2013年3月23日(土)撮影
このマンホールは、中央に町章を、そしてその周りに町の花「ゆり」をデザインしたものです。
撮影が正午ごろだったので、どうしても自分の影を入れないように撮る事ができませんでした。せっかくの機会なのにちょっともったいなかったです。
上牧町の豆知識
概要
「かんまき」の呼び名の起こりは、この地一帯がゆるやかな丘陵地帯で放牧に適していたところで上の牧場、下の牧場があったところからと推測できます。「日本書記」「続日本記」によってもそのことがうかがわれます。
上牧は当時の宮廷人たちのリゾート地で、しばしその歩を止めたといわれるほど南上牧から井戸ヶ尻に至る眺めはすばらしく、このあたり一帯はすべて古墳だと言われています。元亀・天正の戦乱の時期になると、片岡氏が町内の下牧地区に城(片岡城)を築きました。しかし天正2年、その子孫弥太郎春之のときに松永久秀の軍勢により攻め落とされました。その後、城は松永のものなりました。織田信長配下の松永は信長に反旗を翻し、それにより天正5年に明智光秀や筒井順慶らに攻められ落城しました。
元和以降、町内の上牧地区は藤林代官による四代73年の支配を経て、また下牧地区は本多大内記正勝らの郡山藩の支配を経て、また享保9年、甲府の柳沢甲斐守吉里のもとに上牧地区・下牧地区ともに柳沢郡山藩の支配に移りました。
明治4年の廃藩置県で奈良県の上牧村、下牧村となり、明治22年の町村制実施により中筋出作地区を加えて合併し上牧村となりました。
奈良県内18番目の町として上牧町が誕生したのは昭和47年12月のことです。
町章
上牧の「上」の文字を図案化しています。花を形どった中心部には槙の葉とクローバを組みあわせています。八つの葉はそれぞれ住民の幸福と各種の職業を表しています。また図の中心にレイアウトすることにより町政の大切さを表し、人が輪を作って町の繁栄に協力する姿を表しています。
市の木<槙>
槙の木は庭木としてよく植えられていますが、幹はまっすぐに伸び、葉は密生していて上を向いています。しかも決して下を向かないといわれています。この木のように人の心もまっすぐで、太陽に向かってすばらしい住みよい町作りをイメージしています。
町の花<ゆり>
ササユリは、かって町内の丘陵地帯に数多く自生していました。ササユリの清楚なイメージから清く美しい心を持ち家庭生活に心の安らぎをおぼえる花として選ばれました。
※以上の情報は、上牧町のホームページより引用しています。
|