スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル 柴犬ハルがお伝えします

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7月13日 記念日 その1

西暦(グレゴリオ暦)AD2019年 平成31年(1月1日 - 4月30日) 令和元年(5月1日 - 12月31日)  
昭和94年 大正108年 明治152年 皇紀2679年 干支 己亥(つちのと い)
第2土曜日 旧暦   6月11日、仏滅(辛亥)、月齢 10.3
グレゴリオ暦で年始から194日目、年末まであと171日。
誕生花 ホテイアオイ・テッポウユリ・ガクアジサイ。

盆迎え火。
夕方に祖先の精霊を迎える為に、芋殻(サトイモやハスイモの葉柄の皮を剥いて乾燥させたもの)や麻幹(皮を剥ぎ取った麻の茎)等を門口で燃やして、煙を焚く。旧暦7月13日に行なわれていたもので、現代では地域等により、新暦7月13日や1ヶ月遅らせた8月13日等に行なわれている。盆は、一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道(純神道、原始神道等とも呼ばれる、日本で、外来宗教の影響を受ける以前から存在していた宗教)における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行なうことも強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して、現在の形ができたとされる。なお、檀家とは、特定の寺に所属して寺を支援する家のことを指す。「ダーナパティ」という、南アジアだけでなく東南アジアにおいても用いられていた、サンスクリット語から来た言葉で「寺や僧を援助する庇護者」という意味がある。 檀家が、葬祭供養一切をその寺院に任せる代わりに、布施として経済支援を行なうことが檀家制度で、 鎌倉時代から使われ出した言葉であり、室町時代の末期頃から自然と檀家関係ができたと言われる。所属寺院は檀那寺と呼ばれ、所属する方を檀家と呼ぶ。 江戸時代以降、江戸幕府がキリシタン禁制を名目に宗旨人別帳(宗門人別改帳とも呼ばれる、民衆の信仰する宗教を調査する制度である宗門改の台帳、宗門改帳と、江戸時代の人口調査人別改帳が統合された民衆調査のための台帳、人別改帳が統合された民衆調査のための台帳)の作成を法令化した。これで、檀家制度が、法的に制度化されたことになる。民衆はどこかの寺の檀家にならなければならず、寺請制度によって戸籍を管理したり、寺が役所のような役割を果たしていた。盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に、祖先の霊が子孫の下を訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残、との説がある)が、初春のものが、祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになった、と言われる。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行なうという風習が確立されたと考えられている。地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なる。盆は、成句(イディオム)して使われることもある。「盆暮れ(ぼんくれ)」等と、時季を指す言葉としての使用や、「盆と正月が一緒に来たよう」という「とても忙しいこと」、又は「喜ばしいことが重なること」の例え(慣用句)としての使用がそれである。また、迎え火の変形として盆提灯(盆の時期にご先祖様を供養するために仏壇等の前に飾る提灯)がある。これも同じく、先祖の霊を迎え入れるための目印であり、また、先祖の霊が滞在している印であるとされる。この風習は、鎌倉時代から行なわれている。さらに、竿燈(毎年8月3日から8月6日に秋田市で行なわれる祭りで、祭りの正式名称は「秋田竿燈まつり」)や五山送り火(毎年8月16日に京都市左京区にある如意ヶ嶽[大文字山]等で行なわれる篝火)のように発展したり、送り火(盆の行事の1つで、お盆に帰ってきた死者の魂を現世から再びあの世へと送出す行事)に変化したものもある。
ナイスの日。
