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マンホール博物館
あなたの街のマンホールはどんなデザインをしていますか?

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2014年9月25日(木)撮影

上尾市のマンホール

長〜い間放置されていた・・・というか以前撮ったものと同じと思い込んで見過ごしていました。これを撮った7年前(2007年)当時は、色なしで中央部分が市章になっていました。これはカラーで、中央にデザインされているのは、上尾市のキャラクター「アッピー」です。
「アッピー」は、あげおの「ア」、上昇や向上を意味する「アップ」、さらに幸せの「ハッピー」を合わせた「アッピー」です。
マンホールも市の変化とともに変わっていくんですね!

上尾市の豆知識

アッピーの意味
「Ageo」の頭文字「A」をモチーフとして、両手で大きな「マル」を描いて、市民相互の調和と触れ合いの輪がより大きく広がっていく願いを込めています。
青いラインとそれに囲まれた緑は、水と緑の豊かな上尾の自然を、笑顔の赤は希望に満ちた元気な市民とまちの活力を表します。そして人も自然もまちも、上尾のすべてが未来に向けて限りなく快適で元気に発展していくことをイメージしており、上尾市のステートメント「あなたに げんきを おくるまち」に合致するものです。

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2014年10月25日(土)撮影

本庄市のマンホール

このマンホールは、埼玉県の指定天然記念物である「ムサシトミヨ」をデザインしたものです。
ムサシトミヨは、清流にしか棲まず、現在では日本で唯一、熊谷市の元荒川上流にしか生息していません。かつては本庄市にも生息していたんでしょうね。

本庄市の豆知識

市の概要
明治22(1889)年町村制の施行により本庄地区では、本庄宿が「児玉郡本庄町」となりました。児玉地区でも2町が合併し、「児玉郡児玉町」が誕生しました。また、両町周辺の村々も合併してあらたな村ができました。
昭和29年7月1日、本庄町と周辺4村は昭和の大合併により「本庄市」となり、さらに、昭和30年3月20日には、児玉町と周辺3村が合併し「児玉郡児玉町」の範囲が拡大しました。その後、昭和32年7月18日に両地区の間にあたる共和村が分村して、両市町へ編入されました。
それから50年前後を経た現在、全国で平成の大合併が進められており、旧本庄市と旧児玉郡児玉町も平成18年1月10日に合併し、新「本庄市」が誕生しました。

市章
本庄市の本を「モチーフ」に、赤は地域の活力と市民の情熱を、青は利根川などの豊かな水を、緑は恵みをもたらす農地や山林を象徴し、自然と調和しながら躍進する本庄市を表している。

※以上の情報は、本庄市のホームページより引用しています。

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2014年10月4日(土)撮影

旧妻沼町のマンホール

このマンホールは、旧町の花「菊」、旧町の木「ケヤキ」と刀水橋・グライダー・赤城連山をデザインしたものです。
妻沼町は、2005年10月1日に熊谷市および大里郡大里町と合併し、新しい熊谷市の一部となったため消滅しました。

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2014年8月13日(水)撮影

東松山市のマンホール

コアラがデザインされているマンホール。
東松山市とコアラ。繋がりを調べてみますと、市内のこども動物自然公園に埼玉県と姉妹提携を結んでいるオーストラリアのクィーンズランド州から友好のシンボルとして贈られたコアラがいるからだと思います。
昭和61年4月、コアラのオス2頭、翌年3月にメス4頭がやってきました。今では赤ちゃんも生まれ、現在、7頭のコアラが人気を呼んでいます。

東松山市の豆知識

市の概要
旧石器時代から人々が暮らしを営んできた松山の地は、戦国時代に「市(いち)」が開かれるようになって以来、商業都市として繁栄してきました。昭和29年には松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村の1町4村が合併し、市制がスタートしました。

市名の由来
1954年(昭和29年)7月1日に市制が施行されました。埼玉県で12番目、全国で398番目となります。市名は、松山部会町村合併連絡協議会で、「松山市」に決まりましたが、「松山市」では四国の松山市と混同のおそれがある(自治省)ため、改めて、市名を決定することになり、「東松山市」に決定されました。

市章
1954(昭和29)年9月13日制定。
一般公募により、応募総数1,210点の中から、市内在住の小澤久生さんの作品に決まりました。
マツヤマの「マ」を三つ組み合わせ、全体的に「東」を形作り、中央から三方へ分かれる線で「山」を表しています。さらに、突き出た三線は「人」も表しています。
一本でも欠けるとバランスがとれなくなることから、お互いに支え合い、協力しながら東松山市をつくっていこうという願いが込められています。

市の木<松>
市の花<ボタン>
市制20周年記念として、1974年(昭和49年)5月1日に制定されました(一般公募による)。

※以上の情報は、東松山市のホームページより引用しています。

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2014年8月13日(水)撮影

東松山市のマンホール

中央に市章とその周りに市の花「ボタン」をデザインしたマンホールです。
私は全く知らなかったのですが、東松山市は、ボタンの栽培が盛んで「東松山ぼたん園」には約9100本、「箭弓稲荷神社ぼたん園」には約1300本栽培されていて、毎年4月中旬から5月上旬にかけての開花期には「ぼたんまつり」が催されるようです。

東松山市の豆知識

市の概要
旧石器時代から人々が暮らしを営んできた松山の地は、戦国時代に「市(いち)」が開かれるようになって以来、商業都市として繁栄してきました。昭和29年には松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村の1町4村が合併し、市制がスタートしました。

市名の由来
1954年(昭和29年)7月1日に市制が施行されました。埼玉県で12番目、全国で398番目となります。市名は、松山部会町村合併連絡協議会で、「松山市」に決まりましたが、「松山市」では四国の松山市と混同のおそれがある(自治省)ため、改めて、市名を決定することになり、「東松山市」に決定されました。

市章
1954(昭和29)年9月13日制定。
一般公募により、応募総数1,210点の中から、市内在住の小澤久生さんの作品に決まりました。
マツヤマの「マ」を三つ組み合わせ、全体的に「東」を形作り、中央から三方へ分かれる線で「山」を表しています。さらに、突き出た三線は「人」も表しています。
一本でも欠けるとバランスがとれなくなることから、お互いに支え合い、協力しながら東松山市をつくっていこうという願いが込められています。

市の木<松>
市の花<ボタン>
市制20周年記念として、1974年(昭和49年)5月1日に制定されました(一般公募による)。

※以上の情報は、東松山市のホームページより引用しています。

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