|
10年前、母が脳内出血で倒れた。
あれからもう10年車いすで生活している。
救急で搬送された病院は、急性期だけということで、
手術もして、落ち着いたらリハビリの病院に言ってくださいと言われる。
でも、、、、おすすめの病院は遠い。
1時間では着かないくらい、結構離れている。
でも、そこがおすすめと言われると、困ってしまう。
手術には、妹も帰国。
当日は母の兄弟や母の母、要するに私にとっては祖母も来てくれて、
従姉も来てくれて、みんなで成功を祈る。
何かやっていた方が落ち着くと思い、折り紙持参。
みんなで千羽鶴を折る。ちゃんと千羽作りました。
倒れた日から作り始めて、結構早くできたと思う。
父も作ってくれたのには驚いた。結構沢山作ってくれた。
リハビリのため、市内を出て、ちょっと遠くのおすすめ病院に
転院した。脳血管を痛めてしまった人ばかりが、リハビリにやってくる病院。
みんな右麻痺か、左麻痺。車いすに乗りながら、動く方の足で一生懸命進む。
お手洗いや洗面を片手でやる方法を学び、訓練する。
母は、まだ手は動くと信じている。結局最後まで信じていて、
日常生活ができるようにという訓練はしたけれど、左手で文字を書くとか、
より高度な事ができるようになる訓練、動き安くする訓練とか、一切拒否。
もう過去の事例を見ても動きませんと、先生に言われて大泣きしたのに、
でも信じなかった。受け入れられなかった。
リハビリ病院にいたときは、当時幼稚園の役員で、バザーなど、
幼稚園の行事があって、その準備に毎日幼稚園に通い、本当に忙しい生活をしていた。
でも、そのバザー当日のちょうど一週間前くらいに、妹は帰国するから母を退院させるという。
後一週間待ってくれたら、、、、とは言ってみたけど、無理でした。後はよろしく、、、でした。多分
今幼稚園児の母を体験して、どんなに忙しいかを思い知ったと思いますが、
当時は子供もいなかったし、夫を海外に残してきてしまったので
会えない寂しさとかいろいろあったのでしょう。でも、、、、
介護を受け入れるには、準備も必要だったりしますよね、、、
その辺りの事を、理解できる大人は、なかなかいない、、、、
みんな、早く出してあげて、帰って家でのんびりと、、、というけれど、
のんびりさせるためには、それだけのことをしてあげないと
環境が整わない。食事はどうする?買物は?通院は?
いろんな問題があるけれど、それはどうするの?
結局かなり無理して、幼稚園と夫の実家のご飯作りと、実家への往復を
続けた。激やせした。でもやるしかない現実、、、
結局そんな生活を見て、義母はすごく心配してくれた。
そして、その年の年末、静かに息を引き取った。
義母と母のダブル介護は、母だけの普通の介護に戻った。
|