7月13日の「7」と「13」で、「ナ(7)イ(1)ス(3)」の語呂合せから。夏のバカンスシーズンを前にナイスなこと、素敵なことを見付けて人生を楽しもうと生まれた日。2006(平成18)年7月15日に公開されたSFアニメ映画『時をかける少女』では、冒頭でテレビのアナウンサーが7月13日は「ナイスの日」と紹介している。小松左京、星新一と並んで「SF御三家」とも称される作家、筒井康隆の同名の小説を原作としている『時をかける少女』は、原作の物語の映画化ではなく、原作のできごとから約20年後を舞台に、次世代の登場人物が繰広げる物語を描く続編である。当初の興行規模は小さいものであったが、インターネット等による口コミ効果により、最終入場者数18万8,092名、興収約2億6,439万円と発表されている程のヒット作となり、国内外における映画・アニメ賞等、23冠を受賞している。主人公の紺野真琴役の声を演じたモデル・女優の仲里依紗は、4年後の2010(平成22)年に公開された実写映画版『時をかける少女』(筒井康隆の小説『時をかける少女』の4度目の映画化作品)でも主演を務めることとなった。因みに、実写映画版『時をかける少女』で共に主要キャラクターを演じた仲里依紗と俳優の中尾明慶とは、2013(平成25)年に結婚している。1967(昭和42)年に刊行された、筒井康隆のヤングアダルト向け長編SF小説『時をかける少女』は、時間を跳躍する不思議な能力を持つことになった少女が、未来から来た青年との出逢い等、さまざまな経験を重ねていく物語で、タイムトラベルもののSFに、青春、恋愛、学園もの等の要素を織り交ぜた、筒井康隆の作品では珍しい、正統派少年少女向け小説である。発表から約50年以上を経過した現在でも広く親しまれており、何度も映像化され、作者の筒井康隆はしばしば、『時をかける少女』を「金を稼いでくれる孝行娘」と表現している他、清純派若手女優の登竜門的な作品にもなっている。
ナイススティックの日。
東京都千代田区岩本町に本社を置く、日本最大で、世界でも第2位の規模となる製パン業者、山崎製パン株式会社が制定。1977(昭和52)年に誕生した、山崎製パン株式会社を代表するロングセラー菓子パン「ナイススティック」。約30cmの長さのボリュームと、濃厚なミルククリームが端から端までたっぷりと挟まれている、という魅力を持つナイスな菓子パン「ナイススティック」を、さらに多くの人に知ってもらうのこと目的。日付は、7月13日の「7」と「13」で、「ナ(7)イ(1)ス(3)スティック」の語呂合わせから。山崎製パン株式会社の創業当時となる、第二次世界大戦終戦直後は、食糧管理制度下で製パン業が厳しく統制され、創業者飯島藤十郎は、既に別団体でパン製造に関わっていたため、飯島名義では許可が下りず、義弟の「山崎」名義で許可を得た。商号が「山崎製パン」となったのは、この経緯による。1948(昭和23)年の創業当時は、配給小麦をパンへ加工して儲ける委託加工をコッペパンから始め、後にロシアパン等、菓子パンも製造している。翌1949(昭和23)年、一般消費者向けの和菓子と洋菓子製造を開始する。山崎製パン株式会社のシンボルマークで社章でもある「太陽マーク」は、万物の太陽の源、明るい太陽のように食卓の光となる願いを込め、また、自然への感謝と仕事への誇りの気持ちを込め、伸びゆく企業を象徴するということから、創業者の理念を具現化したものである。

1962年 - イギリスのロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズがイギリスの首都、ロンドン中心部にあるライブハウス「マーキークラブ」で初のライブを行なう。
1963年 - 新産業都市13ヶ所、工業整備特別地域6ヶ所を指定。新産業都市(略称:新産都)は、1962年に制定された「新産業都市建設促進法(新産法、昭和37年5月10日法律第117号)」に基づいて、「産業の立地条件及び都市施設を整備することにより、その地方の開発発展の中核となるべき」(第1条)として指定された地域である。「新産業都市建設促進法」は、全国総合開発計画(全総)に謳われた「拠点開発方式」を実現するために制定されたものである。各地域では建設基本計画が定められ、地方税の特別措置、地方債の利子補給・補助率の嵩上げ等の措置が講じられている。また、工業整備特別地域(略称:工特)も同様の趣旨で制定されたもので、「工業整備特別地域整備促進法(昭和39年7月3日法律第146号)」において、「工業の立地条件がすぐれており、かつ、工業が比較的開発され、投資効果も高いと認められる地域」(第1条)であるとして定められた地域である。「新産業都市建設促進法」「新産業都市建設促進法」と「工業整備特別地域整備促進法」は2001年3月30日に廃止され、同時に新産業都市と工業整備特別地域の制度も廃止される。
1967年 - ニューアーク暴動。アメリカ合衆国東部、ニュージャージー州ニューアークで、白人警官による黒人タクシー運転手への暴行事件をきっかけにした黒人暴動が起こり、23名の死者と1,500名以上の逮捕者を出す。
1967年 - 南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域の洋上にある群島、西インド諸島に位置するアンギラが、セントクリストファー島中心の政策に不満を抱き、イギリス自治領(自治権を認められた半独立国)セントクリストファー・ネイビス・アンギラからの独立を宣言。1969年には、元のイギリス植民地統治下に戻る。アンギラは、1980年に正式に自治領から分離して、イギリス直轄の海外領土へと戻り、残った現在のセントクリストファー・ネイビスは、1983年、イギリスから独立する。
