントの日。
世界中で人気のアメリカのスパイアクション映画シリーズ『ミッション:インポッシブル』。その配給元である映画会社、パラマウントピクチャーズジャパン(アメリカの大手映画会社、パラマウントピクチャーズコーポレーションの映画配給部門)が制定。2015(平成27)年8月7日に公開の『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』のPRが目的。日付は、『ミッション:インポッシブル』の第1作目が日本で公開された1996(平成8)年7月13日に因んで。また、13日は、アメリカの俳優・映画プロデューサー、トム・クルーズが演じる主人公の「イーサン・ハント」の「イー(1)サン(3)」の語呂合わせともなっている。『ミッション:インポッシブル』は、アメリカのテレビドラマ『スパイ大作戦』の映画化作品であるが、映画の邦題は原題のままにされている。主演のトム・クルーズは、この作品で初めて映画プロデューサーに挑戦し、自ら監督を選んでいる。派手なアクションと精妙なストーリー構成により人気を集め、商業的にも成功し、続編シリーズ制作へと繋がった。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』は、『ミッション:インポッシブル』シリーズの第5作目となる。なお、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行なう東宝株式会社の傘下で、映画の輸入、及び配給を主事業とする映画会社、東宝東和株式会社とパラマウントピクチャーズコーポレーションとは劇場配給契約を締結し、東宝東和株式会社の新子会社「東和ピクチャーズ」が、2016(平成28)年からパラマウントピクチャーズコーポレーション作品の劇場配給を行なうことになった。1986(昭和61)年に公開された、アメリカの長編映画で、アメリカ海軍の戦闘機パイロットの青春群像を描いた航空アクション映画 『トップガン』の世界的大ヒットにより、トップスターの仲間入りを果たし、次々とヒット作に出演したトム・クルーズは、主にヒューマンドラマや社会派作品、作家性の強いアート系作品等に出演しており、アクションのイメージが無かったが、『ミッション:インポッシブル』への出演以降、ミッション:インポッシブル』シリーズをベースに、その多くがアクション映画への出演となっており、実質的にはアクション俳優とも言える。また、派手なアクションのある映画でも、原則としてスタントマンを使わず、自らスタントを行なうことに拘りを持っていることで知られ、そのため、車やバイクの運転技術は、セミプロ級の腕前に達している。トム・クルーズは、親日家としてもよく知られており、他のハリウッド映画のスター俳優と比べても、特に来日回数が多い。2018(平成30)年7月時点で23回目の来日をしており、空港等での長時間のファンサービスも恒例となっている。日本語吹替えは、俳優・声優・ナレーターの鈴置洋孝(2001[平成13]年まで)、声優・ナレーター・歌手・タレントの森川智之(現在)が務めているが、これはトム・クルーズ本人の推薦によるものである。森川智之は、2003(平成15)年に公開された、アメリカの長編映画『ラストサムライ』以降、トム・クルーズ本人に公認されたことで、トム・クルーズの吹替えを専属で担当するようになった。因みに、10月6日の「10」と「6」で、「ト(10、十)ム(6、六)」の語呂合わせから、10月6日は「トムの日」と制定されている。 

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