1975年 - 大西洋東部で西アフリカ中央部にある大湾、ギニア湾にある島国サントメ・プリンシペが、ポルトガルから独立する。
1979年 - 南太平洋にある島国キリバスが、イギリスから独立する。
1979年 - ディスコ・デモリッション・ナイト。アメリカ合衆国中西部、イリノイ州シカゴに所在したスタジアム、コミスキー・パーク(メジャーリーグベースボール[MLB、大リーグ]のシカゴ・ホワイトソックスが開場以来80年以上本拠地にしていたが、1990年に閉場し、隣には新球場で、現在のシカゴ・ホワイトソックスのホーム球場、ギャランティード・レート・フィールドが建設されている)で開催された、デトロイト・タイガース対シカゴ・ホワイトソックスの試合において行なわれたイベントで、観衆がフィールドに乱入。6名が軽症を負い、計39名の逮捕者が出る騒動となり、予定されていたダブルヘッダーの第2試合は始められず、一旦延期されたが、アメリカンリーグ会長のリー・マクフェイルの裁定により、シカゴ・ホワイトソックスの没収試合(トラブルの元となったチームを敗戦扱いにする制度)となる。
1984年 - 広域農道(愛称:出雲ロマン街道)の建設に伴なって行なわれた遺跡調査がきっかけとなり、島根県簸川郡斐川町(現:出雲市)の荒神谷遺跡で多数の銅剣が発見される。
1987年 - 北海道岩見沢市の岩見沢駅で函館本線から分岐し、三笠市の幾春別駅とを結んでいた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線(路線総延長18.1km)がこの日限りで廃止。
1993年 - 北海道南西沖地震(奥尻島地震)。北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底を震源とする地震で、規模はマグニチュード(M)7.8、推定震度は震度6(烈震)。奥尻島の震度が推定になっている理由は、当時の奥尻島に地震計が置かれていなかったためである。日本海側で発生した地震としては、近代以降最大規模となる。震源に近い奥尻島は、地震直後に高さ約20mの大津波に襲われ、島の南部に位置する青苗地区が、津波とその後発生した大火で壊滅状態になった他、奥尻地区では土砂崩れによるホテル倒壊が発生する。死者202名、行方不明者28名、負傷者323名、全壊家屋601棟等の被害となる。
1997年 - 青森市の南側に聳える八甲田山の北東山麓にある田代平で、窪地に溜まっていた火山ガスの二酸化炭素により、レンジャー訓練中の陸上自衛隊員3名が死亡する。八甲田山には、酸ヶ湯から地獄沼付近にかけて複数の噴気孔が点在しており、特に地獄沼では、活発な噴気活動が続いている。この事故の後の2010年6月20日にも、酸ヶ湯付近で火山ガスの硫化水素が発生し、山菜採りをしていた女子中学生が死亡している。
1998年 - 1998 FIFAワールドカップ(第16回フランス大会)の決勝戦がフランスの首都パリ北郊にある多目的スタジアム『スタッド・ドゥ・フランス』で行なわれ、地元フランスがブラジルを3-0で降し、初優勝を果たす。
1998年 - 第18回参議院議員通常選挙。
2000年 - 百貨店を運営していたそごうグループ22社が「民事再生法(平成11年12月22日法律第225号)」の適用を申請し、事実上の経営破綻。多摩そごうが特別清算開始を申請する。
2002年 - 「使用済自動車の再資源化等に関する法律(自動車リサイクル法、平成14年7月12日法律第87号)」が制定される。
2003年 - アメリカ合衆国の原子力航空母艦(空母)『ロナルド・レーガン』が就役。存命中の元アメリカ合衆国大統領の名が、航空母艦(空母)に命名されるのは史上初となる。
2005年 - フランスの地中海沿岸地方、コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置する立憲君主制国家、モナコ公国の統治者、モナコ大公アルベール2世の即位式が行なわれる。ハリウッド女優(アメリカ合衆国の女優)であったグレース・ケリーを母とするアルベール2世は、国家元首としては世界初の、北極点と南極点への到達者としても知られる。
2006年 - イスラエル軍によるレバノン侵攻が始まる。レバノン侵攻は、西アジア・中東に位置するレバノンに国家内国家を形成するシーア派系非国家軍事組織ヒズボラ(神の党)によるイスラエル・レバノン間の国境侵犯攻撃を受けて、イスラエル軍がヒズボラ(神の党)をレバノン領内に追跡侵攻した戦争である。
2006年 - 中央ヨーロッパに位置するポーランドの石油資源探索会社が、北ヨーロッパに位置するバルト海に沈んでいたドイツ海軍の航空母艦『グラーフ・ツェッペリン』を発見する。
2012年 - 平成24年梅雨前線豪雨: 梅雨前線が停滞し、熊本県・大分県を中心に、土砂崩れ・家屋崩壊が相次ぎ、14名が死亡する等の被害となる。
2013年 - 東京証券取引所との経営統合に伴ない、大阪証券取引所の現物株式の取引が終了する。
2016年 - 南シナ海判決。常設の国際仲裁法廷、常設仲裁裁判所により、フィリピンが「中国の主張は国際法違反」と訴えた仲裁裁判の判決が下され、中国による主張は、国連海洋法条約に反するもので認められない、等とされる。

0645年 - 第35代天皇、皇極天皇の弟である軽皇子が即位し、第36代天皇、孝徳天皇となる。同時に、第34代天皇、舒明天皇の第2皇子で、後に第38代天皇、天智天皇となる中大兄皇子が皇太子(皇位継承の第一順位にある皇子)となる。
1191年 - 第3回十字軍: 西アジア・中東に位置する現在のイスラエル北部にあるアッコンが陥落し、約2年に及ぶアッコン攻城戦が終結する。
1441年 - 嘉吉の乱: 播磨国(現在の兵庫県南西部)守護、赤松満祐の子、赤松教康が、室町幕府第6代将軍足利義教を自邸に招き謀殺する。赤松氏は鎌倉幕府打倒に大きく尽力し、その功績により播磨国守護に任じられたが、恩賞への不満から、室町幕府初代将軍足利尊氏に与して室町幕府創業の功臣となり、播磨国の他に備前国(現在の岡山県南東部)、美作国(現在の岡山県北東部)を領し、幕府の四職の1つとなっていた家柄である。足利将軍の中では父の室町幕府第3代将軍足利義満に比肩し得る権力を振るった足利義教であるが、猜疑心に駆られて過度に独裁的になり、粛清の刃は武家だけでなく、公家にも容赦なく向けられる。赤松家の家督を相続していた赤松満祐は、室町幕府の最長老格となっていたが、足利義教に疎まれる様になっており、1440年に「狂乱」したと称して隠居する。赤松満祐の子の赤松教康が、足利義教を自邸に招き、猿楽(舞踊と劇の要素を含んだ日本の中世芸能)を観賞していた時、甲冑を着た武者達が宴の座敷に乱入し、赤松氏随一の剛の者安積行秀が、義教の首を刎ねてしまう。その後、室町幕府第7代将軍となった足利義教の嫡男足利義勝の下、赤松氏討伐軍が編成され、その大軍に包囲された赤松満祐は切腹する。足利将軍家は、この一連のできごとで権威を大きく失墜させ、代わりに守護大名の合議制が復活する。
1495年 - 連歌師、宗祇の准勅撰連歌撰集『新撰菟玖波集』が完成。『新撰菟玖波集』は、約250名の句を集めた有心連歌(純正連歌とも称する、滑稽を主眼とした無心連歌に対して、和歌を基準とし、優雅な題材・用語等を用いる連歌)の集大成である。
1543年 - イングランド王ヘンリー8世が、6番目で最後の妻キャサリン・パーとハンプトン・コート宮殿(イギリスの首都、ロンドン南西部にある旧王宮)で結婚。
1562年 - スペイン生まれのカトリック聖職者で、ユカタン(現在のメキシコの東部、ユカタン半島の北部に所在)の司教ディエゴ・デ・ランダが、インディオ(ラテンアメリカ[メキシコを除く中南米]の先住民族の総称の1つ)の異端尋問を行ない、多数のマヤ(現在の北アメリカ南部に位置するメキシコの南東部、中央アメリカ北部に位置するグアテマラ、中央アメリカ北東部に位置するベリーズ等、いわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明)の絵文書の焚書を命じる。
1635年 - 江戸幕府が第3次鎖国令(外国との通交や貿易を禁止する法令)を布告。中国やオランダ等、外国船の入港を長崎のみに限定し、東南アジア方面への日本人の海外渡航、及び海外滞在者の帰国が禁止される。
1690年 - ウィリアマイト戦争: ボイン川の戦い。
1790年 - フランス革命: 国民議会(近代議会としての性格を有する、当時のフランスの第三身分である平民が中心となって形成された議会)が、フランス国内のカトリック教会を国家の管理下に置くことを内容とする聖職者民事基本法を制定する。
1806年 - 神聖ローマ帝国に属していたドイツの諸侯が帝国を離脱し、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)を盟主とするライン同盟を結成する。ライン同盟には、1808年の最大期には、4つの王国、5つの大公国、13の公国、17の侯国、3つの自由都市が加盟している。公式には、同盟という対等の名称であるが、その実態は、フランスの従属国というものに等しく、また、国家連合自体の力は脆弱で、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)に援助した総兵力は、僅かに約6万程度であったという。1813年、フランス帝国による覇権に挑戦するため、ヨーロッパ諸国が結成した同盟、第六次対仏大同盟により、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)はロシアとドイツから押返され、ライン同盟も解体されている。
1862年 - アメリカ合衆国で名誉勲章(アメリカ合衆国の軍人に大統領から直接授与される、アメリカ軍の勲章において最高位の勲章)が制定される。
1868年 - 明治政府が、飛騨国(現在の岐阜県北部に相当する領域)の旧天領を管轄する飛騨県、兵庫港(現在の兵庫県神戸市にある神戸港)を管轄する兵庫県を設置。
1902年 - アーサー・バルフォアがイギリス首相に就任。
1912年 - 新潟県と長野県を流れる姫川が氾濫。下流の新潟県糸魚川市では、小学校や国道橋の他、多数の人家が流される被害が出る。姫川は、流路が北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界となっている糸魚川静岡構造線にほぼ沿い、東西にある急峻な西頸城山地と、北アルプスから供給される土砂が多い。また、飛騨外縁帯の脆弱な蛇紋岩が、上流部の八方尾根、中流部の平岩・小滝付近、及び支流の大所川上流部に広く分布するため、地すべり(斜面を形成する地塊[土砂・岩塊]が、地下の地層中に円弧状、又は平面状に形成される地質的不連続面、即ち「すべり面」を境にして、すべり面上の地塊がゆっくりと移動する現象)地形が広く分布する。そのため、豪雨による土砂災害が絶えず、道路や鉄道が不通となることが度々あり、暴れ川として知られている。
1913年 - 第二革命開始。中国中部にある江西省で、清末中華民国の陸軍軍人・政治家の李烈鈞が袁世凱政権からの独立を宣言。
1917年 - 張勲復辟: 北京政府(北洋軍閥政府、1912年から1928年まで、現在の中国の首都北京に存在した中華民国政府)国務総理の段祺瑞率いる討逆軍が、清末中華民国の陸軍軍人・政治家である張勲の軍を破り北京に入城、中国清朝第12代皇帝愛新覚羅溥儀が退位を宣言。
1918年 - 日本海軍の戦艦『河内』が、山口県南東部、周防灘に面する徳山湾で爆発事故により沈没する。
1920年 - ソビエト・リトアニア平和条約締結。ロシアが、北ヨーロッパのバルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国、リトアニアの独立を承認する。
1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK[日本放送協会]放送センター)がラジオ本放送を開始。
1940年 - 三宅島噴火。東京都の本州島側地域から南海上へ約175kmに位置する、伊豆諸島の三宅島で噴火が始まる。噴火は、三宅島の最高峰、雄山の北東山腹の標高約200m付近から始まり、流れ出た溶岩が、1時間程度で山麓の集落を埋める。居住域から噴火が始まったため被害が大きくなり、11名が死亡、20名が負傷する。その後、噴火活動は山腹から山頂火口に移り、約1ヶ月続いている。
1941年 - 第二次世界大戦: 英ソ相互援助協定が締結される。
1943年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: コロンバンガラ島沖海戦が行なわれる。
1943年 - 第二次世界大戦・独ソ戦: プロホロフカの戦いが行なわれる。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 敦賀大空襲。日本海側沿岸の都市としては最初の空襲。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 宇都宮大空襲。
1947年 - フランスの首都パリで、第1回欧州経済復興会議が開催され、欧州経済協力委員会(CEEC)の設置を決議。

7月12日 誕生日

1596年 - ミハイル・ロマノフ、ロマノフ朝ロシア=ツァーリ国初代皇帝(ツァーリ)
1675年 - エヴァリスト・ダッラーバコ、作曲家
1730年 - ジョサイア・ウェッジウッド、陶芸家
1794年 - クリスティアン・パンダー、動物学者
1813年 - クロード・ベルナール、医師・生理学者
1817年 - ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、作家・思想家
1824年 - ウジェーヌ・ブーダン、画家
1844年 - ジョージ・ゼットレイン、米プロ野球
1849年 - ウイリアム・オスラー、医学者
1854年 - ジョージ・イーストマン、実業家・発明家・イーストマン=コダック社創業者・ロールフィルム(連続撮影可能な写真フィルム)発明者
1863年 - パウル・ドルーデ、物理学者
1863年 - レオン・チャールズ・アルベール・カルメット、医学者・細菌学者
1868年 - シュテファン・ゲオルゲ、詩人
1869年 - 久原房之助、実業家・政治家・久原財閥(日産グループ[大手自動車メーカー、日産自動車を中心とした企業グループ]等の源流)創業者
1870年 - ルイ2世、モナコ公国第12代大公
1877年 - 暁烏敏、真言宗僧侶
1879年 - 古武弥四郎、生化学者
1880年 - トッド・ブラウニング、映画監督・俳優
1884年 - アメデオ・モディリアーニ、画家
1886年 - ラウル・ハウスマン、画家・詩人・写真家
1890年 - 清水武雄、物理学者
1892年 - ブルーノ・シュルツ、作家・画家
1895年 - オスカー・ハマースタイン2世、ミュージカル脚本家・作詞家
1895年 - キルステン・フラグスタート、ソプラノ歌手
1895年 - バックミンスター・フラー、建築家
1901年 - 川勝傳、経営者(南海電気鉄道)
1902年 - 西竹一、馬術
1904年 - パブロ・ネルーダ、詩人
1913年 - ウィリス・ラム、物理学者・ノーベル物理学賞受賞者
1913年 - 奥野誠亮、内務官僚・政治家
1915年 - 立川孟美、実業家・立川ブラインド工業(ブラインド・天窓等のメーカー)創業者
1916年 - サム・テイラー、ミュージシャン(テナーサックス奏者)
1917年 - アンドリュー・ワイエス、画家
1917年 - 富松信彦、プロ野球
1922年 - 永原慶二、歴史学者
1923年 - 千石剛賢(千石イエス)、宗教家
1923年 - 高木聖鶴、書家
1925年 - 芥川也寸志、作曲家・指揮者
1925年 - 小野田嘉幹、映画監督
1927年 - 京唄子、漫才師・女優 《元 京唄子・鳳啓助》
1927年 - ジェリー伊藤、俳優・歌手
1927年 - 沖実郎、プロ野球
1928年 - イライアス・コーリー、有機化学者・ノーベル化学賞受賞者
1928年 - 藤井恒男、政治家
1928年 - 稲葉郁三、プロ野球
1931年 - 木内幸男、アマチュア野球
1932年 - オーティス・デービス、陸上競技/中距離
1932年 - 西塚泰美、医学者・生化学者
1933年 - 土肥孝治、検察官・弁護士
1934年 - ヴァン・クライバーン、ピアニスト
1934年 - 川田正子、童謡歌手
1935年 - 大村智、化学者・ノーベル生理学・医学賞受賞者
1935年 - 松野正子、翻訳家・児童文学者
1936年 - 坂井ひろ子、児童文学作家
1936年 - 荘司美代子、声優
1937年 - リオネル・ジョスパン、経済学者・政治家・フランス共和国第五共和政第16代首相
1938年 - 井上哲夫、政治家
1938年 - 石岡瑛子、アートディレクター・デザイナー
1939年 - 中村玉緒、女優
1942年 - 木原義隆、プロ野球
1944年 - 東条文博、プロ野球
1944年 - 四谷シモン、人形作家・俳優
1945年 - 多田勝美、実業家・大東建託(賃貸住宅建設・不動産仲介会社)創業者
1947年 - 荒俣宏、作家・翻訳家 
1947年 - 近藤光史、アナウンサー
1948年 - 上野千鶴子、社会学者
1948年 - 戸谷公次、声優
1948年 - 上田卓三、プロ野球
1950年 - 桂才賀 〈7代目〉 、落語家
1950年 - エリック・カー、ミュージシャン 《元 KISS》
1950年 - 立花直樹、俳優
1951年 - 左藤章、政治家
1952年 - 山口那津男、政治家
1952年 - 小宮和枝、声優
1953年 - 真弓明信、プロ野球
1954年 - 古川享、経営者(日本マイクロソフト[コンピュータソフトウェア関連会社])
1954年 - 中村秀利、声優
1955年 - 宮澤正、声優
1957年 - 北別府学、プロ野球
1957年 - 森永卓郎、評論家(経済アナリスト)・タレント
1959年 - 片平なぎさ、女優
1960年 - 石田京子、バレーボール
1960年 - 南條玲子、女優
1960年 - 本城和彦、ラグビー
1961年 - 葛生千夏、シンガーソングライター
1962年 - フリオ・セサール・チャベス、ボクシング
1963年 - 若竹七海、推理作家
1963年 - 藤敏也、俳優
1964年 - 青野厚司、アニメーター
1964年 - 片山明、プロレス
1965年 - 馬野雅行、アナウンサー
1965年 - 安部聡子、女優
1965年 - 美濃部直彦、サッカー
1965年 - 井上淳一、脚本家・映画監督
1966年 - 渡辺美里、シンガーソングライター
1966年 - TAIJI(沢田泰司)、ミュージシャン 《元 X JAPAN》
1966年 - 井上真二、プロ野球
1967年 - 江尻篤彦、サッカー
1967年 - 西村賢太、作家
1968年 - むぎわらしんたろう、漫画家
1969年 - 土井よしお、タレント 《ワンダラーズ》
1969年 - 竹下潤、プロ野球
1969年 - 夏田由美、バレーボール
1970年 - イ・ビョンホン 〈李炳憲〉 、俳優(旧暦の誕生日で、新暦の誕生日は8月13日)
1970年 - 松丸元気、リングアナウンサー・ラジオパーソナリティ
1971年 - クリスティー・ヤマグチ、フィギュアスケート
1971年 - 長尾香里、テレビ局報道記者・ニュースキャスター
1971年 - ドミトリー・カザルリガ、フィギュアスケート
1971年 - こうぶんこうぞう、画家
1972年 - 江藤直美、バレーボール
1973年 - 五剣山博之、大相撲
1973年 - エレーナ・レオノワ、フィギュアスケート
1973年 - 高橋智則、バレーボール
1973年 - クリスティアン・ヴィエリ、サッカー
1975年 - 羽曾部卓、化学者
1975年 - 白坂勝史、プロ野球
1975年 - 羽曾部卓、化学者
1976年 - 仲里安也美、タレント 《元 SDN48》
1976年 - 菊池真由子、芸能レポーター
1977年 - 大場豊千、プロ野球
1977年 - 江連裕子、アナウンサー
1977年 - 深澤仁博、サッカー
1978年 - 石井義人、プロ野球
1978年 - 山本隆弘、バレーボール
1978年 - ウラジスラフ・ゾフニルスキー、フィギュアスケート
1979年 - 新井場徹、サッカー
1979年 - 小林麻耶、アナウンサー
1980年 - ブラッド・エルドレッド、プロ野球
1980年 - 亘健太郎、タレント 《フルーツポンチ》
1980年 - 凡天勝祐樹、大相撲
1981年 - 鈴木みらい、シンガーソングライター
1982年 - 成田志織、モデル・女優     
1982年 - アントニオ・カッサーノ、サッカー
1982年 - CHIHARU、歌手
1982年 - 永井俊太、サッカー
1983年 - Chiho、モデル・タレント
1983年 - 河村めぐみ、バレーボール・モデル
1983年 - 吉田安里、モデル
1983年 - ヤレリス・バリオス、陸上競技/円盤投
1984年 - 高橋裕紀、オートバイロードレース
1984年 - 南條愛乃、声優
1984年 - 藤本聖、タレント 《ジュリエッタ》
1985年 - 橋爪ヨウコ、タレント
1985年 - 伊阪達也、俳優
1986年 - 早美あい、タレント・女優
1986年 - 澤西祐典、作家
1987年 - 水澤薫、タレント 《ポケットパレットw.》
1988年 - 種田梨沙、声優
1988年 - 山本郁弥、サッカー
1988年 - マルコー・マールトン、フィギュアスケート
1989年 - 義家ゆりか、タレント・モデル
1989年 - 中村里砂、モデル・タレント
1990年 - チェイスン・シュリーブ、米プロ野球
1991年 - 種田ちえり、タレント
1991年 - 亀田和毅、ボクシング
1991年 - ハメス・ロドリゲス、サッカー
1991年 - 増井渚、アナウンサー
1992年 - 石橋杏奈、女優
1992年 - 勧野甲輝、プロ野球
1993年 - 宮下舞花、タレント
1994年 - 百田夏菜子、歌手・女優 《ももいろクローバーZ》
1995年 - 瓜生美咲、タレント
1995年 - ルーク・ショー、サッカー
1995年 - 平良拳太郎、プロ野球
1997年 - マララ・ユサフザイ、人権運動家・ノーベル平和賞受賞者
1997年 - 杏野なつ、タレント 《元 私立恵比寿中学》

7月12日 記念日 その5

ドゥーワップの日。
アメリカ生まれのコーラスのスタイル「ドゥーワップ」をこよなく愛する人々が結成した団体、「クログロドゥーワップ団」が制定。「ドゥーワップ」の魅力とその名称を次の世代に繋げていくのが目的。日付は、「第1回ジャパンドゥーワップカーニバル」が開催された1981(昭和56)年7月12日から。このイベントには、4名のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた『シャネルズ(後のラッツ&スター)』、4名編成の音楽グループで、ドゥー・ワップを結成以来堅持し続けている『ザ・キング・トーンズ』等が出演した。ドゥーワップは、ポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種で、1950年代半ばから1960年代初頭のアメリカ合衆国で隆盛し、数多くのコーラス・グループが生まれた。ドゥーワップの特徴は、メロディー(主旋律)以外は「ドゥーワッ」「シュビドゥビ」「ドゥビドゥワ」といった、意味を持たない発音でのリズミカルな歌い方(スキャット)にあり、それが「ドゥーワップ」の名の由来となった。グループの構成は3名から6名。ステージやレコードでは、通常は簡素な楽器の伴奏が付く。メンバーそれぞれの担当パートはほぼ決まっており、主旋律を歌うリード・ボーカル、和音(ハーモニー)の中高音部を担当するテナー、中低音部を担当するバリトン、低音部を担当するベースに大きく分けられる。人数が少ないグループや楽器の伴奏が付くのを前提としたグループでは、バリトンやベースがいないこともある。テナーとバリトンは和音だけでなく、対旋律(カウンター)や主旋律に対する掛け声(コール・アンド・レスポンス)で曲を盛上げる役割を担う。ベースは楽器のベースの音とフレーズを模して「ボン」「ドゥン」というような歌い方をすることもある。ポピュラー音楽のコーラス・グループの多くは、ドゥーワップの歌唱スタイルを取るが、ドゥーワップという言葉は「1950年代の黒人音楽の一ジャンル」という限定されたイメージが強いため、通常は、そのジャンルとスタイルを指す以外の使い方はしない。なお、ア・カペラは、楽器の伴奏がない合唱全般を意味する言葉であり、無伴奏のドゥーワップを、特にア・カペラと呼んで区別することがある。アメリカのミュージシャン(ギタリスト)・シンガーソングライターのフランク・ザッパや、同じアメリカのミュージシャン(ギタリスト)・シンガーソングライターのルー・リード、ラヴソングの帝王等と呼ばれる歌手・ミュージシャンで、4名のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた『ラッツ&スター』のメンバーでもある鈴木雅之、シンガーソングライター・ミュージシャンで、1970年代から、昭和歌謡から脱却した、洋楽的な日本語ポップスを制作し続けて来ている山下達郎らは、熱心なドゥーワップ・ファンとして知られている。また、山下達郎は、日本におけるア・カペラ、ドゥーワップのオーソリティの1人であり、自分自身のヴォーカルを多重録音する「1人ア・カペラ」という手法を用いることでも知られる。1960(昭和35)年2月から活動する4名編成の『ザ・キングトーンズ』は、和製ドゥーワップのオリジナルとも呼ばれ、日本にドゥーワップを広めたグループである。『グッド・ナイト・ベイビー』『暗い港のブルース』等の代表曲をもつ一方、1950年代から1960年代前半にかけて流行し、現在では一般にオールディーズと称される楽曲群をレパートリーの中心に据え、ドゥー・ワップと呼ばれるコーラス・スタイルを結成以来堅持し続けている。
デコレーションケーキの日。
東京都港区高輪に事務局を置き、誕生日やウエディング、パーティー等のシーンに登場するデコレーションケーキの普及と、ケーキデコレーション技術の向上、ケーキデコレーター・ケーキデザイナーの育成と、その活躍の場を広げること等を目指す、一般社団法人日本ケーキデコレーション協会が制定。デコレーションケーキの美しさ、楽しさ、おいしさを、さらに多くの人に知ってもらうのが目的。日付は、一般社団法人日本ケーキデコレーション協会が設立された2013(平成25)年7月12日から。デコレーションケーキとは、卵の起泡性(いわゆる泡立つ性質)を用いて、軽くふくらませたスポンジケーキの台の上面や側面を、クリーム・チョコレート・果物等で飾った洋菓子で、結婚式・誕生日・クリスマス等に多く用いる。なお、デコレーションケーキという名称は和製語で、英語では「fancy cake」という。
マララ・デー(Malala Day)。
2013(平成25)年7月12日、南アジア、インドの西に位置するパキスタンの女性人権活動家、マララ・ユサフザイが国際連合本部で演説し、銃弾では自身の行動は止められないとして、教育の重要性を訴えた。国際連合は、マララ・ユサフザイの誕生日である7月12日を「マララ・デー」と名付けた。マララ・ユサフザイは、2014(平成26)年のノーベル平和賞受賞者で、17歳でのノーベル賞受賞は史上最年少である。マララ・ユサフザイは、受賞において「この賞は、ただ部屋にしまっておくためのメダルではない。終わりではなく、始まりに過ぎない」と表明した。マララ・ユサフザイの母国、パキスタンのナワーズ・シャリーフ首相は「マララさんの功績は比べるものがない程偉大だ」と賞賛した。1997(平成9)年にパキスタン北部のカイバル・パクトゥンクワで生まれたマララ・ユサフザイは、父親のジアウディン・ユスフザイが地元で女子学校の経営をしていたことから、父親の影響を受けて学校に通っていた。2007(平成19)年、パキスタン北東部や、その北西隣に位置するアフガニスタンとの国境地帯で活動するイスラーム原理主義(シャリーアと呼ばれる、イスラーム法を規範として統治される政体や社会の建設と運営を目指す政治的諸運動)武装組織パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が一家の住む地域の行政を掌握すると恐怖政治を開始し、特に、女性に対しては教育を受ける権利を奪っただけでなく、教育を受けようとしたり推進しようとする者の命を優先的に狙うような状況になった。マララ・ユサフザイは、恐怖におびえながら生きる人々の惨状を、イギリスの公共放送局、英国放送協会(BBC)の依頼で、英国放送協会(BBC)のブログにペンネームで投稿して、パキスタン・ターリバーン運動(TTP)による女子校の破壊活動を批判し、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続け、イギリスメディアから注目された。その2年後の2009(平成21)年、パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が、パキスタン軍の大規模な軍事作戦によってマララ・ユサフザイが住む地域から追放された後、パキスタン政府はマララ・ユサフザイの本名を公表し、「勇気ある少女」として表彰した。その後、パキスタン政府主催の講演会にも出席し、女性の権利等について語っていたが、これに激怒したパキスタン・ターリバーン運動(TTP)から命を狙われる存在となる。2012(平成24)年10月9日、マララ・ユサフザイはスクールバスで下校途中、武装集団に銃撃され重傷を負った。現地で弾丸摘出手術を受けた後、イギリスの病院に移送され、一命を取止めたが、15歳の女子学生を狙い撃ちにしたテロ事件は、世界中に大きな衝撃を与えた。犯行声明を出したパキスタン・タリバーン運動(TPP)は、教育権を求める女性の「反道徳的」活動への報復であり、シャーリア(イスラム法)に基づくものとテロ行為を正当化しているが、襲撃事件後は、マララ・ユサフザイを称賛・支援する連帯の声が世界中に広がっている。 

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